読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

横浜鎮魂曲殺人旅情 高梨耕一郎 幻冬舎文庫

2005-12-09 23:28:18 | 読んだ
私がよく訪ねる、そしてブックマークをさせていただいている「モルツーの日々」で紹介されていた小説。

「新・旅情ミステリー」(書下ろし)であります。
「神尾一馬の事件簿」とありますがシリーズもので、しかも、今回4冊一挙に4社書き下ろしデビューだそうで、すごい企画ものです。この辺は「モルツーの日々」をご参照ください。

さて、この横浜鎮魂曲殺人旅情は、横浜を舞台にしています。
横浜では「旅情」にならないんじゃないの?
って私チョット思いましたが、でも、時代を経る、という旅があるのです。

主人公「神尾一馬」の魅力もありますが(ちょっとうらやましすぎる環境ではあるが)、今回は、もっと魅力的な登場人物がいます。
物語は現代と終戦直後という時代を行きつ戻りつして進みます。

第2章「洋介という少年」から第3章、第4章、最終章まで、息をつかさぬ展開で、一気に読んでしまいました。

推理小説なので、あまり書いてもなんなので、あとは読んでのお楽しみということにしておきます。

まあ一冊を読んで、それから次どうするか決めようか、と思っていましたが、あと3冊読んでみようと思っています。
コメント (4)
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常務 島耕作 週間モーニング

2005-12-08 21:00:32 | 読んだ
島耕作も長い連載である。

さて、今週号は、新たなビジネスとして「介護ロボット」について、常務島耕作は常務取締役技術本部長の松橋と話し合う。
そのなかで、近頃、私も感じていることが話されている。

「(前略)介護ということは、お年寄りに少しでも長く生きてもうらということが本質になりますね。
 しかし、医学の発達についても言えることなのですが、本来なら死んでいる人間を無理矢理生きのびさせるということが、正しい方向なのかどうか、私にはよくわかりません」

「人間には”生きる権利”があると同時に”死ぬ権利”もあるという考え方」

「昔は、疫病や戦争で地球の人口は自然に淘汰された・・・(後略)」

「人口の淘汰が、神の意思あるいは造物主たる地球の意志であるとすれば、人間はどこまでその意志に反していいのか、ということになる」

今も昔も「死」ということは忌み嫌われ、長生きすることこそが、不老不死であることが、最大の幸せと考えられている。
そして、人は長生きを実現させてきた。

しかし、それでいいのか!
誤解を恐れず非難を承知で言わせてもらえば、現代は、あまりにも生きること、あるいは、生きさせることに執着しすぎているのではないか。
介護、介護というが、介護することが仕事になるというのは、いかがなものか。
「死」というものを受け容れることが必要なのではないか。

そんなふうに物語りは進むのか、と思っていたら、島耕作、最後の場面では、女性のスカートに手を入れている、というか引っ張り込まれている。

このギャップが島耕作なんだなあ。
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御宿かわせみ 平岩弓枝 オール読物連載

2005-12-07 23:46:26 | 読んだ
毎月の定期購読誌をただ積んでおいてなかなかじっくり読むことができなかったが、今、重ねておいて順に読み始めている。

手始めに、オール読物の連載「御宿かわせみ」を2005年1月号から12月号まで続けて読んだ。
これは、毎月読みきりなので、どこから読んでもいいのだが・・・
その月にあわせた季節の物語となっている。また、その月々の題名もいい。
ちなみに、2005年は
1月号 初卯まいり
2月号 浮かれ黄蝶
3月号 捨てられた娘(前)
4月号  々    (後)
5月号 清水家の人々
6月号 猫と小判
7月号 わいわい天王の事件
8月号  -
9月号 二人伊三郎
10月号 さんさ時雨
11月号 公孫樹(いちょう)の黄ばむ頃
12月号  -

今年は二回おやすみだった。

さて「御宿かわせみ」はご存知のとおり、長年続いている「ご長寿番組」である。
(昭和48年からの連載らしい)

主人公は、江戸大川端の旅籠「かわせみ」の女主人<るい>と、今はその夫の八丁堀与力の次男坊<神林東吾>である。
これにおなじみレギュラーとして、同心で東吾の親友<畝源三郎>かわせみの老番頭<嘉助>女中頭<お吉>

これらのメンバーやら準レギュラー陣が、江戸でおこる殺人事件をはじめとする様々な事件を解決していく。
というのがパターン。

パターンだが、毎回それぞれに工夫のあるトリック、あるいは、どんでん返しがあり、おなじみではあるが、新鮮味のある小説である。

さて、今年のなかでは、やっぱり「前・後」と2ヶ月続いた「捨てられた娘」が面白い。
謎を解くのは「東吾」でもなければ「るい」でもなく。
東吾の兄嫁の姪(東吾にとっても姪ではあるが)、麻生花世である。
この辺は、長く続いた物語の特徴であって、必ずしも主人公が活躍をしないでも物語が成立する、というところである。

この「花世」いいキャラクターです。今後注目をしたい、と思っています。

御宿かわせみは、テレビでドラマ化されていますが、どうしても私はNHKの最初のメンバーを思い浮かべてしまいます。
<るい>は真野響子<東吾>は小野寺昭<源三郎>山口崇そして<嘉助>花沢徳衛<お吉>結城美栄子ですねえ。

読んでいるときは、この人たちの顔が浮かんでくるのです。
特に、歯切れのいい「江戸言葉」となると、昔の人たちなんでしょうねえ。
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添乗員疾風録 岡崎大五 角川文庫

2005-12-06 21:24:27 | 読んだ
どこか遠くに行きたい。
何も案ずることなく、旅、に出たいと思う。

旅行関係の仕事もいいなあと思った、イヤ、なろうとしたときがあった。
旅行業務取扱主任者の資格を取ろうと、教材を買った。勉強しようとしたが何しろ英語がまったくダメで、すぐあきらめた。
添乗員に向いていると自他共に認めていたときがあったが、なにしろ、致命的欠陥があった。車にすぐ酔う、特にバスは5~10分で酔う自信がある。

というわけで、旅のはなしは好きだ。
この岡崎大五の「添乗員」シリーズは<お気に入り>である。

実録なんだろうか?フィクションが80%くらいではないだろうか?
と思うくらい、ウマイ、話である。

このシリーズは、イロイロなところの紹介、というよりは、旅に出る人たちのそれぞれの事情と心情を、第三者ではあるが頼らねばならない人である、ちょっと特殊な関係にあるゆえに見えなくてもいいところまで見えてしまう、添乗員、という立場から描いているのである。

しかも、行く先や旅の企画は並大抵でなく、プロの添乗員として腕の見せどころがたっぷりある、ものなのである。
これで、ツアー参加者が個性的なのであるから、面白くないはずがない。
当事者にとっては「まいったなあ」ということは、われわれ読者にとってはたまらない事件である。

いいなあ「旅」って。
と思うのは、多分日常がたまらなくイヤなんでしょうね。

「疾風録」には4つの旅が描かれている。
1日1篇読みました。
ちなみに、添乗員シリーズはこの本を含めて6冊出ている。
ワタシ、まだ4冊しか読んでいない。ということは「楽しみ」がマダあるってことだ。
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歴史を歩く vol1 新人物往来社

2005-12-05 23:34:57 | 読んだ
実は、ワタクシ、創刊号フェチ、なのであります。
「創刊号」というだけで、フラフラと手にとってしまうのです。

近頃は少し分別がついてきたので、興味のない分野のものについては買わないことにしています、というか、目に入れないようにしています。

そういう私ですが、この雑誌「歴史を歩く」vol1<「歴史読本」臨時増刊1月号>の広告を新聞で見たとき「絶対に買うぞ!!」と、手に取る前に決めてしまいました。

第一号は「織田信長 天下統一の道」
この雑誌は歴史読本の臨時増刊ですから、歴史について語り、その現場を消化視するのですが、表紙にもあるとおり「食事・宿・城・博物館ガイド付」です。
つまり、織田信長ゆかりの地を文と写真で紹介し、なおかつお薦めの店、などを紹介するという・・・・
どちらかといえば買って読むより、行って書きたい、雑誌であります。

しかも、今回は「織田信長」ですが、次号は「池波正太郎の世界を往く」ですので、こんな楽しみな本は久しぶりではないですか!

さて、買ってきて驚いたのは、やたら文章が多いことです。
それが悪いのではなくて、こういう雑誌って、近頃は文より写真というパターンが多いのに、へエー!ということなのであります。
しかも、創刊号なのか、歴史読本だからなのか、執筆者が豪華。

次号は3月発刊だそうなので、ゆっくりと読んでいこうと思っているのですが、行ってみたい、という気持ちがものすごく湧き上がってきたらどうしようか、今から不安なのです。
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美味んぼ93 マグロのすごさ 雁屋哲+花咲アキラ 小学館

2005-12-04 11:07:35 | 読んだ
もはや、読むほうだけでなく作り手側も「惰性」ではないかと思うくらい、長く続いている漫画である。

こちらとしては、最初の頃のワクワク感はすでになく、今度は何?というかんじで読んでいる。しかし、いったん読み始めれば、いわゆる「美味んぼワールド」に入り込むわけで・・・この辺が、作り手側(原作者、漫画家、編集者、出版社)と長年の読者との、よく言えば「暗黙の了解」悪く言えば「馴れ合い」なんだろうと思う。つまりはその世界に入って「安心」してしまう。

さて、今回は、①イカの調味料、②かなり恥ずかしい食べ物自慢 ③マグロのすごさ(前、中、後編)、④”男子”と”餃子”の味付けは?、⑤お稲荷さんの気持ち、⑥卵と芸の固め方、⑦”熱”の使い方、であった。

結論を申し上げれば、⑤お稲荷さんの気持ち、が良かった。それと⑦”熱”の使い方、は「ヘエー!」と私の無知を知らされました。

近頃の美味んぼで取り上げられるものは、まあ一生食べることもないものが多くてそのあたりがなんだかガッカリするわけで、そういう意味では「⑤お稲荷さんの気持ち」はなんとなく食べられそうで・・・物語の筋はいつものパターンであるが、若干「不思議」というか「ホラー」が入っていて、いわゆる「佳作」だと思います。

今の美味んぼに期待することは、いつどういう形で「最終回」を迎えるのか?
ということです。
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文句あっか!! 島田洋七 文春文庫+plus

2005-12-03 20:42:55 | 読んだ
第一次漫才ブームを巻き起こした筆頭のコンビ「B&B」の島田洋七が、どのようにして漫才師になったのか、どのようにして売れたのか、売れてどう振舞ったのか、そしてどう売れなくなったのか、ということを書いている。
書いているというより、語っていることが文章になったというカンジだ。

で、面白いか?
ということだが、ソコソコ面白い。
こういう読み物は、自慢が半分以上であるから、ときとして「鼻持ちならない」というところもあるが、何しろ一度売れなくなったという事実があるから、その辺は押さえている部分もある。

でも、読み物としてみれが、徹頭徹尾「自慢」であったほうが良かったりする。
「反省」が時々出てくるのは、島田洋七自身としては当たり前のことであったりするのだろうが、「謙遜」というのは「イヤミ」だったりする。

近頃の流行であるが、どこかで責任を逃れようとする、「悪い」ことをしているのに「やんちゃ」なんて言葉をすりかえたりする。
そういうところが、チラチラ見えるのは「いやらしい」

そういう部分を気にしなければ、あるいは、私のように、あえて問題にさえしなければ、「すごーい」とか「お笑いになりたい」みたいな気持になったりするのではないか。

私は「芸人」の表にでてくる「おかしみ」の部分と裏の部分(例えば努力とか稽古熱心とか遊びとか逃避とか)の差が好きだ。
いかにして人を笑わせるか、ということに、熱心に取り組んで・・・
熱心に取り組むあまり、かなり「いっちゃった」りなんかすると、本末転倒して、なんだかわけがわからない。なんて状態になりました。というのがいい。

人は大なり小なりそんなところがあるが、芸人、というのはその差がバカに大きい。その辺がたまらない。

「その差」についてはバカバカしいというかうらやましいというか、エピソードがあって面白かった。

追伸
 明日はすごーく久しぶりの完全休暇。たまりに溜まっていた月刊誌を一年分くらい積んでおいて、お気に入りのモノを読もうなんて思っている。ジャマがなければいいが。
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初雪

2005-12-02 22:59:43 | 日々雑感
12月になったとたん、寒くなり、今朝は雪が・・・
この写真でわかるでしょうか?

最後の紅葉の上に少し積もりました。

天気予報では、明日から月曜日までは雪が降る確立が高いようです。
ソロソロ本格的な冬支度をしなければ
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週間モーニングN01 2006年1月1日号

2005-12-01 22:40:45 | 読んだ
週刊誌の世界では、2006年になってしまった。
以前、何かで「週刊誌」や「月間誌」の「日にち」や「月」についての基準について読んだことがあったが、忘れてしまった。
うろ覚えでは「いい加減」だったような気が・・・

さて、今週号2つの作品について考えさせられた。

「神の雫」<作・亜紀直、画:オキモト・シュウ>
ワインの物語である。
「では、これより神咲豊多香香(ゆたか)氏の遺言状に表現されたる『第一の使徒』その謎かけに対して息子・神咲雫、そして養子・遠峰一青の両名に答を示してもらいたい」
というのが今週号の最初のセリフ。
つまり、その両名のワイン対決を軸に物語りは進むのだ。
しかし、私にとっては想像不可能なのである、ワインって。

「(前略)手招きする・・・恍惚が私を惑わせる。
喉を癒せ、踏み込め、この深き原生の森へ・・・と(後略」

ワイン飲んでこんなこと思いますか?

というわけで、この漫画を読むとワインを飲めない、というか、飲みたくない、気分になるのだ。
物語としてはまあ面白いとは思うが、基軸をなすワインについて、そんな難しいのなら飲みたくないや、と思うのである。

一方、毎度おなじみ「クッキングパパ」は「スープカレー」である。
これは食べたことがないけれど、うまいんだろうなあ、と想像できる。
しかも、肩肘はらないから、いっぺん食べてみたい、と思う。

これって、どっちがいい、ということを言っているのではなくて
神の雫は人気があると思うが、多くの読者は、ワインを想像しているのだろうか?
あるいは、この漫画を見て、ワインを飲みたくなるのだろうか?
ということを今回特に感じた、ということなのである。
多分、スープカレーは、大丈夫だろうなあ。と感じた、ということなのである。

物語の狙いとして、クッキングパパは明確なものがあると思うのだが、神の雫って何を最後に言いたいのだろう?と思ってしまったのだ。
別にそんなこと、追求するほどのことでもないのはわかっているが、ただ、そう思ってしまった、ということなのだ。
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