読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

里見八犬伝 -テレビ-

2006-01-04 22:00:19 | 観た、聴いた
誤解は承知、反論覚悟である。

一昨夜、昨夜とテレビで「里見八犬伝」を観た。
すごーく楽しみにして観た。

少しくらいは原作と違ってもいい。いや、もっと違っても原作をそれなりに解釈していればいい。
と、私は寛大なのである。

しかーし、これはナンダ!!

先ず、なぜ「八房」が出てこない。
八犬士は、八房と伏姫の間の「子」、八房という犬がいたからこそ成り立つ物語ではないか。

それから「舟虫」はどうしようもない、同情の余地のない「悪女」であったはず。
なのになんなのアレ?どう解釈したらあんなふうになるのか?

そして最後。何であんなに「キレイ」に話をまとめようとするのか。
確かに「愛」も「平和」も大切。だけど、室町中期という時代背景でアレはないでしょう。

この世の中は「不条理」なことだらけなのである。
あちらを立てればこちらが立たない、世の中なのである。
そのなかで「争いごと」を避けるのは根本であるが、根本であるがゆえに矛盾があるのである。

人と犬の間に子が生まれるわけがない。また、犬が殺される場面もある。
しかし、それを描かずしてどうするのだ。
逃げることばかり、では世の中はどうにもならないのではないか。

確かに、里見八犬伝は、非常に話が入り組み、しつこいと感じるくらいやりきれない場面がでてくる。従ってそれを一つの物語として構成しなおすことは仕方ない。しかし、ああまでムチャクチャにされると、がっかりする。

原作があるドラマならば、ある程度原作に従わないと「ウソ」をみんなにおしえていることなる。
それなりの解釈もいいが、だったらゼンゼン違う物語にしたらいい。
八犬士とクモの化身かなんかが戦う場面は、ゴレンジャーとか仮面ライダーのようだった。

放映された「里見八犬伝」は、原作の登場人物を借りた、矮小なマガイモノであった。
そこに、どんなに金をかけても役者をふんだんに使っても、ダメなものはダメなのである。

蛇足ながら。
古河公方と扇谷管領が里見を攻めたが、古河公方は足利一族。ということは源氏。それなのに赤い旗はないだろう。
コメント (3)
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