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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「小学生の暴力行為7万件」の背景にあるものー文科省の責任は重大!

2025年04月17日 21時58分48秒 |  〃 (教育問題一般)

 4月7、8日の朝日新聞に「小学生の暴力行為7万件」という記事が掲載されていた。その調査が発表された時、多分ちょっと見聞きしたんじゃないかと思うけど、あまり気に留めなかった。自分の周りに小学生も小学校教員もいないので、最近の小学生事情はよく知らない。小学校の教員免許は持ってないし、小学校で勤務したこともない。しかし、昔中学校や高等学校には勤めたので、大きな意味で「学校とはこういう現場」という感覚はまだ持っている。そこでこの問題の背景にあるものを考えてみたい。

(暴力行為数の推移)

 暴力行為として報告された数の推移を表わすグラフが上の画像。これを見ると、小学生のみ激増していて、近年はついに中学校を追い抜いてしまったのである。2020年には若干減っているが、これはコロナ禍の時期で休校期間が長かったから問題行動も少なかっただけと推測出来るだろう。今までは中学生の暴力行為の方がはるかに多かった。これも普通に考えて理解出来る。「思春期」(第二次性徴)を迎えて、精神的、肉体的に不安定な時期を迎える年頃で、体も急速に大きくなってくる。中学までは地元の学校に通っていても、その後は高校受験というものが頭上にのしかかる。たまに暴れたくなる気持ちも理解できるもんだ。

 それが小学生の方が上回ったというんだから、驚くしかない。中学生も減っていたのが近年増加している。その原因として何があるんだろうか。新聞記事では現場の取材で家庭での子育てが変わってきたこと(大人がゆっくり対応せず、スマホの動画を見せてあやすなど)、教師の多忙で子どもの変容に対応出来ていないことなどが指摘されている。また8日には「関西大学新井肇教授」という人に話を聞いている。新井氏は①「いじめ防止対策推進法」で小さな事件も報告されるようになった②少子化できょうだいや地域の子どもが減って、子ども同士で遊ぶ経験が減った③ベテラン教員の大量退職で教員の対応力が低下した、などを指摘している。

 しかし僕には全く納得出来ない見解なのである。①の法律制定が影響するなら、中学や高校も増えなくてはおかしい。②の少子化もここ何十年ずっと進行中の出来事なので、小中高ずっと上昇していないとおかしい。③も同様で、小学校はクラス担任制だから特にベテラン退職の影響は大きいかとは思うが、大量採用された「団塊世代」が大量退職を迎えたという事情は中学・高校でも同じなので、小学校だけ(コロナ禍の一時期を除いて)一貫して増加している原因としては足りないと思う。

 じゃあ何が考えられるだろうか。この間日本の教育は大きな変化を求められてきた。その中でも特に小学校は一番大きな変化を求められた。それが一番現れているのは、2016年に発表された「学習指導要領」である。その中では、英語教育の教科化プログラミングの必修化、(先行して実施された)道徳の教科化など非常に大きな変更が含まれていた。新しくいろんなことをやりなさいと言うのに、減らす部分は全くなかった。そのため、年間計画の学習時間は「週29コマ」になってしまったのである。

 土曜は休業日として、週5日、6時間授業を行えば、週に30時間となる。その授業1回を「コマ」と学校では表現している。しかし、そうすると勤務時間中に会議が入らなくなるので、通常(中学や高校も)水曜日と金曜日を5時間授業にしていることが多い。そうした場合「週28コマ」が標準となる。その標準を超えてしまったので、文科省はどう考えたかというと、「1コマを10~15分程度に分割して、毎朝の始業前に行う」、あるいは「60分授業」を行う、「土曜や長期休業を授業に充てる」などと例示したのである。

 この学習指導要領に対して、僕は「「亡国」の新指導要領-「過積載」は事業者責任である」(2016.9.5)を書いた。その中で『「できる子」と「できない子」の格差が激しくなる。学校の勉強についていけない子が増える。教員の負担も大きくなりすぎる。教員間の連絡もおろそかになる。教員はどんどん学習を進めないと、やるべき授業が終わらなくなる。教師に課せられた重い負担は、児童の理解、納得を置き去りにすることになってしまう。こうして、すでに小学校段階で両極分解した子供たちが、中学に上がり、高校へ進む。その時、何が起きるか。少しでも想像力があれば、どんな学校になってしまうか、判るのではないか。』と書いた。

 まさにその通りの事態が進行しているではないか。さらに「英語教育」など、今までの教員が自分の経験もなく、大学でも教えられなかった新しい授業をしなくてはならない。そのため「校内研修」「校外研修」が非常に増えたのではないか。さらに、そういう時には文科省や各都道府県教委単位で「研究指定校」が選ばれ、さまざまな研究に取り組み成果を発表したりする。タテマエ上はそうやってある学校が中心的に研究を進めて他校の参考になる成果を報告するわけだ。しかし、その研究の取りまとめ、報告作成などは非常に神経を使うもので、管理職は「上」への対応に気を取られて現場の子どもたちへの対応が疎かになりがちである。

 自分もかつて経験したことがあるのだが、「研究指定校を引き受けると荒れる」などと現場ではよく言われてきた。いじめ事件などが報道された学校を調べると、その直前に研究指定校だったことが結構あるのである。じゃあ、引き受けなきゃいいじゃないかと思うかもしれないが、担当指導主事(教委の責任者)や校長、現場で中心となる研修リーダーなども、自分の出世が掛かっているし、その時点では荒れてなくて優秀と言われる学校に話を持ち込むのである。だけど、あまりに形式的な研究を続ける内に、やはり学校がおかしくなってしまうことがあるのだ。そう考えるとコロナ禍もあって、小学校の負担は非常に大きかったと思う。

 さらに東京、大阪など都市部を中心に、「中学受験」がある種のブームのようになっている現状がある。かつて生徒数が多かった時代には大学受験、高校受験が非常に大変で社会問題でもあった。それが少子化で大学などはかなり緩くなってきたのに対し、だからこそ早めに「中高一貫校」などに子どもを送りたいという動きが盛んになっている。はっきりと言ってしまえば、そういう風潮をもたらしたのは、21世紀初頭の東京都の「公立中高一貫校」の大量設置だっただろう。

(不登校数の推移)

 公立中高一貫校の大増設、小学校での英語教育教科化、道徳の教科化などが一挙に進行し、僕はそれを見ていて「いずれ小学校はパンクしてしまうのではないか」と直感したものだ。その懸念がまさに現実化したのではないかと思う。まあ「だから言ったじゃないか」というところだが、もちろん自分が止められる力を持ってないんだからどうしようもない。この「小学生の暴力傾向」は今後どうなるだろうか? 中学や高校に引き継がれて行くのか? それは考えにくいのではないかと思う。小学校で学校に不適応だった子どもは、学校そのものから離れてしまうのではないか。不登校、私立通信制高校への進学などの増加として現れるのではないか。


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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (CONOMIA)
2025-07-03 11:25:20
女の子が暴れた事例が多くありませんか?詳細を知りたいです。

個人の見解ですが、多くの生徒に 心 を 感 じ ら れ な い が故、俗語や言靈を使って暴走したと思われます。あまりにも律儀過ぎる自虐用語が増え過ぎて、暴徒たちは言葉を封印したのでしょう。最初からすべての言靈や文化が乱れている。

発音できない言葉は、すべて心が制限しているものであり、その制限を破れば負の感情が高まってしまう。個人の掟にこそ、意味があります。
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