2025年5月の訃報、日本人編。6月早々に「長嶋茂雄」の訃報が伝えられたが、来月に書きたい。5月は僕もよく知らない人の訃報が多かったが、まず学者から。経済学者の佐和隆光(さわ・たかみつ)が5月17日死去、82歳。数量経済学の大家で、京大経済研究所長、滋賀大学学長を務めた。80年代以後、環境経済学に研究領域を広げ国の環境政策にも影響を与えた。一般書も多く、岩波新書の『経済学とは何だろうか』(1982)、『地球温暖化を防ぐ』(1997)、『グリーン経済学』(2009)などの他、中公新書、ちくま新書などにも著書がある。ダイヤモンド社からも一般向け経済書を出した。もっとも一冊も読んでないのだが。
宗教人類学者の鎌田東二が5月30日死去、74歳。京大名誉教授。宗教哲学、民俗学などを横断的に研究し、日本人の死生観を研究した。著書に『翁童論』『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」精読』『霊性の文学史』『日本人は死んだらどこへ行くのか』『悲嘆とケアの神話論 須佐之男と大国主』など多数。神職の資格を持ち、日本臨床宗教師会会長などを歴任した。また「神道ソングライター」として活動したり、水神祥(みなかみ・あきら)名義で詩人、小説家としても活動した。この人も読んでないのでよく知らない。
考古学者でトルコのアナトリア地方の発掘に携わった大村幸弘が5月20日死去、78歳。1986年から古代ヒッタイト帝国の中央部、カマン・カレホユック遺跡を発掘し「中近東文化センター附属アナトリア考古学研究所」所長として研究を推進してきた。4月から名誉会長になっていた。トルコの自宅で心臓発作を起こし亡くなった。NHKブックスに『鉄を生みだした帝国-ヒッタイト発掘』(1981、講談社ノンフィクション賞)、『アナトリア発掘記-カマン・カレホユック遺跡の二十年』(2004)などがある。
芸能界では大衆演劇で知られた沢竜二が5月21日死去、89歳。「女澤正一座」の座長の子として巡業中の楽屋に生まれ、4歳で舞台に立った。1954年に10代で座長となるも、一時解散して東京で歌の勉強をした。歌手として目が出ないため、現代劇やテレビ、映画などでも活躍。その後再び一座を結成しアメリカ公演も行った。また漫才師の昭和のいるが24日死去、88歳。1966年に獅子てんや・瀬戸わんやに弟子入りし、「昭和のいる・こいる」として活躍した。
ジャズ歌手のマーサ三宅が5月14日死去、92歳。米軍キャンプで歌い始め、55年にレコードデビュー。1956年に当時ジャズ評論が仕事の中心だった大橋巨泉と結婚した。二人の間には歌手大橋美加など二人の子がいるが、巨泉がテレビタレントになる中ですれ違いが多くなり、1967年離婚。1972年、マーサ三宅ヴォーカルハウスを開校し、大橋純子、今陽子らを輩出した。1988年南里文雄賞を受賞。また「ザ・ゴールデン・カップス」のギタリストだったエディ藩が10日死去、77歳。
ジャーナリストの田畑光永(たばた・みつなが)が5月7日死去、89歳。1960年に現在のTBSに入社し、中国報道などを専門とした。80年代には『報道特集』や『ニュースコープ』などのキャスターとして活躍した。著書に『中国を知る』『鄧小平の遺産』など。定年後は大学で教えたが、退職後の2007年に、護憲・軍縮・共生を掲げるブログ「リベラル21」を開設した。
阪急阪神ホールディングス元会長の角和夫(すみ・かずお)が4月26日死去、76歳。私鉄大手の経営統合を実現し、関西経済界の重鎮として知られた。村上ファンドによる株式大量取得に揺れた阪神に対し、阪急社長だった角が経営統合を決断した。梅田駅周辺の再開発などを進め、2017年に会長に就任した。2024年末に健康上の理由で会長を辞任。
ハンセン病国賠訴訟を最初に提訴した原告13人の1人で、全国原告団協議会会長だった志村康が5月1日死去、92歳。佐賀県に生まれ、1948年に15歳で熊本県の菊池恵楓園に入所した。一時退所したものの、93年に再入所。98年に熊本地裁に国賠訴訟を提訴した。菊池恵楓園の自治会長も務めた。国賠訴訟を最初に提訴するのに大きな役割を果たしたことは特筆される。
文芸評論家の桶谷秀昭が3月27日に死去していた。93歳。1984年に『保田輿重郎』で芸術選奨文部大臣賞、1992年に『昭和精神史』で毎日出版文化賞など。60年代末から『土着と情況』『近代の奈落』など名前が気になる本を出していた。その後、北村透谷、正岡子規、二葉亭四迷、中野重治、伊藤整など近代日本の文学者を論じた。晩年は保守的な論調だったと思う。
・バイオリニストの小林武史が19日死去、94歳。1955年に東京交響楽団のコンサートマスターになり、その後ヨーロッパで活躍した。帰国後読売日本交響楽団のコンサートマスターを経て、71年からソロで活躍した。