蔵原惟繕監督の各映画の寸評3回目。
◎狂熱の季節(1960)
「狂熱の季節」は河野典生の原作を山田信夫が脚色、間宮義雄撮影、川地民夫が主演した傑作ハードボイルド映画。すごい熱気にあふれているが、僕はあまり好きになれない。川地はジャズ喫茶で客の財布をすっているのを写真に撮られ新聞に載り逮捕される。それを逆恨みして、新聞記者(長門裕之)の恋人(松本典子)を湘南で見つけてレイプする。長門に仕返しするのならまだしも、こういう逆恨みレイプは気に入らない。身勝手で無軌道な青春を描くのはいいが、モラルも全くないほどに「純化」されたハードボイルド。弟分の郷鍈治(宍戸錠の実弟)は一匹狼じゃだめだと組に入る。その選択を川地はせせら笑い、あくまでも好き勝手に生きる。そのしびれるような一瞬の夏の興奮をジャズのビートに乗せて描き出す。1960年の日本を象徴するような作品で、渋谷、田園調布、湘南のロケも魅力。
(「狂熱の季節」)
大島「青春残酷物語」の社会派的な世代論や親との関係はこの映画には出てこない。そこが同じ川地主演の鈴木清順「すべてが狂ってる」よりもさらに徹底している。川地民夫がどんなに生き生きと演じていたかは、鹿島茂「昭和脇役伝」(中公文庫)にくわしい。話は変わるが、原作者の河野典生(1935~2012)の再評価も必要だ。大藪春彦らと共に日本のハードボイルドの先駆者である。幻の作家だった高城高は完全復活し創元文庫から全集も出ている。河野典生は忘れられている。
◎破れかぶれ(1961)
68分の映画で、ほとんど上映機会がないが、川地民夫主演で無軌道な青年を描く。アメ横でロケされていて、ものすごく貴重な映像が見られる。川地は場末のバーのマダム渡辺美佐子のヒモ状態で、地元の組とのつながりもある。競馬場で組の兄貴分から「○○を買って置け」と言われたカネで違う馬券を買ってしまい、それが外れて借金を負う。それを返そうと金策に走り、美容師の女のところに大金のドルがあるのを見て盗んでしまう。しかしそれはさらに上部の組のカネで、もっと大々的に追われることになり…。坂道を転がるようにどんどん悪い目ばかりが出る。まあ当たり前だよね。失敗が失敗を呼ぶが、年上の女、渡辺美佐子はあくまでも尻拭いしようと思うのだが…。切羽詰まった焦燥が画面を覆って、行き場のない青春映画。
◎この若さある限り(1961) 未見
◎海の勝負師(1961)
宍戸錠主演で、伊豆大島で大々的ロケを行っている。ジョーと加藤武が潜水夫を演じるという珍しい設定。仲間を見捨てて逃げた卑怯者と呼ばれるジョーが、濡れ衣を晴らそうと駆け回る。その時死んだ仲間の妹が笹森礼子で、ジョーを敵と思い込んでいる。ジョーを慕う中原早苗も大島に追ってきて…。日本には珍しい海洋アクションだけど、陰謀の底が浅い。だからジョーの苦悩も定型的な設定を出ない。三原山をジョーだけでなく、笹森礼子も中原早苗も馬で駆け回るのが見所。
◎嵐を突っ切るジェット機(1961)
小林旭が航空自衛隊のアクロバット部隊のパイロット。事故でチームが解散し、反発した旭は兄葉山良二がやってる私設航空団に入る。海に続いて、空のアクションで、迫力満点のシーンもあることはあるんだけど、基本的には自衛隊協力の映画という限界がある。
◎メキシコ無宿(1962)
後の直木賞作家星川清司が脚本を書き、メキシコロケを敢行したというのに、驚くべく愚作。日本人は日本語をしゃべり何故か通じるが、相手はスペイン語をしゃべる。不思議設定を全篇通すならまだしも、葉山良二や藤村有広は通訳で出てくる。設定上二人が出てこない場面では、両方自国語をしゃべるのに何故か通じる。だけど字幕場面もある。メキシコで殺人犯の汚名を着せられ日本で働いているホセがいる。ホセが日本で事故死して、その遺志をついで、カネを渡し真相を伝えようとするのが宍戸錠。ホセがジョーと知り合って事情を伝えた後で、ホセを死なせるまでが長い。なかなかメキシコに行かない。脚本が練られていないのである。なんとかホセの村に着くが、ホセの恋人マリアはいるか、マリアはいるかって、マリアなんて村人は何人もいるだろ。そのマリアがそれほど魅力的でない。マリアもホセが犯人と思い込んでるけど、それが間違いと判明する事情もアゼン。メキシコまで行って、西部劇風日活アクションを作るのがジョーの念願だろうし、早撃ちやロデオも披露してるのに残念。
◎銀座の恋の物語(1962)
裕次郎、ルリ子の歌謡ドラマの傑作。あの「銀恋」の映画化である。今回は上映がないが、過去に2度見た。経済的に厳しく街の広告屋で看板を書いてる裕次郎と、銀座のブティックで「お針子」をしているルリ子。結ばれる直前に、事故でルリ子が記憶喪失に。というとなんてありきたりな通俗的展開かと思われるだろうが、山田信夫、熊井啓の脚本は細部を極めて綿密に描き上げ、心揺さぶる傑作メロドラマになっている。早朝、裕次郎が人力車を引いて行くロケから始まる。「東京の映画」としても、裕次郎・ルリ子映画としても、歌謡映画としても、有数の作品だと思う。「銀恋」自体は別の裕次郎映画「街から街へ つむじ風」という映画のテーマ曲だった。曲がヒットしたので、別映画が企画された。
(「銀座の恋の物語」)
◎黒い太陽(1964)
次が順番では「憎いあンちくしょう」だが、本来ならもっと早く作られていたはずの「黒い太陽」を先に。「狂熱の季節」に続く川地民夫主演のジャズ映画のはずが、日活が製作を認めなかった。ジャズに憧れ、黒人を崇拝する川地民夫は、廃墟の教会に住んでいる。黒人兵が白人兵を撃ちライフルを持って逃亡する事件が起き、その犯人の黒人兵が教会に逃げ込んでくる。全く言葉が通じない中で、川地は黒人兵をかくまうことにする。ジープで逃げ回りながら、次第に追いつめられていく二人。当時ジャズを映画音楽に使うのは、「死刑台のエレベーター」やポーランド映画の様々な傑作など世界にいろいろあったけど、この映画ほど内容と密接にからむ「ジャズと脱走兵」ものは世界にもないと思う。前に見た時は、いくら何でも全くディスコミュニケーションの二人が納得できない感じだった。2度目に見るとその点こそ面白い。納得できないような展開も納得させる力を持っている。傑作として再評価すべき作品。これほど60年代的な映画も珍しいと思う。
(「黒い太陽」)
◎狂熱の季節(1960)
「狂熱の季節」は河野典生の原作を山田信夫が脚色、間宮義雄撮影、川地民夫が主演した傑作ハードボイルド映画。すごい熱気にあふれているが、僕はあまり好きになれない。川地はジャズ喫茶で客の財布をすっているのを写真に撮られ新聞に載り逮捕される。それを逆恨みして、新聞記者(長門裕之)の恋人(松本典子)を湘南で見つけてレイプする。長門に仕返しするのならまだしも、こういう逆恨みレイプは気に入らない。身勝手で無軌道な青春を描くのはいいが、モラルも全くないほどに「純化」されたハードボイルド。弟分の郷鍈治(宍戸錠の実弟)は一匹狼じゃだめだと組に入る。その選択を川地はせせら笑い、あくまでも好き勝手に生きる。そのしびれるような一瞬の夏の興奮をジャズのビートに乗せて描き出す。1960年の日本を象徴するような作品で、渋谷、田園調布、湘南のロケも魅力。
(「狂熱の季節」)
大島「青春残酷物語」の社会派的な世代論や親との関係はこの映画には出てこない。そこが同じ川地主演の鈴木清順「すべてが狂ってる」よりもさらに徹底している。川地民夫がどんなに生き生きと演じていたかは、鹿島茂「昭和脇役伝」(中公文庫)にくわしい。話は変わるが、原作者の河野典生(1935~2012)の再評価も必要だ。大藪春彦らと共に日本のハードボイルドの先駆者である。幻の作家だった高城高は完全復活し創元文庫から全集も出ている。河野典生は忘れられている。
◎破れかぶれ(1961)
68分の映画で、ほとんど上映機会がないが、川地民夫主演で無軌道な青年を描く。アメ横でロケされていて、ものすごく貴重な映像が見られる。川地は場末のバーのマダム渡辺美佐子のヒモ状態で、地元の組とのつながりもある。競馬場で組の兄貴分から「○○を買って置け」と言われたカネで違う馬券を買ってしまい、それが外れて借金を負う。それを返そうと金策に走り、美容師の女のところに大金のドルがあるのを見て盗んでしまう。しかしそれはさらに上部の組のカネで、もっと大々的に追われることになり…。坂道を転がるようにどんどん悪い目ばかりが出る。まあ当たり前だよね。失敗が失敗を呼ぶが、年上の女、渡辺美佐子はあくまでも尻拭いしようと思うのだが…。切羽詰まった焦燥が画面を覆って、行き場のない青春映画。
◎この若さある限り(1961) 未見
◎海の勝負師(1961)
宍戸錠主演で、伊豆大島で大々的ロケを行っている。ジョーと加藤武が潜水夫を演じるという珍しい設定。仲間を見捨てて逃げた卑怯者と呼ばれるジョーが、濡れ衣を晴らそうと駆け回る。その時死んだ仲間の妹が笹森礼子で、ジョーを敵と思い込んでいる。ジョーを慕う中原早苗も大島に追ってきて…。日本には珍しい海洋アクションだけど、陰謀の底が浅い。だからジョーの苦悩も定型的な設定を出ない。三原山をジョーだけでなく、笹森礼子も中原早苗も馬で駆け回るのが見所。
◎嵐を突っ切るジェット機(1961)
小林旭が航空自衛隊のアクロバット部隊のパイロット。事故でチームが解散し、反発した旭は兄葉山良二がやってる私設航空団に入る。海に続いて、空のアクションで、迫力満点のシーンもあることはあるんだけど、基本的には自衛隊協力の映画という限界がある。
◎メキシコ無宿(1962)
後の直木賞作家星川清司が脚本を書き、メキシコロケを敢行したというのに、驚くべく愚作。日本人は日本語をしゃべり何故か通じるが、相手はスペイン語をしゃべる。不思議設定を全篇通すならまだしも、葉山良二や藤村有広は通訳で出てくる。設定上二人が出てこない場面では、両方自国語をしゃべるのに何故か通じる。だけど字幕場面もある。メキシコで殺人犯の汚名を着せられ日本で働いているホセがいる。ホセが日本で事故死して、その遺志をついで、カネを渡し真相を伝えようとするのが宍戸錠。ホセがジョーと知り合って事情を伝えた後で、ホセを死なせるまでが長い。なかなかメキシコに行かない。脚本が練られていないのである。なんとかホセの村に着くが、ホセの恋人マリアはいるか、マリアはいるかって、マリアなんて村人は何人もいるだろ。そのマリアがそれほど魅力的でない。マリアもホセが犯人と思い込んでるけど、それが間違いと判明する事情もアゼン。メキシコまで行って、西部劇風日活アクションを作るのがジョーの念願だろうし、早撃ちやロデオも披露してるのに残念。
◎銀座の恋の物語(1962)
裕次郎、ルリ子の歌謡ドラマの傑作。あの「銀恋」の映画化である。今回は上映がないが、過去に2度見た。経済的に厳しく街の広告屋で看板を書いてる裕次郎と、銀座のブティックで「お針子」をしているルリ子。結ばれる直前に、事故でルリ子が記憶喪失に。というとなんてありきたりな通俗的展開かと思われるだろうが、山田信夫、熊井啓の脚本は細部を極めて綿密に描き上げ、心揺さぶる傑作メロドラマになっている。早朝、裕次郎が人力車を引いて行くロケから始まる。「東京の映画」としても、裕次郎・ルリ子映画としても、歌謡映画としても、有数の作品だと思う。「銀恋」自体は別の裕次郎映画「街から街へ つむじ風」という映画のテーマ曲だった。曲がヒットしたので、別映画が企画された。
(「銀座の恋の物語」)
◎黒い太陽(1964)
次が順番では「憎いあンちくしょう」だが、本来ならもっと早く作られていたはずの「黒い太陽」を先に。「狂熱の季節」に続く川地民夫主演のジャズ映画のはずが、日活が製作を認めなかった。ジャズに憧れ、黒人を崇拝する川地民夫は、廃墟の教会に住んでいる。黒人兵が白人兵を撃ちライフルを持って逃亡する事件が起き、その犯人の黒人兵が教会に逃げ込んでくる。全く言葉が通じない中で、川地は黒人兵をかくまうことにする。ジープで逃げ回りながら、次第に追いつめられていく二人。当時ジャズを映画音楽に使うのは、「死刑台のエレベーター」やポーランド映画の様々な傑作など世界にいろいろあったけど、この映画ほど内容と密接にからむ「ジャズと脱走兵」ものは世界にもないと思う。前に見た時は、いくら何でも全くディスコミュニケーションの二人が納得できない感じだった。2度目に見るとその点こそ面白い。納得できないような展開も納得させる力を持っている。傑作として再評価すべき作品。これほど60年代的な映画も珍しいと思う。
(「黒い太陽」)