文学座の「大空の虹を見ると私の心は躍る」を見てきた。鄭義信(ちょん・うぃしん)作、松本祐子演出で、短いながら(1時間45分ほど)心打つ芝居。もう14日、15日の14時の回しかないけれど、紹介しておく次第。新宿の紀伊国屋サザンシアター。
この芝居はある映画館の終りの日々を描いている。鄭義信の戯曲だから見てみたいと思ったけど、特に映画館の話というのに心惹かれたのである。東京でもそうだが、特に地方では名画座的な映画館がどんどんなくなっている。そこには様々なドラマがあるはず。映画館を通して見えてくる人々と町の心の歴史があるはずだ。この劇の映画館「新星劇場」の最後のプログラムは「シェルブールの雨傘」と「草原の輝き」である。ここで、かなりグッとくる。もし自分が館主だったら、一体どんな映画を最後に映画館を閉じるだろうか。「シェルブールの雨傘」は最近もデジタルで上映されているが、「草原の輝き」は今は劇場上映の素材はないのではないか。エリア・カザン監督、ウィリアム・インジ原作・脚本の1961年アメリカの傷つく青春映画の傑作である。主演のナタリー・ウッドは一度見たら永遠に忘れられない。
でもなんで「草原の輝き」なのか。それが実はこの劇のもっとも重要なカギだった。これはワーズワースの詩から取った題名で、主人公の館主は青春時代にこの映画に感動し、詩集を買ったのである。そこに出ていたのが「大空の虹を見ると私の心は躍る」という詩の一節だったのである。劇を見るまでは全然覚えられなかった劇の題名だけど、見た後では間違うことなく覚えられる。忘れられない。
この映画館には館主と館主の父がいて、館主の息子も帰って手伝いにきている。その「友人」も東京から来ている。「モギリの女の子」がいて、映写技師がいる。女の子は太目で、映写技師はなぜかいつも「ウサギの着ぐるみ」である。そこに映画は見ないけど、休みに来ている「老女性」がいる。登場人物は以上7人のみ。そして、劇の進行とともに、舞台には重要な「不在の人物」がいることが判ってくる。
ここで館主一族や映写技師をとらえているのは、「あるいじめ事件」だった。それに加えて、同性愛、介護、地方の疲弊など様々な問題が散りばめられているが、結局は「ある家族といじめ事件」が最も大きな傷であることがだんだんはっきりする。そして台風の夜を経て、登場人物はみな最後の上映を経て「新出発」を迎えるのである。笑いあり、涙あり、登場人物が皆葛藤を抱え、密室状況ですべてが明かされ、「昇華」されていく。こんなに「良く出来た古典的ドラマ」がいまどきありうるのか。構成としてはそう思わないでもないけど、「いじめ事件」と「映画館の最後」をクロスするところに深い感動が湧き起ってくる。「ニュー・シネマ・パラダイス」のテーマが流れ、ワーズワースの詩を朗唱する。多少感傷に入りかける感じもあるけど、まあ「過去にどう向き合うか」をめぐり、すべての人に問いかける芝居。
「大空の虹を見ると私の心は躍る」。この詩の先が知りたい人は是非舞台を見るか、ワーズワース詩集を買いましょう。
この芝居はある映画館の終りの日々を描いている。鄭義信の戯曲だから見てみたいと思ったけど、特に映画館の話というのに心惹かれたのである。東京でもそうだが、特に地方では名画座的な映画館がどんどんなくなっている。そこには様々なドラマがあるはず。映画館を通して見えてくる人々と町の心の歴史があるはずだ。この劇の映画館「新星劇場」の最後のプログラムは「シェルブールの雨傘」と「草原の輝き」である。ここで、かなりグッとくる。もし自分が館主だったら、一体どんな映画を最後に映画館を閉じるだろうか。「シェルブールの雨傘」は最近もデジタルで上映されているが、「草原の輝き」は今は劇場上映の素材はないのではないか。エリア・カザン監督、ウィリアム・インジ原作・脚本の1961年アメリカの傷つく青春映画の傑作である。主演のナタリー・ウッドは一度見たら永遠に忘れられない。
でもなんで「草原の輝き」なのか。それが実はこの劇のもっとも重要なカギだった。これはワーズワースの詩から取った題名で、主人公の館主は青春時代にこの映画に感動し、詩集を買ったのである。そこに出ていたのが「大空の虹を見ると私の心は躍る」という詩の一節だったのである。劇を見るまでは全然覚えられなかった劇の題名だけど、見た後では間違うことなく覚えられる。忘れられない。
この映画館には館主と館主の父がいて、館主の息子も帰って手伝いにきている。その「友人」も東京から来ている。「モギリの女の子」がいて、映写技師がいる。女の子は太目で、映写技師はなぜかいつも「ウサギの着ぐるみ」である。そこに映画は見ないけど、休みに来ている「老女性」がいる。登場人物は以上7人のみ。そして、劇の進行とともに、舞台には重要な「不在の人物」がいることが判ってくる。
ここで館主一族や映写技師をとらえているのは、「あるいじめ事件」だった。それに加えて、同性愛、介護、地方の疲弊など様々な問題が散りばめられているが、結局は「ある家族といじめ事件」が最も大きな傷であることがだんだんはっきりする。そして台風の夜を経て、登場人物はみな最後の上映を経て「新出発」を迎えるのである。笑いあり、涙あり、登場人物が皆葛藤を抱え、密室状況ですべてが明かされ、「昇華」されていく。こんなに「良く出来た古典的ドラマ」がいまどきありうるのか。構成としてはそう思わないでもないけど、「いじめ事件」と「映画館の最後」をクロスするところに深い感動が湧き起ってくる。「ニュー・シネマ・パラダイス」のテーマが流れ、ワーズワースの詩を朗唱する。多少感傷に入りかける感じもあるけど、まあ「過去にどう向き合うか」をめぐり、すべての人に問いかける芝居。
「大空の虹を見ると私の心は躍る」。この詩の先が知りたい人は是非舞台を見るか、ワーズワース詩集を買いましょう。