市川崑監督が総監督を務めた「東京オリンピック」は大変面白い映画だけど、最近は上映される機会が少ない。2020年東京招致決定後初の上映が早稲田松竹であったので、早速見てきた。

この映画は映画史的に非常に大事な映画である。オリンピックでは最近まで毎回「公式記録映画」が作られてきて、その一覧がウィキペディアに出ている。日本では夏季は72年のミュンヘン、冬季は76年のインスブルックを最後に劇場公開はされていないと思う。その中でも映画史的に有名なのは、言うまでもなく1936年ベルリン五輪を記録した「民族の祭典」「美の祭典」の2部作である。レニ・リーフェンシュタールが作ったこの映画は、今見ても映像美には驚嘆すべきものがある。しかし、ナチスの宣伝であり「ファシズム美学」であることも間違いない。また「記録映画」なのに「再現映像」を巧みに使って詩的感銘を与えている。「映画のつくり方」としても。映画史上に論議を呼んできた。
もし市川崑の「東京オリンピック」がなければ、今でも「史上最高の五輪映画」は「民族の祭典」になるところだった。でも、市川崑作品が作られ、記録映画のつくり方にも大きな影響を与えた。初めは黒澤明という声もあったが、結局その頃名作を連発していた市川崑に依頼された。どのように撮影されたかは、野地秩嘉「TOKYOオリンピック物語」を参照。映画完成後に河野一郎に批判されたことでも有名である。河野は五輪担当大臣を務めた有力者で、河野派を率いた首相候補だった。(河野洋平の父、河野太郎の祖父にあたる。)日本選手の活躍を称賛するような映画ではなかったことが批判の一因だろう。が、それだけではなくカメラ技術の粋をつくして、スポーツをする人間の内面にまで迫ろうという監督のもくろみが根本的に理解されなかったのだと思う。
(撮影する市川崑監督)
批判を受け多少編集をやり直したというが、ベースの「人間に迫る」は変らなかった。国威発揚の宣伝映画としての側面が全くないわけではないが(公式記録映画である以上、ある程度はやむを得ない)、各種競技の活躍をただ並列的に網羅する「オリンピック・ダイジェスト」ではない。最初こそ開会式の映像が続くが、その後陸上競技になり、100m競争に始まり各種目を延々とクローズアップで映しだす。今でこそ、テレビでもっときめ細かい映像分析を流しているが、当時はスローモーションのクローズアップで、超有名選手を眺めたことは誰もなかったはずである。そこでとらえた決勝直前の「人間の孤独」は、驚くほど新鮮な映像だったのである。
今見ると、当時の有名人に「名前」が入らないので、判らない人もいるのではないかと思う。さすがに昭和天皇は判ると思うが、重量挙げの三宅義信も名前が出ない。女子バレーボールの大松博文監督も誰でも知ってたからだと思うが、特に名前が紹介されない。観客席にいる長嶋と王も若い。競技は一応すべてがちょっとは出てくるのではないかと思うが、印象としては陸上以外では水泳、体操とバレーボール、自転車のロードレースぐらいしか、ちゃんと出てこない感じ。体操のベラ・チャスラフスカ、マラソンのアベベ・ビキラ、柔道のアントン・ヘーシンクら外国人選手は映画でもひときわ輝いている。
(チャスラフスカ)
2020年の五輪招致もあるが、それよりも2014年は東京五輪50年なのである。半世紀前の東京五輪は、一体どんなものだったのか。当時を知らない多くの若い人たちも、是非見てみたいのではないか。どう感じるのか、是非見て欲しい気がする。映画の中に、アフリカ中部のチャドから来た若者が登場する。男子800mで予選は突破し、準決勝で敗退した。体育の教師になりたいとナレーションが流れるが、その後一体どのような人生を歩んだのだろうか。また、マラソンやレスリングはまだ男だけだった時代である。競技の多様化、高度化はものすごい。シンクロナイズド・スイミングとかビーチバレーなんか、競技自体があったのかどうか。そういう時代の記憶がこの映画に残されている。また今はなき国もある。「ソ連国歌」は何度か聞くことになる。分断時代のドイツは、東京大会のみ合同選手団で、金メダルの時は「第九」を流したのである。誰が勝っても第九にすればいいんじゃないか。
僕は東京五輪に関心があり、この映画は多分3回目か4回目。でも20年ぶりぐらいである。昔高田馬場パール座という名画座があり「東京オリンピック」と「日本の夜と霧」(大島渚)という不思議な2本立てを見た記憶がある。多分「日本の戦後を考える」とかの特集だったんだろう。僕は開会式の古関裕而のマーチを聞くと胸が高鳴る思いを禁じ得ない。小学生で聞いたわけで、純粋に感激していた。それでも閉会式の感動の方が大きかった。3時間も映画を見て、最後に閉会式まで来ると今でも感動してしまう。あれがいいんだよなという感じ。「千と千尋の神隠し」に抜かれるまで、日本で一番観客動員が多かった映画。ただ人口が2千万ほど違うので、国民の中で見た人の割合で言えば、(集団鑑賞が多かったため)「東京オリンピック」が一番ではないかと思う。
この作品は1965年度のキネマ旬報ベストテン2位に選出されている。(1位は黒澤の「赤ひげ」、3位は熊井啓の「日本列島」。)カンヌ映画祭、モスクワ映画祭等で受賞している。市川崑監督は、58年「炎上」(「金閣寺」の映画化)で4位、59年「野火」で2位、「鍵」で9位、60年「おとうと」で1位、61年「黒い十人の女」で10位、62年「私は二歳」で1位、「破戒」で4位、63年「太平洋ひとりぼっち」で4位とベストワン2作品を含めて毎年ベストテンに入選していた。今挙げたように、有名な文学作品の映画化が多い。その意味では、「東京オリンピック」も誰もが知ってる「原作」を自分の感性で構成し直した作品という感じがする。夫人の和田夏十と共に白坂依志夫、谷川俊太郎が「脚本」に参加。(2019.11.20一部改稿)

この映画は映画史的に非常に大事な映画である。オリンピックでは最近まで毎回「公式記録映画」が作られてきて、その一覧がウィキペディアに出ている。日本では夏季は72年のミュンヘン、冬季は76年のインスブルックを最後に劇場公開はされていないと思う。その中でも映画史的に有名なのは、言うまでもなく1936年ベルリン五輪を記録した「民族の祭典」「美の祭典」の2部作である。レニ・リーフェンシュタールが作ったこの映画は、今見ても映像美には驚嘆すべきものがある。しかし、ナチスの宣伝であり「ファシズム美学」であることも間違いない。また「記録映画」なのに「再現映像」を巧みに使って詩的感銘を与えている。「映画のつくり方」としても。映画史上に論議を呼んできた。
もし市川崑の「東京オリンピック」がなければ、今でも「史上最高の五輪映画」は「民族の祭典」になるところだった。でも、市川崑作品が作られ、記録映画のつくり方にも大きな影響を与えた。初めは黒澤明という声もあったが、結局その頃名作を連発していた市川崑に依頼された。どのように撮影されたかは、野地秩嘉「TOKYOオリンピック物語」を参照。映画完成後に河野一郎に批判されたことでも有名である。河野は五輪担当大臣を務めた有力者で、河野派を率いた首相候補だった。(河野洋平の父、河野太郎の祖父にあたる。)日本選手の活躍を称賛するような映画ではなかったことが批判の一因だろう。が、それだけではなくカメラ技術の粋をつくして、スポーツをする人間の内面にまで迫ろうという監督のもくろみが根本的に理解されなかったのだと思う。

批判を受け多少編集をやり直したというが、ベースの「人間に迫る」は変らなかった。国威発揚の宣伝映画としての側面が全くないわけではないが(公式記録映画である以上、ある程度はやむを得ない)、各種競技の活躍をただ並列的に網羅する「オリンピック・ダイジェスト」ではない。最初こそ開会式の映像が続くが、その後陸上競技になり、100m競争に始まり各種目を延々とクローズアップで映しだす。今でこそ、テレビでもっときめ細かい映像分析を流しているが、当時はスローモーションのクローズアップで、超有名選手を眺めたことは誰もなかったはずである。そこでとらえた決勝直前の「人間の孤独」は、驚くほど新鮮な映像だったのである。
今見ると、当時の有名人に「名前」が入らないので、判らない人もいるのではないかと思う。さすがに昭和天皇は判ると思うが、重量挙げの三宅義信も名前が出ない。女子バレーボールの大松博文監督も誰でも知ってたからだと思うが、特に名前が紹介されない。観客席にいる長嶋と王も若い。競技は一応すべてがちょっとは出てくるのではないかと思うが、印象としては陸上以外では水泳、体操とバレーボール、自転車のロードレースぐらいしか、ちゃんと出てこない感じ。体操のベラ・チャスラフスカ、マラソンのアベベ・ビキラ、柔道のアントン・ヘーシンクら外国人選手は映画でもひときわ輝いている。

2020年の五輪招致もあるが、それよりも2014年は東京五輪50年なのである。半世紀前の東京五輪は、一体どんなものだったのか。当時を知らない多くの若い人たちも、是非見てみたいのではないか。どう感じるのか、是非見て欲しい気がする。映画の中に、アフリカ中部のチャドから来た若者が登場する。男子800mで予選は突破し、準決勝で敗退した。体育の教師になりたいとナレーションが流れるが、その後一体どのような人生を歩んだのだろうか。また、マラソンやレスリングはまだ男だけだった時代である。競技の多様化、高度化はものすごい。シンクロナイズド・スイミングとかビーチバレーなんか、競技自体があったのかどうか。そういう時代の記憶がこの映画に残されている。また今はなき国もある。「ソ連国歌」は何度か聞くことになる。分断時代のドイツは、東京大会のみ合同選手団で、金メダルの時は「第九」を流したのである。誰が勝っても第九にすればいいんじゃないか。
僕は東京五輪に関心があり、この映画は多分3回目か4回目。でも20年ぶりぐらいである。昔高田馬場パール座という名画座があり「東京オリンピック」と「日本の夜と霧」(大島渚)という不思議な2本立てを見た記憶がある。多分「日本の戦後を考える」とかの特集だったんだろう。僕は開会式の古関裕而のマーチを聞くと胸が高鳴る思いを禁じ得ない。小学生で聞いたわけで、純粋に感激していた。それでも閉会式の感動の方が大きかった。3時間も映画を見て、最後に閉会式まで来ると今でも感動してしまう。あれがいいんだよなという感じ。「千と千尋の神隠し」に抜かれるまで、日本で一番観客動員が多かった映画。ただ人口が2千万ほど違うので、国民の中で見た人の割合で言えば、(集団鑑賞が多かったため)「東京オリンピック」が一番ではないかと思う。
この作品は1965年度のキネマ旬報ベストテン2位に選出されている。(1位は黒澤の「赤ひげ」、3位は熊井啓の「日本列島」。)カンヌ映画祭、モスクワ映画祭等で受賞している。市川崑監督は、58年「炎上」(「金閣寺」の映画化)で4位、59年「野火」で2位、「鍵」で9位、60年「おとうと」で1位、61年「黒い十人の女」で10位、62年「私は二歳」で1位、「破戒」で4位、63年「太平洋ひとりぼっち」で4位とベストワン2作品を含めて毎年ベストテンに入選していた。今挙げたように、有名な文学作品の映画化が多い。その意味では、「東京オリンピック」も誰もが知ってる「原作」を自分の感性で構成し直した作品という感じがする。夫人の和田夏十と共に白坂依志夫、谷川俊太郎が「脚本」に参加。(2019.11.20一部改稿)