尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

素晴らしきクーデルカ展

2013年12月03日 23時23分17秒 | アート
 チェコ出身の写真家ジョセフ・クーデルカ(1938~)の全貌を見渡すジョセフ・クーデルカ展国立近代美術館で開催中。1月13日まで。今日見たんだけど、とても素晴らしいので紹介。この人は1968年にソ連が「プラハの春」をつぶしたチェコスロヴァキア侵攻事件の写真を撮った人である。東欧諸国の「ジプシー」を撮りに行っていて、侵攻前日に帰国していた。その写真は侵攻一年目の1969年に外国に持ち出され、大変大きな反響を呼んだ。その写真は2011年に東京都写真美術館で公開され、「クーデルカ展とセヴァンの地球のなおし方」の記事で紹介した。今回はその時の写真もあるが、その前、その後の写真が大部分を占める。報道写真家ではない、クーデルカの本当の偉大な業績が初めてまとまって公開された。
 
 全部で、7つのパートに分かれているが、圧倒的なのは「ジプシーズ」と「カオス」。最初と最後である。初期作品もあり、学生時代に中古カメラで撮った時から、彼は「作家」だったことが判る。実験的作品も撮りながら、彼は主に二つの領域で自分の写真を確立していった。一つは「劇場」写真で、演劇舞台のエッセンスを伝える写真群。60年代プラハで演じられたシェークスピア、チェーホフなどの舞台と俳優を永遠に伝えている。もう一つが「ジプシーズ」で、チェコスロヴァキア各地やルーマニアなどの「ジプシー」の人々を訪ね歩き、その生活のひだ、喜びと哀愁のドラマを写真に遺した。トニー・ガトリフやエミール・クストリッツァの映画で見た、東欧の「ジプシー」の生活とエネルギーを感じることができる。質量ともに圧倒的で、ドラマチックな写真の数々二はすっかり魅了された。(なお、原題は英語で「 Gypsies」。)

 そこで「侵攻」が入り、クーデルカは1070年に出国したまま帰らなかった。ヨーロッパ各国を渡り歩き、イギリスが長かったが、その後フランスにわたりフランス国籍を取得した。その間の各国で撮った写真が「エグザイルズ」としてまとまっている。うっかりするとここを見逃すが、会場に置いてあったカタログを見ていたら、こんな写真があったかなと思い、再び見直した。「ジプシーズ」に圧倒され、また最後の「カオス」が素晴らしいので、うっかり簡単に通り過ぎてしまうが、この「エグザイルズ」は一編一編が素晴らしい短編小説を書き始められるような写真である。見てると、スペインやイタリアやアイルランドで、どのような自然の中で人々の生活が営まれているか…。一つ一つの写真が深い。

 最後に「カオス」であるが、英仏海峡地帯を撮るときにパノラマカメラを使ったのをきっかけに、ヨーロッパの山奥都市の廃墟、イスラエル、レバノンなどの風景写真をパノラマで撮っていく。これは黙示録的な世界で、非常にダイナミックな写真である。「文明論的」と解説にあるが、文明論というか、昔流行った「終末論」的というか、人間以前または人間以後の世界というべき壮大な写真もある。しかし、イスラエルやレバノンでは再び戦車のある風景もパノラマで撮っている。このように実に様々な写真を撮ってきたけれど、いずれも見る者に鮮烈なイメージを喚起する写真。なお、同年生まれの日本の写真家、森山大道の「にっぽん劇場」を2階で展示している。もちろん常設展示も同時に見られるので、近代日本の名作を時間があるなら見ることができる。12月7日(土)には、飯沢耕太郎(写真批評)氏の「ジョセフ・クーデルカの写真世界」という講演も予定。時間:14:00-15:30(予約不要)。本人にも会った時のエピソードがあるという。
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「ルポ虐待」-これが日本だ、私の国だ

2013年12月03日 00時25分09秒 | 社会(世の中の出来事)
 あなたはもう「ルポ虐待」という本を読んだだろうか?
 そのように言いたくなる本は一年に何冊もない。今年は「永山則夫-封印された鑑定記録」とこの本である。杉山春ルポ虐待」(ちくま新書、840円)。まず何はともあれ、この本を手に取って欲しい。読むのはつらいけど、少しずつでも読んで欲しい。必ず深く感じるものがあるから。多くの教育、福祉、行政、医療などの関係者も必読。
 
 永山事件は半世紀以上も前の極貧と家庭内暴力によるネグレクトの極致と言える出来事だった。一方、2010年に大阪で起きた幼児2児置き去り事件は、直接的な物質的貧困ではなくても「居場所がない」「自尊感情がない」中で育てられた女性が、どのように生きて行かざるを得ないかを示している。この本は母親を中心に、親や地域を丹念に目配りし、事件の深層を克明に描き出した本である。この本を読みながら、僕は「五つの赤い風船」の「遠い世界に」の歌詞を思い出した。「雲に隠れた 小さな星は これが日本だ 私の国だ…」。これは3番だが、2番の歌詞には「僕らの住んでる この町にも 明るい太陽 顔を見せても 心の中は いつも悲しい 力を合わせて 生きることさえ 今ではみんな忘れてしまった」。しかし、2番はその後に「だけど僕たち若者がいる」で終わる。そう歌えたのは40年前の話だろう。

 ある女性とその家族について、読み進むうちに僕たちはかなり詳しく知っていくことになる。しかし、それは最後の最後に幼児死亡に至る「虐待事件」になるからである。結末はすでに知っている。だから読み進むのは、相当に苦しい読書体験である。この事件については、時間が経ち、僕も詳しいことは忘れていることが多い。しかし、あらゆるネグレクト事件の中でも、到底信じられないような、簡単に言えば「ありえない」ケースである。こんなことが現代の日本で起こりうるとは。是枝裕和監督の「だれも知らない」という映画があったけれど、あれは母親が寄り付かなくなって子供たちだけで生きていく物語だった。この大阪のケースは3歳と1歳だから、自分たちで食料を探しに行くことはできない。

 しかし、母親がいくらとんでもなくても、母親にもその親がいるはずだし、子どもは母だけでは生まれないわけだから、父の方の家族もいるはずだ。そういう親族の保護を受けられなくても、虐待を防ぐ行政の仕組みはある。児童相談所や警察は何も知らないのか。児童手当や生活保護もあるではないか。山の一軒家じゃないんだから、誰か隣人は気付かないのか。父方の事情は本で読んでもらうとして、行政の事情について。実は通報はあった。しかし、同じ人物と思われる匿名の電話が何回かあっただけだった。担当者が駆け付けたけれど、オートロックで中に入れなかった。その部屋と思われるベルを押しても反応がない。時間を変えて何回か行っても同じだった。では誰が住んでいるかと調べてみても、住民票は移されてなかった。匿名電話の主に名前を聞いても、一度も答えていない。従って、本当にそこに子供が住んでいて、本当に鳴き声が聞こえるかどうか、確信を持って緊急事態と判断できる根拠が確かに乏しかったのである。後からいくらでも批判できるけれど、様々なケースが殺到する中で、自分ならもっと早く発見できたとは僕は言えない。(このオートロックというのは、本当に困ったもんである。不登校生徒を訪問しても全然通じない。しかし、ストーカー事件というのもあるから、役立つ場合も多いわけだ。)

 自尊感情をうまく持てずに育ち、人とつながりを作るのが苦手なタイプ。僕もそういう生徒は何人も見てきた。関係がうまく回りそうになってくると、「自分から不幸になりたがる人」に変ってしまう。「うまく行く自分」を信じられないから、自分から関係を壊してしまい、「もういいです」と引きこもる。この事件の母親もそのような傾向が強いと思う。「うまく周りの人に頼る」という基本的生活スキルがない。全部自分で被ってしまうが、そういう自分を見たくない。見たくないものは見ないことにする。子どもが泣き、子どもが水を出しっぱなしにする。では出かけるときに、カギを掛けただけではなく、声が漏れないようにガムテープを張りめぐらしてしてしまうのである。そして風俗嬢となり、ホストに入れあげ、ホスト代が50万たまり催促されると、「ストーカーに追われてる」とブログに書き込む。SNS上では、子どもを隠し、いろいろな恋人のことだけを書く。仕事で撮った写真をネットに載せ、そこには「幸せそうな自分」がいる。この時代の写真は今でもネット上で容易に探せるけど、何というか事件を知っていてみる今となっては、表現に困ってしまうとしか言えない。 

 僕がこの本で一番考えさせられたことは、この女性の父親が相当に有名な高校教師だったことである。ラグビーで何回も全国大会に出場した有名な監督だという。僕はラグビーを知らないから、もちろんこの人は知らない。ある公害で有名な都市にある、最底辺とされる「教育困難校」。ここに赴任した青年体育教師は、熱心な指導でラグビー部を県大会優勝に導き、全国大会に連れて行く。毎年のように全国に行く常連校に育てたのである。その指導は生徒に絶対服従と大量の練習量を求めるものだった、しかし、その熱血指導は底辺校に誇りを取り戻させていく。その熱血教師は、ラグビーでついて行く男子生徒だけではなく、女子の憧れも集めたことだろう。その「女子マネ」の一人、家庭に事情があるらしい生徒が、後に事件女性の母親となるのである。歳が違おうと、「教師と生徒」だろうと、うまく行くカップルはいっぱいあるだろう。でも、この二人はどうなんだろうか。熱血顧問は、女子マネにとって毎日会える存在だった。しかし、結婚、育児の段階になっても、夫は土日もなく部活に出かける「私生活のない夫」だったわけである。しかも「二人で愛を育む」という関係ではない。一方的な「指導ー被指導」の関係が家庭でも貫徹される。子どもは3人も生まれるが、「浮気」「離婚」となり、その後「再婚」「継子イジメ」と続き、結局父は再離婚、一人で3人の子育てを続けるということになる。中学時代から「非行」に走るのもやむを得ないような環境ではないか。

 この「死んだ魚のような目」をした少女が大きくなったが、社会性は全くない。体を提供すれば、一時のお金と保護を得られることを体験で知るだけである。キャバクラ時代に、大学生と知り合い、よくあるように早く子供が欲しいと思いすぐに妊娠。いつも嘘をつくと言われていた少女時代。これを「解離」ととらえ、法的責任を認められないと弁護側は主張したが、裁判では「未必の故意」による殺意が認定され、この種の事件では異例なほどの「懲役30年」という判決が下された。控訴審、上告審を経て、2013年3月25日付の最高裁決定で刑は確定した。その判決の理由は明らかに間違っている部分があるとこの本を読むと思うけれど、僕は「同情に値する生い立ちはあるけど、はっきり言えば閉経まで外に出すな」という意味合いの判決だと感じた。その是非は僕には判断できない。
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