柚木麻子(ゆずき・あさこ、1981~)の『BUTTER』(2017、新潮文庫)という小説がイギリスのインターナショナル・ダガー賞の候補に選ばれたというので、読んでみることにした。すでに報道されているように、受賞作は王谷晶『ババヤガの夜』だったが、どっちも日本ではミステリーとして高く評価されたわけではなかった。そもそも『BUTTER』は犯罪小説とは言えるだろうが、ミステリーとしての興趣を求めるべき小説じゃない。ジャンルとしては「女性小説」「料理小説」と言うべきだろう。
この本はとにかく長くて(文庫本で580頁を越える)、かなり難儀した本だった。確かに面白いんだけど、読むごとに焦点がズレていくような小説。日本では直木賞候補となったが、受賞出来なかった。今まで『伊藤くん A to E』(2013)、『本屋さんのダイアナ』(2014)、『ナイルパーチの女子会』(2015)、『BUTTER』(2017)、『マジカルグランマ』(2019)、『あいにくあんたのためじゃない』(2024)と6回直木賞候補となっている。ミステリー作家ではなく、「女性小説」(というジャンルがあるかどうか不明だが)というべきだろう。現代社会に生きる女性の様々な状況を描き、考えさせる作風かと思うが初めて読んだので違うかも知れない。
『BUTTER』という小説は、週刊誌記者である町田里佳が男性3人を殺害したとして1審で無期懲役となった梶井真奈子(カジマナ)を取材する話である。もっとも当初は全然相手にされなかったが、友人である伶子のアドバイスに従って東京拘置所にいるカジマナに「ブログに出ているビーフシチューのレシピを教えて欲しい」と手紙を出す。そうすると会っても良いと返事が来て面会と文通を重ねる。カジマナは一生を愛人として生きてきたが、ルッキズム的観点からは太っていて美形ではない。その代わり、料理が得意で「孤独な男」を食事を通して魅了してきたらしい。そのため町田はカジマナの伝えてくる料理を食べ続けることになる。
カジマナのブログには印象的な言葉がある。「どうしても許せないものが二つある。フェミニズムとマーガリン」というので、これがイギリスでは宣伝に使われているらしい。ホンモノの料理にはバターが欠かせないとカジマナは主張し、何も時間を掛けなくても「たらこパスタ」や「塩ラーメン」にバターをたっぷり乗せるだけでどれだけ美味しくなることかと言う。それを実践する町田は次第に太ってしまい、付き合っている会社の同僚から何かあったかと問われてしまう。女は体重で量られる存在なのか? ほとんど自炊もしなかった町田は次第に料理に囚われていく。そしてカジマナの独占手記も可能になりそうとなるのだが…。
そしてカジマナは自分の母と妹に会うことを命じ、町田は付いて来た伶子とともに新潟に向かう。そこから伶子の活動が重要になっていき、ミステリー的な面白さも出てくる。まあ全部書く余裕もないが、伶子の生き方と結婚の内情、自分の亡き父親との関係、会社内の上下関係など様々な要素が語られ、日本社会の「ミソジニー」(女性嫌悪)が明かされていく。しかし、カジマナは本人が主張するように、無実なのだろうか。その本来一番重大なはずの問題が次第に後景に退き、町田の会社内での関係が重要になっていく。どうもいくつもの趣向が統合されきらず、ごちゃ混ぜになったまま提示されている感じを否定できない。
直木賞、芥川賞については、「直木賞のすべて」というサイトがあって(「芥川賞のすべて」という子サイトは「直木賞のすべて」から見られる)、何しろ一年に2回もある新人賞だから誰がいつ受賞したか忘れてしまうから非常に役立つ。昔の作家はともかく、最近の作家なんか誰だか判らない人が多い。ところで、このサイトには親切にも候補作の選評も掲載されているのである。では『BUTTER』はどのように評されていたのか見てみたい。そうするとほぼすべての選考委員が「酷評」に近いので驚いた。
北方謙三「丁寧に取材して丁寧に描写され、相当の労作なのだと思えたが、ベタ塗りと感じられる部分も多く、それが作品からダイナミズムを奪ったのではないだろうか。」「料理の描写も、ただうまいものを作るというのではなく、完成までにさまざまな言葉が費されていて、結局はそれが味を落としてしまった、という気がした。」
宮部みゆき「作中に登場する食べ物と、それを食べるシーンは臨場感があって、たらこパスタなどはすぐに作って食べたくなりました。」「残念だったのは、カジマナの犯罪の中身があまりにも具体性を欠き、物証もなく状況証拠の積み上げもないまま、「検察側のいびつな精神論」だけで一審で無期懲役の判決を受けたという設定が、どうしても納得できなかったことです。」
桐野夏生「核となる「梶井真奈子」の悪の引力が足りない。」「社会のミソジニー傾向を指摘するなど、作者は相変わらず鋭いのだが、今回は残念ながら、少し散らかった印象がある。」
高村薫「興味深い人間像に迫ろうとして見事に失敗した作品である。人間に迫ろうにも、男性三人を殺害した事件の設定が杜撰すぎて、殺人犯が殺人犯になり得ていないからだが、志や良し、と思う。」
いや、さすがに皆読み巧者である。僕もほぼ同じように感じるのである。だが読んでおく意味はある小説だと思う。
この小説の最大の「キモ」は「バター」にある。バターの香りが全編に漂っている。僕もバターが嫌いではないし鮭のムニエルなど大好きだ。でも普段は余り食べないし、こんなにバター臭が濃いとちょっとゲンナリする。これは加齢とともに次第にそうなったのだが、若ければ小説内の料理をもっと食べてみたいと思ったかも知れない。この中に出て来る料理のほとんどは、描写的には興味深いけれど食べてみたいと思えなかった。むしろ勘弁してよという感じである。「定年で退職した男が蕎麦打ちにハマる」という設定なら、全然違和感がないけれど。つまり「年齢の壁」がかなり大きな小説なんじゃないだろうか。
もう一点、梶井真奈子は実際のモデルがある。「首都圏連続不審死事件」を検索すれば詳細が出てくる。画像も多く出てくる。「3人殺害」(実は怪しい被害者はもっといたのだが、自殺などで処理されていて起訴出来なかった)なので、有罪となれば日本では死刑が避けられない。実際にもう最高裁で死刑が確定している。(小説の刊行は最高裁判決の年。)無期懲役になるはずがない事件であり、仮に1審無期なら検察側も控訴するだろう。本来だったら「死刑囚を取材する」わけで、その大変さは無期囚とは比較にならないはず。日本には死刑制度があることを忘れて読めるから、欧米ではフェミニズム小説として受容出来たのではないか。
死刑制度をネグって成立させたという手法が最後までたたっていると思う。極東で描かれた「女の生き方」のあけすけなホンネはヨーロッパから見れば興味深いだろう。フランス料理を中心にレシピ本としても使える。だけど「壮大な失敗作」かな。
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