尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

大収穫、「自由研究には向かない殺人」

2021年12月26日 23時18分52秒 | 〃 (ミステリー)
 ホリー・ジャクソン自由研究には向かない殺人」(A GOOD GIRL’S GUIDE TO MURDER)は最近にない快作で、今年の大収穫だった。創元推理文庫の8月新刊で、刊行当時から評判だったが、何しろ文庫とは言え570頁を越え1400円(税抜き)もする。単行本並みの値段だけに敬遠していたが、年末のミステリーベストテンで軒並み上位になった。「このミス」1位はアンソニー・ホロヴィッツヨルガオ殺人事件」で、それは読めばすぐ予想出来る。しかし、この作品も高い評価を得ていて、2作の得点が突出している。期待を裏切らない読後感で、年末年始に一冊読むならこれという超オススメ本。

 時は2017年、ところはイングランドの小さな町リトル・キルトン。高校3年になるピッパは、1年掛けてまとめる「自由研究」の主題に「リトル・キルトンにおける行方不明者(アンディ・ベル)の探索に関する研究」を取り上げた。小説の一番最初に、自由研究の志望書が出ている。「主題に関する研究対象」は「英語、ジャーナリズム、調査報道、刑法」になっている。指導教師からのコメントも付いている。日本だと夏休みの自由研究は、自分で勝手にテーマを選んで提出する感じだが、あちらはずいぶん本格的だ。「卒業論文」に近いもので、大学進学にも重要な意味があるのではないかと思う。

 テーマに取り上げたのは、ちょっと普通とは違うものだった。リトル・キルトンには謎の事件があったのだ。今から5年前(2012年)に、17歳の女子高生アンディ(アンドレア)・ベルが行方不明になった。その後死亡宣告があったが、今もって死体は発見されていない。直後に交際相手のサル(サリル)・シンが睡眠薬を飲み袋を被り窒息死した姿で発見された。サルは友人宅でパーティに出ていたが、友人たちは「サルは早めに家を出た」と証言を変えアリバイがない。サルのスマホから父親に「自分のせい」というメールがあったことから、警察は「サルがアンディを殺害し、その後自殺した」と解釈して捜査を終えている。

 しかし、アンディはどうなったのか? この事件にはまだまだ未解明の点があるのではないか。ピッパがそう考えたのは個人的な思い出があるからだ。ピッパがいじめられていたときに助けてくれたのがサルだった。あの優しいサルが本当に殺人犯なのか。そういう思いを抱えながら5年間経ったのである。ここでピッパの個人的なことを書かなくてはならない。ピッパ(ピップ)・フィッツ=アモービは、本当の父が10ヶ月で事故死し、母親リアンは弁護士をしているナイジェリア人のヴィクターと再婚した。今は肌の色が違う弟のジョシュアゴールデン・レトリバーの愛犬バーニーと4人と1匹で幸せに暮らしている。二人の父を共に大切にするために、フィッツ=アモービとラストネームをダブルにしているのである。

 一見すると「複雑な家庭環境」に見えるが、ピッパは家族の愛情に囲まれて育った。しかし、周囲はそう思わない。継父ヴィクターと町にいると、不審な目で見られて尋問される。サッカークラブにいる弟を迎えに行くと、不思議な目で見られる。学校でも父や弟のことでからかわれていたところを、サルが助けてくれたのだった。そんな環境に育ったピッパは、いじけたりひねくれてもおかしくないが、決してくじけなかった。むしろ明るく元気で人権感覚が優れた少女になったのである。サルは裁判もなく弁護の機会もないまま有罪が当然視され、シン家は5年間怪物の家とみなされた。それはおかしいのではないか。そう思って、ピッパは恐れることなく危険なテーマに取り組んだ。ではまず、シン家を訪ねて弟のラヴィに話を聞いてみよう。

 このピッパの魅力がこの小説の成功の最大要因。捜査権はないから、関係者へのインタビューSNSの駆使が調査方法になる。Facebookなどから、関係者を探していく。過去の画像を検索していくと、ずいぶんいろいろと判ってくる。行方不明になったアンディという少女は、単に可哀想な被害者というだけではない複雑な顔を持っていたらしい。薬物疑惑もあれば、サル以外に謎の年上男性がいたという噂もある。サルとアンディは直前にもめていたという証言もある。しかし、ピッパが思い知るのは、人は嘘をつくと言うことだった。聞きに行った後で、真実は違っていることが判ることが多いではないか。

 やがて、ラヴィと組んで、もう少し危険で(倫理的、法的に問題なしとは言えない)方法も取らざるを得なくなる。そうすると、脅迫も寄せられる。やはりリトル・キルトンには今も殺人者がいるのか。フェアな謎解き現代のネット環境を取り込んだ叙述の魅力(ウェブ上の情報やメールなどが、そのまま取り込まれている)、冒険小説や青春小説のテイストも取り込み、鮮やかな解決のラストまで読み終わりたくないほどの魅惑に満ちている。「リトルタウンで少女が失踪する」というミステリーは英米に数多くあるが、これは中でも傑作だろう。有名な児童文学賞カーネギー賞の候補となっただけあって、ヤングアダルト小説としての魅力も十分である。作者のホリー・ジャクソンはこの小説がデビュー作で、すでに続編が2冊出ているという。翻訳が楽しみだ。
(ホリー・ジャクソン)
 僕は1989年の西ドイツ映画「ナスティ・ガール」を思い出した。1990年のアカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた作品である。ドイツの小さな町の少女が、「ナチス時代のわが町」をテーマに取り上げた。新聞で教会関係者がユダヤ人を密告したという記事を見つけて、真相を探り始める。戦後のドイツはナチスの過去を清算したと本心から思っていたが、今も残る町の有力者は実はナチスの協力者だったのである。そして脅迫を受けるようになり、家に爆弾を投げつけられたりした。しかし、彼女は屈しない。ナスティ(nasty)というのは、英語で「厄介な」「手に負えない」といった感じの言葉である。

 もう一つ、この小説で興味深いのはイギリスの学校事情である。高校生が車を運転してるし、酒も飲んでいる。ドラッグは違法だけど、やってる人もいる。映画「アナザーラウンド」を見てデンマークでは飲酒は16歳から可能だと知ったが、イギリスも同様なんだと思う。しかし、日本で年齢が引き下げられることはないだろうし、仮に引き下げられてもパーティが出来るほど広い家に住んでる高校生はほぼゼロだろう。そういうこともあるが、大学受験も違う。ケンブリッジを目指すピッパは、大学に出す論文をトニ・モリスンで書いている。ちょっと不足かなと思って、追加でマーガレット・アトウッドの論文も書く。日本の高校生でも読んでる人はいるかもしれないが、それで論文を書いて大学へ行くわけじゃない。この作家の選択で、ピッパが人種差別やフェミニズムに関心がある高校生だと伝わる。日本の受験システムは根本的な再考が必要だと思う。
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マイクル・コナリー「警告」と遺伝子情報の問題

2021年12月23日 22時43分28秒 | 〃 (ミステリー)
 読みたい本がいつも積まれているが、年末になってミステリ-ベストテンの季節になると、ついついミステリーを読みふけることになる。ブログが更新されない日は、体調不良や多忙じゃなくて要するにミステリーが佳境に入っているんだと思って貰った方がいい。各種ベストテン上位の大著に挑む前に、これまたついついマイクル・コナリーの新作「警告」(講談社文庫)を読んでしまった。これはミステリーとしての興趣はイマイチだったけれど、中で取り上げられた問題が重大だから簡単に紹介しておきたい。

 「警告」(Fair Warning)はマイクル・コナリー34冊目の作品である。原著は2020年に刊行されている。コナリーの翻訳は今年2作目だが、ようやくタイムラグが1年になってきた。しかし、何しろ多作の人なので、すでに未訳の新作が2冊もある。こんなに多作だと、どうしても中身が薄くなるのは避けられず、近年ではミステリーベストテンなどでは入賞しなくなっている。でも、サクサクッと軽く読み進めるのが良いのである。ミステリーは「驚くべき真相」に向かって二転三転する叙述テクニックを楽しむ小説だが、あまりにも鮮やかなドンデン返しがお約束になっているジェフリー・ディーヴァーなんかだと疲れてしまう。それに比べてマイクル・コナリーの軽さが程良いときがある。

 マイクル・コナリー最大のシリーズはハリー・ボッシュもので、20冊以上にもなっている。続いて「リンカーン弁護士」で登場したミッキー・ハラーのシリーズがあり、この二人は驚くべき因縁があって、最近は「共闘」することも多い。しかし、他にも独立したシリーズがあって、「ザ・ポエット」「スケアクロウ」の新聞記者ジャック・マカヴォイが登場するシリーズも面白い。今回の「警告」は久しぶりのマカヴォイものである。前の2作は謎の連続犯罪者を追う展開がスリリングだった。

 デンヴァーの地方紙にいたマカヴォイは「ザ・ポエット」の調査報道で有名になり(本も書いて今でも僅かずつ印税が入ってくる)、ロサンゼルス・タイムズに移籍した。しかし、アメリカの新聞業界は厳しい状況にあって、今では「フェアウォーニング」という消費者問題を扱うネットニュースで記者をしている。最後にある著者但し書きによると、このサイトは実在し、編集者のマイロン・レヴィン(小説に登場する)が実際に創設したものだと出ている。それどころか、著者本人がこのニュース会社の取締役だという。そういう背景を知ると、この小説がミステリー風味よりも、社会に警鐘を鳴らす調査報道っぽい理由が納得できる。

 ある日、刑事二人組がマカヴォイを訪ねてくる。殺された女性クリスティナ・ポルトレロという女性を知っているかと聞かれる。ティナとは1年前にバーで会って、一度だけ関係を持ったことがあった。しかし、この段階ではマカヴォイも容疑者であり、DNA検査に応じることになる。マカヴォイは詳しい事情を知りたくなり、独自に調査に乗り出すが、警察は捜査妨害とみなす。その間に独自の殺害方法に着目して、同様の事件がないか調査を始めると、似た事件が数件あることを知る。ティナのFacebookを見てみると、最近今まで知らなかった姉を見つけたと出ていた。遺伝子調査会社に依頼して、調べたらしかった。

 その殺害方法というのは、「環椎(かんつい)後頭関節脱臼」というもので、絞殺や首つり自殺などでは見られない特異な症状だという。そんなことを言われても全然判らなかったが、「環椎」で検索すると詳細を知ることが出来る。頭蓋骨と脊椎(せきつい)をつなぐ骨の一番頭側である。その骨は前後にしか動かないが、この骨が外れて「断頭」されているのである。作中では映画「エクソシスト」で少女の頭がグルッと回る、あんな感じのことをされたと言われている。それには異常な力が必要なはずで、そんな力持ちは普通に首を絞めたり頭を殴れば殺せるわけだから、わざわざそんな変な殺し方をする殺人犯はいない。
(モズと早贄)
 後に判るが犯人は自らを「百舌」(モズ)と称していた。鳥である。今じゃ東京では知らない人が多いらしい。僕は長らく東京23区の一角に暮らしているが、そこは昔(僕の小学生時代)には単なる稲作地帯だった。米所の新潟出身の妻だが実は新潟中心部で育っていて、僕の方が田んぼを知っているのである。自宅で飼っていた鶏がイタチに襲われて全滅したぐらいである。だから周りにはモズもいっぱいいた。モズは秋になると、冬に向けて餌となる昆虫などを木に串刺しのようにして残す。これを「モズの早贄(はやにえ)」と呼ぶ。家の周囲にはいっぱい早贄が残されていた。このモズが餌とする虫を捕るときに、「断頭」のようにするのだという。それが犯人の自称の由来だった。

 さて、では犯人はどのようにして被害女性を見つけていたのか。マカヴォイが調べていくと、被害者は同じ遺伝子情報会社にDNA検査を依頼していた。格安で応じる会社があったのである。無論会社側は個人情報の保護をうたっているが、連邦の規制は事実上ない状態だという。そこがこの小説の一番重大な指摘で、そのため遺伝子情報を提供者に無断で売り渡しているのではないか。そういう疑惑が持ち上がり、同僚のエミリー・アトウォーターや昔からの因縁のある元FBI捜査官レイチェル・ウォリングとともに調査を進めていくと…。そこら辺からはミステリ-だから書かないけれど、まあそういう遺伝子情報の取り扱いに警鐘を鳴らしている。

 その指摘も重大ななのだが、僕が思ったのはアメリカ社会の「DNA幻想」の強さである。移民国家であるアメリカでは、自分のアイデンティティを探し求める動機が他国より強いんだと思う。いわゆる「白人」であっても、自分の祖先の故郷は具体的にはどこの村で、同じ祖先の子孫が今も生きているのかどうか。「黒人」の場合も同様で、アフリカのどこの出身なのか。実際に自分の過去の出自が判ったという話もよく聞く。一方、この小説では、知られたくない個人情報から家庭が崩壊したりする場合も出ている。

 検索すれば、日本でもDNA鑑定を手掛ける会社はいくつもある。ただし、どうしても親子関係を確認したいという場合などが多いと思う。10万円以上はするようだから、そうそう誰もが利用するものではない。小説ではそれが23ドルで請け負うという設定である。これは確かに破格に安いだろう。それで集めた情報を売る悪漢が会社に潜んでいたらどうなるか。今までの経験では、どんな業績のよい会社でも、不正や横領など何か事件が起こりうる感じである。

 「警告」では「性的に開かれた」、つまりニンフォマニア(色情狂)的な因子がDNAで確認出来るという設定になっている。そこまで行くと「DNA決定論」みたいで疑問が大きい。性的生活などは経済、文化などの影響の方が大きいような気がするが。そんなところもアメリカ的である。それはともかく、アメリカではここまで「遺伝子産業」が盛んなのかと思わせられた。まあ小説的誇張もあるかと思うが、日本でも考えて置くべき問題を「警告」しているなあと思った次第。
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小池真理子「神よ憐れみたまえ」、荘厳なる一大叙事詩だが…

2021年11月11日 22時47分49秒 | 〃 (ミステリー)
 小池真理子の「神よ憐れみたまえ」(新潮社)を読んだ。570ページにもなる大著で、10年の歳月を掛けたという畢生の大作である。その間に夫の藤田宜永をガンで失うという体験もした。1100枚になる大長編だから、なかなか読み進まない。しかし、長さだけでなく、どうしても辛くなってしまう展開に圧倒された。文章は読みやすいが、内容的にこれはやり過ぎではないかという展開なので、先のページに尻込みする。一度はチャレンジするだけの深さを持っているが、読むには覚悟がいる。

 小池真理子は直木賞を受けた「」(1995)を初めとして、「無伴奏」「欲望」など「時代」を色濃く反映させながらロマネスクな世界を築き上げる長編をいっぱい書いてきた。僕は全部を読んでいるほどのファンではないけれど、そのミステリアスで濃密な作品世界に惹かれてきた。「」はあさま山荘事件(1972年)と同時期に軽井沢で起こった殺人事件を描いていた。今度の「神よ憐れみたまえ」では1963年11月9日に起こった国鉄の鶴見事故が出て来る。161人が死亡した脱線衝突事故である。全く同じ日に三池炭鉱の爆発事故が起こり458人が死亡した。そのため「魔の土曜日」と呼ばれることになる。

 ちょうど大事故と同じ日に大田区久が原の豪邸に住む夫婦が殺害された。夫は函館の有名な黒沢製菓の御曹司で、東京支店を任されていた。彼は黒沢製菓が函館で営む洋食レストラン黒沢亭で働いていた妻を見初めて、母の反対を押し切って結婚した。一人娘の黒沢百々子が生まれ、今はピアニストを目指して音楽科で知られる聖蘭学園の小学校に通っている。凶行のあった日には、箱根で行われる宿泊旅行に参加していて百々子だけが無事だった。しかし、彼女は12歳にして、両親を失うという悲劇に見舞われたのである。

 この小説は黒沢百々子の人生を丹念にたどっていく。周辺の人物を巧みに織り込みながら、愛らしく賢い「天使のような」百々子が如何にして両親の不在に向き合っていくか。一応殺人事件から始まる「ミステリー」的な作品だが、犯人は最初の方から匂わせられていて、作品半ばで事件に至る経緯から犯行までが叙述される。だから「犯人」も「犯行方法」「動機」もすべて読者には途中で判ってしまう。だがそのことは百々子には判らない。いつどのようにすべてが白日のもとに曝されるのか、そこがスリリングだというタイプの作品である。 
(小池真理子)
 百々子は父の弟(叔父)には懐いていない。家族では唯一母の弟の左千夫だけに身近な思いを持っていた。親を失った百々子は家政婦だった石川たづの家に一時的に住むことになる。たづの夫は大工をしていて、家政婦を捜していた黒沢夫妻に妻を薦めたのである。この石川一家、特にたづの無償の愛が百々子を支えていく。石川家には二人の子どもがいて、特に一歳違いの美佐とは何でも話せる友人となる。兄の紘一との縁、美佐の人生行路、たづ一家との交流が読み応えがある。裕福な黒沢家にはない、庶民の中にある高潔な生き方を教えてくれる。

 一方で事件の経緯が語られていくと、あまりにも異様な悲劇に言葉もない感じがする。いや、こういう動機を知らないわけではない。むしろ時々見聞きすることかもしれない。それにしても、動機は動機として、果たしてこのような犯罪が起こりえるのだろうか。起こったとしても、すぐに警察によって事件としては解決されるのではないか。ところがそこに鶴見事故が関わるのである。犯人は当日に事故に巻き込まれるが、車両の違いによってたまたま大きな被害は受けなかった。そこで知人に出会っていたことが犯人の人生を左右することになる。この動機が事細かに語られるときに、僕は心乱されて読むのが大変だった。

 百々子の人生は波瀾万丈過ぎるが、そこに学ぶことも多い。一大叙事詩というか、むしろ壮大なマンダラというべきか。もちろん黒沢製菓や聖蘭学園は架空の存在だが、似たような存在は思い浮かぶ。百々子のように「才色兼備」を絵に描いたような人間がかくも過酷な人生を歩むことになるとは。しかし、事件を越えて、小説は晩年に及んでいく。1963年に12歳だったのだから、百々子は1951年生まれである。まだまだ元気で活躍しておかしくない年齢だが、函館に移り住んだ百々子に運命は過酷である。函館の立待岬函館山ロープウェーハリストス正教会などが印象的に描かれるのもロマネスクなムードを高めている。

 久が原(くがはら)ってどこだろうか。東京人なら皆お屋敷町に詳しいと思うかもしれないが、多くの人は全然行ったこともないだろう。僕は有名な田園調布も、名前は知ってるけど行ったことがない。久が原になると、名前を聞いたこともなかった。こういうところがあるんだ。60年代、70年代の東京の姿が描かれるのも懐かしい。また音楽への道を進む百々子だけあって、クラシック音楽の話も多い。そもそも題名の「神よ憐れみたまえ」がバッハマタイ受難曲」のアリアである。探して聞いてみれば知っている人が多いと思う。百々子はチャイコフスキーが好きだというが、作品世界に響いているのは荘厳なバッハの受難曲である。動機が受け入れられない人がいると思うけど、これほどロマネスクなムードあふれる現代の叙事詩はないと思う。
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超傑作「ヨルガオ殺人事件」(アンソニー・ホロヴィッツ)

2021年09月26日 21時17分23秒 | 〃 (ミステリー)
 アンソニー・ホロヴィッツの新作「ヨルガオ殺人事件」(MOONFLOWER MERDERS、2020)が刊行されたので、早速読まないと。(創元推理文庫上下、山田欄訳)ホロヴィッツのミステリーを紹介するのも、4作目となる。「カササギ殺人事件」の登場に驚き、「メインテーマは殺人」でさらに驚き、「その裁きは死」も面白かった。かくして日本のいくつかのミステリーベストテンで3年連続ベストワンを記録中だ。ところが今回の「ヨルガオ殺人事件」はこれまでの3作にもまして素晴らしい作品だったのだから驚くほかない。
(上巻)
 「メインテーマは殺人」「その裁きは死」は、作者本人が作品に登場する趣向のホーソーン&ホロヴィッツ シリーズである。新しい事件が発生すれば新作が出来るわけである。しかし、今回の「ヨルガオ殺人事件」は「カササギ殺人事件」の方の続編である。「カササギ殺人事件」というのは、作家と作品が二重に入れ子構造になった複雑な作品だった。名探偵アティカス・ピュントが活躍する21世紀のアガサ・クリスティみたいなシリーズがあった。その9作目が「カササギ殺人事件」なのだが、作者のアラン・コンウェイが謎の死をとげたうえ、結末の原稿が紛失してしまった。その謎を編集者スーザン・ライランドが追っていくのである。

 その続編って一体どんなものなのか。もちろんアティカス・ピュントのシリーズは以前に8作品あるとされている。それを書くことは出来るだろうが、1作目のあの複雑な二重の面白さは再現できるのだろうか。そんなことは不可能だろうと思うのだが、作者は軽々と難条件をクリアーしてしまった。驚くしかない。そして、これはスーザン・ライランド&アティカス・ピュントシリーズだったのである。スーザンは前作の最後で作品内の謎を完全に解明したが、同時に恐ろしい目にあって出版社も破産した。そして2年、スーザンは当時付き合っていたギリシャ人の恋人アンドレアスと一緒にクレタ島で小さなホテルを経営している。

 ホテルは期待したようにはうまく行かず、経済的にも大変だし突然出版界から離れてしまった喪失感もある。日々の仕事に追いまくられて、アンドレアスとの関係も微妙に…。そんな時に突然イングランドでホテルを経営しているトレハーン夫妻がスーザンを訪ねてくる。実はホテルで働いている娘のセシリーが失踪してしまい、それにアラン・コンウェイの作品が関わっているらしいというのである。アティカス・ピュントシリーズの第3作「愚行の代償」を書く前に、アランは夫妻のホテル「ブランロウ・ホール」のヨルガオ館に滞在していた。
(下巻)
 ホテルでは8年前にセシリーの結婚式当日に恐るべき殺人が起こっていた。もちろん「愚行の代償」はその事件を直接扱っているわけではない。だがアランはホテルの人物をモデルとして作品に登場させているらしい。8年前の事件はホテルで働いていたルーマニア人青年が逮捕され有罪となっていた。しかし、セシリーは8年経って初めて「愚行の代償」を読んだところ、真犯人は別人物だと判ったという謎めいた電話を残したまま、次の日に犬の散歩から帰らなかった。アラン・コンウェイは死んでいるが、作品について一番詳しいのはスーザンだと聞いて飛んできた、是非調査して欲しい、報酬もはずむからと言うのである。

 こうしてスーザンはうかうかとロンドンに戻り、さらにデヴォン州に赴いて敵意ある多くの人物から真相を探り始めるが…。セシリーの夫エイデン・マクニール、妹と仲が悪かった姉のリサ、殺された宿泊客フランク・バリスの妹夫婦などに話を聞くが、一向に真相は見えてこない。アラン・コンウェイはゲイを公表して、財産は一緒に住んでいたジェイムズ・テイラーに遺された。久しぶりにジェイムズに会ってアランの調査資料を借りると、当時のインタビューなどが見つかる。また当時ホテルのジムでトレーナーをしていたライオネル・コービーに会って、ホテルの意外な裏事情を聞かされる。

 そして、いよいよ「愚行の代償」を再読するに至るが…。これが実によく出来たミステリーで面白いのだが、当然ながらフランク・バリス殺人事件の真相は書かれていない。セシリーは一体何に気付いたというのだろうか。作品内の「愚行の代償」は1953年にイングランド東部サフォーク州で起こった事件を描いている。ハリウッドで成功した女優メリッサ・ジェイムズは村の屋敷を買って住みながら、ホテルを経営している。メリッサが殺されてアティカス・ピュントに調査依頼が来るのだが…。その中に「ルーデンドルフ・ダイヤモンド事件」という盗難事件の解決編が挿入されている。これがまた超絶的な怪事件で、ピュントの推理も冴え渡る。

 「愚行の代償」は前作にも負けていない、それだけで大傑作である。登場人物の証言が合わさりながら、特に主筋に関係しない「ミスリードのための伏線」も完璧に回収されるのには驚くしかない。それはインターネットなき時代の古典的なミステリーの再現として完璧の域に達している。一方、現代世界の出来事とされる本筋の方は、インターネットを駆使しながら情報を収集する。しかし、「愚行の代償」を読んでも一向に真相が読み解けないんだけど、と思うときに危機発生。アンドレアスもここぞと言うときに登場し(それは読者が容易に予想できる)、また犯人とされたステファンに面会に行って…。

 真相を書けない以上、いくら書いても仕方ないのでもう止めるけれど、「ヨルガオ殺人事件」はものすごい傑作である。「謎解き」「犯人あて」などというレベルで済ませてはいけない。作者がいかに人間通であるか、その奥深さに驚くのである。人間には裏があり、秘密を持つものである。それを暴くのがミステリーだが、すべてが殺人をもたらすわけではない。「印象論」や「陰謀論」では解決しない真の「論理性」が求められる。架空の殺人事件の犯人が誰であっても、我々の実人生には関わらない。しかし、それが「論理性の勝利」であるからこそ、読書の醍醐味を感じるのである。
(ヨルガオ)(朝顔、昼顔、夕顔、夜顔)
 ヨルガオはなじみが薄い花だが、熱帯産のヒルガオ科の一年草。作中のホテルに「ヨルガオ館」がある設定。アサガオ、ヒルガオ、ヨルガオはヒルガオ科。ユウガオもあるが、これはウリ科でカンピョウの原料である。夕顔は源氏物語だし、昼顔はケッセル原作をブニュエル監督、カトリーヌ・ドヌーブ主演で映画化された作品が思い浮かぶ。イギリスでヨルガオが観賞植物として人気なんだろうか。題名の由来は読んでも判らない。
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マイクル・コナリー33冊目のミステリー「鬼火」

2021年07月30日 23時08分02秒 | 〃 (ミステリー)
 マイクル・コナリー(Michael Connelly、1956~)の新作が(もちろん翻訳で)出るたびに読んでしまうのは、僕の一種の「悪癖」に近い。もう読まなくてもいいかなと思いつつも、読後の満足は安定している。大傑作じゃないけれど、毎年のように新作が出るから手に取ってしまう。アメリカじゃオバマ元大統領がファンだと言うことでも有名で、かなり売れてるらしい。今度の「鬼火」(The Night Fire、2019)は33作目の長編ミステリー小説で、講談社文庫7月刊である。いつもの古沢嘉通訳で、読みやすい。

 僕はコナリーの小説は全部読んでいる。90年代から出ているから、今から全部追いかけるのは大変だろう。エンタメ本だから一冊でも読めるけど、コナリー作品は登場人物が共通しているから続けて読む方が面白いだろう。それは大沢在昌の「新宿鮫」シリーズなどと同じである。このブログでも今まで2回書いていた。「真鍮の評決」と「罪責の神々」である。読んだからといって、いちいち書くまでもないと思うけど、今回は書いておきたい。というのは「シリーズもの」の問題とアメリカの犯罪状況を考えるためである。

 マイクル・コナリーの小説は大部分が「ハリー・ボッシュ」シリーズである。これはAmazon prime videoでオリジナルドラマになっているという。そもそもはベトナム帰還兵で、孤児として育ったハリー・ボッシュの目を通して、現代アメリカを描くハードボイルド風の警察小説として構想されたと思う。そもそもハリー・ボッシュというのは、画家のヒエロニムス・ボスのことである。死体として発見された母のそばにいた、父不明の幼児に付けられた名前だった。帰還後にロス市警に勤めたから、普通の意味では警察小説になる。しかし、犯人を捕まえるためには、時には法規範を乗り越えてしまうから、警察内部では厄介者扱いされる。何度も飛ばされるし、一時は辞めて私立探偵になったこともある。

 コナリーはボッシュ・シリーズを書く傍ら、他の作品も書いてきた。またハリー・ボッシュも作者と同じく年齢を重ねてきた。その中で他の登場人物がボッシュ・シリーズに(あるいはその逆に)、相互乗り入れ状態になるようになった。中でも「リンカーン弁護士」で登場したミッキー・ハラーという「無罪請負人」は強烈なキャラで、しかもボッシュとハラーは驚くべき因縁があった。まあ書いてしまうけど、異母兄弟だったのである。だから時々ボッシュはハラーに協力する。それは警察内部からは「裏切り者」扱いされることだ。ボッシュは「真理追究」のためと考えても、多くの警察関係者は「犯人を逃した」と考える。

 また年齢とともに、ボッシュには「定年退職」という問題が起きる。一時は定年延長をしたが、それも終わって、次には別の郡で臨時警察官になる。それもうまく行かず(一応まだバッジを持っているが)、最近ではロス市警の「レイトショー」(夜間専門の警察部門)にいる女性警官レネー・バラードと協力することが多い。バラードは優秀な刑事だったが、上司によるセクハラを公にしたことで職場から追われる。このように警察を通して人種や性差別、性的指向などをめぐる状況が語られる。そこら辺も読み所。
(マイクル・コナリー)
 大昔の「足で稼ぐ」私立探偵時代と異なり、現代では多くの情報がデジタル化されて警察に累積されている。その情報にアクセス出来るか出来ないかで、捜査が全然違ってしまう。警察を辞めているボッシュとしては、バラードがいないと先へ進まない。今回はボッシュ、バラードに加えてミッキー・ハラーとシリーズ・キャラクター勢揃いのボーナス版である。ボッシュの恩人だった元警官が亡くなり葬儀に行くと、未亡人から夫が残していた未解決事件の捜査記録を預かる。なんでその事件を気に掛けていたかも不明である。一方、バラードは「レイトショー」で「ホームレスの焼死」を扱う。それは事故か事件かも判らない。

 その時にボッシュはミッキー・ハラーの裁判に協力していた。それは裁判官が刺殺されたという事件で、ホームレスが逮捕され「自白」も「DNA」もある。一見盤石な事件だが、ハラーは無実を確信している。果たして真相はいかに。これらの事件がバラバラに進行し、「モジュラー型」(いくつもの事件が並行して語られる)のように進行して行くが、最後にそれらが一本につながり驚くべき真相が待っている。まあジェフリー・ディーヴァーほどどんでん返しではなく、軽くてスラスラ読めるところがコナリーの真骨頂である。それでいて、性や人種や性的指向などの偏見に囚われていてはいけないというメッセージにもなっている。
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ローレンス・ブロック「石を放つとき」、最後のマット・スカダー

2021年03月29日 20時37分29秒 | 〃 (ミステリー)
 アメリカのミステリー作家、ローレンス・ブロック(2018~)の「石を放つとき」(二見書房)が2020年12月の終わりに出ていた。全然気付かないで、ついこの間大型書店で見つけて買って帰った。これはブロックの代表的なシリーズ、マット・スカダーものの最新作「石を放つとき」(2018)と今まで書かれた短編の代表作を集めた「夜と音楽と」(2011)を日本で合本したものである。翻訳はすべて田口俊樹氏で、名訳で読むスカダーとニューヨークの移り変わりに心打たれる。

 ミステリーというのは謎の解決を堪能するジャンル小説だが、もう「石を放つとき」を読むときにはそんなことは二の次だ。マット・スカダーはいつからか、作者ローレンス・ブロックと同じ年という設定になった。そうすると80歳を超えているわけで、この作品でも「足が痛む」とか「体力が落ちた」とかいつも愚痴っている。だから、昔のように大変な事件を扱うわけにはいかない。もちろん「事件」はあるわけだが、その謎の解決のために昔の知人を思い出し、旧知の人物が語られる。その意味ではスカダー「最後の事件」になるような気がする。

 ローレンス・ブロックは単発作品もあるが、ほとんどはシリーズものを書いてきた。泥棒バーニイ・シリーズ殺し屋ケリー・シリーズもすごく面白いけれど、やはり「マット・スカダー・シリーズ」が一番だと思う。警官だったスカダーは、ある日強盗を追っていて発射した銃弾が弾けてヒスパニックの少女に当たってしまった。法的な責任はないものの、それをきっかけにスカダーに警官を辞め、家庭も崩壊した。酒に溺れながら、探偵免許もないまま頼まれて一人ニューヨークを駆け回る日々。ニューヨークの裏面を描く「酔いどれ探偵」としてシリーズは始まった。
(ローレンス・ブロック)
 最高傑作「八百万の死にざま」(1982)をはさみ、しばらくシリーズは休止した。そして再開されたとき、スカダーは「断酒」していた。断酒グループの集会に参加しながら、相変わらず頼まれた事件を調べる生活が続く。ニューヨークの実在の店が出てきて、ジャズなどの話も多い。スカダーものに出てきた店をめぐる人もいる。妻と別れた後は事件で知り合った彫刻家のジャン・キーンと交際した時期があるが、そのうち消滅。やがて過去の事件に絡んで、「美人で賢い元コールガール」というエレイン・マーデルと再会する。二人はウマがあって結婚して、すでにもう長い。

 「夜と音楽と」にある短編で判るけど、二人はイタリア旅行やオペラ鑑賞など関係はずっと良好だ。だから最近は謎解き以上に、エレインや不思議な因縁の友人ミック・バルーとの交友の話が多い。それが滋味深くて読み飽きない。だから今回の「石を放つとき」も僕は面白くてたまらないけど、やっぱりシリーズの経緯を知らないと面白みが少ないかもしれない。だけど、前半の「夜と音楽と」は傑作短編ばかりで、ミステリーファンだけの楽しみにしておくのはもったいない。

 謎解きの妙味人生の不可思議社会的関心がほどよいバランスでブレンドされていて、これは傑作だと思うような短編ばかり。特に「窓から外へ」「バッグ・レディの死」「夜明けの光の中に」は現代に書かれた短編ミステリーの最高峰だろう。今までローレンス・ブロックの短編集も文庫で出ているから、大部分は読んでるはずだが細部はもう忘れている。過去の警官時代の事件を語る「ダヴィデを探して」「レット・ゲット・ロスト」も奇想が見事に着地する。短編だから内容に触れるわけにいかないのが残念。

 ミステリーと言えるかどうかの境界線にあるのが「バットマンを救え」と「慈悲深い死の天使」だ。前者では元警官たちが雇われて、ニューヨークの街頭でバットマンの違法商品を没収していく。売っているのはほとんどがアフリカから来た若者だ。著作権違反だから没収されても仕方ないわけだが、スカダーは次第に疑問を持つ。買い上げる方が安いぐらいなのに、なんで元警官を雇って没収して回るのか。後者はエイズで余命わずかの人が集まるホスピスに謎の「死の天使」がいるとか。彼女が見舞いに来ると患者が死ぬ。ホスピスなんだから死んでもおかしくないけれど、それにしてもあり得ないような確率だ。果たして彼女の正体は?

 そんな中に小品の表題作「夜と音楽と」がある。マットとエレインがオペラ「ラ・ボエーム」を見に行って、エレインは悲しくなる。何度も見ているんだからミミが死ぬのは判ってみているんだけど、それが悲しい。そのまま二人は終夜でやってるジャズの店に行って夜明けまでジャズを聞く。ミステリーじゃなくて、ニューヨーク気分を味わうための小品。朗読会用によく使うという。野球のヤンキースメッツ、バスケのニックスニューヨーク近代美術館など、いかにもニューヨーカーの話題もたっぷり。恐らくマット・スカダーものもこれが最後かと思えば、贅沢なボーナス・トラックを堪能できる一冊だった。
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大沢在昌「新宿鮫 暗約領域」を読む

2021年01月22日 22時45分46秒 | 〃 (ミステリー)
 政治関係が続いていたが、この間の読書はミステリー。いつも正月にミステリーを読むけど、今年は馳星周の犬小説を読んでいた。その後に大沢在昌(おおさわ・ありまさ)の新宿鮫シリーズの最新作「暗約領域」(光文社)を読んだが、700頁もあって重たい。2019年11月に出た時はスルーしたけど、「このミステリーがすごい!」に入選したので読みたくなってしまった。

 「新宿鮫」シリーズは1990年に出た「新宿鮫」に始まり、「暗約領域」が11作目。10作目の「絆回廊」が2011年刊行なので、ずいぶん時間が空いた。内容的には前作直後から続く物語となっている。知らない人のために簡単に書いておくと、このシリーズは新宿署の生活安全課に属する「ワケあり」の鮫島警部の活躍を描いてきた。鮫島は本来はキャリア官僚として警察庁に入庁したが、公安部内の暗闘に巻き込まれ「ある秘密」を握ることになった。そのため辞めさせることも出来ず、現場の生活安全課に定年まで留め置かれるだろうという境遇にある。

 しかし、それは本人にとってそれほど不満のあるものではない。誰とも組むことなく一人で捜査せざるを得ないが、「遊軍」で独自の捜査を続けているうちに重大な事案にぶつかることが多い。暴力団と群れることが嫌いだが、その孤高の姿勢が裏社会でも評価され「新宿鮫」と呼ばれて恐れられている。原則として一人だけの捜査は許されないはずだが、そんな鮫島の捜査能力と独自性を評価する桃井課長が何かにつけバックアップしてくれていた。しかし、前作で桃井が捜査中に死亡し、鮫島はその過去を背負っている。またロックグループ「フーズハニー」のヴォーカル「」(しょう)と同棲していたが、その関係も破綻してしまった。

 全部読んできたが、8作目の「灰夜」(はいや)が出張先の鹿児島を舞台にしている他は、すべて新宿が舞台になっている。鮫島が新宿署にいるんだから当然だが、新宿の裏社会を定点観測する一大ノワールシリーズになっている。「暴対法」が出来るなど、裏社会の様相も最初の頃から比べてずいぶん変わってきた。当初から外国人マフィアが登場しているが、国籍もずいぶん変わっている。薬物や売春などの裏情報もたっぷりで、「情報小説」にもなっている。大沢在昌の小説はいつも情報解説が多すぎるが、だからこそ読みやすくて判りやすい。
(大沢在昌)
 今回は覚醒剤密売に関するタレコミを受けて、ある場所を張り込むことになる。もともと商店だった場所がいつの間にか「ヤミ民宿」になっているらしい。そこがコロナ以前の東京を表している。新宿署で唯一鮫島と交友がある鑑識のに頼んで、真ん前の部屋にカメラを設置したが、そこには誰も張り込んでいなかった時間に謎の銃撃音が記録されていた。こうして単なる覚醒剤案件が殺人事件になってしまうが、その後に突然公安部が出張ってきて事件を取り上げてしまう。裏を探っていくと国家的機密に触れることになってしまったのである。

 その間に冒頭では鮫島が「課長代理」になって会議に出たりしている。新宿署ではもう鮫島が課長でいいというが、本庁は認めず後任に女性を送り込んでくる。新課長は例外的捜査を認めず、鮫島に新人として赴任した矢崎を付けることにする。鮫島は自分と組むと後輩が将来不利になると言うが、課長は例外を認めない。そんな事情も抱えつつ、鮫島はヤミ民宿の事情を探りながら真相に迫っていく。そしてある人物が行方不明になっていることが判る。途中から「犯人側」の様子も出てきて交互に描かれるが、両者がどのように絡んでいくのか、最後まで予断を許さない。

 この小説は面白いには面白いが、今までの最高傑作ということもないだろう。今まで読んでない人が初めて読んでもあまり面白くないと思う。謎やアクションもあるが、それ以上に人間関係のもつれた糸の絡まり具合が面白いからだ。ミステリーの約束として、ここで真相を書くことは出来ないが、ここで提出されている「陰謀」がいかにもありそうで、それを読む意味があると思う。「北朝鮮」や「中国」が中心的テーマとして出て来るが、その描き方は情報小説として特に珍しくはないが驚くような内容には違いない。疑問や反発を感じる人もいるかと思うが、エンタメ小説としてのフィクションとはいえ、大きな意味では僕はありそうな話だと感じた。

 その後に読んだスウェーデンのヘニング・マンケルクルト・ヴァランダー警部シリーズは、ここでは書かないことにする。発表から10年以上翻訳が遅れている間に作者が亡くなってしまった。ヴァランダー最後の「苦悩する男」は上下2巻の大作で、内容も読み応えがある。このシリーズで記事を書いたものもあるが、今回は「冷戦」時代のスウェーデンが背景になった作品で日本人には遠いテーマか。でも翻訳が素晴らしく読みやすい。ミステリーは筋を書けないので、今回は何を書いているのか伝わらないと思うけど、世界の秘密に触れることで「耐性」を付けておくことも「陰謀論」に欺されないために必要だと思う。
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辻真先88歳の傑作「たかが殺人じゃないか」

2020年12月23日 22時59分23秒 | 〃 (ミステリー)
 「このミステリーがすごい!」など年末のミステリーベストテンで、圧倒的に支持されているのが辻真先たかが殺人じゃないか」(東京創元社)である。祝3冠、1位と大きく書かれた帯を付けて売られている。ちなみに海外ベストワンは先に書いたアンソニー・ホロヴィッツその裁きは死」だった。この二人には共通点がある。それはテレビ界、そして子ども向けミステリーで有名になりながら、「本格ミステリー」への志を持ち続けたのである。そして大きな成果を挙げた。

 辻真先(1932~)は生年を見れば判るように、今年米寿の作家である。しかし、この若々しさはどうだろう。今まで「迷犬ルパン」シリーズなどで人気があることは知っていたが、読んだのは2009年に牧薩次名義(辻真先のアナグラム)で発表された「完全恋愛」だけだ。もっともそれはミステリーに限ったことで、実は辻真先には「温泉ガイド」が何冊かあってそっちは読んでいる。紹介されている旅館に行ったこともある。それが今回の作品にも生きているのである。

 今回の作品は「昭和24年の推理小説」と銘打たれている。2018年に出た「深夜の博覧会 昭和12年の探偵小説」から続く小説だという。(その作品は未読だが、2021年1月に文庫化されると案内がある。)昭和24年、つまり1949年と言えば、敗戦から4年経って少しは復興も進んでいるが、焼け跡・闇市ももちろんまだ残っている。著者の出身地、名古屋を舞台にした青春小説としても読み応えがある。名古屋は有名な「100メートル道路」建設中で、語り手と言える高校3年生風早勝利の家は焼け残った料亭だが、そこも道路計画に含まれて立ち退きを迫られている。

 今「高校3年生」と書いた。ほとんどの人は、何の抵抗感もなくイメージできる。1960年代初期の舟木一夫高校三年生」の時代には、もう独特の語感を与える言葉として定着していた。しかし、著者にとっては違うのだ。「旧制中学」から突然「新制高校」に制度が変わって、突然「高校3年生」になってしまったのである。1年生、2年生を経ずに、突然「最終学年」で、翌年に大学受験である。しかも、名古屋では男女共学になったようで、突然に男子と女子がともに同じ学び舎に集うことになった。それは不道徳の温床だとみなす教員もいた時代だった。
(辻真先氏)
 私立高校に転学した風早勝利と友人の大杉日出夫は、映画とミステリーが大好き。「映研」と「推研」(推理小説研究会)を作るが、そこにも女子がいる。薬師寺弥生神北礼子である。そこに事情を抱えた転入生、崎原鏡子が入部してくる。彼女は上海からの帰国者だった。そして両部の顧問は「男装の麗人」風の国語科代用教員、これも訳ありで武道の達人、別宮操(べっく・みさお)である。修学旅行も風紀上問題ありと中止になったので、別宮先生は知り合いの宿がある愛知県東北部の湯谷(ゆや)温泉で夏合宿をしようという。

 そして、その合宿中に「密室殺人事件」が起きる。それは果たして可能なのか、それとも密室ではないのか。映研、推研は合同で文化祭で映画を作ろうとしていた。もちろんホントの映画を若者が作れる時代じゃない。映画のシーンを写真に撮って並べるという趣向である。その撮影は学園が買い取った軍の廃墟施設で行われた。夏休みの終わり、キティ台風来襲の夜、撮影終了後に今度は「バラバラ殺人事件」が起きた。今度は時間的に不可能な犯罪だ。犠牲者となったのは、戦時中に羽振りがよかった右翼評論家と湯谷温泉の地域ボスだった。

 その間に謎を秘めた美少女鏡子の人生をめぐる謎鏡子の親友だった少女の失踪などいくつものストーリーが語られる。映画やミステリーに関する議論、男女をめぐる校内のゴタゴタ、教員間のあつれきなどなどを含めて、ユーモア青春ミステリーとしても上出来。だが著者のねらいは、「戦後風俗」を事細かに語ることにより、「反戦のメッセージ」を伝えていくことにある。いかに戦争中がバカげた時代だったか。自由に批判できることの大切さ。もちろん、密室や時間の謎も完璧に解明される。いくつもの密室が書かれてきたが、この設定は初めてだと思う。しかし、問題は「動機の謎」の方だ。僕も方向性は当てられたが、真相は見抜けなかった。

 ところで作中では「GHQの命令で男女共学になった」とされるが、東日本では男女別学がずっと続いた地域がたくさんあった。栃木・群馬・埼玉では今も男女別学の公立高校が残っている。だから全国一斉の命令なんかなかった。愛知県に駐留した連合軍は男女共学を求めたのかも知れないが、詳しいことは知らない。もちろん、いわゆる「六三制」と言われる新教育制度、中学校まで義務化されたのは全国一斉である。それに伴って、新制高校が設立されたわけである。だから、この本で書かれている戦後事情も、名古屋独自のものもあると思って読んだ方がいい。

 ところで辻真先がアニメの脚本を多数手掛けているのは知っていたが、何を書いていたかは特に調べたことはなかった。今回ウィキペディアを見たら、あまりにもすごいので驚いた。「エイトマン」「鉄腕アトム」に始まり、「オバケのQ太郎」「魔法使いサリー」「ジャングル大帝」「巨人の星」「ゲゲゲの鬼太郎」「サザエさん」。もっともっとあって、それが60年代。70年代になって「天才バカボン」「海のトリトン」「ドラえもん」…ちょっと面倒になったので止めるけど、21世紀の「名探偵コナン」まで書いてるので、日本人のほぼ全員が辻真先脚本のアニメを見ていたのである。
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アンソニー・ホロヴィッツ「その裁きは死」

2020年09月14日 22時40分48秒 | 〃 (ミステリー)
 内外に書くべきことが多い中、一昨日からアンソニー・ホロヴィッツ(Anthony Horowitz)の新作「その裁きは死」(The Sentence Is Death、2018)をひたすら読みふけっていた。前作「メインテーマは殺人」に続く「探偵ホーソーン」シリーズの2作目である。1作目は大傑作だったし、さらに2018年に翻訳された「カササギ殺人事件」も超絶的な傑作ミステリーで、ミステリーベストテンでは2年連続でトップになっている。ホロヴィッツの新作なら読まずにはいられない。

 このシリーズはアンソニー・ホロヴィッツ、つまりは著者本人がワトソン役を務めて、実際の私生活も出てくるというのが新趣向である。今回もテレビ番組のロケをしている(つまり、交通は一時的に遮断している)ところに、なぜか元刑事のホーソーンがタクシーで出現する。ホーソーンは故あって警察を退職した身だが、難事件の場合のみ警察から頼まれて捜査に参加する。その捜査の様子を見聞きして、ホロヴィッツが本を書くという契約(印税は半々で分ける)である。

 だから一種ノンフィクション的に進行するのだが、ホロヴィッツはそれなりにホーソーンに競争心を燃やし、できれば自分で犯人を突き止めたいと思う。一方、警察は警察で捜査を行っていて、ホーソーンの介入を喜ばない。そんな設定で、「ホロヴィッツ」なる書き手の目を通してだが、事件の手がかりは全て示されているのである。そして、ある者(ホロヴィッツや警察や読者など)は往々にして間違うわけだが、ホーソーンは真相を見通している。そして真相が明かされれば、確かにこれほどフェアに書かれた本格的な犯人当て小説は近年珍しいと思う。

 今回は有力な離婚専門弁護士が殺害されたという事件である。殺害方法はワインのボトルで殴られた後で、割れた瓶で刺されたという珍しい方法だった。さらに現場には「182」というペンキで描かれた数字があった。今どき「ダイイング・メッセージ」かと思うと、これは犯人によるものらしい。そんな現場なのでホーソーンが呼ばれたのである。被害者は同性婚をしていたが、相手は留守だった。ちなみに何故かホーソーンは同性愛を嫌っている。

 最近担当した事件では、夫側の弁護士だったので、妻側には憎まれていたようだ。その妻というのが、日本人のフェミニスト作家、アキラ・アンノなのである。そしてアンノは最近レストランでたまたまその弁護士に会って、ワインをぶっかけてボトルで殴りたいと言っていたとか。このアキラ・アンノは「俳句」(3行英語詩)も書いていて、何とその「182」は「君が息 耳にぞ告ぐる 裁きは死」というものだった。「アキラ」が女性だという設定は日本人には「?」だが、芭蕉の名が出てくるなど、俳句が重要な役割を持つミステリーである。

 夫側も妻側もなかなかユニークというか強烈な人物で、怪しげではある。ところが、もちろんそれでは終わらず、被害者には過去の因縁もあることが判ってくる。被害者は大学時代の友人たち2人と「ケイビング」(鍾乳洞探検)を趣味にしていたが、数年前に一人が亡くなる事故が起こったのだ。そして、この弁護士が殺される前日に、残ったもう一人のメンバーがロンドンの駅で列車に轢かれて死んでいたことが判る。これも殺人だったのか、それとも自殺か単なる事故か。ホーソーンとホロヴィッツは、その友人宅や鍾乳洞をヨークシャーまで訪ねてみる。

 このヨークシャー(イングランド東北部)の風景描写も美しい。登場人物がミステリーの通例により、ウソをついたり謎を秘めているので、どうも殺伐とする。しかも、警察の担当がえげつなく、さらにホーソーンの抱える謎が深すぎる。事件以外の問題に気を取られてしまうと真相を見失うことになる。事件の性格は前作の方がスケールが大きく、真相の驚きも深かった。今回はアキラ・アンノなる日本人女性作家の描き方がやり過ぎで、全体に共感がしにくい。真相の驚きも前作ほどではないが、それでもフェアな描写に解明の鍵が隠されていたことに感嘆した。
(アンソニー・ホロヴィッツ)
 アンソニー・ホロヴィッツ(1955~)は少年向けスパイ小説などで有名になり、テレビの「名探偵ポワロ」の全脚本を手掛けた。またシャーロック・ホームズや007の公認続編を書くなど、長いキャリアを持っている。しかし本格ミステリー作家として評価されたのは最近のことで、今までの鬱憤(子ども向けとかテレビ作家とかで低く見られがち)を晴らすような描写が随所にある。ただ、それらも意図的なミスリードをねらっているものなので、うっかりテレビ界の内幕やホーソーン個人に興味を持ちすぎると本筋を見失う。やはり巧みな小説にうなるしかない。
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深緑野分「戦場のコックたち」を読む

2020年01月30日 22時46分21秒 | 〃 (ミステリー)
 2015年に刊行されて直木賞、本屋大賞の候補にもなった深緑野分戦場のコックたち」(創元推理文庫)を読んだ。2019年8月に文庫化され、単行本が評判になったから買ってみたものの、500ページを越える長さにビックリして放っておいた。創元推理文庫に入っているように、この本は「ミステリー」とされている。2015年の「このミステリーがすごい!」第3位を初め、ミステリーベストテンに選ばれている。

 この本は普通の意味のミステリーとはとても違っている。「戦場における日常の謎」を描くという、今まで誰も書いてない小説である。「日常の謎」ミステリーは、北村薫以後多くの作家により書かれてきた。殺人事件が起こって犯人を捜すという昔風の「探偵小説」と違って、毎日の暮らしの中で起きる「小さな疑問」、それらを心理的な謎も含めて解き明かすというタイプの小説である。

 しかし戦場、特にこの小説で舞台になっている第二次世界大戦のヨーロッパ戦線、ノルマンディー上陸作戦以後の米軍とナチスドイツとの戦いにおいては、毎日毎日兵士がどんどん死んでいる。飛んでくる銃弾に当たるかどうかは偶然で決まる。それはもちろん「殺人」だが、「犯人」は「敵兵の誰か」であって、追求のしようがない。そんな死がありふれた世界で、「日常の謎」、具体的には「何故かパラシュートを集めている兵士がいるが理由はなんだろう」とか「倉庫から粉末卵600箱が盗まれた事件の犯人と理由は何か」とか、小さな謎が一体どういう意味があるのだろうか。

 著者は初めて読む作家だが、「ふかみどり・のわき」と読む。1983年生まれの日本人女性作家。2010年短編集「オーブランの少女」(創元推理文庫)でデビュー。2019年の「ベルリンは晴れているか」も高く評価され直木賞候補になった。読んでないけど、それも第二次大戦下のヨーロッパが舞台だ。なんで今どきの若い日本人、それも女性が、遠くヨーロッパで起きた戦場の小説を書くんだろうか。もちろん小説は誰がどんな話を書いてもいいけど、読んでみると戦闘経過だけでなく、装備品や糧食なども詳しく調査して違和感なく書かれている。というか、普通に読むときは詳しすぎるだろう。
(深緑野分氏)
 プロローグ、エピローグに挟まれた全5章で構成されている。一つ一つの章は100ページぐらいあって、とにかく細かい。「コックたち」と題名にあるが、確かに戦場で食事を作るけれど、普段はともに銃を持って戦う兵隊である。語り手は南部出身の新兵ティム(ティモシー)で、一番若いから「キッド」と呼ばれている。身分的には「特技兵」というのになって、少し待遇もいいらしい。しかし一般の兵士からは下に見られている。まずはノルマンディーにパラシュートで落下するところから始まるが、あまりに詳しいので困惑してしまう。長くて長くて、ちょっと読み始めたのを後悔するぐらい。

 しかし次第にティムの仲間たちに親しみを覚えてくる。10代で経験も薄いティムがだんだん兵士としても人間としても視野を広げてゆく。特に年長のエドが「ホームズ役」となって謎を解き明かすが、その生い立ちも判ってくるとグンと世界が深みを増して見えてくる。そして、第4章、第5章と驚くような展開があり、ミステリーというより「成長小説」の側面が強くなる。ドイツ軍との死闘はやがて連合軍優位で推移し、ティムも驚くような行動を見せるようになる。

 そして最後の最後になって、読者はやっと著者の企みに気づくことになる。戦争は終わり、生き残ったものは故郷に帰る。感動的なエピローグを読んで、小説というよりも、この戦争に関わった兵士たちの人生を考えることになる。1989年、ベルリンの壁崩壊後のベルリンのマクドナルドで、もう若くはないティムたち4人が再会する。そしてそのとき、ティムたちが戦場で取った行動の意味が初めて判るのである。ティムの人生そのものも含め、この小説に張りめぐらされた伏線がようやく深い感動の中で理解できるのだ。ミステリーだから細かな筋は明かせない。ただ読もうと思った人は途中でめげずにラストまで頑張って欲しい。かつてない深い感動が待っている。

 今でも第二次世界大戦を振り返る意味がどこにあるのか。なんで戦争を知らない若い日本人がアメリカ人兵士の世界を描くのか。それも何故コックたちなのか。それはラスト近くのユダヤ人収容所解放のシーンを読んで、僕には完全に納得できた。それぐらい衝撃的で深く考えさせられる。だからこそラストで判るティムの戦後の生き方に深い感動を覚えた。まあそこまでたどり着くのが大変過ぎたけど。
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女子高生マジシャン酉乃初ー相沢沙呼を読む②

2020年01月17日 23時07分57秒 | 〃 (ミステリー)
 相沢沙呼の「午前零時のサンドリヨン」(2009)、「ロートケプシェン、こっちにおいで」(2011)は、「酉乃初シリーズ」と呼ばれる。「とりの・はつ」という名前の女子高生が「探偵役」になる「日常の謎」ミステリーである。表紙を見ても、ライトノベル的な作品かなと思うと、鮎川哲也賞を受賞した立派なミステリーだ。しかし、それ以上に「青春小説」としての充実感がある。多くの若い人々に勇気について考えさせる小説だと思うから、ここで紹介しておきたい。(どちらも創元推理文庫所収。)
 
 とある(埼玉県らしい)私立高校に通う語り手の「須川くん」は、クラスの中でいつも一人でいる美少女、酉乃初に一目惚れしてしまう。ある日、姉のお供で話題になってるバーに付いていくと、そこでマジックを披露している酉乃初に出会ったのである。学校には秘密にしてアルバイトしているらしい。高校生としては超絶的と言ってもいい技術を持つマジシャンだ。しかし学校ではいつも一人でいるのは何故だろう。お昼もどこにいるのか不明で、あちこち探してしまったが…。少しずつ近づく二人に様々な「学園の謎」が降りかかる。シチュエーションも展開もお約束ではある。

 大体「サンドリヨン」とか「ロートケプシェン」って何だよと思うと、実は誰でも知ってる言葉である。ここでは書かないけれど、それが内容とマッチしている。人間関係に臆病で、傷つくことに恐れて自分を偽る青春のまっただ中の高校生。そこには「いじめ」「自殺」「進路」など若き日の悩みが尽きない。複雑に絡み合う人間関係の蜘蛛の巣の中で、不思議な幽霊騒動などを解決できるんだろうか。「ポチ」と呼ばれる須川くんが、ヘタレながら誠実に頑張って酉乃初が鮮やかな推理力を発揮する。

 そんな展開が共通する短編で構成された短編集である。「サンドリヨン」は入学早々からクリスマスまで。謎の解決とともに、二人の仲が進展するのかどうかという興味もある。高校生小説では運動部が多いが、ここでは主役の二人は部活に入ってなくて、周りは演劇部文芸部なんだけど、それが謎に関わっている。演劇部だけど、今は映画を撮っていて、廊下で撮ってるから「アリバイ」に関わったりする。酉乃と中学で因縁があったらしい演劇部の超絶美女が「八反丸芹華」(はったんまる・せりか)ってやり過ぎみたいな名前だが、それらの脇役も楽しい。

 酉乃初は何度もマジックを披露するが、著者自身がマジックの名手だという。マジックが得意なミステリー作家といえば、泡坂妻夫が思い浮かぶが、ここでは主人公が高校生だからマジックそのものが謎に関わるわけではない。むしろ「謎は謎のままにしておく方がよいのか」といったトリックをめぐる論議が興味深い。上級生を巻き込んだ劇的な展開だったデビュー作に続き、「ロートケプシェン」だが、こちらは少し変化があって、須川くんの語りの前に「女子高生の語り」が入る。その女子高生は不登校になるが、それをめぐる謎が解明出来るかが鍵。コミカルさとビターな味が微妙に混じりあう。

 クリスマスで終わった前作から、どこまで行くのかと思うと3学期も終わらない。短い3学期だが、そこには「バレンタインデー」という一大イベントがある。須川くんは酉乃から貰えるのかな。通学する高校は校則が緩いらしく、堂々とチョコが行き交うらしんだが。と思うと意外な展開のあげく、男の子が貰ったチョコが机に積まれてしまうという「事件」が起きる。僕はこの謎の解決編のミステリーとしての切れ味が一番素晴らしいと思う。ちょうどこれからの季節にふさわしい青春ミステリーだが、一作目から読まないと人間関係が判りにくいだろう。「いじめ」や「不登校」をめぐって考えさせられる小説でもある。
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「medium 霊媒探偵城塚翡翠」ー相沢沙呼を読む①

2020年01月16日 22時30分53秒 | 〃 (ミステリー)
 2020年版「このミステリーがすごい」の日本編ベストワンは、相沢沙呼という作家の「medium 霊媒探偵城塚翡翠」(講談社)という本だった。誰、それ? そもそも何と読むのかというと「あいざわ・さこ」という1983年生まれの男性作家。作品名は「メディウム・れいばいたんてい・じょうづかひすい」である。そもそも「霊媒探偵」って何だよ。それは「ミステリーの自己否定」じゃないのか。どんな本なんだろうか。今まで一つも読んでない作家だけど、文庫化を待ちきれず読みたくなってしまった。

 相沢沙呼は今まで「ライトノベル」系の作品が多い。「酉乃初シリーズ」「マツリカシリーズ」「小説の神様シリーズ」なんかがあって、「小説の神様」は今度実写映画化され、5月に公開予定。「酉乃初シリーズ」は創元推理文庫に入っているので、こっちも読んでしまった。酉乃シリーズの「午前零時のサンドリヨン」(2009)が第19回鮎川哲也賞を受賞してデビューした。ほぼ10年のキャリアがあるが、今までは「日常の謎」系のミステリーで、今回の霊媒探偵で初めて殺人事件を扱ったということだ。

 ミステリー(推理小説)の元祖であるシャーロック・ホームズは、ほんの小さな事実を取り逃さずに観察し、思いも掛けぬ真相を暴き出す。それは究極的な「論理的思考力」であり、あまりにも偶然性を排除しすぎていると思うときもあるが、まさに産業革命下のイギリス都市社会の成立が背景になっている。誰かが殺されて、一体犯人は誰なのか。その謎に「頭脳」を以て立ち向かう名探偵たち。

 ところで、死者の霊魂にアクセスできる霊媒が(小説内で)存在したらどうだろうか。死者の霊が犯人を示してしまえば、それで終わりだ。まあ、近代的裁判システムでは有罪証明には使えないという問題はある。しかしミステリーのサブジャンルとして「倒叙」という形式がある。「刑事コロンボ」シリーズなどがそれだが、犯人は判っているが決め手がない。いかにアリバイなどを崩していくかを描くタイプだ。この小説もそのような感じで展開するのだろうか。

 単行本の表紙イラストは遠田志帆(えんだ・しほ)という人の担当。ウィキペディアを見ると、「屍人荘の殺人」や角川文庫の綾辻行人作品をやってる。「いかにも」的な美少女が描かれていて、アメリカ帰りの絶世の美女。20歳のクウォーター(4分の1外国系)で何か心に深く傷を負いながら、親の残した遺産で高級マンションに住んで無料で「霊媒」を務めることもある。その名も「城塚翡翠」って、何だ何だ、やり過ぎだろ。これは少女向けの「ライトノベル」というか、少女マンガのノベライズなんだろうか。

 語り手は推理作家の香月史朗(こうげつ・しろう)という人物で、過去に難事件を解決した過去があって今も時々警察から協力を頼まれることがある。そんな香月が大学の後輩に頼まれて、霊媒城塚翡翠に会うことになる。そして巻き込まれた殺人事件。続いて二人で訪れたミステリーの大家の別荘で起きた事件。それらの事件解決に翡翠がどのように関わったか。そして続く女子高生連続殺人事件。その合間に謎の「連続死体遺棄事件」の犯人による語りが差し込まれる。連続殺人犯は翡翠を狙うのか。翡翠は近づく死の予感を感じてゆくのだが…。

 そして最終章、最後に驚く真相とは…? 読んだ人にしか語れない展開だ。とにかく驚くべき真相が待っているのは保証できる。なるほどなあ、テキトーに読んでたら全然見抜けなかった。絶対に損はない本だ。ライトノベル的、美少女霊媒探偵モノと侮っていると足をすくわれる。「medium」とは、中間、中庸、媒介、媒体、中間などの意味だが、霊媒は「Spirit medium」だということだ。メディアムとふりがながされているが、ミディアムと発音することが多く、服のサイズのMでもある。
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若竹七海の「葉村晶シリーズ」

2020年01月06日 22時39分29秒 | 〃 (ミステリー)
 若竹七海の「世界で一番不運な女探偵」、葉村晶シリーズは時々出るたびに楽しんで読んできた。12月に文春文庫新刊「不穏な眠り」を読んだけど、本屋で見たら葉村シリーズも入ってる短編集「暗い越流」(光文社文庫)があった。表題作は日本推理作家協会賞(短編部門)受賞作である。本屋にズラッと並んでたから、何か理由があるのかと思ったら帯に出てた。1月24日から金曜夜にNHKドラマで放送されるという。主演はシシド・カフカで、若くて魅力的過ぎるかなと思うけど…。

 「葉村」って何かありそうな名前だけど、一発で変換できなかったからないのかもしれない。若竹七海は1991年の「ぼくのミステリな日常」でデビュー以来、様々なジャンルのミステリーを書いてきた。「プレゼント」「依頼人は死んだ」「悪いうさぎ」は、それぞれ1996、2000、2001年の作品だから、初期の葉村晶はまだ若かった。ちゃんと(?)探偵事務所に勤めてたし。僕が読んでたのは「依頼人は死んだ」だけだったから、ほとんど印象はなかった。その後ずっと長く書かれなくて、2014年に突然「さよならの手口」(2016)で戻ってきたときには、ずいぶん年齢を重ねていたが相変わらず独身で「不運」だった。

 今回読んだ「暗い越流」の中に「道楽者の金庫」には「昭和の頃はどこの家にも武者小路実篤の印刷色紙とこけしがあったような気がする」とある。作者は1963年生まれだから、かろうじて「昭和最末期」の香りを知ってるのである。この短編は「こけし」コレクターが関係するミステリーなので、そういう叙述が出てくる。武者小路とこけしという取り合わせに膝を打って納得する世代がある。ぼくはまさにそれである。葉村晶は「国籍日本、性別女」だが、いろいろあって女がレアな探偵業を続けている。

 今、文庫本には社を越えて「葉村晶シリーズガイド」が入っている。そこに「女探偵が歩く街」という作者によるエッセイが入っている。ミステリーファンには見逃せない文章で、欧米の主な女性探偵が紹介されている。日本では殺人事件も少ないし、戸籍制度などもあって、人捜しだけなら圧倒的に警察が有利だ。私立探偵を依頼する人などほとんどいないし、ましてや女性で探偵をする人もそんなにいないだろう。まあDVやいじめ事件の調査などには女性の方が有利な場合もあるかと思うが、現実に調査を依頼する人がどれだけいるだろう。

 そういう社会の中で、一人暮らしの女性がどれだけ活躍できるのか。そのためにどういう工夫を作者がしているのか。そこも読みどころだ。葉村晶はどんどん私生活でも「不運」が積み重なって、調布のアパートで共同生活をするも取り壊され、探偵事務所もなくなる。仕方なく吉祥寺のミステリー専門書店でアルバイトして、時々知り合いから依頼される事件調査をしている。住む場所もなくなって、書店に二階に居候するようになり、冗談半分に「白熊探偵社」という看板を掲げるに至っている。

 そのため、ミステリー書店向けの仕事、例えば物故者の遺産整理で本を任せられたりするようになった。そこから事件に発展するケースもある。事件じゃなくても、ミステリー関係のうんちくを自然に入れられるようになった。そして東京西部、吉祥寺を中心にした土地をめぐりながら、人間の心に潜む悪に向き合って行く。短編が多いが、近年書かれた「錆びた滑車」の展開とアイディアにはうならされた。最高傑作だと思う。新刊の「不穏な眠り」は多少出来不出来があると思うが、読んでて楽しいのはいつもと同じ。特に「鉄道ミステリフェア」を企画した中で起きる事件を描く「逃げ出した時刻表」が面白かった。

 人間には裏があるということがよく判るような作品ばかり。でも読んでいて嫌にならないのは、葉村晶が不運を一手に引き受けてくれることもあるが、キビキビした文章による読みやすさも大きい。探偵と共にどんどん事件をくぐり抜けていくことになり、息を継ぐ暇もない。まずはテレビで評判になる前に一冊読んでみてはいかがか。今一番安定していて面白いシリーズだから。
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大傑作「メインテーマは殺人」

2020年01月05日 21時04分22秒 | 〃 (ミステリー)
 アンソニー・ホロヴィッツの「メインテーマは殺人」(2017、山田蘭訳、創元推理文庫)は2019年の「このミステリーがすごい」の1位を獲得した傑作ミステリーだ。2018年に刊行された「カササギ殺人事件」も評判になり、僕も「大傑作『カササギ殺人事件』」を書いた。今回の作品もまた、ものすごくよく出来ていて大満足。しかも、前作と同じぐらい手が込んでいて、実に読み応えがある。

 冒頭でダイアナ・クーパーという老女が葬儀社を訪ねる。自分の葬儀の手配を生前にやっておくためだ。そして、その葬儀社を訪ねた同じ日にダイアナは殺されてしまったのである。まあ、そういう偶然もないとは言えないだろうが、いかにも不自然ではある。自ら殺されると知っていたのだろうか。という風に話が始まるが、すぐに「この書き方は不十分だ」と批判されてしまう。批判するのは警察の顧問をしているホーソーンという男。「わたし」の描写はおかしいと言うのである。

 「わたし」というのは、テレビの脚本や子ども向けのミステリーを書いている「アンソニー・ホロヴィッツ」という人物、つまり自分である。自分の小説に自分が出てきてしまうのだ。ホーソーンは事情あって警察を辞めた後も、顧問として時々難事件の捜査に関わることがある。普段はテレビの警察ドラマのアドバイザーをしている。その関係でホロヴィッツを知っていて、自分が捜査する小説を書いてくれ、利益は半々でどうかと言ってくるのである。なんでそんな本を書かなくちゃいけないのかと思うが、いろいろあって「わたし」はホーソーンについて回ることになってしまう。

 iPhoneで録音しながら捜査過程をまとめていくのが、この小説という体裁である。だから、基本的にホーソーンという付き合いづらい「ホームズ」の捜査を、「わたし」が「ワトソン」となって書き留めたわけである。その描写は実にフェアで、多分一読して犯人当てに成功する人は誰もいないだろう。言われてみれば「伏線」は十分に張りめぐらされてあり、その回収ぶりは見事の一言につきる。いろんな情報が入り組んでいて、違う方向に推理が向かってしまうから、見落としてしまうのである。

 それと「わたし」をめぐるノイズの描写があって、それが楽しいから目くらましになる。「わたし」は脚本家であって、今まさにハリウッドからも依頼が来ている。スピルバーグが「タンタンの冒険」の続編のシナリオを依頼してきて、スティーヴン・スピルバーグピーター・ジャクソンがロンドンに来るのである。その脚本会議があるから聞き込みには付き合えないというのに、その場にホーソーンがやってきてぶち壊し。実際にそういう話があったかどうかは知らないが、何しろ超有名な映画監督が実名で出てくるんだから、笑っちゃうしかない。

 ダイアナ・クーパーというのは、いまや日の出の勢いのイケメンスター、ダミアン・クーパーの母親だった。ダミアンはロイヤル・シェークスピア・シアターで活躍した後、ハリウッドに進出して活躍し、カリフォルニアに豪邸を構えられるぐらい成功している。しかし、ダイアナとダミアンの過去には、思い出したくない過去の「事故」があったのである。10年前に海辺の町でダイアナが起こした交通事故で、双子の子どものうち一人が即死、もう一人は障害が残ってしまった。その「事故」がダイアナ・クーパー殺害に関係しているんだろうか。警察は泥棒の仕業と見ているようだが、ホーソーンは一人独自の聞き込みを続ける。そしてダミアンも帰国して、いよいよ葬儀の日を迎える…。後は書けない。

 基本は「ホームズもの」の構図だが、いろんな現代ミステリーの趣向が入っている。「犯人当て」の真相と同じぐらい、「犯人じゃない当て」が素晴らしい出来映えだ。それに真相と直接関わらないような細部の謎が、ラストで一気に解明されるのも見事。自分の小説に「わたし」が出てきてしまうという「現代前衛小説」風の作りも効果的で、すっかり欺されてしまった。イギリスの演劇界、あるいはテレビや映画、また小説家の内情が折々に語られていることも魅力。そんな細部の楽しみに心奪われてゆったりと読んでいると、真相に迫る鍵が随所にあったのに気づけなくなる。だが、これは作者の勝ちというべきだろう。アンソニー・ホロヴィッツ、やっぱりすごいな。
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奥田英朗「罪の轍」、1963年の東京ミステリー

2019年12月29日 22時43分39秒 | 〃 (ミステリー)
 トニ・モリスンをやっと読み終わって、ようやく年末のミステリーに取りかかった。ミステリ-の記事もヒットしないんだけど、自分が好きで書いてる。奥田英朗の「罪の轍(わだち)」は、多くの年末ミステリーで上位になっている。まさに「オリンピック直前」の東京の変貌を背景に、格差や虐待などを織り込み、多面的に犯罪と警察を描き出した巨編だ。587ページもあるが、長さを感じずにひたすら読みふける。北海道の礼文島東京の下町(南千住、浅草、上野など)を結ぶ構想力が素晴らしい。

 東京五輪直前というのは、もちろん前回の五輪。1963年の東京はあちこちで建設工事が行われ、日々変化している。国立競技場は完成しプレ五輪が実施されている。新幹線や代々木体育館の工事はまさに進行中。警視庁でも、昔ながらの警官が多い中、大学出の警官が捜査一課に配属されるようになった時代だ。落合昌夫はそんな期待に応えるべく張り切っている。明治大学剣道部出身だということが捜査に生きてくる場面はとても印象的である。

 一方、その前に冒頭では礼文島が出てくる。ニシンが突然不漁となり、かろうじて昆布で持っている。昆布漁師の見習いをしている二十歳の宇野寬治は、周りから「莫迦」(バカ)と呼ばれて下に見られている。記憶が長く持たず、何事も続かない。集団就職で札幌に勤めたものの不祥事を起こしクビになる。礼文に戻っても、母も冷たい。再び空き巣を繰り返し、やがて東京に出たいと思っている。そんな宇野寬治がどうやって島を出て、東京へ行けるのか。

 ある日、荒川区の南千住時計商が殺される事件が起きる。事件を捜査するが、真夏の昼間で証言が得にくい。子どもなら何か見ているんじゃないかと話を聞くと、林野庁の腕章をした男という証言が相次ぐ。それが北海道から抜け出た宇野寬治らしいということになり、落合たちは礼文島まで捜査に出張する。もちろん飛行機は予算上使えない。列車で青森へ、青函連絡船に乗って札幌へ。そこから稚内を目指す大変な旅行である。電話やテレビがようやく一般家庭に普及してきた時代だ。そんな世相が事細かに描かれ、時代の空気を濃密に再現している。

 もう一人、山谷で簡易旅館を営む家の長女、町井ミキ子を通して、山谷の状況が出てくる。町井一家は朝鮮人だったが、ヤクザの父が警察で死亡し、以後母は大の警察嫌いとなっている。その後、日本に帰化して旅館業を続けているが、弟はヤクザの下っ端になってしまった。ミキ子は商業高校を出て、一般会社に就職をしたかったが、家庭環境からかどこも採用してくれなかった。今は家の手伝いをしながら税理士を目指して勉強している。山谷のヤクザや左翼活動家などの関わりが、この小説に単なる警察小説を越えた社会的視野を与えている。

 時計商殺しの捜査が続く中、浅草の豆腐店の子どもの誘拐事件が発生する。落合たちは誘拐事件の捜査に回され、被害者宅に詰めたりする。まだ「逆探知」も出来なかった時代である。ところが、この事件でも宇野寬治が子どもたちと遊んでいたという証言が出てくる。宇野が犯人なのか。それにしても、宇野寬治はどこにいる? ミキ子は珠算教室で被害児童の姉を教えていた。一方でミキ子の弟は宇野と知り合い、仕事を見つけてやったりしたようだ。弟も事件に絡んでいるのだろうか。

 事件についてはこれ以上書かないが、途中から宇野寬治の特異な生い立ちが重要な意味を持ってくる。継父から虐待されていたのだが、最近のケースでもそのような例があった。そして彼は空き巣を繰り返しても、罪の意識を全然持たず、記憶も時々飛んでしまうようになった。このような犯人像は60年代的ではなく、むしろ21世紀的だ。果たして60年代初期の警察は、彼にうまく対処できるのだろうか。

 後半に出てくる「吉夫ちゃん誘拐事件」は、当時を知っている人ならすぐ判るように「吉展(よしのぶ)ちゃん事件」をモデルにしている。1963年3月31日に、東京都台東区入谷の4歳児が誘拐された。日本初の「報道協定」が結ばれた事件である。身代金を持ち逃げされながら子どもの行方が判らず、警察が大きく批判された。犯人からの電話録音を公開し、警視総監がテレビで犯人に呼びかけるなど、実際の事件と小説は基本的に展開が共通する。この事件の経過は簡単に調べられるから、ここでは書かない。電話が逆探知できるようになったのも、この事件以後。非常に大きな影響をその後に与えた事件で、当時小学校低学年だった自分はよく覚えている。

 僕はかつて訪れた礼文島がすごく気に入って、数年後にもう一回旅行した。風景の美しさは変わらないだろう。東京の南千住に話が飛ぶと、こっちは毎週何度も通り過ぎている。北千住にあったお化け煙突もチラッと出てくる。山谷や浅草の内情はさすがによく判らないけど、東京東部の事件なので何となく土地勘がある。ミキ子が出た商業高校はどこかな、台東商業の可能性が一番高いかななんて考えながら、ずっと読みふけった。前回五輪の頃は、東京はまだこのレベルだったのか実感出来る。
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