2025年4月の訃報特集。やはり一番最初に書くべきは第266代ローマ教皇フランシスコだろう。4月21日没、88歳。長い歴史の中で「フランシスコ」という名がなかったことも驚きだが、それでも普通は「フランシスコ1世」と名乗るものだ。しかし、この人の場合「1世」はつかない。2013年3月に前任者ベネディクト16世の(約600年ぶりの)「生前退位」を受けて教皇に選出された。俗名ホルヘ・マリオ・ベルゴリオで、アルゼンチン出身。初の南米出身だった。(非ヨーロッパ系としてはシリア出身の90代グレゴリウス3世までさかのぼる。8世紀の人。)2月に入院していて危篤と報道されつつ退院した直後の訃報だった。
フランシスコは出身国だけでなく、カトリック教会初のイエズス会出身でもある。軍事政権下のアルゼンチンで活動した経過は『ロマ法王になる日まで』という映画になった。また教皇選出後に世界各地を訪問する様子は『旅するローマ教皇』という映画になっている。2005年にも有力候補と言われたが選ばれず、2013年には75歳という年齢から選出はないと言われていた。カトリック教会は「保守派」「改革派」に争いがあるが、フランシスコは改革派に近いけれど改革は不十分との批判も絶えない。日本は2019年に訪れて、長崎・広島の被爆地で核兵器廃絶を訴えた。在位中に47回、66か国を訪問したという。その中にはパレスチナ、イスラエルも含まれる。他宗派、他宗教との対話にも積極的だったが、晩年はロシアに宥和的な発言など批判も多かった。
ペルーの作家で、2010年のノーベル文学賞受賞者、マリオ・バルガス=リョサが4月13日死去、89歳。(ガブリエル・ガルシア=マルケスに関して以前書いたように、スペイン語圏では父姓と母姓を複合させて使用することがある。バルガスが父の姓、リョサが母の姓である。)1963年に『都会と犬ども』を発表して評価され、『緑の家』(1966)や『ラ・カテドラルでの対話』(1969)などの大長編で世界的作家とみなされた。それらはスペインやフランスで書かれたが、1974年に帰国し1976年には40歳で世界ペンクラブ会長となった。政治的には当初の左翼から次第に保守化していき、1990年には中道右派「民主戦線」から大統領選に出馬したが、決選投票でアルベルト・フジモリに敗れた。その後は外国で暮らすことが多かったが、最期はペルーで亡くなった。ほとんどの作品が翻訳されていてずいぶん持っているのだが、長くて何となく敬遠して読んだことがない作家である。
元米国国務副長官のリチャード・アーミテージが4月13日死去、79歳。海軍兵学校を卒業してベトナム戦争に従軍、一時は米国に戻るが、再び戻って75年のサイゴン陥落時に南ベトナム空軍の将兵とともに脱出したという。その後レーガン政権で国防次官補に就任、2001年から05年にジョージ・ブッシュ(子)政権で国務副長官を務めた。「アジア通」「知日派」とされ、00年以来超党派の対日政策文書「アーミテージ・リポート」を発表した。2001年の同時多発テロ時には日本の柳井駐米大使に「Show the FLAG」(旗幟を鮮明にしろ)と発言したという。共和党「穏健派」の重鎮だが、日本にとっては軍備増強を迫る「圧力」を掛け続けた人。
アメリカの俳優、ヴァル・キルマーが4月1日死去、65歳。1986年の映画『トップガン』でトム・クルーズのライバル(アイスマン)を演じて注目された。1991年のオリヴァー・ストーン監督の『ドアーズ』では主役のジム・モリソンを演じた。『トップガン マーヴェリック』で同じ役を演じたのが遺作となった。
元中日ドラゴンズなどで活躍した野球選手トニ・ブランコが4月8日、ドミニカの首都サントドミンゴで起きたナイトクラブの屋根崩壊事故に巻き込まれれて死亡した。43歳。米大リーグに所属後、2009年シーズンから中日に所属、その年にホームラン、打点の2冠に輝いた。ナゴヤドームで天井を直撃した認定本塁打を初めて放った人。その後DeNA、オリックスに移籍して2016年引退。同じ事故では、大リーグ13球団に所属して当時の最多チーム所属としてギネス記録となったオクタビオ・ドーテルも51歳で死去。
イギリスのミステリー作家、ピーター・ラヴゼイが4月10日死去、88歳。70年代から21世紀初頭に活躍し、日本でもたくさん翻訳された。エドワード皇太子が探偵役の歴史ミステリーなどで知られた。一番評判になったのはピーター・ダイヤモンド警視シリーズで、『最後の刑事』『単独捜査』『バースへの帰還』などは日本でも高く評価された。ノンシリーズでは『偽のデュー警部』『苦い林檎酒』などがあり、ほとんどはハヤカワ文庫に収録されていた。『最後の刑事』は面白かったなと記憶している。
・元マレーシア首相のアブドラ・バダウィが14日死去、85歳。2003年にマハティール元首相の後任として首相に就任。2008年の選挙で与党議席を減らした責任を取り、2009年に辞任した。
・映画監督のテッド・コッチェフが10日死去、94歳。カナダ出身で米映画『ランボー』の監督をした人。
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