尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

アンソニー・ホロヴィッツ「その裁きは死」

2020年09月14日 22時40分48秒 | 〃 (ミステリー)
 内外に書くべきことが多い中、一昨日からアンソニー・ホロヴィッツ(Anthony Horowitz)の新作「その裁きは死」(The Sentence Is Death、2018)をひたすら読みふけっていた。前作「メインテーマは殺人」に続く「探偵ホーソーン」シリーズの2作目である。1作目は大傑作だったし、さらに2018年に翻訳された「カササギ殺人事件」も超絶的な傑作ミステリーで、ミステリーベストテンでは2年連続でトップになっている。ホロヴィッツの新作なら読まずにはいられない。

 このシリーズはアンソニー・ホロヴィッツ、つまりは著者本人がワトソン役を務めて、実際の私生活も出てくるというのが新趣向である。今回もテレビ番組のロケをしている(つまり、交通は一時的に遮断している)ところに、なぜか元刑事のホーソーンがタクシーで出現する。ホーソーンは故あって警察を退職した身だが、難事件の場合のみ警察から頼まれて捜査に参加する。その捜査の様子を見聞きして、ホロヴィッツが本を書くという契約(印税は半々で分ける)である。

 だから一種ノンフィクション的に進行するのだが、ホロヴィッツはそれなりにホーソーンに競争心を燃やし、できれば自分で犯人を突き止めたいと思う。一方、警察は警察で捜査を行っていて、ホーソーンの介入を喜ばない。そんな設定で、「ホロヴィッツ」なる書き手の目を通してだが、事件の手がかりは全て示されているのである。そして、ある者(ホロヴィッツや警察や読者など)は往々にして間違うわけだが、ホーソーンは真相を見通している。そして真相が明かされれば、確かにこれほどフェアに書かれた本格的な犯人当て小説は近年珍しいと思う。

 今回は有力な離婚専門弁護士が殺害されたという事件である。殺害方法はワインのボトルで殴られた後で、割れた瓶で刺されたという珍しい方法だった。さらに現場には「182」というペンキで描かれた数字があった。今どき「ダイイング・メッセージ」かと思うと、これは犯人によるものらしい。そんな現場なのでホーソーンが呼ばれたのである。被害者は同性婚をしていたが、相手は留守だった。ちなみに何故かホーソーンは同性愛を嫌っている。

 最近担当した事件では、夫側の弁護士だったので、妻側には憎まれていたようだ。その妻というのが、日本人のフェミニスト作家、アキラ・アンノなのである。そしてアンノは最近レストランでたまたまその弁護士に会って、ワインをぶっかけてボトルで殴りたいと言っていたとか。このアキラ・アンノは「俳句」(3行英語詩)も書いていて、何とその「182」は「君が息 耳にぞ告ぐる 裁きは死」というものだった。「アキラ」が女性だという設定は日本人には「?」だが、芭蕉の名が出てくるなど、俳句が重要な役割を持つミステリーである。

 夫側も妻側もなかなかユニークというか強烈な人物で、怪しげではある。ところが、もちろんそれでは終わらず、被害者には過去の因縁もあることが判ってくる。被害者は大学時代の友人たち2人と「ケイビング」(鍾乳洞探検)を趣味にしていたが、数年前に一人が亡くなる事故が起こったのだ。そして、この弁護士が殺される前日に、残ったもう一人のメンバーがロンドンの駅で列車に轢かれて死んでいたことが判る。これも殺人だったのか、それとも自殺か単なる事故か。ホーソーンとホロヴィッツは、その友人宅や鍾乳洞をヨークシャーまで訪ねてみる。

 このヨークシャー(イングランド東北部)の風景描写も美しい。登場人物がミステリーの通例により、ウソをついたり謎を秘めているので、どうも殺伐とする。しかも、警察の担当がえげつなく、さらにホーソーンの抱える謎が深すぎる。事件以外の問題に気を取られてしまうと真相を見失うことになる。事件の性格は前作の方がスケールが大きく、真相の驚きも深かった。今回はアキラ・アンノなる日本人女性作家の描き方がやり過ぎで、全体に共感がしにくい。真相の驚きも前作ほどではないが、それでもフェアな描写に解明の鍵が隠されていたことに感嘆した。
(アンソニー・ホロヴィッツ)
 アンソニー・ホロヴィッツ(1955~)は少年向けスパイ小説などで有名になり、テレビの「名探偵ポワロ」の全脚本を手掛けた。またシャーロック・ホームズや007の公認続編を書くなど、長いキャリアを持っている。しかし本格ミステリー作家として評価されたのは最近のことで、今までの鬱憤(子ども向けとかテレビ作家とかで低く見られがち)を晴らすような描写が随所にある。ただ、それらも意図的なミスリードをねらっているものなので、うっかりテレビ界の内幕やホーソーン個人に興味を持ちすぎると本筋を見失う。やはり巧みな小説にうなるしかない。
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