ホリー・ジャクソン「自由研究には向かない殺人」(A GOOD GIRL’S GUIDE TO MURDER)は最近にない快作で、今年の大収穫だった。創元推理文庫の8月新刊で、刊行当時から評判だったが、何しろ文庫とは言え570頁を越え1400円(税抜き)もする。単行本並みの値段だけに敬遠していたが、年末のミステリーベストテンで軒並み上位になった。「このミス」1位はアンソニー・ホロヴィッツ「ヨルガオ殺人事件」で、それは読めばすぐ予想出来る。しかし、この作品も高い評価を得ていて、2作の得点が突出している。期待を裏切らない読後感で、年末年始に一冊読むならこれという超オススメ本。
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時は2017年、ところはイングランドの小さな町リトル・キルトン。高校3年になるピッパは、1年掛けてまとめる「自由研究」の主題に「リトル・キルトンにおける行方不明者(アンディ・ベル)の探索に関する研究」を取り上げた。小説の一番最初に、自由研究の志望書が出ている。「主題に関する研究対象」は「英語、ジャーナリズム、調査報道、刑法」になっている。指導教師からのコメントも付いている。日本だと夏休みの自由研究は、自分で勝手にテーマを選んで提出する感じだが、あちらはずいぶん本格的だ。「卒業論文」に近いもので、大学進学にも重要な意味があるのではないかと思う。
テーマに取り上げたのは、ちょっと普通とは違うものだった。リトル・キルトンには謎の事件があったのだ。今から5年前(2012年)に、17歳の女子高生アンディ(アンドレア)・ベルが行方不明になった。その後死亡宣告があったが、今もって死体は発見されていない。直後に交際相手のサル(サリル)・シンが睡眠薬を飲み袋を被り窒息死した姿で発見された。サルは友人宅でパーティに出ていたが、友人たちは「サルは早めに家を出た」と証言を変えアリバイがない。サルのスマホから父親に「自分のせい」というメールがあったことから、警察は「サルがアンディを殺害し、その後自殺した」と解釈して捜査を終えている。
しかし、アンディはどうなったのか? この事件にはまだまだ未解明の点があるのではないか。ピッパがそう考えたのは個人的な思い出があるからだ。ピッパがいじめられていたときに助けてくれたのがサルだった。あの優しいサルが本当に殺人犯なのか。そういう思いを抱えながら5年間経ったのである。ここでピッパの個人的なことを書かなくてはならない。ピッパ(ピップ)・フィッツ=アモービは、本当の父が10ヶ月で事故死し、母親リアンは弁護士をしているナイジェリア人のヴィクターと再婚した。今は肌の色が違う弟のジョシュアとゴールデン・レトリバーの愛犬バーニーと4人と1匹で幸せに暮らしている。二人の父を共に大切にするために、フィッツ=アモービとラストネームをダブルにしているのである。
一見すると「複雑な家庭環境」に見えるが、ピッパは家族の愛情に囲まれて育った。しかし、周囲はそう思わない。継父ヴィクターと町にいると、不審な目で見られて尋問される。サッカークラブにいる弟を迎えに行くと、不思議な目で見られる。学校でも父や弟のことでからかわれていたところを、サルが助けてくれたのだった。そんな環境に育ったピッパは、いじけたりひねくれてもおかしくないが、決してくじけなかった。むしろ明るく元気で人権感覚が優れた少女になったのである。サルは裁判もなく弁護の機会もないまま有罪が当然視され、シン家は5年間怪物の家とみなされた。それはおかしいのではないか。そう思って、ピッパは恐れることなく危険なテーマに取り組んだ。ではまず、シン家を訪ねて弟のラヴィに話を聞いてみよう。
このピッパの魅力がこの小説の成功の最大要因。捜査権はないから、関係者へのインタビューとSNSの駆使が調査方法になる。Facebookなどから、関係者を探していく。過去の画像を検索していくと、ずいぶんいろいろと判ってくる。行方不明になったアンディという少女は、単に可哀想な被害者というだけではない複雑な顔を持っていたらしい。薬物疑惑もあれば、サル以外に謎の年上男性がいたという噂もある。サルとアンディは直前にもめていたという証言もある。しかし、ピッパが思い知るのは、人は嘘をつくと言うことだった。聞きに行った後で、真実は違っていることが判ることが多いではないか。
やがて、ラヴィと組んで、もう少し危険で(倫理的、法的に問題なしとは言えない)方法も取らざるを得なくなる。そうすると、脅迫も寄せられる。やはりリトル・キルトンには今も殺人者がいるのか。フェアな謎解き、現代のネット環境を取り込んだ叙述の魅力(ウェブ上の情報やメールなどが、そのまま取り込まれている)、冒険小説や青春小説のテイストも取り込み、鮮やかな解決のラストまで読み終わりたくないほどの魅惑に満ちている。「リトルタウンで少女が失踪する」というミステリーは英米に数多くあるが、これは中でも傑作だろう。有名な児童文学賞カーネギー賞の候補となっただけあって、ヤングアダルト小説としての魅力も十分である。作者のホリー・ジャクソンはこの小説がデビュー作で、すでに続編が2冊出ているという。翻訳が楽しみだ。
(ホリー・ジャクソン)
僕は1989年の西ドイツ映画「ナスティ・ガール」を思い出した。1990年のアカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた作品である。ドイツの小さな町の少女が、「ナチス時代のわが町」をテーマに取り上げた。新聞で教会関係者がユダヤ人を密告したという記事を見つけて、真相を探り始める。戦後のドイツはナチスの過去を清算したと本心から思っていたが、今も残る町の有力者は実はナチスの協力者だったのである。そして脅迫を受けるようになり、家に爆弾を投げつけられたりした。しかし、彼女は屈しない。ナスティ(nasty)というのは、英語で「厄介な」「手に負えない」といった感じの言葉である。
もう一つ、この小説で興味深いのはイギリスの学校事情である。高校生が車を運転してるし、酒も飲んでいる。ドラッグは違法だけど、やってる人もいる。映画「アナザーラウンド」を見てデンマークでは飲酒は16歳から可能だと知ったが、イギリスも同様なんだと思う。しかし、日本で年齢が引き下げられることはないだろうし、仮に引き下げられてもパーティが出来るほど広い家に住んでる高校生はほぼゼロだろう。そういうこともあるが、大学受験も違う。ケンブリッジを目指すピッパは、大学に出す論文をトニ・モリスンで書いている。ちょっと不足かなと思って、追加でマーガレット・アトウッドの論文も書く。日本の高校生でも読んでる人はいるかもしれないが、それで論文を書いて大学へ行くわけじゃない。この作家の選択で、ピッパが人種差別やフェミニズムに関心がある高校生だと伝わる。日本の受験システムは根本的な再考が必要だと思う。
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時は2017年、ところはイングランドの小さな町リトル・キルトン。高校3年になるピッパは、1年掛けてまとめる「自由研究」の主題に「リトル・キルトンにおける行方不明者(アンディ・ベル)の探索に関する研究」を取り上げた。小説の一番最初に、自由研究の志望書が出ている。「主題に関する研究対象」は「英語、ジャーナリズム、調査報道、刑法」になっている。指導教師からのコメントも付いている。日本だと夏休みの自由研究は、自分で勝手にテーマを選んで提出する感じだが、あちらはずいぶん本格的だ。「卒業論文」に近いもので、大学進学にも重要な意味があるのではないかと思う。
テーマに取り上げたのは、ちょっと普通とは違うものだった。リトル・キルトンには謎の事件があったのだ。今から5年前(2012年)に、17歳の女子高生アンディ(アンドレア)・ベルが行方不明になった。その後死亡宣告があったが、今もって死体は発見されていない。直後に交際相手のサル(サリル)・シンが睡眠薬を飲み袋を被り窒息死した姿で発見された。サルは友人宅でパーティに出ていたが、友人たちは「サルは早めに家を出た」と証言を変えアリバイがない。サルのスマホから父親に「自分のせい」というメールがあったことから、警察は「サルがアンディを殺害し、その後自殺した」と解釈して捜査を終えている。
しかし、アンディはどうなったのか? この事件にはまだまだ未解明の点があるのではないか。ピッパがそう考えたのは個人的な思い出があるからだ。ピッパがいじめられていたときに助けてくれたのがサルだった。あの優しいサルが本当に殺人犯なのか。そういう思いを抱えながら5年間経ったのである。ここでピッパの個人的なことを書かなくてはならない。ピッパ(ピップ)・フィッツ=アモービは、本当の父が10ヶ月で事故死し、母親リアンは弁護士をしているナイジェリア人のヴィクターと再婚した。今は肌の色が違う弟のジョシュアとゴールデン・レトリバーの愛犬バーニーと4人と1匹で幸せに暮らしている。二人の父を共に大切にするために、フィッツ=アモービとラストネームをダブルにしているのである。
一見すると「複雑な家庭環境」に見えるが、ピッパは家族の愛情に囲まれて育った。しかし、周囲はそう思わない。継父ヴィクターと町にいると、不審な目で見られて尋問される。サッカークラブにいる弟を迎えに行くと、不思議な目で見られる。学校でも父や弟のことでからかわれていたところを、サルが助けてくれたのだった。そんな環境に育ったピッパは、いじけたりひねくれてもおかしくないが、決してくじけなかった。むしろ明るく元気で人権感覚が優れた少女になったのである。サルは裁判もなく弁護の機会もないまま有罪が当然視され、シン家は5年間怪物の家とみなされた。それはおかしいのではないか。そう思って、ピッパは恐れることなく危険なテーマに取り組んだ。ではまず、シン家を訪ねて弟のラヴィに話を聞いてみよう。
このピッパの魅力がこの小説の成功の最大要因。捜査権はないから、関係者へのインタビューとSNSの駆使が調査方法になる。Facebookなどから、関係者を探していく。過去の画像を検索していくと、ずいぶんいろいろと判ってくる。行方不明になったアンディという少女は、単に可哀想な被害者というだけではない複雑な顔を持っていたらしい。薬物疑惑もあれば、サル以外に謎の年上男性がいたという噂もある。サルとアンディは直前にもめていたという証言もある。しかし、ピッパが思い知るのは、人は嘘をつくと言うことだった。聞きに行った後で、真実は違っていることが判ることが多いではないか。
やがて、ラヴィと組んで、もう少し危険で(倫理的、法的に問題なしとは言えない)方法も取らざるを得なくなる。そうすると、脅迫も寄せられる。やはりリトル・キルトンには今も殺人者がいるのか。フェアな謎解き、現代のネット環境を取り込んだ叙述の魅力(ウェブ上の情報やメールなどが、そのまま取り込まれている)、冒険小説や青春小説のテイストも取り込み、鮮やかな解決のラストまで読み終わりたくないほどの魅惑に満ちている。「リトルタウンで少女が失踪する」というミステリーは英米に数多くあるが、これは中でも傑作だろう。有名な児童文学賞カーネギー賞の候補となっただけあって、ヤングアダルト小説としての魅力も十分である。作者のホリー・ジャクソンはこの小説がデビュー作で、すでに続編が2冊出ているという。翻訳が楽しみだ。
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僕は1989年の西ドイツ映画「ナスティ・ガール」を思い出した。1990年のアカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた作品である。ドイツの小さな町の少女が、「ナチス時代のわが町」をテーマに取り上げた。新聞で教会関係者がユダヤ人を密告したという記事を見つけて、真相を探り始める。戦後のドイツはナチスの過去を清算したと本心から思っていたが、今も残る町の有力者は実はナチスの協力者だったのである。そして脅迫を受けるようになり、家に爆弾を投げつけられたりした。しかし、彼女は屈しない。ナスティ(nasty)というのは、英語で「厄介な」「手に負えない」といった感じの言葉である。
もう一つ、この小説で興味深いのはイギリスの学校事情である。高校生が車を運転してるし、酒も飲んでいる。ドラッグは違法だけど、やってる人もいる。映画「アナザーラウンド」を見てデンマークでは飲酒は16歳から可能だと知ったが、イギリスも同様なんだと思う。しかし、日本で年齢が引き下げられることはないだろうし、仮に引き下げられてもパーティが出来るほど広い家に住んでる高校生はほぼゼロだろう。そういうこともあるが、大学受験も違う。ケンブリッジを目指すピッパは、大学に出す論文をトニ・モリスンで書いている。ちょっと不足かなと思って、追加でマーガレット・アトウッドの論文も書く。日本の高校生でも読んでる人はいるかもしれないが、それで論文を書いて大学へ行くわけじゃない。この作家の選択で、ピッパが人種差別やフェミニズムに関心がある高校生だと伝わる。日本の受験システムは根本的な再考が必要だと思う。
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