尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

超傑作「ヨルガオ殺人事件」(アンソニー・ホロヴィッツ)

2021年09月26日 21時17分23秒 | 〃 (ミステリー)
 アンソニー・ホロヴィッツの新作「ヨルガオ殺人事件」(MOONFLOWER MERDERS、2020)が刊行されたので、早速読まないと。(創元推理文庫上下、山田欄訳)ホロヴィッツのミステリーを紹介するのも、4作目となる。「カササギ殺人事件」の登場に驚き、「メインテーマは殺人」でさらに驚き、「その裁きは死」も面白かった。かくして日本のいくつかのミステリーベストテンで3年連続ベストワンを記録中だ。ところが今回の「ヨルガオ殺人事件」はこれまでの3作にもまして素晴らしい作品だったのだから驚くほかない。
(上巻)
 「メインテーマは殺人」「その裁きは死」は、作者本人が作品に登場する趣向のホーソーン&ホロヴィッツ シリーズである。新しい事件が発生すれば新作が出来るわけである。しかし、今回の「ヨルガオ殺人事件」は「カササギ殺人事件」の方の続編である。「カササギ殺人事件」というのは、作家と作品が二重に入れ子構造になった複雑な作品だった。名探偵アティカス・ピュントが活躍する21世紀のアガサ・クリスティみたいなシリーズがあった。その9作目が「カササギ殺人事件」なのだが、作者のアラン・コンウェイが謎の死をとげたうえ、結末の原稿が紛失してしまった。その謎を編集者スーザン・ライランドが追っていくのである。

 その続編って一体どんなものなのか。もちろんアティカス・ピュントのシリーズは以前に8作品あるとされている。それを書くことは出来るだろうが、1作目のあの複雑な二重の面白さは再現できるのだろうか。そんなことは不可能だろうと思うのだが、作者は軽々と難条件をクリアーしてしまった。驚くしかない。そして、これはスーザン・ライランド&アティカス・ピュントシリーズだったのである。スーザンは前作の最後で作品内の謎を完全に解明したが、同時に恐ろしい目にあって出版社も破産した。そして2年、スーザンは当時付き合っていたギリシャ人の恋人アンドレアスと一緒にクレタ島で小さなホテルを経営している。

 ホテルは期待したようにはうまく行かず、経済的にも大変だし突然出版界から離れてしまった喪失感もある。日々の仕事に追いまくられて、アンドレアスとの関係も微妙に…。そんな時に突然イングランドでホテルを経営しているトレハーン夫妻がスーザンを訪ねてくる。実はホテルで働いている娘のセシリーが失踪してしまい、それにアラン・コンウェイの作品が関わっているらしいというのである。アティカス・ピュントシリーズの第3作「愚行の代償」を書く前に、アランは夫妻のホテル「ブランロウ・ホール」のヨルガオ館に滞在していた。
(下巻)
 ホテルでは8年前にセシリーの結婚式当日に恐るべき殺人が起こっていた。もちろん「愚行の代償」はその事件を直接扱っているわけではない。だがアランはホテルの人物をモデルとして作品に登場させているらしい。8年前の事件はホテルで働いていたルーマニア人青年が逮捕され有罪となっていた。しかし、セシリーは8年経って初めて「愚行の代償」を読んだところ、真犯人は別人物だと判ったという謎めいた電話を残したまま、次の日に犬の散歩から帰らなかった。アラン・コンウェイは死んでいるが、作品について一番詳しいのはスーザンだと聞いて飛んできた、是非調査して欲しい、報酬もはずむからと言うのである。

 こうしてスーザンはうかうかとロンドンに戻り、さらにデヴォン州に赴いて敵意ある多くの人物から真相を探り始めるが…。セシリーの夫エイデン・マクニール、妹と仲が悪かった姉のリサ、殺された宿泊客フランク・バリスの妹夫婦などに話を聞くが、一向に真相は見えてこない。アラン・コンウェイはゲイを公表して、財産は一緒に住んでいたジェイムズ・テイラーに遺された。久しぶりにジェイムズに会ってアランの調査資料を借りると、当時のインタビューなどが見つかる。また当時ホテルのジムでトレーナーをしていたライオネル・コービーに会って、ホテルの意外な裏事情を聞かされる。

 そして、いよいよ「愚行の代償」を再読するに至るが…。これが実によく出来たミステリーで面白いのだが、当然ながらフランク・バリス殺人事件の真相は書かれていない。セシリーは一体何に気付いたというのだろうか。作品内の「愚行の代償」は1953年にイングランド東部サフォーク州で起こった事件を描いている。ハリウッドで成功した女優メリッサ・ジェイムズは村の屋敷を買って住みながら、ホテルを経営している。メリッサが殺されてアティカス・ピュントに調査依頼が来るのだが…。その中に「ルーデンドルフ・ダイヤモンド事件」という盗難事件の解決編が挿入されている。これがまた超絶的な怪事件で、ピュントの推理も冴え渡る。

 「愚行の代償」は前作にも負けていない、それだけで大傑作である。登場人物の証言が合わさりながら、特に主筋に関係しない「ミスリードのための伏線」も完璧に回収されるのには驚くしかない。それはインターネットなき時代の古典的なミステリーの再現として完璧の域に達している。一方、現代世界の出来事とされる本筋の方は、インターネットを駆使しながら情報を収集する。しかし、「愚行の代償」を読んでも一向に真相が読み解けないんだけど、と思うときに危機発生。アンドレアスもここぞと言うときに登場し(それは読者が容易に予想できる)、また犯人とされたステファンに面会に行って…。

 真相を書けない以上、いくら書いても仕方ないのでもう止めるけれど、「ヨルガオ殺人事件」はものすごい傑作である。「謎解き」「犯人あて」などというレベルで済ませてはいけない。作者がいかに人間通であるか、その奥深さに驚くのである。人間には裏があり、秘密を持つものである。それを暴くのがミステリーだが、すべてが殺人をもたらすわけではない。「印象論」や「陰謀論」では解決しない真の「論理性」が求められる。架空の殺人事件の犯人が誰であっても、我々の実人生には関わらない。しかし、それが「論理性の勝利」であるからこそ、読書の醍醐味を感じるのである。
(ヨルガオ)(朝顔、昼顔、夕顔、夜顔)
 ヨルガオはなじみが薄い花だが、熱帯産のヒルガオ科の一年草。作中のホテルに「ヨルガオ館」がある設定。アサガオ、ヒルガオ、ヨルガオはヒルガオ科。ユウガオもあるが、これはウリ科でカンピョウの原料である。夕顔は源氏物語だし、昼顔はケッセル原作をブニュエル監督、カトリーヌ・ドヌーブ主演で映画化された作品が思い浮かぶ。イギリスでヨルガオが観賞植物として人気なんだろうか。題名の由来は読んでも判らない。
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