尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「ミレニアム」の志を継ぐもの-「ミレニアム」原作と映画②

2019年01月14日 22時31分46秒 | 〃 (ミステリー)
 「ミレニアム」シリーズの題名になっている「ミレニアム」とは何か? それは、主人公ミカエル・ブルムクヴィストとその友人(長年の愛人でもある)エリカ・ベルジュが創刊した、硬派の社会派雑誌の名前なのである。彼らは長年、極右政治家や移民排斥論者、悪徳財界人や児童虐待、性差別などを鋭く追及した調査報道型の季刊雑誌を作ってきた。そんな雑誌があるなんて、スウェーデンの出版事情は日本よりも素晴らしいのか。いや、もちろんそんなことはないだろう。ジャーナリストだったスティーグ・ラーソンにとって、自分の夢のような雑誌を創作の中で作ったのだろう。

 「ミレニアム」シリーズを支える価値観は、徹頭徹尾、確信的リベラルである。ミカエルは、社民党(スウェーデンの福祉社会を作った党)を支持しているわけではない。大体、選挙にも行かないくらいである。でも、あらゆる社会悪の看視者である。「ミレニアム」の世界は、完全に人権活動家の世界である。日本では、週刊新潮、週刊文春に代表される右派的週刊誌が影響力を持っている。それらの雑誌は「人権活動家」を批判するスタンスの記事が多い。スキャンダルを暴露する点では似ていても、背景にある価値観が「ミレニアム」とは全く違うのである。

 スウェーデン社会に巣食うナチやネオナチへの敵対心。東欧やロシアから連れてこられる、人身売買に対する危機感子どもや女性への暴力に対する深い嫌悪感。同性愛やアジア系移民へのヘイトクライム(憎悪犯罪)に対する闘争心。「ミレニアム」編集部に満ちている精神は、そういったものだ。そういう世界観に共感できる人は、ふだんミステリーを読まない人でも、是非「ミレニアム」シリーズは読んで欲しい。「ミレニアム」の世界に隅から隅まで浸ることは快感だ。

 そのようなシリーズを引き継ぐことは大きなプレッシャーだろう。第4部「蜘蛛の巣を払う女」を書くに際して、ダヴィド・ラーゲルクランツがいかに困難な試みを引き受けたのか、訳者あとがきにくわしい。著者はもともと伝記執筆に実績があり、サッカー選手を描いた「I AM ZLATAN ズラタン・イブラヒモヴィッチ自伝」は翻訳もある。引き受けた結果はほぼ満足できる成果を挙げていて、世界的にもベストセラーになった。ただ、どうしても「続編」をうまく仕上げることに主眼が置かれているので、各種ミステリーでは高く評価されなかった。でもよく出来ている。

 第4部冒頭で「ミカエル・ブルムクヴィストの時代は終わった」なるコラムが評判になっているという。雑誌「ミレニアム」も危機にあるのである。世界各地と同じく、硬派の活字媒体は苦戦している。そんな中で、世界的な人工知能(AI)の権威、スウェーデンを代表する学者であるフランス・バルデルが自閉症の子どもを引き取るためにアメリカから帰国する。そのバルデル教授に迫る危険とは何か。このように「人工知能」や「世界的な監視社会」が問題になっている。NSA(アメリカ国家安全保障局)の情報をハッキングしたことから、リスベット・サランデルも関わってくる。 

 そこから解決していないリスベットの伏線が浮上する。一つはリスベットがハッカーとしてなぜ「ワスプ=wasp=スズメバチ」の名前を使うのか。これをアメリカン・コミック(マーベル・コミック)のキャラクターと関連付けて語る著者の鮮やかな手さばきは見事だ。多分ラーソンもそのように設定していたのだろう。またリスベットの双子の妹カミラが父の犯罪組織を受け継いだとしてロシアから出現する。シリーズ第2期の宿敵登場である。世界各地を描き分けながら、ラーソン三部作と同じく「女性と子どもに対する暴力」と闘い続ける。ミレニアムの志は見事に継承されている。

 第4部で印象的なのは、言葉を発せない自閉症児アウグストである。そこに潜んでいた天才が明らかになる時、世界が違って見えてくる。一方第5部「復讐の炎を吐く女」ではイスラム過激派に幽閉される女性、ファリア・カジが忘れられない。バングラディシュから移住してきたカジ一家は、ファリアの兄たちが過激な教義を抱き、犯罪が起こってファリアは刑務所に送られる。一方リスベットも第4部の出来事が形式的な罪に問われて短い刑期だが刑務所に送られた。そこで迫害されているファリアを知り、獄中で不可能なはずのファリア救出に取り掛かる。 
 
 一方またまたリスベットの過去をめぐって国家の黒い陰謀がうごめき始める。常にリスベットの味方だった元後見人の弁護士、今は自分で動くこともままならないホルゲル・パルムグレンまでが襲われてしまう。リスベットの過去にはまだ秘密があったのか。ここでリスベットの代名詞でもある「ドラゴンタトゥー」の意味が明かされる。これもなるほどという感じ。第5部では「双子の研究」をめぐる「優性思想」が大きく問われている。女性と子どもの人権を問う時、歴史の中に残る優性思想との対決は避けられない。その意味で日本でもこのミステリーは意味を持っている。 

 現代のミステリーだから、暴力もセックスもいっぱいだ。苦手な人もいるかもしれないが、現実にある暴力から目を背けてはいけない。リスベットの二卵性双生児であるカミラは第5部では解決しないから、2019年に刊行されるという第6部につながるんだろう。それはともかく、ミカエルがモテすぎるのはどうかなと思わないでもない。彼は離婚して子どもが一人いるという設定なので、誰とつきあっても問題はない。でも、ちょっとモテ過ぎだよなあ。
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