万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

原爆投下は国際法違反であった-違法行為の阻却事由はあるのか?

2024年04月09日 10時11分04秒 | 国際政治
 第二次世界大戦下にあって原子爆弾の開発に携わり、「原爆の父」とも称されることとなった理論物理学者、ロバート・オッペンハイマーの半生を描く映画『オッペンハイマー』が、昨年、アメリカで制作されました。アカデミー賞を受賞した注目作品となったのですが、同映画の公開を機に、原子爆弾の投下の是非をめぐる議論も起きています。世界最初にして唯一の被爆国となった日本国では、原爆の残虐性が描き切れておらず、不満が残る作品とする評が少なくない一方で、アメリカ国内では、若い世代には若干の変化が見られるものの、原爆投下を正当化する意見が今なお優勢です。

 アメリカ人が支持してきた原爆投下の正当化論とは、原子爆弾がアメリカの若き兵士達の命を救うと共に、来るべき本土決戦において一億玉砕を覚悟していた日本人の命をも救うのみならず、戦後にあっても、核兵器に対する恐怖心による核の抑止力が働き、第三次世界大戦を防いだというものです。言い換えますと、日本国への原爆投下は、全人類を救ったのであるから、結果論からすれば、日本人の被爆者は人類に供された尊い犠牲ではあるけれども、原爆投下は‘必要悪’であったということになります。

 同見解に対しては、日本人の多くは、原爆投下を先ずもって国際法違反と見なしています(東京裁判等の国際軍事法廷は、敗者の違法行為しか裁いていない・・・)。当時の戦争法にあっても非人道的な兵器の使用は禁止されていますし、都市や民間施設に対する攻撃にも制約が課せられていました。例えば、1910年1月26日に発効した「陸戦法規慣例条約」の条約付属書である「陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則」の第23条ホには、禁止事項として「不必要ノ苦痛ヲ与フヘキ兵器、投射物其ノ他ノ物質ヲ使用スルコト」とありますし、第25条には、「防守セサル都市、村落、住宅又ハ建物ハ、如何ナル手段ニ依ルモ、之ヲ攻撃又は砲撃スルコトヲ得ス」とあります。さらには、第23条イは「毒マタハ毒ヲ施シタル兵器ヲ使用スルコト」も禁止事項としていますので、爆発時のみならず、中長期的にも健康被害を与える放射能そのものを毒と見なせば、同条項にも抵触するかもしれません。これらの条文に照らしてみれば、原爆投下は明らかに違法行為であり、日本人の多くは、アメリカの言い分に素直に納得できないのです。

 しかも、原爆投下に先立って、日本国は首都東京をはじめ激しい都市空爆を受けております。空爆による民間人の被害者数は、原子爆弾による死傷者数をも上回ります。木造建築の延焼を計算に入れた焼夷弾の使用は、民間人をも苦しみの中で焼き殺してまいますので、大火災の発生を目的とした同空爆も(火あぶりの刑が与える耐えがたい苦痛を考えれば、その残虐性は容易に理解される・・・)、上述した陸戦法規に違反する行為に他なりません。このため、なおさらに原爆投下正当論は、‘後付けの言い訳’のようにも聞えてしまうのです。原子爆弾という新型兵器が使われたため、自ずと広島と長崎に関心が集まるものの、仮に、核兵器の使用がなければ、アメリカは、日本全国の都市に対する空爆をどのような論理で正当化したのでしょうか。南北アメリカ大陸では、ヨーロッパ諸国によって先住のインディオの人々が大量虐殺されていますが、こうしたジェノサイド行為は、‘人類を救うために必要であった’とは言えないはずです。

 加えて、当時のアメリカ政府は、独自の情報収集網、あるいは、連合国の一員であったソ連邦を介して、当時の日本国政府が、終戦交渉に動いていたことは知っていたはずです(フーバー元大統領も、アメリカによる休戦妨害を指摘・・・)。仮に、トルーマン大統領による原爆投下の判断が‘人類を救った’とする主張が正しければ、日本国に対する原爆投下は、それが戦後の対立を見越したソ連邦に対するものであれ、明らかに‘見せしめ’が目的であったことを認めることにもなります。戦争の一環であるならばいざ知らず、外部者に対する戦略上の‘見せしめ’効果を狙って原子爆弾が投下されたとなりますと、‘見せしめ’のデモンストレーションのチャンスとして使われた日本国としては、否が応でも釈然としない思いが残るのです。

 これらの他にも、日本国によるポツダム宣言の受託の主要な要因は、原爆投下ではなくソ連邦の参戦にあったので、アメリカの言い分は通用しないとする意見などもあります。もっとも、上述したように、結果としては、相互確証破壊論によって主張されたように核の抑止力が米ソ超大国間による直接的な‘熱戦’を防いだとする指摘は、それが事実であるが故に否めません。それでは、核の抑止力をもって第三次世界大戦を防いだとする論拠をもって、核使用の違法性は阻却され得るのでしょうか(違法性の阻却事由は、凡そ正当行為、正当防衛、緊急避難の三点・・・)。核をめぐる現在の状況を踏まえながら、この問題についてどのように対処すべきか、しばし考えてみたいと思います(つづく)。

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グレート・リセット構想は時代の逆行?

2024年04月08日 10時10分36秒 | 国際政治
 グローバルリズムが本格化した21世紀は、つい数年前までは、‘新しい時代’の到来と見なされてきました。ITやAIをはじめとしたデジタル技術の急速な進歩も手伝って、‘新しい時代’には、先端テクノロジーという実現手段もありました。こうした時代の雰囲気の中、世界権力のフロントとも言える世界経済フォーラムは、近未来におけるグローバル・ガバナンスのヴィジョンとして、グレート・リセット構想を打ち出すこととなったのです。

 同構想に添うように日本国政府も「ムーンショトット計画」といったSFチック、否、カルト風味のプロジェクトを開始したのですが、先進的であり、未来を先取りするような構想というイメージとは裏腹に、統治システムの視点からしますと、グレート・リセット構想は、むしろ知性面での退行が見られるように思えます。何故ならば、その統治機構の設計はあまりにも杜撰であるからです。

 先ずもって、グレートリットによって出現する近未来のグローバル・ガバナンスについては、漠然としたイメージしか示されていません。‘多国籍企業、国際機関を含む政府、並びに、選ばれた市民団体(CSOs)間の3者の協力によってマネージされる’と説明されているのですが、これらの三者のそれぞれが、統治機構においてどのような役割を果たし、如何なるメカニズムによってガバナンスが行なわれるのか、全く分からないのです。三者による合同決定機関、あるいは、三院制の議会が設けられるという意味かもしれませんし、多国籍企業が決定権を握り、他の二者はその実行機関として決定事項を忠実に執行する、ということなのかもしれません。何れにしましても、はっきりしている事は、近未来の人類は、多国籍企業、政府、市民団体の三者による統治体制に組み込まれるということであり、その具体的な姿は闇の中なのです。

 こうした目的地を明示せずに言葉巧みに人々を‘バス’に乗せようとする手法は、共産主義革命とも似通っているのですが、先日、本ブログでご紹介しました組織の基本モデルに照らしても、グレート・リセット構想が、制度設計として如何に欠陥に満ちているのかが分かります。上述した決定や実行に関する三者の役割の不透明性に加えて、提案、制御、人事、評価といった組織上の機能については空白であるからです。仮に、世界経済フォーラムに対して、‘グレート・リセット構想では、これらの諸機能はどのように制度に組み込まれているのですか?’と質問しましたら、彼らは答えに窮するのではないでしょうか。組織の健全性や発展に必要不可欠となる諸機能間の権力の分有も分立も欠けているのですから。このスタイルは、実行と決定から成る暴走リスクを抱えた独裁モデルであって、近現代の統治機構としての要件を欠いており、前近代的なプリミティブな制度設計に留まっていると言えましょう(モデル図を再掲)。

 また、現代にあって普遍的な価値とされる民主主義の観点から見ましても、同構想は、時代の逆行以外の何者でもありません。そもそも人類の誰も世界経済フォーラムに頼んだわけでも、委任したわけでもないのに、勝手に未来構想を自己提案し、勝手に決定し、それを各国の政府を手懐けて勝手に実行しようとしているからです(‘世界憲法’も制定されなければ、立憲主義も成り立たない・・・)。決定機関の人事も、全人類による普通選挙制度が実施されるわけでもなく、おそらく財閥親族世代間の世襲制ということになりましょう。国際機関を含む政府もグローバル・ガバナンスの構成要素の一つとはされていますが、何れの側面にありましても、民主的な要素は皆無に近いのです。

 そして、もう一つ、重要な問題点を挙げるとしますと、そもそもグローバル・ガバナンスとは何か、という問題です。全世界におけるSGDsの実現と言うことになるのかも知れませんが、これを実現するためには、財政権限をはじめとした内政の権限を含め、各国の主権を‘世界政府’に移譲させる必要がありましょう。また、国家間のトラブルや紛争を解決する仕組みを備えているのか、といった疑問もあります。国家間の対立や紛争を解決するためには、むしろ、国際レベルにあって国際法並びに中立・公平性が確保された司法制度の整備が必要ですので、グレート・リセット構想が想定している三者は、何れにあっても解決手段として不適切なのです。誰も、多国籍企業に司法機能を任せようとは思わないことでしょう。現状にあっても、世界経済フォーラムが、統治権を行使しようとすれば、それは、国際法にあて法的根拠のない不法行為、あるいは、国家に対する主権侵害ともなるのです。

 何れにしましても、グレート・リセット構想には、致命的な欠陥が散見されます(もっとも、人類支配を目指す世界権力にとっては望ましい確信犯的な欠陥の放置・・・)。このことは、その実現が、グローバル・ガバナンス、否、一方的な上からの支配のターゲットとされる人類に不幸と不自由をもたらすことは容易に予測されます。手段としてのテクノロジーの先進性の陰に、人類支配という目的を実現するための制度設計上の逆行性を忍ばせる手法こそ、グレート・リセット構想が人類に仕掛けている巧妙な‘トラップ’なのではないかと思うのです。

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現時点の民主主義の制度化は初期段階に過ぎない

2024年04月05日 14時33分48秒 | 統治制度論
 組織の基本モデルは、独裁のみならず、今日の諸国家における民主主義の制度化が、如何に不十分で初期的段階に過ぎないのかを説明します。否、今日、あらゆる諸国の国民を苦しめ、悩ませている問題の多くも、未熟な統治制度に起因しているのかも知れません。政治腐敗や権力の私物化、さらには、グローバルレベルで進行している世界権力による国家主権の侵害等も、元を訊ねれば、その原因は国民の声が届かない現行のシステムにあるとも言えましょう。

 統治機能の起源とは、分散、かつ、集団を成して生きてきた人類のニーズに求めることができます。危険に満ちた自然の中で生きてゆく、あるいは、他の集団からの攻撃に対処するためには、集団が結束して自らの安全を護る必要がありましたし、公共物の建設などは、資材や労力を分かち合いながら皆で協力しながら行なう必要もありました。また、個々の生命や身体等が相互に護られなくては、暴力が支配する‘この世の地獄’となってしまいます。統治機能とは、人々が生きてゆく上で必要不可欠であり、それは、一つではなく複数存在していたのです。統治の諸機能を人々に提供するために要する権力こそ‘統治権力’と言うことになりましょう。

 統治の諸機能の起源を振り返りますと、民主主義とは、机上の空論ともなりかねない特別の価値ではなく、理に適った当たり前のことなのです(民主主義は始まりであって終わりでもある・・・)。ところが、一端、統治権力が成立しますと、それを誰が行使するのか、という問題が生じます。古今東西を問わず、この統治権力は、実力、通常は武力に勝る者によって握られるのが常でした。この現象を、提案、決定、実行、制御、人事、評価の機能から成る組織の基本モデルに照らしますと、人事権は、力によって特定の個人により掌握され、決定権は、実力で統治者となった人物によって凡そ独占される形となります。そして、実行は、決定権を握る人物の配下の者達が務めたのでしょう。その一方で、当時にあっては、他の組織上の諸機能、即ち、提案、制御、評価については、その存在は意識にさえ上っていなかったかも知れません。つまり、人類史における統治システムは、昨日の記事で掲載した独裁モデルと同様に、決定機関と実行機関の二者からなるシステムが大半を占めてきたのです。

 統治権が建国や王朝の始祖からその子孫に受け継がれてゆく世襲制度もまた、統治者の座の獲得が武力に依らないという点において違いはあるものの、人事権は決定者、あるいは、その近親者の手にあり、両者は融合しています。民主主義が、何より先に選挙制度において制度化されたのも、人事権を介して決定権を国民の元に戻したいという、人々の願望があったからなのでしょう。そして、それは、決定権と人事権の分立をも意味したのです。

 かくして民主的な普通選挙の導入は、民主化のメルクマールとされたのですが、同制度をもって民主主義が十分に実現しているのか、と申しますと、そうではないようです。何故ならば、決定権をはじめ、提案や制御、そして、評価の機能に関する権限については、国民は蚊帳の外に置かれているのが現状であるからです。決定権については、国民投票制度が導入されている国は僅かですし(全ての政策や法案について国民投票に付すことは不可能であっても、国民全員が関わる重大な決定については国民投票が相応しい・・・)、提案権に関しても、たとえ国民発案の制度が設けられていても、この制度はほとんど機能していません。国民が提案し得るルートの欠如は、民主主義を実現する上で致命的な欠陥となりましょう(国民のニーズに応えることができない・・・)。また、国民による制御の相対的な脆弱さが、今日、権力の濫用や私物化、並びに、腐敗を招いていることも疑いようもなく、国民の評価が政治にフィードバックされる経路もありません。しかも、肝心の人事権さえも、不正選挙疑惑が持ち上がるように、常に、グローバルな独裁体制の樹立を志向するマネーパワーに脅かされているのです。

 組織の基本モデルに照らしますと、現行の統治機構の構造的な諸問題が自ずと明らかになってまいります。民主主義の制度化は、今日、初期的段階に過ぎないのです。このように考えますと、同モデルは、国民が未来に向けて国家体制や統治機構の改革や改善を志すに際して、その進むべき道をも示しているのではないかと思うのです。

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組織の基本モデルが説明する独裁体制が無理な理由

2024年04月04日 12時13分18秒 | 統治制度論
 世の中には、共産主義というイデオロギーをもって一党独裁体制を正当化する共産主義者や、カリスマ性あるいは卓越した指導力を備えた人物が救世主の如くに登場することを待望する人々がおります。また、近年、別格化された教祖をトップに戴く新興宗教団体の政治介入が公然と行なわれていますし、グローバリストによる隠れた世界支配も独裁体制の典型例と言えましょう。現代という時代にあっても、独裁体制は、陰に日向に蔓延っているのです。こうした独裁体制に心から憧れ、心酔している人々に対して、独裁体制の根本的な欠陥を説得する作業は困難を極めます。言葉を尽くしても、その頑な心を変えることはできないかもしれません。それでは、半ば信仰化した独裁擁護論に対しては、打つ手はないのでしょうか。

 古代ギリシャのポリス世界では、僭主(独裁者)の出現は、市民達が最も恐れた政治的な危機でした。アテネに至っては、僭主となりそうな危険人物を投票によって追放するという、陶片追放制度まで設けて僭主の出現を未然に防ごうとしたほどです。古代人のほうが、余程、一人の人物に公権力を独占されてしまう体制の弊害について熟知しており、陶片追放制度も、それが自由であるはずの市民達の身に迫る現実的な危険であったことをよく表しています。共和制ローマにあっても、独裁官は戦時における臨時のポストであり、しかも、独裁体制の固定化を防ぐために任期は半年に限定されていました。

 一人の人物に全メンバーの生殺与奪の権を握られてしまう恐怖は、古今東西を問わず、人類が経験してきた災難です。世界史の教科書でさえ、近世ヨーロッパの絶対主義体制は、君主が何らの拘束もなく絶対的な権力を振るい得る忌まわしき国家体制として記述されています。理性に照らして常識的に考えれば、独裁体制を擁護する理由も根拠も見出せないのですが、何故か、現代の政治の世界を見てみますと、上述したように右にも左にも独裁容認論が散見されるのです。

 洗脳等によって内面の価値として独裁が心を捉えている場合、確かに言葉で説得することは難しいのですが、一つ、効果的な方法があるとしますと、それは、分かりやすい図で説明することです。“視覚による認識と理解”という別の物事の把握ルートを使ってみるのです。この点、昨日の記事でアップしました組織の基本モデルは、独裁の問題を視覚おいて把握する上で役立つかも知れません。

 如何なる組織にあっても、その健全性と発展性を備えるためには、(1)提案、(2)決定、(3)実行、(4)制御、(5)人事、(6)評価の諸機能を分立させる必要があります。とりわけ、提案、制御、人事、評価の四者は外部に設けませんと、同組織のメカニズムは働かなくなります。この観点からしますと、独裁体制では、組織に備えるべき機能の内、健全性と発展性を保障する重要な外部的な諸機能が、一人の人物に溶け込むことで、消滅してしまうからです。つまり、独裁体制とは、‘決定’と決定事項の忠実な‘実行’の二者のみからなる、極めて単純なるシステムなのです。外部的諸機能の不在は、独裁者による暴走や権力の私物化等を、誰も止めたり、変更させたりすることができず、評価のフィードバックの経路がない以上、組織としての発展性も望めないことを意味します。その仕組みが欠けているのですから。

 ここに分立体制としての基本モデルと独裁モデルとを並べて掲載してみましたが、両者を比較した場合、圧倒的多数の人々が、分立モデルの方を支持するのではないでしょうか。両者を比較してみれば、共産主義者をはじめとした独裁擁護論者の人々でも、独裁者の無誤謬という現実にはあり得ない条件を挙げない限り(この条件を満たすことはできないので、他者を説得することはできない・・・)、基本モデルに対する独裁体制の優位性を論理的に述べることは難しいのでしょうか。


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最善の制度設計を求めて

2024年04月03日 11時22分42秒 | 統治制度論
 戦争であれ、政治腐敗であれ、貧困化であれ、世の中で何か良からぬ出来事が発生した際には、常々、その原因を当事者個人に求める見解とその出来事が起きた外部環境を問題にする見解とに分かれがちです。もちろん、原因が複合的であるケースも少なくないのですが、特に何らの罪もない人々が被害者となってしまう場合には、後者、すなわち、制度や仕組みに何らかの欠陥があるケースの方が多いように思います。

 ところが、制度設計の善し悪しがこの世の不幸の大方の原因となっているにも拘わらず、善き制度や組織の在り方が真剣に探求されてきたわけではありません。政治の世界では、むしろ、現状に対する人々の不満は、平等を掲げる共産主義といったイデオロギーが吸い寄せてきましたし、その反対に、国家主義や民族主義の高揚によって解消させようとする傾向もありました。伝統宗教、あるは、新興宗教を含めた思想による不満の解消方法は、得てして権力者に利用されがちであり、たとえその主張に傾倒して活動に協力し、革命やクーデタ等によってその‘理想’を実現したとしても、そこで直面するのは自らが目指していた理想とは逆の現実です。騙されたことに気がついても、‘後の祭り’となるのが常なのです。

 思想や宗教による解決の末路を知ればこそ、これらを歴史の教訓として、人類は、別の道を探るべきです。そして、その別な道こそ、力学的な視点を含めた構造全体のメカニズムを見据えた上での善き制度設計の探求ではないかと思うのです。そこで、ここに試案として、制度設計に際して役立つものと期待される基本モデルを作成してみました。決して難しいものではありません。

 同モデルは、組織の健全性並びに発展性を備えた組織に必要とされる諸機能によって構成されています。具体的な制度として実現可能であり、かつ、多くの人々が納得し得る合理性を追求している点において、上記の思想やイデオロギー等による解決方法とは大きく違っています。そして、こうした基本モデルがあれば、誰もが、同モデルに照らして制度の‘善し悪し’を判定できるようになるのです。

 ‘善き組織’にとりまして必要となる諸機能とは、およそ、(1)提案、(2)決定、(3)実行、(4)制御、(5)人事、(6)評価となります。掲載した図で示されますように、これらは一つのフローなシステムを構成しています。何れが欠けても組織は機能不全に陥ったり、何らかの問題を抱えることになるのですが、ここで強調すべきは、同モデルは、権力分立の必然性をも説明していることです。何故ならば、一人の人物、あるいは、一つの機関がこれらの機能に関する権限を独占した場合、同組織のメカニズムが働かなくなるからです。つまり、これらの機能に関わる諸権限は、諸機能間の相互作用が効果的に発揮できるようにバランスを考慮しつつ、それぞれ別の機関に配置する必要があるのです。

 組織上の機能が複数存在することは、今日にあって定式化されている‘三権分立’に拘る必要はないことを意味するのですが、これらの権限は、‘一機関一権限’を原則とする必要もありません。組織の目的や決定事項の内容、あるいは、組織のメンバーや利害関係者によって権限を複数の機関やポストで分有させることもできます。基本モデルとは、あくまでも組織上の諸機能の流れと各々の役割を抽象化して図として表したものであり、具体的な制度の詳細については、基本を押さえさえすれば、それぞれの組織の個別的な状況や条件に合わせて、如何様にも設計できるのです。

 この基本モデルは、政治分野における国家や国際機関等の制度設計のみならず、企業の組織形態を含めてあらゆる組織に適用できます。そして、今日における諸問題の解決に際しても、万能ではないにせよ、大いに役立つのではないかと思うのです。

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世襲権力としての世界経済フォーラム

2024年04月02日 10時53分42秒 | 統治制度論
 民主主義体制が一般化した現代という時代にあって、政治権力の世襲は極めて困難となりました。一党独裁制を堅持している中国等の共産主義国家でさえ、北朝鮮等の極少数の国家を除いては、公式には世襲制は否定されています。もっとも、普通選挙によって国民から選ばれなければならない民主主義国家にあっても、政治の世界では世襲が横行しているのが現実です。日本国内でも、親や親族から‘地盤、看板、鞄’を引き継ぐ世襲議員は多々見られます。そして、そのより御し難く極端な事例こそ、世界権力の世襲なのではないかと思うのです。

 世襲とは、相続によって組織における特定のポスト、通常は、トップの座が継承される制度です。資産の相続であれば、それは家族や親族、あるいは、縁者といった私人間における所有権の移動に過ぎません。その一方で、世襲という制度には、組織が関わるだけに、それが民間組織であれ、私的な領域に留まらない‘公的’な側面があります。この世襲の‘公的’な性質こそ、適性や能力を欠いた政治家の出現のみならず、特定の一族による公権力の私物化や権力の濫用の懸念が常に付きまとう要因であり、実際に、世襲議員が、自らの私的な利権のために利益誘導を試みる事例は枚挙に暇がありません。

 世襲議員の存在は、平等を原則とする普通選挙が実施されつつも、民主主義国家にあっても、国民の参政権、とりわけ、被選挙権が著しい制約を受けていることを意味します。そして、それは、事実上、大富豪や利権屋しか立候補することが出来ないアメリカの大統領選挙に象徴されるように、しばしば‘お金のかかる選挙’が原因として指摘されてきたのです。かくして、民主主義の阻害要因として選挙資金の問題に注目が集まるのですが、グローバル化した今日にあっては、もう一つ、盲点ともなる政治権力の世襲があるように思えます。それは、金融・経済財閥の一族による隠れた権力の世襲です。

 国家レベルでの政治権力の世襲は、民主的選挙制度をもって公的には否定されており、政治家の子弟や親族とはいえ、国民の選挙権、即ち、人事権の行使の結果に服する必要があります。上述したように、この選挙という高いハードルは、‘マネー・パワー’を持つ者であれば、容易に乗り越えることが出来るのですが、世界権力を構成する金融・経済財閥には、選挙の場で国民の評価を受けなくても済む立場にあります。株式を遺産として相続しさえすればよいのです。社内やグループ内選挙を通して選出される必要もありませんし、他の組織のメンバーから‘権威’の承認を求める必要もありません。ポストの無条件継承であり(唯一の条件は血縁関係・・・)、自動就任という極めて稀な形態となるのです。

 今日の株式制度は、経営権の全面的な掌握ではないにせよ、株主には経営への‘参加権’が伴います。この文脈においては、経済における事業組織としての株式会社の形態こそ、私人による経済支配が生じる主因とも言えましょう。そして、無条件継承であるからこそ、政治の世界で批判されてきた世襲の諸問題が、今日、世界権力という極端な形で表に現れているとも言えるのです。

 何故ならば、何と申しましても、資産の相続は他者の合意や承認を要せずして、世界権力のメンバー資格の‘無条件継承’を保障しますので、他者、即ち、非メンバーとなる他の人類を冷酷に扱うことができます。コロナ・ワクチンを利用した人口削減計画が信憑性を帯びるのも、ITやAI技術の普及によるデジタル全体主義化が懸念されるのも、所得格差が放置されるのも、一般の国民が望まない移民拡大策が推進されるのも、マスメディアが人類の低俗化を誘うのも、そして、戦争ビジネスのために戦争が画策されるのも、世界権力のメンバー達を外部から制御する仕組みが皆無に等しいからなのでしょう。しかも、他者から解任される心配もありませんので、終身の地位が約束されているのです。

 近年、大企業といえども、富裕層の道楽としか思えないような技術の開発に傾斜したり(空飛ぶ車や宇宙ビジネス・・・)、国民監視システムへの貢献が疑われるケースが増加したのも(顔認証やIoT家電・・・)、大株主としての世界権力の意向が強く働いたからなのでしょう(もっとも、株主の構成が分散している企業であるほどに、同リスクは低下する・・・)。あるいは、マネー・パワーによって、各国の政治家のみならず、‘一本釣り’のように企業のCEO等が取り込まれているのかも知れません。何れにしましても、経済の世界では、政治の世界を取り込みながら、無制御なパワーが猛威を振るっているのです。

 制度論並びに組織論からすれば、こうした暴走を許す仕組みは独裁体制の一種となりますので、人類にとりまして決して望ましいものではありません。今日、人類が直面している諸問題を解消し、世界権力の暴走を制御するためには、より個々人や各企業等の自律性や自由が活かされる組織形態や、制御可能な経済の仕組みを、未来に向けて考案する必要があるのではないかと思うのです。

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自然エネルギー財団問題-既に‘グレートリセット’は実現している?

2024年04月01日 10時14分47秒 | 国際政治
 ここ数年来、政府は、国民に多大な影響を及ぼす重大な政策の決定に際して、有識者会議を設けるという方法で、政府による独断専行との批判を回避してきました。再生エネルギー推進政策についても「再生エネルギータスクフォース」が設置され、民間団体から‘有識者’が選任されたのですが、民間メンバーから提出された資料に中国国営企業のロゴの入っていたことから、中国の対日介入が懸念されることとなりました。

 同タスクフォースの構成員に選ばれ、問題の資料を持ち込んだのは、自然エネルギー財団事務局長を務める大林ミカ氏です。もっとも、同氏の人選には、現在デジタル大臣等の役職にある河野太郎氏が深く関わっていたとされます。報道に依れば、外務大臣の職にあった際にも、外務省に設けられた「気候変動に関する有識者会合」に同財団から大林氏を含む3名のメンバーが選ばれたそうです。また、今般の騒動の責任をとる形で大林氏が同メンバーを辞任するに際しても、「・・・河野太郎規制改革担当相から「了承した」という返信を事務局経由でもらった」と述べると共に、同氏からの推薦をあった旨も明らかにしていますので、河野氏の関与はほぼ確実と言えましょう。

 かくして、中国国営企業のロゴ発覚問題は、それがたとえ単なる‘ミス’であったとしても、政治家が関わる‘令和の疑獄事件’ともなりました。当の河野氏には中国スパイ説も持ち上がり、「有識者会議」を介して日本国の政策が中国の国策に利用され、同国の政策に沿うように誘導されている実態が明らかとなったからです。それでは、今般の事件にあって、国際法の原則に反する内政干渉を行なった‘犯人’は、中国なのでしょうか。

 確かに、‘実行犯’は、中国なのでしょう。しかしながら、その背後には、全世界のエネルギー政策のコントロールを目指すグローバリスト勢力の陰も見え隠れしています。そもそも、再生エネルギーとは、2011年3月11日に発生した東日本大震災における福島原子力発電所事故を機に、菅直人民主党政権の下で強力に推進されるようになった政策です。大林氏も、反原発の活動家としても知られており、反原発・脱原発運動が、その実、再生エネ利権と結びついていることを示しています。そして、当時にあって反原発運動が全国的な激しさを増す中、ソフトバンクグループを率いる孫正義も、将来予測される国内の電力不足の解消策として、中国、ロシア、モンゴル、北朝鮮等を電線網で繋げる「アジアスーパーグリッド構想」を打ち出したのです。

 ところが、この構想の焼き直しとも言える構想が、中国が進めている「一帯一路構想」にも登場してきます。時系列を見ますと、「一帯一路構想」が最初に提唱されたのは2013年ですので、孫氏の「アジアスーパーグリッド構想」を中国が模倣したようにも見えます。しかしながら、これらの二つの構想は、日中両国においてそれぞれ別々に推進されているわけではなく、事実上、一体化してゆきます。驚くべきことに、孫氏は、中国側の国際送電網構想の事業主体となる中国国営企業、すなわち、件のロゴ使用している国家電網公司を中心として設立された非営利団体「GEIDCO」の副会長に収まっているのですから。日中間の構想が何らの軋轢もなく円滑に一本化された様子からしますと、中国が日本発の構想を真似る、あるいは、‘横取り’したのではなく、既に別の次元で同構想が計画されていたとも推測されます。仮に、後者であれば、孫氏も中国も、同構想の実現に協力しているに過ぎず、‘実行部隊’の一員と言うことになりましょう。

 そして、ここで思い出されますのが、世界経済フォーラムが掲げている未来ヴィジョンです。‘グレートリセット’とも称されているのですが、同ヴィジョンでは、将来のグローバル・ガバナンスは、‘多国籍企業、国際機関を含む政府、並びに、選ばれた市民団体(CSOs)間の3者の協力によってマネージされる’とされています。このヴィジョンに照らして今般の国際送電網構想を見ますと、まさしくこれらの3者の協力によって推進されています。多国籍企業は、国家電網公司やソフトバンク等の国境を越えて事業を展開する企業であり、国際機関や政府とは、AIIBや日中両国政府、あるいは、配下の政治家となりましょう。そして、最後の‘選ばれた市民団体’こそ、自然エネルギー財団となるのです。もちろん、同財団を選んだのは、世界経済フォーラムに代表される世界権力なのです。

 河野太郎氏は、世界経済フォーラムの年次総会であるダボス会議に頻繁に出席するのみならず、2014年には、「グローバル・ヤングリーダーズ」にも選ばれています。また、同ヤングリーダーではないものの、大林氏は、国際太陽エネルギー学会の「グローバル・リーダーシップ賞」を受賞しています。

 今般の中国国営企業のロゴ発覚事件は、それが完成したわけではないにせよ、世界権力による人類支配の仕組みを図らずも公開してしまった観があります。そしてそこには、どこにも国民の声が政治に届く民主的な要素が見られないのです。

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