松明 ~光明を指し示して~

暗闇を照らし赤々と燃える。が、自身が燃え上がっては長くはもたない。火を消すことなく新しい松明へと引き継がれねばならない。

「わかる」とはどういうことか

2018-02-18 15:30:11 | Weblog


 ノーベル物理学賞を受けた益川敏英さんがたびたび批判しているのは、採点の効率化からテストに選択式の多いこと。候補から正当を選ぶのと、一から答えを紡ぎ出すのとでは本質的に異なる。候補から正当を選ぶのは「考えない人間を一生懸命つくっている」と手厳しい。
 そのことで連想したのは、国語学者の大野晋さんが書いていたこと。この碩学は理解するという意味の「わかる」とは語源的に、ものを切り「分ける」ことではないかと考えていた。(日本語の教室)
 ここでの2人の教えは、全体から正当を選び出し、それをさらに分けて「わかる」に至ることなのか・・・国語の授業に似たりである。


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今日のテーマに自信あり (tsuguo-kodera)
2018-02-23 07:36:50
 大学の教養で哲学をとりました。実践する、見る、考えるが正しい順番だと私は学びました。
 文三に親友が数人いて、倫理学哲学の先生になった人も数人いました。やはり、今となると、出世の程度でなく、各先生の業績はこの順序で研究し、学生や巷の好き者を教えたり、難しい先生方を苦労して管理した人を、私は一番尊敬できています。
 勉強は実践すると見る、そこで先人の教えを読む、そして考えを作文する。すると世の中が見えてくる。
 特に小学校教育が大事、その前の家庭か保育園も大事。家庭や保育園にこそ、哲学の教えが役立つと信じています。
 実践させれば、将来必ず見えてくる。成功も失敗も。家のバドクラブに勝る、保育園児のシチズンシップ教育を私は見たことがありません。ただの好き者バドクラブなのに、です。
 そんなわけで管理人様のダジャレと手品の教育を、特に保育園での教育に期待していたわけです。残念です。見られなかったから、私には別世界で終わりました。理解できなかったわけです。
 今日は真面目にしてみました。お気に障ればご容赦を。

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