松明 ~光明を指し示して~

暗闇を照らし赤々と燃える。が、自身が燃え上がっては長くはもたない。火を消すことなく新しい松明へと引き継がれねばならない。

今でこそ斎藤喜博の授業から学ぶ

2017-04-16 07:19:16 | Weblog
                        斎藤喜博写真集から


斎藤喜博は、著書「教育学のすすめ」の中で次のように記している。〈すぐれた個性的な授業によってだけ、生き生きとした授業はつくられ、生き生した子どもはつくられていくのである。のっぺらとした平均的な一般的な子どもとか学級とかでなく、それぞれの可能性を豊かに引き出された、自分の顔を持った、子どもとか学級とか学級全体とかがつくられていくのである。〉

このような子どもたちや学級は、私がかつて見た斎藤喜博の流れを汲む教育でしか知らない。
 「個性的」とか「のっぺら」とか「平均的」とか「自分の顔を持った」とかは今の学校での授業づくりや学級づくりでは語られないものである。語られないと言うよりも、こんなことを思いもしないであろう。
 今の教育は、教えること、学ぶことが多くて、子どもを真に人間として変えていくことができないといってよいであろう。
 私たちはこのようなことに気づかなければならない。そしてほんとうによい授業とはどういうものか、教育とはどういうものかを考え、実践していかなければならないと強く思う。


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