松明 ~光明を指し示して~

暗闇を照らし赤々と燃える。が、自身が燃え上がっては長くはもたない。火を消すことなく新しい松明へと引き継がれねばならない。

アメリカの一教師の退職届~その1~

2015-05-28 09:53:58 | Weblog


 教育誌『事実と創造5月号』(一莖書房)アメリカの一教師の退職届(宮崎清孝著)の文中には、「ああ!なるほど」と思う内容があったので紹介する。これは現在のアメリカの教育事情についてのものである。

〈・・・たとえば「反転授業」というすごい授業方法があるらしいから早速とりいれなければとか、「チャーター・スクール」というのがはやり始めているらしいからやってみようか、というような次第です。・・・実践者にとってはある種“上から目線”、“雲の上”の話ばかりでしょう。それに対して個々の教師がどんな思いで実践に関わっているかという、いわば、“草の根”レベルのことについては、多分あまり紹介されていません。でもこれからの時代、そういう、“草の根”レベルの交流こそが大事なのではないでしょうか。
“草の根”レベルの知恵を国際的に出し合い、交流し合い、その中から“上からの目線”の虚しい教育論とは異なる実質的な教育論を創り上げていくことが、これからの子どもたちのために是非必要だと思っています。〉とある。

私は小学校教員でしたが、やはり日本もこういう状況になりつつあるように感じる。
 たしか昭和40年代の頃の小学校の教育内容は、各教科、道徳、特別活動(学級、児童会活動、学校行事)のようであった。
 しかし、現在は、各教科、道徳、外国語活動、生活科、総合的な学習の時間(福祉教育、環境教育、健康教育、情報教育、国際理解教育等を含む)特別活動(学級、児童会活動、クラブ活動、学校行事)など相当多岐にわたっている。加えて、金銭教育、食育の推進、進路指導、安全教育、ボランティア教育、キャリア教育、メディア教育などさまざまな形で学校教育への要請がある。
 一方、全国学力テストにおける学力の向上、考える教育、コミュニケーション教育など、従来における教科指導の重視も一層叫ばれている。
また、生徒指導に追われる学校、保護者のクレーム対応など以前に増しているようである。
 これらは、時代の進展においてどれも大切なことは理解できるが、学校では何から何までできるはずはない。
この多くをやろうとすると、教師の教え込み、知識の詰め込み、子どもの暗記学習につながる。これでよいのだろうかと首を傾げたくなる。
では、どうしたらよいのだろうか、なかなか解決のしようがないが、1つ考えられることは、「一を知って十を知る」このような教育が大切なように思う。教える内容を絞り、十分に子どもに考えさせる。ディスカッションさせるようなことをして、子どもの教養を高める。よき判断ができるような聡明な子どもを育てることであろう。

 次回は、このブログのタイトルでもある「アメリカの一教師の退職届」の内容を示し、日本の教育を考えていきたい。



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