松明 ~光明を指し示して~

暗闇を照らし赤々と燃える。が、自身が燃え上がっては長くはもたない。火を消すことなく新しい松明へと引き継がれねばならない。

子どもが生きる学校を求めて・・・・8知識より思考力が大事

2014-09-10 10:34:29 | Weblog
              写真集「いのちこの美しきもの」斎藤喜博著(一莖書房)より


 英文学者の外山滋比古さんは、その著「思考力」のなかで「思考」の大切さを次のように述べている。

〈「知識は力なり」イギリスの哲学者フランシス・ベーコンのことばである。彼はシェイクスピアと同年代の人だから16世紀から17世紀にかけての時期、日本では徳川家康の時代である。ベーコンは、知識こそ、ものを動かし、ものをつくる力がある、といったのである。これは革命的な価値観の大転換であった。
 ところが、それから50年もたたないうちに、フランスのデカルトが、知識より「考える」ことのほうが進んでいる、と言い出した。「われ思う、ゆえにわれあり」
 知識だけでなく、自分自身で、それでいいだろうか、と疑ったり、考えたりすることが大事なのだ、というのである。人間の本質は、ものを考えることにある。知識より一歩先の「思考」にこそ力があるということで、これが科学の世界で実を結ぶことになる。
 新しいものを考え出すという意味では、フランスはヨーロッパの中では、もっとも進んでいた。・・・・・・。
 知識を教えるのは簡単だが、思考力というものは、知識のようにうまく教えられない。だから趨勢としては、依然としてベーコンの「知識は力なり」という考えがいつまでもつづいている。
 それに対して、新しい思考で新しいものをつくりだそうとする力は、まだ例外的な一部の人だけ、世界的な業績を目指すような人たちがもっているにすぎない。
 本来、人間は生まれつき、そうとうに高度な思考力をもっている。この思考力をいかに伸ばすかということが、これからの日本にとっては重要な課題になる。その意味でもいまの学校教育のあり方は、根本的に考えなおさなければならない。〉
  

 ここでは外山滋比古さんは、知識より思考力が大事であり、その思考力を学校教育においていっそう伸ばさなければならないと説いている。言い換えれば今の学校教育は知識偏重の教育になっているということであろう。
 現在学校では、全国学力テスト成績公表という流れの中で、教育の考え方、教材の捉え方、授業の方法などが変わってきてるように思われてならない。どれだけ漢字を覚えたか、どれだけ計算が早くできたかなど、知識中心の授業であり、それも教師の教え込みの授業になっていないか懸念される。  



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