「不断不常の中道」
断見・常見から離れて縁起のままに生きる修行道のこと。
断見とは、人の一生はこの世限りであるとして、死後の世界を否定する考えであり、
常見とは、世界が永遠に不滅であり、人間が死んでも我という固定な実体が永続する
という考え方である。
それに対して、仏教では双方の固定化した考え方を否定して、
縁起によって自らも世界も現象しているものとしてみている。
↑ ウィキダルマ 「中道」より
「人間は、死ねば無になる。人生は一度きり。死んだら何もかもオシマイだ」。
このような考え方を、「断見」(だんけん)と言います。
一方、「人間は、死んでも天国で再生する。何度も生まれ変わって、永遠に存続する」。
このような考え方を、「常見」(じょうけん)と言います。
この「断見・常見」の2つを、「両極端である」として排除する。
両極端から離れて、中道をゆく。
これを「不常不断の中道」と言います。
論争の舞台では、しばしば 「YESかNOか、二者択一で答えてください」という迫り方が見られる。
これに対して、「YESでもないし、NOでもない。 YESでないわけでもないし、NOでないわけでもない」というのが、仏教者の模範回答(笑)。
「YESかNOか。 答は2つに1つしかないはずだ」というような、物質界で刷り込まれた二元論的な思考から離れる。
両方とも、固定観念に過ぎない。 2つの極から離れ、中道をゆく。
そうすれば、他人との論争のタネは絶たれる。
それだけではない。
自分の葛藤のタネも絶たれる。
ようやく、精神の静寂が訪れる・・・。
ありがたや。
合掌・・・・・
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