宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

効率の悪い生き方

2017年11月06日 | ある宇宙人の人生

(前回からつづく)

前回は、筆者がいかに「なんでも知っている」かについて書いた。人文系・理科系・社会系を問わず、なんでも消化吸収して生きてきた。この世的に見れば、これはバカげた、非効率的な生き方だ。それを思うと、なんとも虚しいものがある。

というのも、自分の周囲には、ひとつの分野を極めたエキスパートが多い。まず、理系の技術者が多い。特に、建築士や土木技術者と波長が合うことが多い。それから、税理士・会計士とか、会計関係の専門家が多い。そんな人たちも、筆者と話をすると誰もが、理解の速さと記憶の確かさにビックリして感心する。「こんな難しい話をしているのに、あっという間に分かってしまったな。独特のセンスがある」と言われる。でもって、その話をもとに書きあげたレポートを見ると、「いやあ、ボクたちには、とてもこんな具合にスラスラ書けない。なんとも便利な人がいたものだ」と言われる。

それでいて、こちらには、これといって専門分野というものが特にない。というのも、勉強だけでなく、仕事も、実にいろんなことをやってきた。不動産屋も、保険屋もやったことがある。「看板を持って一日中、立ってるだけ」というバイトもやってたことがある。

つまり筆者は、科学や哲学、経済や歴史、音楽や美術その他に詳しいだけではない。それだけでなく、じつに広い世間を知っているのである。

職場の同僚たちが高学歴のエリートサラリーマンばかりだった時期もあれば、「俺は少年院を出てからはマジメに働いてきたんだぜ」というような人たちばかりだった時期もある。両方とも、同じように一緒に働いて、一緒に酒を飲んで話し込んできた。

廃棄物処理工場のバイトの現場で一日だけ一緒に仕事をして、そんなに話をした覚えもない相手から、帰り際にポンと肩をたたかれ、「いやあ、君はなんとも、いいキャラだな。また会おう」と言われたこともある。なんでそう言われたのか、皆目見当もつかなかった。残念ながら、廃棄物処理工場のバイトはあまりにもキツくて、一日で嫌になったから二度と行かなかったのだが(笑)。

十年以上前のこととはいえ、今でもハッキリ覚えている。薄暗い工場に、でっかいトラックが入ってきた。荷台が斜めに上がって、ザーッと滝のように「燃えないゴミ」が流れ落ちてきた。「さあ、金目のモノが混ざっていたら、せっせと拾い集めろ」というわけで、みんなで必死になって拾ったものだ。「世の中には、こういう仕事もあるんだな」と大いに感心した。それはいいんだけど、その後がよくなかった。蛍光灯を棒で叩き割って粉々にする作業に関しては、先端恐怖症の筆者には無理だった。

また例によって話がズレてきたので元に戻すと、この高度に分業化された現代の産業社会において、ひとつの専門分野を極めたほうが人生を生きやすく、効率が良いのは言うまでもない。それこそが、社会に適応した生き方だ。

要するに、この人生は、客観的に見れば、かなり効率の悪い人生。いっぺん生まれ変わって、最初からやり直した方がいいくらいだ。しかし、最初からやり直したところで、また同じような生き方をしてしまう可能性も高いので、意味があるかどうかは何とも言えないのだが。

そもそも、筆者の最大の関心は、「これからの地球の変容」にある。率直にいって、自分自身の人生のことより、「地球の変容」に対する興味関心のほうが強い。

だって、「大は小を兼ねる」と言うではないか。地球の環境が変われば、自分の人生も変わるに決まっている。だから、「地球の変容」こそが本当に重要な問題だ。それに比べて、自分の人生は小さい。

でも、逆に、「自分の人生が変われば、地球の環境も変わる」という考え方だってある。長いこと精神世界に慣れ親しんできたおかげで、このような考え方にも一理あると感じている。

「過去と他人は変えられない。変えられるのは未来と自分」という人生訓は、月並みだが真実を突いている。

そう考えて、やっぱり、これからも前向きに生きていくことにした。これからは、いよいよ、長年かけて蓄積してきた総合力を発揮するときだ(笑)。

(とりあえず、終わり)

 


地球での情報収集

2017年11月05日 | ある宇宙人の人生

 

ここでは、「地球の物質世界は、よくできた仮想現実である。いかにも本物の存在であると錯覚させるような、巧妙な仕掛けに満ちている」という話をいつもしている。

これは、「私は、そういう信念を持って生きています」という話ではない。科学と哲学にさんざん取り組み、ものすごく色々と考えた結果、このような最終結論に到達したのである。ていうか、そうならざるを得ない。地球の物質世界がよくできた仮想現実であるということは、すでに分かり切っている。あとは、それに対する解釈の問題。

前にも書いたように、筆者は文系とはいえ、かつては学習塾で理科と数学を教えてた上に、仕事の都合で科学技術に関するレポートを書いたり話をしたりすることが多いので、科学のことも理系なみに知っている。もちろん、特定の分野についてはその道の専門家のお知恵を拝借しなければとても語れないけど、いろんな理系分野を幅広くカバーしているという点にかけて、筆者に及ぶ人は、世間には滅多にいない。

しかも、もとはといえば文系人間なので、哲学にも通暁している。西洋哲学や仏教哲学はもちろん、朱子や王陽明の中国思想、アラブやペルシャのイスラム思想のことまで、かなりの細部まで知っている。とにかく、ネット上でもリアルでも、あまりの博識さにいつもビックリされる、一種のビックリ人間。それが筆者の特徴なのだ。

 それというのも、またまた話が飛ぶけど、筆者は「情報端末」なのである。ここには主に、地球の情報を収集しにきているのだ。そのために生きているといっても言いすぎではない。だから、他人からは「なんでそこまで」と思われるほど、根源的な情熱に動かされている。

というのも、人間の意識というのは、自分1人の分だけでできているわけではない。自分の意識というのは、本当はもっと大きいのである。この自分は、その一部が切り離されて、情報端末として地球に飛んできているにすぎない。「これから、地球が大きな変容を迎える。その様子をリアルタイムでウォッチしてこよう」というわけだ。端末が収集した情報は、本体意識ともリアルタイムで共有される。そういうシステムになっている。

もっとも、情報収集といっても、残念ながら筆者には行動力がない。だから、あまり動かず、定点観測に徹している(笑)。

でも、大丈夫だ。そのために、インターネットが急速に発達してきている。あまり動かなくても、世界中のことが手に取るように分かるのは、そのためだ。先日も、サイゼリヤでスパゲッティを食べていたら、隣の席のイギリス人に話しかけられた。話をしてみたら、中世ヨーロッパの歴史のマニアだった。そこで筆者は、第四回十字軍がコンスタンティノープルを占領したときの話や、リチャード獅子心王が大陸各地を転戦したときの話をした。あたかも、自分自身の思い出話でもあるかのように語った。これは、歴史マニアにはアリガチな傾向。「応仁の乱のときは大変だった。細川勝元が攻め込んできたときは、生きた心地もしなかった」って、お前はそのときから生きてたのかよとツッコミが入るくらいでないと、本当の歴史マニアとは言えない。

それを聞いたイギリス人は、とにかくビックリしていた。「世の中は広い。地球の裏側に来てこんな人間と出会うとは」としきりに感心していた。

 それはともかく、情報端末として飛んできたのはいいが、地球の物質環境は、予想していたよりも遥かに厳しい。厳しいというか、難しい環境だ。ここは、そう簡単になじめるところではない。こればっかりは、まあ仕方ない。

(時間がなくなったので、次回に続く)

 


地球環境に適応するための努力

2017年10月31日 | ある宇宙人の人生

光が強いほど、闇もまた濃くなる。誰かがそう言っていた。

実際のところ、新興宗教団体とかスピ系団体には、世間の一般人より遥かに健全で善良な人もいるのだが、作用半作用の法則というべきか、逆に普通じゃ考えられないほどネガティブな人間もしばしば見られる。異常な連中があまりにも異常だし、悪い奴らがあまりにも悪いので、ときとして、この業界が嫌になるのは仕方ない。周囲の人たちにいまひとつオススメできないのは、そこに理由がある。

でも、物事の暗い面にばかり目を向けていても仕方がない。そこから這い上がり、光の当たる明るい面に目を向けていくことが重要だ。

それはともかく、最近の筆者は、科学や哲学にますますハマっている。仕事で科学技術とかかわりあうことが多くなり、かつては別世界だった理系分野へと深く入り込んでいるせいだ。

ここで、自分の意外な面を発見している。というのも、高校生のときなどは、数学がいつも零点に近いので、しょっちゅう数学教師から職員室に呼び出されていた。あの頃はなぜか、本当に数学ができなかった。それなのに、今はむしろ、数学や物理に強いということが、ほぼ唯一の取り柄と化してきている(笑)。「数学が苦手だった」と最近の知り合いに言っても、なかなか信じてもらえない。

数学に限らず、そういうことが多い。昔は、何をやっても、本当にできなかった。

「地球での転生経験が無いか、あったとしても少ない」という、宇宙人の転生者について、しばしば書いてきたけど、これは必ずしも、スピリチュアルな信仰というわけではない。それより、自分自身の生活実感そのものなのだ。自分と他の人々とを観察してきた結果、明らかに、自分には地球環境で生活した経験が乏しい。どう見ても、スタートラインが同じではなかった。

このため、「過去の輪廻転生までも含めれば、膨大な経験値の個人差がある」と、かねてから主張してきている。「人は皆、何も書き込まれていない白紙の状態で生まれてくる」という、イギリス経験論の主張とは真っ向から反対の意見だ。

不器用さを克服しようと思って工場に入り、組立工の仕事を何か月もやって、結局は断念したこともある。だが、あれも、もっと長く何年も続けていたら、いつかは人並みにできるようになったことだろう。何事も、慣れがカンジンなのだ。

配送ドライバーもやったことがある。車の運転がヘタで、免許を取るのも9ヶ月かかったが、運転のプロに変身した。方向感覚がゼロで道順を覚えられないので、地図は書き込みだらけになった。クルマをあちこちぶつけてボコボコになったため、「弁償しろ」と怒られたこともあったが、そこは持ち前の弁舌で乗り切った。

異性との性行為も不得手だったため、風俗店に通って練習したこともある。これについては、過去に本ブログで書いたところ、マジメな読者からコメント欄でお叱りを受けた。でも、本当にそうなのだ。

筆者は、いつもテキトーに書いているように見えるかもしれないが、その背後では、このように常識では考えられないほどの努力をしてきているのである。何のための努力なのかといえば、「この世に慣れるための努力」だ。地球環境に適応するための絶大な努力である。

 だからといって、この地球環境に慣れたところで何が得られるのかと言ったら、別に何も得られない。ひとたび寿命が尽きて地球を去ってしまえば、それまでの話。そこには、なにも意味はない。

でも逆に、意味がないから面白いのである。この地球の物質世界という環境は、よくできた仮想現実の世界だ。どこから見ても、ホンモノの実在としか思えないような錯覚を起こさせる仕掛けになっている。だが、しょせん仮想現実だから、アチコチに矛盾やほころびがある。それを注意深く観察して、じっくりと考えれば、「ボクはいま、仮想現実の世界にいるんだな」という結論にならざるを得ない。

さあ、今日もこの仮想現実の世界を楽しむこととしよう。「なんで、いつも楽しそうなのですか?」と、よく質問される。それは、この仮想現実の世界が面白いからだ。ここは、ゲームの中の創られた世界。なんで、こんな世界があるのか。いったい誰が、こんな巨大で精巧な仕掛けを創ったのだろうか。

世界がある。それが最大の不思議なのだ・・・。

 


ワンダラーは、意識では進化している

2013年06月08日 | ある宇宙人の人生

筆者は、「自分には、地球での過去世がない。地球での人生は、これが初めてか、あったとしても人生経験がとても少ない。どこか他の世界から紛れこんだ者なのだ」という話をすることが、よくある。

そうすると、「ドコの星の出身なんだよ?」とか、「過去世回帰のカウンセリングを受けて証明しろ」とか、食ってかかってくる人が、ときどきいる。

普通は、この「宇宙からの転生者」の話をすると、笑われるか、「妙に納得してしまう」と言われるかの、どっちかなんだが(笑)。怒りだす人もいるというのが、ネットの世界ならでは。


地球生命系においては、人は物質界で輪廻転生している。過去にどれだけ地球での生を経験してきたかは、人によって大きく異なる。この人生における時間は、一日24時間、一年365日で平等なんだけど、それ以前の人生経験を含めれば、その経験値には計り知れないほどの個人差がある。

地球で長く輪廻転生してきた土着の魂は、この、なんともキツい地球の物質世界にも、慣れてるから平気。そういう人にとって当たり前なことでも、この地球で転生した経験が浅い人にとっては、途方もなく難しかったりすることがよくある。

「地球に生まれてきたけれど、ここは、いくらなんでもキツすぎる。さっさと元の世界に帰りたい」というような、宇宙からの転生者が、ここで言う「ワンダラー」。

「私は、OO星のXXです。地球のアナタがたを救うため、メッセージを伝えに来ました」というような人は、「チャネラー」、もしくは「ウォークイン」と呼ばれ、別のタイプになる。ウォークインは、明確な目的のもと、地球人の身体に乗り移ってきた宇宙人の魂で、当然、自分がどこの誰だか知っている。上記のような、「宇宙人」と聞いて怒りだす人は、これをイメージしてるんだと思われる。

これに対して、「どこから来たかは知らないが、自分がどこか他の世界の者であることは分かる」というのが、ワンダラー。こちらは、宇宙の放浪者だ。ウォークインのような、明確な目的意識を持ったETソウルではない。早い話が、「地球にナジメない人」のこと。

「宇宙人」や「ワンダラー」と聞いてイメージするものは、人によって異なる。葦原瑞穂氏の「黎明」に出てくる、「地球の短期滞在者」という表現が、一番そのものズバリなんだけど、ちょっと長いんだよなあ(笑)。


地球の短期滞在者は、物質や肉体に関しては、不器用だし、得意ではない、

その代わり、直感や感性、観念的な面や、芸術的な面などが、大幅に発達している。その表れ方は、人によってさまざま。

筆者の場合は、それが、「精神世界を縦横無尽に探求する」ことに表れている。昔から、哲学・宗教や芸術ジャンルに関しては、一を聞いて十を知る。眼光、紙背に徹す・・・という調子なのだ。

それが実生活で役立ったのは、十代の後半の頃だろう。たとえば、高校の国語の試験では、「論語」や「老子」などが出てくる。こういうものを見て、思想の中身がすぐにピンと来るのが、なんたって特技。

歴史も同じで、精神集中すると、目の前に、地球人類の歴史の、さまざまな場面の情景が浮かんでくる。あとは、春夏秋冬の変化を思わせる、栄枯盛衰の流れをつかむことだけ。まさしく、易経ワールドだ。

それでも、高校一年のときは、あまりにも学校の成績が悪いので、親子面談でショックのあまり親が泣き出してしまったほどだった。でも、あるとき突如として成績が上がった。

あまりにも造作なく、しかも半端なく上がったため、元から秀才だった同級生が、ショックを受けて怒り出したほどだった。でも、こちらは直感だけで勝負してるんで、そういう正統派の秀才とは、もともとタイプが違ってた。特に、「このワケわかめな文章を読んで、これを書いた人が何を言いたかったのか、代わりに説明せよ」というようなのが滅法得意だった。やがて、「文系科目では全国でも屈指のレベル」と言われるまでになった。

筆者の場合、観念的な方面では、それくらい意識が発達していた。それだけの特技を、仕事や人生に役立てようと思えば、そういう道もあったと思うんだが、なぜか、経済学部に進んでビジネスマンを目指すことにした。「地球で価値ある人生経験を積むためには、社会の最前線で活躍しなければならないのだ」と、ナチュラルに思い込んでいたのだ。

そのせいで、どれだけ悪戦苦闘してきたかは、計り知れないものがある。失業・バイト・再就職を繰り返し、そのおかげで、今じゃ、こんなにいろんな業界を知ってる人間は滅多にいないんじゃないかと思うほどだ。それでも、そういう現実的な方面においては、いつまでたってもイマひとつ。地球で、最低でもあと十回は生まれ変わって経験を積まない限り、一度や二度の人生じゃ無理だろう(笑)。

その代わり、「独特の雰囲気の良さ」をホメられることが多かった。「何も考えてなさそうなところがいい」とよくホメられた。「いても、たいして役に立たないが、いなくなると、なんだか雰囲気が悪くなる」とも、よく言われてた。それが「波動の良さ」というものだろう(笑)。

動物は無邪気でかわいいけど、地球は厳しい弱肉強食ワールドだ。この環境に長く慣れ親しんできた土着の魂と違って、宇宙からの転生者は、純粋な優しさの世界の住人。そういう優しさが、オーラのように全身を包んでいる。そこが「独特の雰囲気」と言われることにつながる。

だから、人から好かれることによって、なんとか、やっていける。「地球の短期滞在者」が、この人生を乗り切るには、そこがポイントだろう。老子によれば、赤ちゃんは、虫に刺されることも、凶暴な鳥や獣に襲われることもない。だから、赤ちゃんをお手本にするのが、このエゴの世界を生き延びるコツなのだ・・・。

地球で生活するのがヘタ  2

2011年12月22日 | ある宇宙人の人生
 
大学卒業後は、大手金融機関に入った。よせばいいのに、妙なチャレンジ精神を発揮して、大きな苦労を背負いこむパターンはいつも一緒。
 
周囲の人は反対していたが、なぜか、「世の中の最前線で働かなければ」という気持ちが強く、何も考えていなかった。結局のところ、それは「地球をもっと知りたい」という衝動。たまたま遠くに旅行した人が、「あれもこれも全部、この機会に見ておこう」と欲張る心理と一緒だ(笑)。
 
今はどうか知らないが、当時は不良債権問題が火を噴いた時代。バリバリに地球的な人がやっても、ストレスで病気になる仕事だった。
 
周囲の金融マンたちは、朝早くから夜遅くまで会社で仕事をして、しかも家に帰ってからも仕事をしていた。一体、いつ寝ているのかという感じだ。勤務時間はトンデモなく長いのだが、それでいて、常に大急ぎでセカセカと、事務所を出たり入ったり、書類の山をひっくり返したりしている。そういう日々が、切れ目なく延々と続いていた。あんな人たちと同じだけの仕事をしていたのでは、時間がなくて、とても精神世界を探求しているヒマはない。筆者はしばしば寝坊して遅刻し、その上、帰るのも早かった。
 
現代人には、日常生活があまりに大変で、余裕のない人生を送っている人が多い。「精神世界どころではない」というのは、よく分かる。人類の意識進化のためには、この辺りが変わる必要もあるだろう。

筆者は、例によって、何をやってもヘタだった。失敗続きで、足し算・引き算がいつも間違っていた。これは何についても言えることなのだが、ヘタというより、好調なときと不調なときの波が激しかった。目の前の物質世界に意識をフォーカスできているときは「優秀だ」と言われるのだが、どうしても意識がどこかに飛んでいってしまうことが多く、それが長続きしない。

「とても勤まりそうにないので、ヤメます」という話をしたところ、「もうちょっとガンバってみようよ」と周囲から引き留められた。本当になじめない世界で大変だったけど、じっとガマンしているうちに、少しずつ慣れてきた。

何年かたち、周囲から、「以前はとても勤まりそうになかったけど、彼もだんだん使える奴になってきたな」と評価されるようになった頃、残念ながら無理なガマンの限界が来て、本当に退職してしまった。「何を考えてるのかサッパリ分からないけど、なぜか癒される人」という定評があっただけに、惜しい人を失ったと残念がる人が多かった。
 
トランスパーソナル心理学の巨匠ケン・ウィルバーは、ひと頃、あえて学究の道を捨て、いろんな職業について修業したらしい。ガソリンスタンドの店員、レストランの皿洗いを、特に長くやったようだ。

ウィルバーに倣ったわけではないが、筆者もサラリーマンの道を捨ててフリーターになった。

とりあえず、家電量販店の配送センターでバイトすることにした。倉庫に入ると、大きなトラックから、社員が電機製品の入った箱をテキパキと手際よく降ろし、積み重ねていた。マネして箱を積み重ねようとしてみると、なんと、重くて動かせない。社員は、軽々と持ち上げて積んでいる。「同じ人間なのに、これほど力が違うのか」と、ガク然とした。
 
「とても勤まりそうにないので、ヤメます」という話をしたところ、「もうちょっとガンバってみようよ」と周囲から引き留められた。何日か続けたところ、「箱の持ち上げ方にはコツがあるのだ」ということが分かってきた。毎日ものすごい筋肉痛で大変だったが、何週間かたった頃には、電機製品の箱を、なんとか持ち上げて積み重ねられるようになった。   
 
他にも、いろんな仕事をやってみた。最後は、野菜市場の仕事をした。夜中に市場に出勤して、電動車で走り回り、野菜や果物を仕入れて回る仕事だ。冬の朝は、真っ暗で凍りつくような寒さだったが、市場の中だけは昼間のように活気があって、電動車がひっきりなしに行き交い、トラックが出たり入ったりしていた。野菜が品薄なときは、先手必勝だから急がなければならない。やがて、配送ドライバーを兼務するようになった。夜が空けると車に積み、野菜をアチコチに配送して回った。
 
でも、睡眠不足には悩まされた。車で走っていても、信号待ちのたびに眠り込んでしまうので、後ろの車がビービーうるさくて仕方なかった。市場の中でも、居眠りして電動車でキャベツ箱の山に突っ込んでしまった。

「とても勤まりそうにないので、ヤメます」という話をしたところ、またしても、「もうちょっとガンバってみようよ」と周囲から引き留められた。

実際のところ、これは、どの職場でもよくあることだった。イマイチ役に立たないにもかかわらず、いざヤメようとすると、残念がる人が多かった。

なぜかと言えば、端的に言って、筆者がいなくなると、波動が悪くなるのである(笑)。ワンダラーたるもの、役に立つ必要はない。この荒んだ地球環境において、「波動調整装置」としての機能を果たしていればよいのだ。

いろんな世界をのぞいてみたけど、みんな大変だった。現代人の多くは、日常生活が大変で、ちっとも余裕がないことに変わりはなかった。皆が意識進化するためには、この辺りを変えていく必要があるだろう。
 
結局、スーツ姿のサラリーマンに戻ることになった。ワンクッション置いた後、コンサルティング会社に入社した。「コンサル星人」は、こうして誕生した・・・。

(続く)
 

地球で生活するのがヘタ

2011年12月22日 | ある宇宙人の人生
 
子どもの頃から、筆者は、地球で生活するのが明らかにヘタだった。

朝起きてから夜寝るまで、日常生活の隅々にいたるまで、何をやっても驚くほどヘタで、生活能力ゼロ。掃除とか、モノを持ち運んだりとか、食事とか、服を着たりとか・・・。何をやっても極端に不器用で、いつまでたっても普通にデキるようにならないので、「大丈夫か?」と言われた。でも、本人は至って平気。

スポーツが苦手だったのは、言うまでもない。走れない、泳げない。歩き方も変。小学校の体力テストや運動テストは、ほとんどすべて最下位。ボールを投げても前に飛ばず、飛んできたボールはひとつも捕球できないので、キャッチボールすらできなかった。サッカーボールを蹴っても、ほとんど前に飛ばず、少しコロコロ転がるだけ。

普通、そういう子どもはスポーツにコンプレックスを持ち、体育の授業が大嫌いになったりするものなのだが、筆者は別にそんなことなかった。試合の役には立たないのだが、走ったり、壁に向かってボールを投げたり蹴ったりの単純な練習を、ひたすら続けていた。鉄棒で回る練習も、何時間も続けた。
 
他人との比較など、いっさい気にしていなかった。というより、スポーツに限らず他のことも、たいてい同じくらいヘタだったから、それだけを特別に気にする理由がなかったのだ(笑)。生まれたばかりの赤ちゃんは、ほとんど動けなくて寝てばかりだけど、手足をバタバタ動かしたり、ゴロンと転がったりしてニッコリ喜ぶ。それと似たようなもので、まずは地球人の身体の使い方に慣れるのが目標だ。
  
おかげで、小学校高学年の頃には、「努力賞」の銅メダルをもらった。学校で一番スポーツの得意な子供が金メダルをもらい、二番目に得意な子供が銀メダルをもらい、筆者は、「ヘタだけど、妙にヤル気があるから」という理由で、銅メダルをもらった。 

算数とか数学も、なぜかデキなかった。といっても、理解できなくて困っていたわけではない。むしろ逆で、授業などで新しい概念が出てくると、理解するのは誰よりも早かった。でも、計算するとか、図を書くといった技術的な段階になると、驚くほどデキなかった。何度やっても、なぜか極めてヘタ。理解の早さとのギャップに、みんなビックリだ。でも、どうすることもできなかった。
 
アートは大好きで、1人で美術館に行って古今東西の傑作をしきりにチェックしていた。美術館のオジサンからも、「子供なのに偉いねえ。将来は、画家にでもなるのかい?」と感心された。だが実は、図画工作が極端な苦手科目で、体育よりもさらに苦手だった。絵とか、彫刻とか、木工細工とか・・・。すべてが余りにもヘタで、どうにもならなかった。

一事が万事、そんな調子。どの分野でも、やたらと関心を示し、理解するのは非常に早いのだが、実際にやってみると妙にヘタだった。
 
ただし唯一、圧倒的に得意なものがあった。国語と作文だ。これに関しては、「他のことでは幼児並みのレベルなのに、作文だけを見れば、大人が書いたみたい」と、誰からも感心されていた。それというのも、幼少の頃から精神世界マニアで、ワケのわからない思想書を読み慣れていたおかげ。書く文章も、読んでるものに自然と影響を受ける。こればっかりは、大きなアドバンテージと言えた(・・・ただし、字を書くのはヘタだった)。
  
でも、学校の成績は悪かった。国語と作文という特技のおかげで、なんとか進学できてはいたものの、学校の勉強は苦手だった。高校一年生のときは、学校の教師が「このままでは、お子さんはドコの大学にも入れません」と言うので、ショックで母親が泣き出してしまった。そこで、「あれ?・・・ボクってそんなに成績ワルいんだったっけ?」と思って成績表を見たところ、確かに悪かった(笑)。「現代国語」という科目にだけは及第点がついていたが、後はすべて落第点。下から、片手で数えられる順位の科目が多かった。
 
さすがにアセって、「このままじゃ、いかんな。ヨシ、なんとかするぞ!」と奮起した。意識が変われば、現実も変わるはず。友人に向かって、「オレは今日から変わる。今日からは、思いっきり奮起したのだ」と宣言した。しかし、友人たちの反応は、「また、奮起したのかよ。オマエは何回、奮起すれば気が済むんだ?」という冷ややかなものだった。確かにその通りで、そのときも奮起しただけで、結局、何もしなかった。
 
というのも当時の筆者は、アタマの中の観念世界が人一倍に発達していたため、常にいろんな考えに夢中だったのだ。イマジネーションの広がりが、地球の物質世界を遥かに超越していた(笑)。周囲の風景など、ほとんど見ておらず、毎日の通学路でさえ、ちっとも景色を覚えていない。学校の授業も、音声として耳に入ってはいたものの、大半が素通りしていた。
  
意識というのは、カメラと同じで、ピントを合わせなければ機能しない。地球の物質世界でうまく生きていくためには、目の前の現実にどれだけ意識をフォーカスできるかが重要だ。人によっては、それが長く続けられない。ウルトラマンのカラータイマー(・・・ちょっと古いか)と同じで、地球で活動できる時間が限られているのである。
  
そんな状態がさらに二年近くも続いた、ある日。高校三年生の夏頃のことだ。いつものように授業を聞きながら、とりとめのない考えやイメージを際限なく展開させていたところ、「成績が学校で一番になって、皆がビックリしている」というイメージが強く浮かんだ。一度ではなく、何度も繰り返し浮かんできた。そうしたら、2か月ほど後、本当に学校で一番になって、皆がビックリしてしまった。
  
友人からは、「なんで、急にアタマ良くなっちゃったんだよ~。オレは、バカな頃のオマエが好きだった・・・(泣)」と言われた。もちろん、急にアタマが良くなったわけではない。意識をフォーカスすることに、ようやく成功したのである。つまり、それまでの成績は、カメラで言えばピンボケ写真。ようやく、意識というカメラのピントを合わせ、鮮明な写真を撮ることができたのだ。
  
(続く)
 

ワンダラーの人生は大変

2011年12月18日 | ある宇宙人の人生
   
地球環境で生きていくというのは、誰にとっても大変なことだ。もちろん、ワンダラーにとっては、特に大変だ。
  
ワンダラーというのは、地球に転生してきた宇宙人のこと。といっても、地球に生まれてきたのは、今回が初めてとは限らない。すでに地球で何回も転生している場合もある。

「地球人の魂は、大なり小なり、宇宙に起源を持っているのだ」と唱える人もいる。それはそれで、一理ある話であり、否定できるものではない。でも、筆者にはそう思えない。

なぜ、そういうのかと言えば、自分自身と、他人とを観察してきた結果だ。多くの人々は明らかに、生まれつき、地球で生きることに「慣れている」。もちろん、全員がそうなのではない。今まで観察してきた人々の中には、自分と同程度か、それ以上に、地球で生きることに「慣れていない」人もいた。
 
ワンダラーの多くは、地球生活になじもうと大変な努力をしてきた。でも、全員がそうではない。中には、地球に適応しようという気もない人だっている。
  
地球的な意識というのは、なろうと思ってなれるものではない。おそらく地球人類の大半は、地球の数十億年の歴史の中で、地球の生命と一緒に進化してきた、土着の意識なのだろうと筆者は推測している。つまり、鳥や獣として何千万年もの転生を重ねることによって、徐々に意識を発達させてきた結果、いまや人間の意識にまで至ったのだろうと考えている。
 
それは、多くの人間や動物を、せっせと観察してきた上での結論。というのも、動物たちは、いつも生きるのに必死だ。他の動物を捕まえて、鋭い爪や牙で引き裂き、ガツガツと食べる。無邪気で素朴だけど、野蛮で残酷だ。地球人類がさんざん引き起こしてきた、野蛮で残酷な殺し合いを見れば、やってることは変わらない。これを、あるがままに観察すれば、地球人類の意識はやはり、鳥や獣の意識から自然な形で発達してきたのであって、まだ意識進化の途上なのだということがよく分かる。
 
地球環境で生きるのは、本当に難しい。何もかも、「これは、違う」という感じだ。自分でそう思うだけでなく、子供の頃から、周囲の人々からも「ホントに宇宙人みたい」とよく言われてきた。家族にとっても、ナゾの人間だった。「今まで随分いろんな人間を見てきたが、その中に似たようなタイプが見つからない」というようなことを言われたことも多い。
 
なぜ、そう言われるのかと言えば、あまりにも地球で生活するのがヘタだからだ。
 
地球生活には不適応なのだが、別に人間関係が悪いわけではなく、むしろ「愛されるキャラクター」という定評があった。文章や弁舌の巧みさには定評があって、いわゆる「世渡りがヘタな人」というタイプとは異なる。ディープな精神世界マニアなのだが、その一方では、現実に対する観察眼に定評があり、むしろ世間の一般人がドン引きするほどドライな現実的発言も多い。
  
要するに、何が問題なのか、誰にも分からない。でも、誰が見ても、地球で生活するのは明らかにヘタだった(笑)。 
 
まあ、自分で振り返ってみても、「よく、ここまで無事に生きてこられたな」というのが率直な実感と言える。本当に、生きるのは大変なのだが、なんとかなっている。
 
学生時代の親しい友人たちが何人も、後に精神科の患者となり、筆者はお見舞いにいくのが大変だった。彼らにとって、地球で生きるのは大変すぎたようだ。いつまでたっても元気なのは、自分だけ。むしろ、「見るからに精神的に健康そうで、うらやましい」と人から言われることが多い。

その理由を、自分なりに、いろいろと考えてみたものだ。「精神世界マニアであることによって、心の支えがあるのかな?」と思ったというのも事実。というのも、彼らは、そうではなかったからだ。

以前、精神障害をわずらった友人の一人を訪問したところ、彼は安定剤を服用して安静にしていた。病気になったのは残念だが、こんな地球環境では仕方がない。あまりにも異常きわまりないストレス社会だ。一日も早く、こんな地球が変わるしかないだろう。

それはいいのだが、話が盛り上がったついでに、「宇宙からの転生者」の話をしたところ、友人はプッと吹き出した。「相変わらず、妙なことを考えているな」と笑われてしまった。

ここがまた不思議なところだ。精神世界に関心がない人は、筆者にとってナゾの存在。なぜ、興味が起きないのかが分からない。まあ、精神世界に興味があっても、「宇宙からの転生者」の存在を認めるとは限らないのだが・・・(笑)。

(続く)