宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

シュメール神話の大洪水

2010年02月14日 | シュメール神話 アヌンナキ
  
シュメール神話を一躍有名にしたのは、ゼカリア・シッチンの「宇宙人アヌンナキ」説だけではない。
 
それ以前にも、一大センセーションを巻き起こしている。それは、「ギルガメシュ叙事詩」が発掘されたときだ。ギルガメシュというのは、シュメール神話で大活躍する、世界最初の英雄のこと (後に日本では、Hな深夜番組のタイトルとして有名になったが・・・)。この叙事詩の中に、かの有名な「賢人ウトナピシュティム」のエピソードが登場する。

「人は、いつか死ぬ。当分の間、自分の番ではないとは言うものの・・・」と考え込んでしまった、無敵の英雄・ギルガメシュ。悩んだあげく、「不死の人」という評判の賢人ウトナピシュティムを訪ね、教えを乞うことにした。遠路はるばる訪れた英雄に、賢人は「大洪水」の思い出を語る。


>神々が大洪水を起こすことを企むが、エア神(註:人類創造者のエンキ神と同一の存在)は、大洪水がやってくる機密を葦屋に向かって、壁に向かって漏洩した。ことの次第を悟ったウトナピシュティムは、船をつくって家族・親族や動物などを乗り込ませた。

>嵐がやってきて、大洪水が起こり、あまりの凄まじさに神々さえも恐れおののいた。七日目にようやく大洪水が引いた。船はニムシュの山に漂着する。最初はハト、次にはツバメを放つが戻ってきた。最後にカラスを放つが、戻ってこなかった。

>ウトナピシュティムは神々に犠牲をささげた。犠牲の匂いによって、エンリル神は大洪水を逃れた人間がいたことを知って立腹するも、エア神のとりなしが功を奏した。エンリル神は、ウトナピシュティムとその妻を神々の如くし、はるか遠くの河口に住むよう命じた。
  

何から何まで、旧約聖書でおなじみの「ノアの箱船」のストーリーとほぼ同じ。粘土板に刻み込まれたシュメール神話は、旧約聖書よりも、はるかに古い。こちらがオリジナル・ストーリーなのは明らかで、欧米人の聖書観に大きな変更を迫ることになった。

旧約聖書の場合は、唯一神ヤハウェが、人類を創造してみたり、その人類を大洪水で滅ぼそうとしてみたり、その一方ではノアに箱船を作らせて生き残らせてみたり・・・と、矛盾する行動をとって、解けないナゾを残している。

でも、オリジナル・ストーリーであるシュメール神話を見れば、その疑問は氷解する。いわく、人類を創造したのは、エンキ神だ。でも、最高神エンリルは、騒がしい人類を快く思わず、大洪水を起こして滅ぼそうとした。エンキ神は、「神々の会議」で決定された大洪水に、表立っては異論を唱えなかったが、カゲで賢人ウトナピシュティムに箱船を作らせ、ひっそりと生き残らせた。エンリル神はそれを知って激怒したが、時すでに遅し・・・。

これを見れば、旧約聖書における神様の矛盾した行動は、「エンリルとエンキ」という、2柱の神様の対立した言動を、むりやり「唯一神ヤハウェ」にまとめたことから生じたものであるということが理解できる。

この「大洪水」のストーリーは、シッチン氏に言わせれば、「氷河期が終わって、南極の氷が溶けたときの話」ということになる。人類はほとんど絶滅したが、一部の人類が生き残って、新しい時代を作った。それが、現代のわれわれにつながっている。このとき、「人類を創成した宇宙人」たちは、大洪水でメチャメチャになった地球を見捨てて、彼らの母星・ニビルへと帰っていった・・・。

その真偽は、誰にも分からない。もっとも、シュメールが、わざわざ「南極の氷」が溶けるまでもなく、もともと洪水が多い地域なのは確かだ。シッチン説に水を差すつもりはないのだが・・・(笑)
 
ゼカリア・シッチンの「宇宙人アヌンナキ」説に、突っ込みどころが満載なのは事実だ。でも、だからといって否定したり、無視したりできるものではない。実際のところ、世界的に多くのチャネラーやスピリチュアリスト達から、この説は、(条件つきながら)支持されている。ダリル・アンカ氏がチャネリングする「バシャール」も、シッチン説をおおむね肯定している。ただし、バシャールによれば、「惑星ニビル」は、天然の惑星ではなく、人工物なのだ・・・ということだ。あの坂本政道氏も、高次の知的存在から、「シッチンの説は、当たらずと言えども遠からずだ」と告げられたという。
   
確かに、なんらかの存在が、人類に遺伝子操作して進化を促進したという可能性は、大いにありうる。それも、人類を彼らの奴隷として、コキ使うために・・・(?)。

なんといっても、人類最古の文明の発祥地が残した、世界最初の神話・伝説。それだけに、なんらかの意味で、人類誕生の秘密を伝えている可能性は否定できない。それこそ、かつて「プリズム・オブ・リラ」の編著者が述べたように、「これを事実と受け取るのも、なんらかの象徴的なストーリーと見るのも、読者の自由である」ということだろう。
  
船井幸雄氏は、「この遺伝子操作により、地球人類はエゴが強くなり、エゴの文明が始まった」と言っている。もっとも、どちらにしても、現代のわれわれにとっては、いまさらどうしようもないことではあるのだが・・・(笑)。
  
(引用部分は、中公新書『シュメル神話の世界』より)
 
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シュメール神話の人類創世

2010年02月11日 | シュメール神話 アヌンナキ
   
シュメール神話は、世界で一番、古い神話。一般的な知名度では、「ギリシャ神話」や「旧約聖書」の方が断然上なのだが、古さではシュメール神話が大幅に上回っている。それだけでなく、ギリシャ神話や旧約聖書には、シュメール神話と似たエピソードがとにかく多い。
 
有名なのは、旧約聖書の「ノアの洪水」とほとんど同じストーリーが、シュメール神話にも出てくること。ゼカリア・シッチン氏が強調するのは、シュメール神話の12神が、ギリシャ神話の頂点に位置する「オリュンポスの12神」の原型だということだ。

これほど重要なシュメール神話なのに、シッチン氏が「人類を創成した宇宙人 ~ ネフィリムとアヌンナキ」でとりあげるまでは、精神世界ファンの間でもほとんど知られていなかった(もちろん、筆者もほとんど知りませんでした・・・)。シュメール神話について知りたくても、参考図書は少ない。今のところ、書店で目につくのは中公新書の「シュメル神話の世界」(岡田明子・小林登志子著)だろう。

この本にも、「シュメル人の出自については、今のところは何も分かっていない。特に不思議なのは、解読されはしたが、シュメル人の言語系統がまったく不明なことである」と書かれている。

「言語系統がまったく不明」というのは、ひらたく言えば、「周囲の諸民族の言語と、ちっとも似ていない」ということ。

たとえば、ドイツ語やフランス語を少しでも勉強すれば、それが英語やスペイン語と似ているということに、誰でもすぐ気がつく。同様に、中国語とベトナム語、タイ語も似ている。まわりの国々とは、言葉の構造が似ているのが普通なのだ。それが、「言語系統」というもの。
 
ところが、シュメール人の言語に関しては、そういう「言語系統」から隔絶して、孤立しているのである。周囲の諸民族の言語についても、かなりのことが分かっているのだが、シュメール語はそれらと構造的に異なっている。意外なことに、日本語とは構造が似ている。というのも、「私は・・・」、「アナタを・・・」というように、単語の後に「てにをは」がくっつくのが日本語の特徴なのだが(こういうのを『膠着語~こうちゃくご』と言います)、シュメール語もそういう構造になっているという。アッカド語をはじめとする周囲のどの言語にも、こういう特徴はない。もちろん、現代のアラブ人やイラン人の言語とも、まったく似ていない。

「どこから来たのか」がさっぱり分からない、古代シュメール人。やっぱり、世界史上、最大級のナゾといえる存在だ・・・。

シュメールには、多くの都市国家が林立していた。旧約聖書の創世記で活躍したアブラハムの出身地とされる「ウル」、栄華と滅亡のストーリーで有名な「バビロン」、宗教的な聖地であった「ニップル」など、有力な都市が並び立っていた。シュメール神話の神々は、大地や空気、海、水、などの自然の神様であると同時に、それぞれの都市の「守護神」でもあった。たとえば、最高神エンリルは、ニップル市の神様。後にエンリルに代わって神話の主役となるマルドゥクは、バビロン市の神様だ。これには、繁栄するバビロンが、メソポタミアの覇権を握っていった歴史が反映されているという。

シュメールの地は、ペルシャ湾に面して、2つの大河が合流する河口にある。大河からあふれ出した水のおかげで、広大な湿原が広がっている。湿原は、甘美なナツメヤシの樹液とともに、豊かな麦の収穫や、粘土をもたらした。この「粘土」こそ、シュメール文明の原動力。粘土は、日干しレンガや粘土板の材料となった。当時、シュメールを除く世界中の人々が、穴ぐらのようなところに住み、文字を持たない原始人だったことを思えば、レンガ造りの住居に住み、粘土板に文章を書き付けていたシュメール人たちは、まさに驚異の先進文明人だったといえる。

シュメール神話によれば、神様もまた、粘土をこねて人間を創った。「なぜ、神様は人間を創造したの?」というのが、キリスト教徒やイスラム教徒の親が、子供に質問されて返答に窮する素朴な疑問。それに対して、世界最古の宗教・シュメール神話は、明快な回答を与えている。

「神々が働かなくてもよいように、労働者として人間は創造された」と、シュメール神話の粘土板には明記されているのだ。

いわく、つらい農作業や、治水事業に従事していた神々からは、不平不満が絶えなかった。「こんなに俺たちを働かせやがって、どういうつもりだ、コンチクショー」と怒っていた。原初の母なる女神・ナンムは、この事態を深く憂慮していたが、「神々の中でも、頭ひとつ抜けた知恵者」と評判のエンキ神は、そうともしらずに眠りこけていた。あるとき、ナンム女神は、エンキ神をたたき起こして言った。「息子よ、起きなさい。あなたの知恵を使って、神々がつらい仕事から解放されるように、身代わりをつくりなさい」。
             
母の言葉にあわてたエンキ神は、粘土をこねて人間を創った。おかげで、神々に代わって人間が働くようになり、神々はめでたく労働から解放された。シュメール神話の最高神である天空の神アン(エンキの父)や、大気の神エンリル(エンキの兄)も、これには大喜び。神々は祝宴を開き、したたかにビールを痛飲して人類創造を祝った(シュメールは、ビールの発祥地でもある)。このとき、ビールを飲んで酔っぱらった人類の始祖エンキは、地母神・ニンフルサグ(エンリルやエンキの異母妹)とともに、人間づくりの競争をした。「広げた手を曲げることができない人間」や、「排尿をガマンできない人間」、「性器を持たない人間」、「よろよろして立ち上がることができない人間」など、いろんな人間が創られたという(人権擁護団体が聞いたら、激怒しそうなエピソードですな・・・)。
 
実際のところ、旧約聖書にも、「神々が人類を創造した理由」について、少し触れられている。いわく、

>主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。

と書かれた少し後で、「(神は人を)エデンの園に住まわせ、人々がそこを耕し、守るようにされた」とある。

神は、土で人間を創造し、働かせた。やはり、シュメール神話の人類創造ストーリーは、旧約聖書にも継承されている。

やっぱり、人間は、働くために創造されたのだ。文明発祥の地の古代人たちが、こぞってそう書き記しているところからすると、それは本当なのだろう。それを思えば、こんなに仕事・仕事で塗りこめられた我々の人生にも、説明がつくというものだ・・・(泣)。
 

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