宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

ネガティブな未来 ~ 坂本政道氏

2009年04月29日 | 精神世界を語る
    
精神世界の「2012年問題」をめぐって、ポジティブ勢力とネガティブ勢力で、思惑の相違があるということは分かった。では、どこがどう違うのだろうか。
 
どちらの側も、変化を志向していることには変わりない。方向性が違うとはいえ、人類の意識進化を促進し、それぞれが自陣営を強化しようとしている。ただ、考え方が異なるだけだ。坂本政道氏によれば、2極の考え方の違いが最も鮮明に表れているのが、「未来観の違い」だと言う。
 
ポジティブ側は、常に肯定的なのが特徴。何かにつけて、否定的な考え方をしない。だから、未来に対しても自然と楽観的になる。この先も、ベストなタイミングで良いことが起き続け、自然にすばらしい未来がやってくるだろうと予想し、唐突な激変を望んではいない。これが、穏健派のシナリオ。
  
それに対し、ネガティブ側の考え方は、非常にラディカルだ。急激な変化が起きることを望み、また、起こそうと考えている。その未来観は悲観的、というより、破滅的なのが特徴。坂本政道氏の場合は、「地球に巨大隕石を落下させて人類を大量死させ、一挙に地球から卒業させる」という、「急進派のシナリオ」が、それに該当する。
 
「ネガティブ」というだけあって、これらの影響を受けた人々は、物事を否定的に考える傾向がある。「人類の覚醒」という大きなテーマに対しても、「そのためにはまず、腐りきった今の世の中をブッ壊さなければならないのだ」というような、現状否定の方向に考えが向かいやすい。
 
もちろん、新しい体制は、古い体制が焼き尽くされた焦土の、瓦礫の下から立ち上がるのが世の常だ。新しい酒は、新しい革袋に盛らなければならない。それに関しては、どちらの側も、大なり小なり異存はないだろう。要は、程度の問題。どちらかと言えば、否定や破壊の方向に強く考えが向かうのが、ネガティブの特徴と言える。
 
これを見て思い出したのは、、あの「ノストラダムスの大予言」。

「1999年7の月、恐怖の大王が降ってくる」という有名なフレーズに始まる大予言は、五島勉のベストセラーのおかげで、世間の一般人にまで知れわたった。シリーズ化されてからは、「天変地異と世界戦争により、人類が滅亡する」という終末予言に、「欧米諸国が崩壊し、世界が闇に沈むとき、『日の国のメシーの法』が人類を救う」という救世主到来予言が加わった。他ならぬ、この日本に救世主が現れ、人類を滅亡から救い、すばらしい世界を実現するというのだ。
   
影響は大きかった。80年代後半からの新興宗教ブームの頃は、どこの新興教団を見ても、「ウチの教祖は、ノストラダムスが予言した『日の国のメシア』なのだ」と言っていたものだ・・・(笑)。
    
それはともかく、このような「人類はもうすぐ滅亡する」という終末観。そして、「世界を救うのは我々なのだ」という選民意識。それが、坂本政道氏の言うように「ネガティブ・サイドからの情報」なのかどうかまでは、なんとも言えない。でも、このような考え方が破壊的な作用をもたらすのは、過去の経験則で実証されていると言える。
 
「何十年もかけて、2050年くらいまでにアセンションをじっくりと進める」という、穏健派のシナリオ。「近い将来に天変地異を起こし、急激にアセンションを進める」という、急進派のシナリオ。「この2つが並立している」というのが、従来の坂本政道氏の主張だった。今回は、その2つのうち、「急進派のシナリオ」が「実は、ネガティブ・サイドからもたらされた情報だった」として闇の勢力の刻印を押され、退けられた形だ。
   
ちなみに、筆者の個人的な好みから言えば、どちらかと言えば「急激かつ劇的な変化」が好きである。「たっぷりと時間をかけて、ゆっくりと進歩しよう」というような考え方は、まどろっこしくて好きになれない。実のところ、坂本氏の言う「穏健派と急進派」に関しても、「急進派のシナリオの方が、シンプルで効果が高そうだな」と考えていた。自分の考え方の傾向が「ネガティブ・サイドの発想」に近いということには、ガク然とさせられた・・・(泣)。 
  

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分裂する未来 ~ 坂本政道氏

2009年04月21日 | 精神世界を語る
  
坂本政道氏は、モンロー研究所の関係者で、ヘミシンクによる体外離脱を指導している。最近は、本業のヘミシンク以上に、「体外離脱して、死後世界から最先端のアセンション情報を持ち帰る人」としての注目度が高い。
 
そんな坂本政道氏が、最新刊「分裂する未来~ダークサイドとの抗争」で大きく方向転換した。そのキッカケは、「バシャール」をチャネリングするダリル・アンカ氏との対談だという。宇宙存在の「バシャール」が、スピリチュアル格闘家の須藤元気と対談した「バシャール・スドウゲンキ」を読んで、深く感銘を受けた坂本氏。そのことが精神世界関係者の間で評判になったため、VOICEのアレンジにより、坂本氏と「バシャール」の対談が実現した。
 
ちなみに坂本氏は、チャネリング界の古典「ラー文書」も読んで、大きな影響を受けたのだそうな。

昔から、精神世界論には、百人いれば百通りの見解がある。皆、言ってることがバラバラなのが当たり前だった。だが、今ではこのような形で、次々とチャネラー同士のコラボが実現しているのは感慨深い。意見のすり合わせが行われた結果、バラバラだった意見が徐々に収斂されてきている。
  
ヘミシンクでの体外離脱体験からこの道に入った坂本政道氏は、従来のチャネリングその他で明らかになってきた精神世界論を、ほとんど知らなかったようだ。「先入観を持たないようにしよう」と思って、意識的にそうしていた面もあるらしい。それが、最近になってラー文書やバシャールから大きな影響を受け、自説を大きく修正したという。
 
坂本政道氏は、これらのチャネリングを経て、あることに気づいた。それは、自分がヘミシンクで得た情報の中には、かなりネガティブな勢力からのメッセージが混ざっていたということ。
 
宇宙には、ポジティブな勢力とネガティブな勢力があり、互いにシノギを削っている。ポジティブ側は統合を促進し、ネガティブ側は分離を促進する。ポジティブ側は平和と協調をもたらし、ネガティブ側は闘争と支配をもたらす。マクロ的に見れば、両者の絶妙なバランスが宇宙を成り立たせているのだが、ミクロの見地では、激しいツバぜり合いが続いている。
  
「天使と悪魔」をイメージすれば分かりやすいだろう。善と悪、光と闇の二元対立だ。従来、古今東西の神秘思想では、ポジティブな勢力が称揚され、ネガティブな勢力が排斥されてきた。でも、現代の精神世界論では、それほど単純な見方をしていない。現代では、この2つは方向性が異なっているだけであり、両方とも意識進化の道だと考えられている。

つまり、ネガティブな方向で意識を進化させてゆくことも、それはそれで、ひとつの道だということだ。それは、大征服者ジンギスカンや怪僧ラスプーチンみたいに、権力と支配を限りなく追求し、自力でとことんパワーアップしてゆく進化の方向。ただし、それは孤独な闘争が果てしなく続くイバラの道であり、ポジティブな道よりも格段に険しくて厳しい。よほど力を強めない限り、高い意識段階に進むことはできない。

そこまでの覚悟ができていない普通の人は、ポジティブな方向を選んでおいた方が、まず無難だと言える。ポジティブな進化の道は、愛と思いやりにあふれている。ワンネスに目覚め、多くの人々の意識が統合されてゆく、喜びに満ちた世界だ。
     
人類にとって、意識進化の大きな節目を迎えている今、ポジティブな存在たちは盛んに情報を送ってきている。だが、気をつけなければいけないのは、その中に、ネガティブな存在たちからの情報も混じっているということ。

大学の新入生に声をかけてくる上級生たちの大半は、明るく楽しいサークルや体育会の人たちだ。だが、その中には、危険な左翼団体や新興宗教の勧誘も、一部とはいえ混ざっている。それと同じようなものだろう。美酒に混ざった毒を見分けて、自分の知恵で避けていかなければならない・・・。

坂本政道氏も、自分がヘミシンクで得ていたアセンション情報の中に、そんな毒が混じっているのに気がついて、ガク然としたのだという。
  
 
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神田明神の花見

2009年04月05日 | 神社

            
長かった冬が終わり、桜が咲く季節となった。まだ夜は寒いのだが、日中は暑いくらいだ。
 
毎年恒例の神田明神・貸し切り花見パーティーが挙行された。十数年前に有志が集って始まった宴会は、年を追うごとに大きくなり、今回は200名を超える参加者があった。大安吉日と重なったため、今日一日で10組もの結婚式をこなした神田明神。予定を大幅に超過してのスタートとなった。
   
神田明神は、江戸の総鎮守。神々の世界では、「東京ヘッドクオーター」といったところか。東京十社にも名を連ねる。平安の昔、京都の朝廷に敢然と抵抗した関東の英雄、平将門が祀られている。

今から千年以上も昔、まだ原野と森林が広がる辺境の地だった関東。平将門は、優雅な文化と高い教養を誇る京都の平安貴族に対抗すべく、「新皇」を称して新国家を樹立しようとした。ただちに討伐軍が派遣され、奮戦もむなしく、額に命中した矢により、あえなく絶命。
 
この平将門の乱の鎮圧を祈願するため、京都朝廷は僧を東国に派遣して不動明王を祀らせた。それが、かの有名な初詣の名所・成田山新勝寺。深川不動もその流れをくんでいるので、神田明神とは対立勢力ということになる。実際、昔の江戸では「神田明神を参拝するものは、成田山には行ってはならない」という言い伝えがあったそうな。両方とも行ったのは、まずかったか・・・。
 
ライトアップされた朱塗りの門や社に照らされて、夜桜が闇夜に浮かび上がる。江戸の昔には、夜桜は提灯の光に照らされて、かすかに見える程度だっただろう。21世紀の今は、国際化も進んでいる。今回はモンゴル人の留学生が大勢参加しており、馬頭琴の演奏も聴かれた。江戸は遠くなりにけり・・・ 。
    


深川不動の護摩焚き

2009年04月05日 | 神社

    
門前仲町(もんぜんなかちょう)の深川不動に行った。
  
ここは、関東屈指の初詣の名所・成田山新勝寺の流れを汲む。

平安の昔、東国に創建された成田不動。江戸時代には成田山への信仰熱が高まり、続々と参拝客が訪れた。歌舞伎役者の市川団十郎も成田山の信者だった。今でも、歌舞伎座では大向こうから「いよっ、成田屋!!」と声がかかるのは、ここに由来するという。今で言えば、「大物俳優が○○教に入信」といったところか。いわば、教団の広告塔。

とはいっても、成田は遠い。成田空港ができて久しい今でさえ、成田があまりに遠いので、ブーブーと不平が絶えないのが実情だ。まして、交通機関も発達していなかった江戸時代の庶民には、「成田に行きたしと思えど、成田はあまりに遠し」という状況だったのは、想像に難くない。そのため、江戸の下町につくられた出先機関が、深川不動である。
  
深川不動では、先祖供養のお札をもらおうと受付に行ったところ、徳の高そうな坊さんが供養してくれた。
 
護摩焚きまではしばらく時間があるので、「八十八箇所めぐり」のコーナーに行ってみた。ここは、四国八十八箇所のミニチュア版。手軽にお遍路さんが出来る、ありがたい存在だ。筆者は、例によってイメージトレーニング。四国をトボトボと歩くお遍路さんと化した自分が、イメージの世界に姿を現した(笑)。
 
そうこうしている内に、いよいよ護摩焚きの時間。善男善女がお堂に集ってくる。幸運にも最前列のVIP席に座れた。静寂の中、「ブォ~・・・」というホラ貝の音が廊下から鳴り響き、僧侶たちが登場。見ると、さっきの先祖供養の坊さんが中央の護摩台の前に座っている。

凄まじい鐘や太鼓の音が轟くなか、「ノウマク サンマンダー バーザラダン・・・」という真言や、読経の唱和が鳴り響く。特に、巨大な和太鼓の連打は、耳をつんざく轟音だ。「音響」なんてものではない。衝撃波で戸棚のガラスがビリビリと鳴り、振動がズシンズシンと腹にこたえる。この勢いで、悪霊も退散するという。 
 
坊さんが焚く護摩の炎は、天井近くまで吹き上がりつつ、火花を散らしながら崩れ落ちる。次々にくべられる護摩により、新たな炎がまた吹き上がる。火蝶が舞い飛び、屋根を焦がさんばかりの勢いだ。
 
終わってからも、しばらく余韻が冷めやらない。現代人にとっても十分に刺激的な、護摩焚き。ましてや、江戸の庶民が熱狂したのは、無理からぬことと思われた・・・。  
 


山王日枝神社

2009年04月03日 | 神社

       
東京五社めぐりも、赤坂の日枝神社で堂々たるフィニッシュを迎えることとなった。
   
ここは、江戸の歴史と同じくらい古い。創建はかつて江戸の支配者だった江戸氏にさかのぼり、江戸城を築いた大田道灌が山王さんを川越から勧請したとされる。徳川幕府の時代には、代々、江戸城の守り神として篤い尊崇を受けた。
 
江戸城の神様だけあって、都心の真ん中に位置する。国会議事堂、首相官邸、アメリカ大使館などが目と鼻の先。まさに東京の心臓部にあるのが日枝神社だ。赤坂見附に突如として出現する巨大な鳥居は、東京を代表する風景のひとつと言える。
  
ここに祀られているのは、「山王さん」こと大山咋神(おおやまくいのかみ)。その名の通り、山の神様だ。山というのは、遥か西のかた、琵琶湖のほとりにある日枝山(ひえのやま)、後に日本仏教の屋台骨となった比叡山だ。比叡山に杭を打って囲いをめぐらし、所有権を主張したのが神名の由来という。このため、地主の神様でもある。
 
そういえば、不動産マーケットの低迷(というより、凍結・・・)により、近頃は地主業界もすっかりおとなしい。こんなときこそ、大山咋神の出番だ(?)。

ここを訪れたとき、ちょうど神前結婚式が始まって雅楽の音色が鳴り響いた。神殿の中を見ると、巫女さんたちが舞っていた。鈴の音が鳴り響く。この音は、一度聞いたら耳に焼き付いて離れない。
 
なんとか東京五社めぐりをコンプリートしたので、記念に絵馬をもらった。商売繁盛・金運上昇の神に、絵馬を奉献する。これでますます、飛躍まちがいなし(笑)。
 
赤坂日枝神社の境内には、「東京十社」の案内があった。なんと、「東京五社」とは別に、「東京十社」というものがある。その両方に名を連ねているのは、ここ赤坂の日枝神社だけ。ヤレヤレ、今度は十社めぐりが始まるのか。日暮れて道遠し・・・。
  


東京大神宮

2009年04月02日 | 神社

     
東京五社めぐりの続きで、飯田橋の東京大神宮に参拝した。
   
東京大神宮もまた、高い格式を誇る神社のひとつ。明治になって、皇居が京都から東京に移り、伊勢神宮への距離が遠くなったため、神宮の東京支部として発足した。おかげで、東京にいても神宮に参拝できるようになったのである。
 
江戸時代の町人にとって、「お伊勢参り」は一生に一度の夢。かつては、「今生の別れ」とばかりに水盃を酌み交わし、長い東海道をてくてく歩いて、箱根八里を越え、いくつもの川を渡り、はるばると訪ねた伊勢の大宮。明治の御代になって、ありがたくも手軽になった。これも、維新の功徳と言えるだろう。
  
伊勢神宮と同様、天照皇大神と豊受大神、さらにヤマトヒメノ命が御祭神として奉斎されている。その上、「造化の三神」(つまり、造物主)こと天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)・高御産巣日神(たかみむすびのかみ)・神産巣日神(かみむすびのかみ)の日本三大神も祀られているという、なんとも豪華な布陣。

東京大神宮と言えば、神前結婚式。神前結婚式の歴史は、ここで始まった。大正天皇と貞明皇后の結婚式がベースとなり、改良を加えて現在に至るという。それまで、日本には神社で結婚式をやる習慣はなかった(もちろん、教会でやる習慣もないし、結婚式場そのものがなかった・・・)のだから、画期的なことだ。この日も、雅楽の響きに乗って結婚式の行列が境内を通り、見物客の熱い視線を集めていた。
 
そのせいか、いまや東京大神宮は「縁結びの神社」としても有名。「恋愛運が良くなる」という評判で、女性参拝客が多い。都会の真ん中にあるせいもあって、賽銭箱の前に行列ができる人気。良縁を希求する人々の熱気が、都会の空にわき上がっている。

筆者はあまりオミクジを引かないのだが、不景気知らずの大神宮で、引いてみることにした。なんと「大吉」だ。仕事が順調で、金運も上々だという。これほど不景気なのに、ホンマかいな!?・・・と思ったが、景気が悪いときは悪いなりに、ニュービジネスが発生するものだ。今年は天照皇大神のご加護で、飛躍の年となるだろう・・・。