現代人の意識の中では、常に思考が渦を巻いている。人と一緒にいるときはもちろん、自分ひとりでいるときでさえ、沈黙していることは珍しい。ひとりごとをブツブツ言うのは論外としても(笑)、表面上は黙りこんでいる人だって、心の中は騒がしい。意識の内部では、いろんな思考が、止まることなく流れ続けている。
思考を、完全にストップするのは難しい。思考は、自然に湧き出してくるもの。止めても止めても、どんどん出てくる。インドの山奥で瞑想修行でもしているのならともかく、普通に生活している以上、止めるのは無理がある。
「思考を止めよう」などと思ったら、あまりにも難しくなってしまう。でも、思考を静めることなら、その気になれば出来るはず。ワーワーキャーキャーと騒がしかった子供たちが、幼稚園の先生に「静かにしなさい」と言われて、急におとなしくなるような感じ。「水を打ったような静寂」とまではいかずとも、とりあえず、それなりに静かにはなる。
しばらくすると、心の中が静まり返ってくる。人間は、慣性の生き物。その気になれば、慣れてくるものだ。慣れれば、だんだん居心地がよくなってくる。思考は、見た目よりもエネルギーを浪費している。無駄なエネルギーを使わなくてすむので、かえって楽になる。
静かに考えごとをしたいときに、周囲がザワザワしていると、「うるさいな」と思うものだ。でも、「心の中の静寂」に慣れてくると、自分自身が考えごとを始めただけでも、「うるさいな」と思うようになる。人は、変われば変わるものだ・・・。
エックハルト・トールによれば、まずは、そんな「心の中の静寂」を実現するのが第一歩。そこからが、本当のスタートとなる。
次に、そんな「心の中の静寂」に意識を向ける。「静寂に耳を傾ける」というのだ。そうすると、今までとは違った意識の次元が、目を覚ましてくるという。いわく、
>静寂に耳を傾けると、あなた自身の内なる静止の次元が、目を覚まします。
>・・・すると、どうでしょう。真の叡智が、静かに活動を始めます。「静止の空間」。これこそが、創造性が誕生し、問題の解決策が見つかる場所なのです。
ここでいう「静止の次元」とか、「静止の空間」というのが何なのかは、心の中を静かにしてみて、初めて分かること。やってみれば誰でも分かる。「思考を止める瞑想」などとは違って、ちっとも難しくない。
なにかと騒がしかった表面意識が静かになることにより、別次元の意識が、ゆっくりと目を覚まし始める。それは、深遠なる叡智。心の中を静かにしただけで、叡智が目を覚ます。
今までの自分の意識の中では、「思考」というドシャ降りの雨が、絶え間なく降っていた。意識の中の世界は、濃い霧が立ち込めて、何も見えなくなっていた。「思考」を静めることによって、雨はやみ、霧が晴れてくる。澄み切った青空が、少しずつ見えてくる。今までとは、まるで別世界のようだ・・・。
>スピリチュアルな覚醒とは、「思考の夢」から目覚めることです。
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