宇宙のこっくり亭

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生存欲の克服

2009年10月28日 | 釈迦 ~ 輪廻転生からの卒業

輪廻の究極原因は、「根本的な生存欲」であった。だが、それはあまりにも意識の奥にあり、誰にも自覚できない。これこそ、「無明」(何も分からないこと)の本質。

「ならば、根本的な生存欲を克服しようじゃないか」というのが自然な流れなのだが、これは人間としての自然な感情と、あまりにも鋭く対立する。

「もう、生きていきたくない」という時点で、十分に人情に反するのだが、この問題はそこにとどまらない。

というのも、ここでいう「生存欲」とは、「現世への執着」だけを意味するわけではない。死後に、天国や地獄で再生することを含む。

つまり、「根本的な生存欲を克服する」というのは、単に「ボクはもう生きていきたくない」というような、生易しいものではないということだ。それは、「もう二度と再生したくない」ということ。「ボクやアナタ」というような、「個我」としての終焉を意味する。

世間一般の価値観からすれば、これは極めて後ろ向きな発想だ。それどころか、ありとあらゆる前向きな発想と、真っ向から対立する。いわば、純度100%の、純粋に後ろ向きな発想なのだ。

例えば、今の世の中では、「自殺者が多い」というのが大問題になっている。しかし、上記の考え方に立てば、「もう生きていきたくない」と思うのは、解脱への第一歩(笑)。自殺することには、特に問題ない。

ただし、自殺したところで、問題は解決されないのも事実である。というのも、多くの場合、ウツ病になって自殺するのは、「もっと良い人生を送りたい」という気持ちの裏返しだからだ。それが満たされないから、反動で絶望するのである。「根本的な生存欲の克服」には、まったくホド遠い。死後はどこか別の世界に再生し、その後、また同じような環境に戻されるのがオチだろう。(それにしたって、自殺は良くないことだという考え方が、仏教にはまったく見られないことに変わりはない)。

もちろん、「ポジティブ・シンキングで、アナタの人生はどんどん良くなります」というような、現世の人生に対して前向きな考え方とは、まったく相容れない。

それだけでなく、「ボクは永遠の輪廻転生で魂修行して、意識を進化させていくぞ」というような、スピリチュアルに前向きな考え方も、「根本的な生存欲の克服」には、非常にジャマになる。釈尊がそういう言葉を一切、口に出さなかったのは、そのためだ。「今までの転生は、良い経験になりましたね」とすら言わない。「輪廻を否定している」と言われる所以である。

単なる「厭世観」とも、また違う。というのも、「こんな世の中はもう嫌だ」というのは、多くの場合、「もっと良い世の中で生きていきたい」という気持ちの裏返し。「生き残りたい」という本能の克服には、ホド遠い。

つまり、人生や世界に対して、嫌いになったり、ひっくり返したいと思うようじゃ、まだ甘いのである。

そうではなくて、人生や世界に対して、無関心にならなければならない。

徹底的な、無関心。どうやら、これが解脱へのカギだと言えそうだ。

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