「陰と陽」の世界観の根本にあるのは、「男と女が結合して、新たな生命が生まれる」という、古代人にとってはあまりに神秘的だった事実にある。他にも、太陽と月とか、昼と夜とか、植物の生長と枯死とか、いろいろあるんだけど、一番の根本なのは、やっぱり、それだ。男が陽で、女が陰。そこに発想の元があって、他はその発展形。
だから、古代人は、男女の結合に神秘を見出し、一生懸命マジメに研究していた。
このため、道教では、房中術が発達している。イマ風にいえば、「セックス・スピリチュアル」ということになるだろう。男の師匠から、女の弟子へ。女の弟子から、男の孫弟子へ・・・と交互に伝えられる秘伝。通常、洞窟の中で行うのが最も良いとされていた。中国の内陸部には、切り立った崖や、深い洞窟が多い。まさに打ってつけだったと思われる。
これは道教だけでなく、密教にもそういうところがある。平安時代、中国から秘伝の経典を持ち帰った弘法大師・空海に、比叡山の伝教大師・最澄が「経典を貸してほしい」と申し入れたところ、空海がそれを断ったため、この日本仏教史の大物2人の仲が悪くなった・・・というエピソードは有名だけど、一説には、この経典には「男女の交合」の奥義が記されていたため、誤解を恐れた空海が、見せるのを躊躇したのだという。
オウム真理教では、これを修行に取り入れていた。でも、「これは修行の一環だから」というのは、オウム真理教に限らず、宗教団体で女性信者を口説くのによく使われる口実だ。仏教系の某巨大教団でも、幹部がこれをやってたのがバレて、激怒した名誉会長に追放されたという事件があったけど、名誉会長自身、そういう風評が絶えない人。あくまでも風評であって、証拠はないらしいのだが・・・(笑)。
いずれにしても、これは筆者にとって、昔から、どうもナジミにくいテーマだ。
房中術という以前に、「男女の性」の問題は、相当な違和感を覚えてきたテーマのひとつ。といっても、筆者の場合は、「恋愛問題で悩む」なんてことの、ずっと手前にあるレベルで、「そもそも、地球的な男女関係そのものにナジメない」という面が確かにあった。
もっとも、かつての筆者は、「ボーッとしてるけど、顔で持っている」という定評があり、女の子にはかわいがられていた。でも、なぜか、いつまでたっても「女性とお付き合いしたことないの?」と言われるほど、ずっと恋愛初心者のレベルにとどまってた。「宇宙人みたいだけど、楽しいからいい」と、そこが逆に好評だった面もあるから、まあいいか・・・(笑)。
余談だけど、ある自閉症の専門家の話によると、発達障害ぎみな人には、「子供の頃は、人形みたいに顔立ちが整ってる人が少なくない」ということだ。筆者も、それに該当するのかもしれない。
少年の頃の美輪明宏やクリシュナムルティは、おそらく、その極致と言えるだろう。美輪明宏少年は、三島由紀夫に「悪魔的な美しさ」とまで評された。クリシュナムルティをインドから連れ帰ったリードビーター師は、「美少年趣味」と陰口をたたかれた。おそらく、釈迦もそうだったんじゃないかと思われる。その「人形みたいに整った顔立ち」は、長くは続かないのだが、「年を取ると、今度は、味のある賢者みたいな風貌になる人がよくいる」と、発達障害の専門家は書いていた。
それにしても、スピリチュアル界には、恋愛相談のプロが大勢いるのだから、教えを乞いたいところではある。
とはいうものの、学生の頃、試しにタロットカードで恋愛問題の占いをやってみたら、ズバズバ的中して、怖いくらいだったことがある。
人間、「自分には向いていない」と思い込んでたことが、実は隠れた才能だったりすることも、よくあるわけで、実は「恋愛タロット占い」に向いてたのかもしれない・・・(笑)。