宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

インディゴ・チルドレン ~ ドロレス・キャノン

2013年03月29日 | ドロレス・キャノン
 
>第三波は秀でたに新しい子供たちのグループですが、彼らの多くは10代です。これらの進化した子どもたちは、すでに新しい地球の周波数と適合した強化されたDNAをもっています。彼らは興味を持たせるためのチャレンジが必要なのです、ADHDのような誤診で病気を治療する薬ではなく。彼らは新たな “世界の希望”です。

ボランティア・ソウルの「第3の波」は、いよいよ、かの有名な「インディゴ・チルドレン」の時代だ。地球の大変革期に合わせて生まれてきた、すでに意識が進化した子供たちだけど、時がたつのは早くて、彼らも多くが10代になっている。
 
ドロレス・キャノンによれば、彼らは意識の領域で進歩しているだけでなく、「強化されたDNAを持っている」というから、すでに身体も新しい時代に合わせて変化しているということになる。
 
とはいえ、地球に適合することに何の困難もないかといえば、そういうわけでもない。世の中の価値観がまだ古い以上、それに合わせていくのは、やっぱり難しい。ただし、それでも、「第1の波」の頃などと比べれば、ずっと道筋はできている。

ここでは、「ADHDのような誤診で病気を治療する薬」と言ってるのが興味深い。ADHDとは、「注意欠陥・多動性障害」と呼ばれる、発達障害の一種。

実際のところ、筆者も、「ADHDの人の特徴」を列挙したものが、ことごとく当てはまるというタイプ。「そのものズバリ」というくらいの、典型的なADHDだ。これが筆者の人生をどれだけ難しくしてきたかは、計り知れないものがある。もちろん、そのままでは日常生活に支障を来たすので、いろんな努力と工夫で補ってきた。でも、最終的に克服できたのは、「サマタ瞑想」のおかげ。今では、むしろ人並み以上に雑念がなく、集中が長続きするようになった。

お釈迦さまも間違いなく取り組んでいた、古代インドの「サマタ瞑想」が、なぜか「注意欠陥・多動性障害」を克服する上で、絶大な威力を発揮する。このことは、いくら強調しても足りないものがある(笑)。

またまた脱線したけど、注意欠陥の特徴(子供の場合)としては、下記のようなのが最も典型的なポイントだろう。
 
>・勉強などで不注意な間違いをする・課題や遊びの活動で注意を集中し続けることが難しい・ 興味のあることには集中しすぎてしまい切り替えが難しい・ 話を聞いていないようにみえる・課題や活動を順序だてて行うことが難しい・同じことを繰り返すのが苦手・必要なものをなくしてしまう、忘れっぽい・注意が長続きせず、気が散りやすい

(大人の場合)

>・仕事などでケアレスミスをする・忘れ物、なくし物が多い・ 約束を守れない、間に合わない・時間管理が苦手・仕事や作業を順序だてて行うことが苦手・片付けるのが苦手

ADHD情報サイトより)


このADHDは、ドロレス・キャノンも言及しているように、薬での治療が進んでいることで知られる。薬物で、大脳の前頭葉のある部分を刺激すると、たいてい症状が改善されるという。

しかし、一方では、「ADHDは病気ではありません」という意見も根強い。「ADHDとされる児童の多くは、発達障害児ではなく、むしろ、高知能児(ギフテッド)と呼ぶべきだ」との声もある。
 
確かに、それにも一理ある。手前ミソかもしれないが、子供の頃の自分自身を振り返ってみると、この「ギフテッドの子供の特徴」も、ことごとく当てはまっている。

★ギフテッドによく見られる行動

>・集中力の欠如、退屈、ある一定の状況においてのデイドリーミング傾向
・(その子にとって)趣旨の見えない繰り返し作業に対しての忍耐のなさ
・知能の発達と比べて遅れている(というか平均でも知能の方が進んでいるので比較すると遅れているように見える)判断力
・気の強さ、感情の強烈さから生じる、教育者や親などといった目上の者との衝突
・いつもエネルギーに溢れ(多動ととられる)あまり睡眠を要しない
・ルールや習慣、又伝統などに疑問を持つ

(『先生に知ってもらいたいギフテッドの特徴』より)

「デイ・ドリーミング」(白昼夢)など、いつものことだった。そもそも、注意欠陥者の生活は、半分は現実、もう半分は夢の中で生きているようなものなのだ。だからこそ、「薬で目を覚ます」ことに効果がある。

「繰り返し作業に忍耐が無く、教育者と衝突する」というのも、よく当てはまっている。授業中、「こんな書き写し作業には意味がない」と主張して教師と口論になり、廊下に追い出されて立っていた・・・というようなことが、小学生の時はしょっちゅうあった。
 
もっとも、おとなしく授業を受けているときでも、たいていデイ・ドリーミング状態にあり、話は半分も聴いていなかった。宿題は滅多にやらず、教科書を忘れてくることが多かった。集団登校なのに、よく1人で遅刻してた。夏休みの課題は、小学校6年間を通じてマトモに提出できた試しがなかった。毎回、「今度こそは、やるぞ」と決意するのだが、やっぱり出来なかった。でも、テストの成績は常に全科目トップで、2番以下に落ちることなど考えられなかった。「優秀だから」という理由で学級委員に選ばれたが、「態度が悪いから」という理由でクビになった。でも、「素直な良い子だから」という理由で再び戻された。
 
筆者の場合はそんな調子だったけど、個別の事情は人それぞれ。「ギフテッド」の多くは大なり小なり、こうした矛盾を抱えて、周囲との衝突を経験してきている。

でも、これを取り上げたニュースの記事によれば、ギフテッドだからといって、必ずしも勉強ができるとは限らないらしい。むしろ、学校そのものが苦手なことから、ついでに勉強も苦手になる子供が少なくないという。
 
またまた大きく脱線してきたけど、要するに、「インディゴ・チルドレン」は、しばしば「発達障害」と診断されている。日本と違って、アメリカではこうした障害に対する関心が高く、「インディゴ・チルドレンと発達障害の関係」についても、盛んに取り沙汰される。日本はともかく、アメリカで「発達障害」と診断されたら、薬物治療を受けることになる。ドロレス・キャノンの言葉にある「ADHDのような誤診で病気を治療する薬」というのは、そこを言っている。
  
筆者の見たところ、この両者は、やはり無関係とは言えないように思う。「インディゴ・チルドレン」であることが原因で、「発達障害」になることは、大いにあり得る。

地球の物質世界領域は、特有の波長のヴァイブレーションで出来ており、そこでうまく生きていくためには、この波長領域に意識をフォーカスしていなければいけない。うまくフォーカスできないと、昔のカメラと同じで、「ピンボケ写真」みたいな生き方になってしまう。かつての自分がそうだっただけに、それはよく分かる。

一方、この環境に慣れている人にとっては、意識を常にここにフォーカスしていることは、簡単というより、ごく自然なことだ。むしろ、「そこに困難を感じる」ということが、どうにも理解できない・・・。
 

ボランティア・ソウル 「第2の波」 ~ ドロレス・キャノン

2013年03月29日 | ドロレス・キャノン
  
>これらのソウルの第一波は・・・地球上の生活に最も適応困難な時を過ごしました。彼らは我々の世界の横行する暴力に恐れをなして”ホーム”に帰りたいのです。彼らは意識的には、ホームがどこか全く分からないのに。(転載元

ボランティア・ソウルは、地球での経験は浅いけど、この地球環境に生まれる前に、どこか他のところで意識進化してきた。もしくは、どこか他のところから分かれて、この地球にやってきた。
 
ここでドロレス・キャノンが語っている内容は、チャネリングではない。催眠療法でセッションしてきた人々が、催眠状態になって無意識のうちに語ったことの集大成。要するに、「生まれる前のこと」を思い出した人がたくさんいる・・・ということ。

もちろん、「広い意味では、人類はみな、宇宙のどこかからやってきたのだ」という人も少なくない。でも、筆者はそう考えていない。それは何といっても、地球の人間や動物たち、そして歴史を長らく観察してきた上での結論だ。
 
というのも、大昔の古代人たちの素朴さや、野蛮で暴力的な争いは、自然界の野生動物が見せる姿にあまりにも似ている。ちょっと失礼な言い方かもしれないけど、現在でも、野生動物だった頃の意識を色濃く残している人間は、決して少なくないように思う。地球人類の大半は、この地球において太古の昔から輪廻転生を続けるうちに、鳥や獣から意識進化してきた土着の魂であることに間違いない。
 
おそらく、原始的な生物の、ほとんど眠っているような意識からスタートして、「人間の意識にまで進化する」というのが、地球の生命としては、ひとつの目標なんじゃないだろうか。その意味では、地球は一種の「養成所」であると言える。

言い換えれば、意識の種をまいて育てる「農場」みたいなものだとも言える。地球に種をまかれて意識進化を開始し、幾億年もの歳月を経て、ここまで進化してきた人間の魂。はたして、どれだけの意識が、十分に進化して「収穫のとき」を迎えることか・・・。

とは言っても、そんな土着の魂だけでは価値観が固まりやすいので、「どこか他のとこから」(From Elswhere)、やってくる人によって新風を吹き込む必要がある。

「新風を吹き込む」というのは簡単だけど、価値観が根本から違いすぎて困難だ。同じ地球上の、外国に行っただけでも適応するのは難しい。ましてや、別のところから来たような意識は、根っこの部分からして考え方が異なっている。

ドロレス・キャノンによれば、地球環境に適応すべく、大変な困難に直面してきた「第1の波」。それに続いて登場したのが、ボランティア・ソウルの「第2の波」だという。

>第二波は20代後半から30代です。彼らは第一波よりもはるかに簡単に、地球上での生活への移行を行いました。第二波のソウルは、舞台裏で働く傾向があります。多くの場合、独身で、ほとんど、あるいはまったくカルマを創りません。ヒプノシスのセッションで、彼らは無意識のうちに地球上にエネルギーを向けるアンテナとして説明されています。彼らは、何もする必要はありません、彼らは、単に居なければならないのです。彼らのエネルギーは、彼らが接するすべての人に影響を与えます。彼らのパラドックスは、彼らのエネルギーを分かち合うことになっているのですが、彼らは人々の周りにいるのが好きではないのです。

20代後半から30代の若手が、ドロレス・キャノンの言う「第2世代」。この世代は、第一世代よりも、はるかに地球での生活に移行しやすかったという。やはり、いつの時代も、最初に道を切り開くパイオニアは大変なのだ。いったん道筋が開かれれば、それに続くのは、そこまで難しくない。それにしたって、地球で生きるのが簡単でないことに変わりはないのだが・・・。
 
この第2の波の人々も、なにか特別なことをするわけではない。彼らは、「無意識のうちに地球上にエネルギーを向けるアンテナ」なのだ。

地球での役割は、「異なる波動をもたらすこと」に尽きる。要するに、やっぱり、「波動調整装置」だった・・・。

ボランティア・ソウルは、地球でカルマを積みたくない。だから、家庭も持たず、地球生活のお付き合いはホドホドに、さっさと帰りたがっている人が多いという。いわく、
 
>多くの第一と第二の波のソウルは、無意識のうちに子供を持つことはカルマを創ることと知っています。運よく、彼らが共感できるソウルに会うことがない限り、多くは、最初から結婚しません。彼らはただ自分の仕事をして、“ホーム”に帰りたいのです。
  
そういえば筆者も、子供を持つというのは考えたことがない。犬や猫などと同様に、小さな子供も熱烈に大好きで、「幼稚園や保育園に向いてるんじゃないの?」と言われるくらいなのだが、そういえば、自分の子供を持つというのは考えたことがなかった。別に、深く考えた上での結論というわけではなく、「そういえば、それは考えたことがなかったな・・・」という感じ。そういえば、「長生きしたい」とか、「子孫を残したい」とか、そういう気持ちが昔から無い。

「少子化が進んでいる」というニュースを見ても、「大いに結構なことだ」としか思えない。人口が多すぎるのは、現在の地球が抱えている大きな問題点のひとつだからだ。日本を始め、東アジア諸国やヨーロッパ諸国などでは、極端な少子化が進み、人口が減る傾向にある。インド人やアフリカ人にも、早く見習ってもらいたいものだ。
  
それにしても、「地球での生活になるべく深く関わらず、寿命が尽きるまで、なんとか人生をやり過ごそう」というような感覚が、意識的であれ、無意識的であれ、自分の人生には常に付きまとっているように感じられる。

もちろん、全員がそうではない。中には、「良い家庭を持ち、良い仕事を持っているが、それでもさっさと地球から帰りたがっている」というボランティア・ソウルもいるというから、フクザツだ。
 
>彼らのパラドックスは、彼らのエネルギーを分かち合うことになっているのですが、彼らは人々の周りにいるのが好きではないのです。

・・・というのも、おもしろいところだろう。

「地球に新たな波動を持ち込む」という観点からすれば、「なるべく多くの人々に接して、影響を与えていく」というのが、本来のあるべき姿だ。でも、ボランティア・ソウルの多くは、エゴの強い人間があまり好きではなく、深くコミットしたがらない傾向にある。「人間嫌い」とまではいかないまでも、実のところ、心から好きではなかったりする。それは、けっこう難しいジレンマだ・・・(笑) 
  

ボランティア・ソウル ~ ドロレス・キャノン

2013年03月27日 | ドロレス・キャノン
  
ドロレス・キャノンの「ボランティア・ソウル」の話は、よく知られている。発展途上国に「青年海外協力隊」が行ってるように、大変革期にある地球に、大挙して転生してきている魂のことだ。
 
本ブログとしては、それを「宇宙人の魂を持つ人々」と呼びたいところだけど、ドロレス・キャノンの「ボランティア・ソウル」の場合は、「ニュー・ソウル」、「神から直接来たピュアな人々」とも言っており、微妙にニュアンスが異なる。そこには、「宇宙からの転生者」だけでなく、「創造神から分かれてきた新しい魂」という人々も含まれているらしい。その場合、地球を去って戻るべき場所は、「宇宙のどこか」ではなく、「根源」(ソース)ということになる。確かに、中にはそういう人もいることだろう。

いずれにしても、「意識の領域では進歩してるけど、地球の物質世界で輪廻転生した経験が浅い人」ということでは変わらない。問題は、「地球の物質世界で輪廻転生した経験が浅い」というところにある。ここは、想像以上に慣れるのが難しい環境だ。
  
筆者は幼少の頃、この世界がだんだん分かってくるにつれて、地球の物質世界という環境に、底知れない怖ろしさを感じたものだ。それは、「これだけ大勢の人間がいて、それぞれにエゴがあり、しかも他人が何を考えているかは分からず、互いにエゴをぶつけあって生きている」という怖ろしさ。
 
怖いというより、「よく、これで世界が崩壊せずに成り立ってるもんだな?」と、ほとほと感心したのを覚えている。成長が遅かっただけに、まだ歩くのもやっとという感じで、誰にもこの思いを語ることはできなかったが・・・(笑)。

その後、地球人類の歴史を知り、理解するにつれて、「よく崩壊せずに成り立ってるものだ」というのが、実は誤解だったことに気づいた。

というのも、地球人類の社会は、しょっちゅう崩壊しては、再建されるというプロセスを繰り返している。しばらく平和な時期が続いているように見えても、そのうち大戦争や大災害が起きて、人々の大量死が始まる。自転車と同じで、突っ走っていなければ倒れてしまう。しばしば、本当に倒れる。いつも、大恐慌や大戦争、大革命、大飢饉、大疫病・・・その他もろもろ、信じがたいほどの災厄が連続する世界。でも、人類の社会は何度でも、倒れるたびに必ず起き上がってきた。もっとも、そのまま消えてしまった文明や都市もたくさんあるのだが・・・。
  
それは、人間だけではない。人間の世界と比べて、一見、平和に共存共栄しているように見える自然界だって、実際には人間以上に食うか食われるかの生存競争を絶え間なく続けてきた。他の生物との争いもあるけど、それ以上に、地球という環境と戦って生き延びてきた。それは、しばしば「動物や植物の大量死」という崩壊過程を迎える。森林が砂漠になり、草原が海底になり、ある生物が食い尽くされて空白になったところに別の生物が進出し・・・。でも、人類の社会と同じで、何度でも、倒れるたびに必ず再生されてきた。

要するに、それが地球という世界のやり方なのだ。いつもバラバラに分裂して混乱しているのに、なんとかやってこれているのは、崩壊せずに踏みとどまっているわけではなく、「しょっちゅう崩壊するけど、そのたびに再建しているから」というにすぎない。ここは、とにかく荒っぽいのが特徴だ。とりあえず、この世界に合わせて生きていくしかない。
 
地球での人生は、一度きりではない。人はそれぞれ、生まれ変わっている。生まれてからの何十年かの時間は同じでも、過去の転生履歴まで含めれば、その人生経験には膨大な個人差がある。

もちろん、これには反対の意見もあって、その代表者は17世紀イギリスの大哲学者、ジョン・ロックだろう。ジョン・ロックによれば、「人は皆、白紙状態で生まれてくる」という。すべては、この世に生まれてから後の経験によって、後天的に獲得されたものだということだ。(・・・ただし、これはキリスト教国の思想だけに、輪廻転生についてコメントしたものではない。『人には生まれつき理性が備わっている』というような考え方に対する反対意見)。

確かに、それにも一理ある。でも、個人的にはそう思えない。

というのも、早い話が、世間の一般人の大半は、筆者よりも明らかに地球環境に「慣れている」としか思えないのである。これは、自分と他人とを、せっせと観察してきた上での結論だ。もちろん、いろんな要因はあるとは思うけど、根本的な問題として、「地球での慣れ」に大きな差があるように思われる。

もちろん、こちらも、この人生でいろんな経験を積むことにより、かなり慣れてきた。この物質世界で生きることに対する熟練度は、大幅に向上している。もしも、もう一度、人生をやり直したとしたら、今度はかなり違うはずだ。ルドルフ・シュタイナー風に言えば、「これが、生だったのか。よし、それならもう一度!」。でも、やっぱり、「地球での人生をもう一度」と考えると、気が遠くなる・・・。
  
ドロレス・キャノンによれば、この「第1の波」のボランティア・ソウルは、地球であまりにも大きな困難に直面したため、10代のうちに理由もなく自殺した人が結構いるらしい。

自分自身を振り返ってみると、日常生活に対する興味関心がもともと今ひとつなせいか、今までのところ、ストレスで潰れることはなかった。もちろん、それなりに悩んではいたけど、精神世界やアートに没頭すれば、日常生活のことなど、たちまち忘れてしまう傾向にあった。それだけでなく、犬や猫を初めとする動物が熱烈に好きなため、道を歩いていて無邪気な動物を見かけるだけでも、たちまち気が紛れた。そういうイイカゲンさのおかげで、なんとか無事に乗り切ってこれたのだろう。
  
>彼らは意識的には、ホームがどこか全く分からないのに。強い怒りや嫌悪のような感情が、彼らを深く乱すのです。いく人かは、現状に反抗して、地球の混乱を逃れるために自殺しました。彼らは第2、第3のボランティアの波のために道を開いたパイオニアです。
  
(つづく)
 

尾てい骨 ~ ルートチャクラ

2013年03月21日 | チャクラ
 
全身に分布する7つのチャクラのうち、一番下にあるのが、ムーラダーラ・チャクラ(第1チャクラ)。

「根っこにあるチャクラ」ということで、ルート・チャクラ(根のチャクラ)とも呼ばれる。・・・ていうか、どちらかと言えば、そう呼んでる人の方が多いかもしれない。

7つもあると、端っこが目だつのは仕方ないことで、一番上にある頭部のチャクラ、真ん中にあるハートのチャクラとともに、この一番下のチャクラもかなり有名だ。

このチャクラがある場所は、尾てい骨。背骨に沿って人体をタテに貫く脊髄(せきずい)の一番下の位置にある。ここは生殖器官があるだけに、いろんなホルモンの出どころでもあるけど、神経も集中していて、「尾骨神経節」と呼ばれる、ひとつのコアになっている。

知性や認識力を伸ばしたければ、頭部のサハスラーラ・チャクラやアジナーチャクラ。体力や健康を伸ばしたければ、ムーラダーラ・チャクラを開発するといいらしい。もっとも、個人的には、どうしても眉間のチャクラに意識が集中してしまい、下の方のことまでは考えてこなかった、

でも、「これからは感性や愛情がクローズアップされる時代」として、ハートチャクラへの注目度が高まっているのと同様、ルートチャクラも、「地球と根っこでつながるチャクラ」として、スピリチュアル界で話題になることが増えてきた。それは、「地球のコアから電気のコードみたいなのが伸びていて、それが自分のルートチャクラとつながっている」というイメージを強化するもので、「グラウンディング瞑想」と呼ばれている。

それ以上に注目されるのは、ここに「クンダリニー」と呼ばれる強力な生命エネルギーが眠っている・・・とされること。

このエネルギーの開発に成功すると、会陰部でトグロを巻いていたクンダリニー蛇が、脊髄に沿った通路・「スシュムナー管」を通って一気に駆け上がり、「チュド~ン!!」とばかりに脳天を貫くという。気持ちよく昇天したい人には、オススメだ。

この「クンダリニー覚醒」を体験したい一心で、長く苦しいヨーガの修行に取り組んでいる人は少なくない。「私は、クンダリニーのエネルギーを溜め込むため、徹底的に禁欲しています」という人もいる。禁欲してエネルギーを溜め込み、いつの日か、大バクハツさせるのだ・・・!?

このクンダリニーのエネルギーは膨大なもので、性的なエネルギーとして活用すれば、スーパー絶倫男も夢じゃないという話だ(・・・ちょっと古いかもしれないが、この話を聞いて、『チョコボール向井』という人のイメージが脳裏に浮かんだ)。

ムーラダーラ・チャクラを開発した結果、異性を見てムラムーラと性欲が起きてくる。それもまた、結構なことなんじゃあるまいか・・・と思ったが、そういうワケでもないみたい。このチャクラが関係するのは、性欲や生殖力というより、もっと根源的な生存本能だとか、種族維持本能なのだという。ずばり、「食欲」という人もいる。性欲が関係してくるのは、ひとつ上の「スワディスターナ チャクラ」だという。

高所恐怖症の人が高いところに上ったときなど、生命の危険を感じるようなときに、ルートチャクラが反応し、こわばってしびれることがよくある。いわゆる、「○○が縮み上がる」という状態だ。

それを見ても、ルートチャクラが生存本能と直結していることがよく分かる。

ルートチャクラの鍛錬により、生命エネルギーを活用すれば、「病気も治ります」とか、「大幅に若返ります」という話だ。まったく、想像以上に奥が深い・・・。

ハートのチャクラ

2013年03月20日 | チャクラ
 
頭にある2つのチャクラに次いで有名なのは、胸にあるというアナハタ・チャクラ、別名「ハートのチャクラ」だろう。

とは言っても、今までの筆者の関心は、頭部のチャクラに集中していた。眉間のチャクラが幼少の頃からビリビリするので、気になって色々と調べたのだ。でも、7つのチャクラは、バランスが大事。ここは、ハートのチャクラをも開発して活性化し、バランスの良い発達を実現したいところだろう。

モンロー研究所系統の人、特に坂本政道氏の著書では、ハートのチャクラが大活躍する。

最近の坂本政道氏と言えば、「ベールを脱いだ日本古代史」シリーズだ。「トート神が教えてくれた」という、古代日本の秘められた歴史。そこでは、「大昔、朝鮮半島南部にいたネガティブな種族が、日本を占領したのだ」といった、自由奔放な(と言うべきか・・・?)古代史が展開される。それにしても、さすがは朝鮮半島。いまだに核ミサイルを作って生き延びようとあがいている人たちがいるだけあって、古代からネガティブ勢力の拠点になっていたのかと驚いた(笑)。

それはともかく、感動すると、胸が熱くなる。悲しいときは、胸がはりさけそうになる。それはやっぱり、感情が起きてくる源泉が、この辺りにあるということ。こういうのが、ハートのチャクラの作用。

眉間や頭頂のチャクラが、主に知性や認識の面で作用するのに対し、ハートのチャクラは、愛情や感受性の面で作用する。

例えば、犬や猫をかわいがっているときは、ハートのチャクラが活性化している。それが愛情の効果というものだ。

う~ん、ここはやっぱり、アニマルセラピーで愛情をかき立て、ハートのチャクラを刺激すべきなのか。試しに精神集中して、かわいい動物のイメージを思い浮かべてみる。たちまち、「おっ、俺たちのことをイメージしているな?」とばかりに、劫を経た白狐の霊や、いにしえの蛇の霊が集まってきた・・・というのは、もちろん冗談(笑えないけど)。

ハートのチャクラは、身体では心臓の位置にある。心臓から送り出された血液は、全身に張り巡らされた血管を通って体の隅々まで行き渡り、また心臓へと戻ってくる。明らかに、脳と並ぶ身体の中心ポイントのひとつだ。

ハートのチャクラは、7つのチャクラの真ん中に位置する。いろんな人の説を総合すると、やっぱり、ここが「愛」や「感情」をコントロールする中枢になっているらしい。

他者の精神と感応して、テレパシー現象や、エンパシー現象を引き起こす。さらには、人々の意識をネットワーク化して、一体にする可能性も秘めているという。

「ハートのチャクラを活性化するには、何事にも楽天的で、くよくよしないことが大事なのです」という人が多い。悲観的な人は、このチャクラの開発には向かないんだそうな。

それはまさしく、「ポジティブ・シンキング」そのもの。これもまた、愛の心と表裏一体なのだろう。

子曰く、「仁者は憂えず」(愛の心の持ち主は、心配しない)と、論語にも書いてある。不安や恐怖、悲観論その他は、愛とは反対の、エゴの産物なのだ。だから、愛に生きる人は楽観的になる・・・。


松果体 ~ 神秘の小器官

2013年03月20日 | チャクラ


まさしく、「全身のコントロールセンター」と呼ぶにふさわしい、小さな制御装置。それが、内分泌系の器官。体の各部にあって、全身の血管にホルモンを送り込み、体内の化学的なバランスをコントロールしている。有名なところでは、頭部にある「脳下垂体」や「松果体」。それから、ノドにある「甲状腺」、おなかにある「副腎」や「すい臓」などがある。
 
高校の「生物」の教科書に出てくる話の中でも、ここは難しいところの一つだろう。筆者は文系だけど、科学にもマニア的な興味があり、かつては学習塾で理科の先生をやってたこともある。ここは、似たような名前のホルモンが次々に出てきて、ほぼ確実に生徒のアタマがこんがらがる難関だった。
  
でも、内分泌腺の話は、生物学より、むしろ「チャクラ」との絡みで精神世界ジャンルによく出てくる話題。だから、精神世界マニアにとっては、実はナジミ深いところなのだ。もっとも、ただでさえヤヤコシイ話なのに、余計なことまで話したら生徒をますます混乱させるだけだから、教育の場では禁句なのだが・・・(笑)。
 
そんな内分泌系の器官の中でも、とりわけスピリチュアル的に注目されるのは、脳の中央にある「松果体」(しょうかたい)。
 
高校の生物の授業では「脳下垂体」の方が遥かに重要だけど、スピリチュアル的にはむしろ、「松果体」の方が注目度は高いだろう。もともと神秘主義者には注目されてたけど、かの高名なるスピリチュアル芸能人シャーリー・マクレーンが著書で取り上げたおかげで、名前が一気に知れ渡った。
 
シャーリー・マクレーンは、松果体を、「テレパシーを司る超感覚的な認識器官」と位置づけた。他にも、透視や千里眼など、さまざまな超感覚的認識と結び付けられている。
 
松果体は、眉間にある「アジナー・チャクラ」に相当する、知る人ぞ知る小器官だ。もっとも、ここは意見が分かれるところで、これを頭頂部の「サハスラーラ・チャクラ」と結びつける人も少なくない。でも、それはちょっと無理がある。図を見てもらえば分かるとおり、松果体は、脳の中でも下の方にある。頭頂とは、離れすぎだろう。それ以上に、機能や構造からしても、「第三の眼」と呼ばれる眉間の「アジナー・チャクラ」にこそ、ふさわしい。
  
名前の通り、「松の実」みたいな形をしている。とても小さくて、大きさは「グリーンピース」とか「トウモロコシ1粒」によく例えられる。脳下垂体もそうだけど、果たしている役割の重要さに比べて、あまりにも小さいのにビックリ。
 
それが、大脳の、右脳と左脳の間、つまり脳の真ん中にある。ここから出るホルモンが、睡眠のパターンとか、性的な発達とか、いろんなことをコントロールしている。
 
それでいて、解剖してみると、「眼球によく似た構造」であることが知られている。なんで、何も見えないはずの脳の真ん中に、そういう目玉みたいなモノがはさみこまれているのか。そう考えると、実に不思議だ。
 
このため、松果体は、「第三の眼」とか、「頭頂眼」と呼ばれる。
 
というより、セキツイ動物が進化する過程でナゼか奥に引っ込み、退化したけど、それ以前には松果体こそが本来の眼だったとも言われている。

実際、「セキツイ動物の究極の祖先」とされるナメクジウオには、眼がひとつしかない。高等動物の眼とは違って、「明るいか、暗いか」が分かる程度とされている。カマキリなどの昆虫だと、大きくて目だつ2つの複眼の間に小さな「単眼」がある。これまた、「明るいか、暗いか」をここで感知している。

人間の松果体もまた、眼としては退化したとはいうものの、もともと機能は似ているだけに、「明るいか、暗いか」を感知していた頃の名残りはあるのかもしれない。というのも、夜になって暗くなると眠くなるのは、松果体のおかげだからだ。ここは、視床下部にあるとされる「体内時計」との連携プレーで、夜になると、眠くなるホルモン(メラトニン)を放出し始める。昼夜逆転の生活をしたり、外国に行って時差ボケしたりすると、このホルモンの調節が狂ってくる。
 
松果体は、「脳の中の眼」としての役割を果たしているのかもしれない。神秘的なビジョンの多くは、この松果体の眼で見たものであることも考えられる。このため、松果体は「物質世界から、スピリチュアルな世界への入り口」とも、「魂の座」ともされる。いわば、「心の眼」といったところだろう。
         
人間が進化するにつれて、退化してきた松果体。しかも、松果体は、子供から大人になるにつれて退化するらしい。でも、シャーリー・マクレーンによれば、「松果体は退化しているのではなく、今まさに進化しているのだ」ということになる。これから、松果体が再活性化するにつれて、人類はさまざまな超能力を取り戻す・・・ということのようだ。

瞑想では、「脳の一部に意識を集中して、そこを活性化させる」という技法もあるらしい。脳にエネルギーを集中させて、松果体や脳下垂体を振動させる。

でも、ここに意識を集中して活性化するには、まず、どこにあるかが特定できてなければいけない(笑)。ここは、解剖学の図版をとっくりと眺めて、場所を特定するのが先決か・・・。

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脳下垂体 ~ チャクラの発見

2013年03月20日 | チャクラ


「脳下垂体」 (ウィキペディアより) 

古来から、インドの多くの瞑想者たちが、鋭く研ぎ澄まされた集中力と観察力によって、多くの真実を発見してきた。もちろん、お釈迦さまも、その一人。

彼らにとって最も観察すべき対象は、他ならぬ自分自身だった。というのも、他人のことは分かる範囲に限りがあって、内面のことまでは分かりかねる。だから、自分自身を観察するのである。

自分の身体が、「極小の微粒子・カラーパでできている」というのも、そうやって発見されたと言われている。

21世紀の科学技術をもってしても、特別な電子顕微鏡を用いて、やっと原子を見れるようになったばかり。もちろん、古代インドの科学では、そんなこと夢想すらできない。科学とはまったく異なるところから、「究極の微粒子」は発見された。

かの有名な「チャクラ」もまた、そういう発見の一つとされている。

チャクラと言えば、なんといっても有名なのは、眉間にある「第三の眼」だろう。でも、チャクラはそれだけではない。数え方は人にもよるけど、通常、体内には7つのチャクラがあるとされている。

チャクラが不思議なのは、近代医学が進歩するにつれて、それが身体の重要な中枢ポイントと見事に重なっていることが、ますます明らかになってきたことだろう。

その「重要な中枢ポイント」のひとつは、内分泌腺。

内分泌腺は、ホルモンを出すところ。切ったり貼ったりで忙しい働き者の酵素と違って、ホルモンは、自分では何もしないけど、重要な指令を伝えるメッセンジャーの役割を果たしている。

例えば、腎臓はオシッコを作って、水分を体の外にせっせと出している。でも、出しすぎると、体内の水分が足りなくなってくる。そうすると、脳の一部がそれを感知して、「なんだか、水分が足りなくなってきたぞ。これ以上、外に出すな」という緊急指令を発する。脳からのメッセージを伝える伝令役は、ホルモンだ。ホルモンは、脳から血管を通ってはるばると移動し、腎臓にメッセージを伝える。それを受けた腎臓は、オシッコとして出ていくはずだった貴重な水分を、急いで再吸収して体内に戻す。

でも、アルコールが入ると、この「水分を再吸収せよ」という指令の効果が弱くなると言われている。「ビールを飲むとトイレが近くなる」とよく言われるのは、そのせいだ。トイレに駆け込むたびに、再吸収できなかった貴重な水分がドンドン流出する。また飲みたくなるのは、そのせいだ・・・。

そういうのが、ホルモンの役割。体内のバランスを、いつもせっせと調節している。日頃、特に意識していなくても、身体が勝手に機能しているのは、そうやってホルモンが調節してくれているおかげ。内分泌腺は、そういうホルモンの出どころで、まさしく人体のコントロール・センターだ。 

内分泌系の器官には、「甲状腺」とか「副腎皮質」とか、重要なのがいくつかあって、それぞれがホルモンを出して身体をコントロールしている。そういう、小さいのに重要な器官が、全身のあちこちに点在している。そんな内分泌系の器官の、さらに総元締めともいえるコントロール・センターが、脳にぶらさがっている「脳下垂体」だ。
  
脳下垂体は、脳の中央の下の方にある「視床下部」から垂れ下がった小器官で、とても小さい。大きさは、よく「グリーンピース」とか「大豆」に例えられる。そんなに小さいのに、さらに「前葉」と「後葉」という2つの部分に分かれていて、それぞれが別の機能を担っている。ここから発したホルモンは、常に血管をぐるぐる回って、全身のバランスを調節している。
 
上に書いたような体内の水分の調節も、ここがやっている。それだけでなく、他の内分泌系の器官をも調節するホルモンがここから出ている。いってみれば、全身の中央司令部みたいなものだ。
 
頭蓋骨の小さなくぼみにスッポリとおさまってるので、普通はブラブラ揺れたりしない。でも、脳から垂れ下がっているだけに、「頭部のチャクラを開発すれば、脳下垂体が振動し始める」とも言われている。

古代インドの瞑想者は、ホルモンの医学的な作用など知る由もなかったはずだけど、どういうわけか、その重要性を見抜いていた。自分の頭蓋の中に意識を集中して、ひたすら観察した結果、「どうやら、この辺りの器官が、全身をコントロールしているようだな。身体のバランスを維持するためには、ここが大事なのだ」ということを突き止めたのだろう。
  
しかも、身体だけでなく、意識の中枢もそこにあった。その「意識の中枢」こそが、古来から頭部にあるとされるサハスラーラ・チャクラや、アジナー・チャクラ。

特に、頭頂部のサハスラーラ・チャクラは、全身に点在する7つのチャクラを統合している。他のチャクラをも調節する、チャクラの総元締めみたいな存在だ。

インドでは、このチャクラの開発を完成させた人を、観自在力を得て物質世界を超越した「超人」、「大師」などと呼んできた。

「お釈迦さまは、頭頂のチャクラが極度に発達した結果、頭蓋骨が隆起していた」という伝説もある。
 

地球はどう変容するのか

2013年03月18日 | アセンション ~ 地球の次元上昇
 
「地球という世界が激変しつつある」、もしくは、「既に激変している最中だ」ということについては、多くの人が同意する。

そうなると、次のテーマは当然、「では、激変した結果、どうなるのか?」ということになるだろう。でも、これは人によって意見がバラバラだ。

「すばらしい理想郷のようになる」という人もいれば、「ますます荒廃して地獄のようになる」という人もいる。

こればっかりは、変化が起きてからでないと結論が出ない。要するに、「起きてみなけりゃ、分からない」の一言に尽きる。

そもそも、分からないものを、分かるというからおかしくなるのである。地球は、もともと不安定な有為転変の世界。何かのキッカケでどう転ぶか分からない。たとえ、抜群の先見力や未来予知能力があったとしても、その通りになるという保証はない。

「予言を外さないための唯一の秘訣は、予言をしないことだ」というのは、昔も今も変わらない(笑)。

それにしても、人によって大きく異なる未来観。これに関しては、「この先、地球はパラレルワールドになり、各人が、自分の意識を反映した世界に進むのである」という説もある。「バシャール」その他で唱えられて、とても有名になった。

本当にパラレルワールドになるかどうかは別にしても、スピリチュアル的に多くの人が予想する共通項は、「より一層、思ったことが現実になりやすい世界になる」ということだろう。

もちろん、今までだって、「物質世界は意識を映す鏡」と言われてきた。

でも、だからといって、現実の世界が自分の思った通りになるかと言ったら、必ずしも、そうではない。「思考は現実化する」というのは、ある程度まではそう思えるフシもあるんだけど、どちらかと言えば、そうでないときの方が多い。

これは、自分の人生や、周囲の人々の人生を観察しただけで言っていることではない。それ以上に、地球人類の歴史をせっせと観察してきた結果として出てきた結論だ。

この点に限らず、基本的に、筆者の述べる意見はたいていそうだ。たいていの場合、それは「歴史マニア」であることと切っても切れない。「地球は、人が生きていくには悪すぎる環境だ」とよく言うのも、単に、「自分の人生に生きづらさを感じている 」というだけではない。それ以上にヒドイのは、常に貧困・飢餓・戦争・虐殺・伝染病・・・その他の地獄図を繰り広げてきた、地球人類の歴史なのである。

またまた、話が脱線した。

早い話が、過去の地球人類の歴史を観察するにつけ、「人が思ったことは現実になる」というのは、ある程度までは言えるかもだけど、全体としてはそう思えない。少なくとも、それは不安定かつ限定的な「法則」と思われる。

ただし、「物質世界は意識を映す鏡なのだ」という風に言い換えると、微妙にニュアンスが変わってくる。それだったら、その通りかもしれない。

実際のところ、地球人類は古代より、野生のケモノから進化して間もない人類の意識を反映してか、動物界の弱肉強食そのままの粗野な闘争を繰り広げてきた。

でも、現代人ともなると、かなり意識が洗練されてきて、野蛮な粗暴さは影を潜めてくる。特に、日本人についてはそうだ。それが、「意識の進化」というものだろう。

そんなこんなで、地球の物質世界は、人々の意識を映す鏡。この地球環境が良くなるか、悪くなるかは、人類の意識がどのように変容するかを、鏡のように映す。

話を元に戻すと、多くの精神世界関係者が予想するのは、「思ったことが現実化しやすくなる世界」だ。

他にも、多くの人が同意する共通項はいくつもあるけど、これは、その中でも最大級のものなんじゃなかろうか。

つまり、今までは、「人が思ったことは現実化する」といっても、あまりに制約が多い物質世界の壁にハネ返されて、その通りにならないことが多かった。

でも、これからは違う。今までよりも、思ったことが現実化しやすい世界になってくる。良いことばかりではない。悪いことも、心に思えば現実化しやすくなる。

なぜ、そうなるのかと言うと、結局のところ、前回のブログ記事に書いたような「時間の加速」のせいだ。

今までの物質世界は、「諸行無常」とは言うものの、それなりに堅牢にできていた。「意識を反映する」と言ったって、あまりにも時間がかかりすぎた。本当に反映されているのかどうか、確かめる前に人間の寿命が尽きてしまうほどだった(笑)。

そんな堅くて遅い物質世界が、限りなく変化が速く、流動的な「思考スピードの世界」と化していく。だから、意識の変化が、物質世界の変化へと、すばやくフィードバックされるようになるのである。「思考が現実化しやすくなる」というのは、人によってあれこれ解釈が変わってきたけど、元はと言えば、それが理由。

これこそ、精神世界で、多くの人が同意する共通項。

ただし、これも、あくまで「多くの人が同意する共通項」にすぎない。精神世界は、百人いれば百通りの意見が錯綜する世界だ。「全員が同意する共通見解」など、まず、一つもないと言って良いだろう(笑)。

それはともかく、個人的にはどうかと言うと、確かに、思考が実現しやすくなっているというか、少なくとも、スピードが格段に早くなっているように思う。日常生活のアチコチに、それは感じられる。

この傾向が続けば、やがて、今までとは相当に違う世界になってくるものと思われる。結論が出るのは、もう少し先になるかもしれないが・・・。

改めて、タイムウェーブ理論

2013年03月17日 | アセンション ~ 地球の次元上昇
 
そもそも、「アセンション」というのは、単なる「スピリチュアル情報を信じるか、信じないか」というような問題ではない。もちろん、そういう面もあるんだけど(笑)、それだけではない。

そこには、レッキとした論理的な根拠があるのである。

もともと最大の根拠なのは、「タイムウェーブ理論」だ。

地球の歴史や、人類の歴史を振り返ってみると、「歴史の進み方が、だんだん早くなっている」ということに気づく。

地球ができて十億年くらいは、混沌としたドロドロな環境だった。それから生物が誕生したけど、それからまた十億年くらいは、生物と呼べるのか、単なるタンパク質なのかも微妙なような、原始的な微生物しかいなかった。やがて、真核生物ができて、多細胞生物が登場。いよいよ生物らしい生物ができて、種類も急激に増えたのが5億年ほど前のこと。ここまで来るのに、地球は40億年を費やしている。

それからオゾン層が出来上がって、サンサンと降り注いでいた紫外線が大幅カットされるようになり、やっとシダ植物や昆虫・両生類が陸上に進出できたのが4億年ほど前。ゆったりと流れていた地球の時間が、このあたりから加速してくる。

やがて陸上は恐竜の天下となった。陸上だけではない。翼竜が空に、魚竜が海に進出して、地球は恐竜の惑星となった。

その恐竜が、6500万年前に絶滅。これは、人間にとっては気の遠くなるほど太古の出来事だけど、45億歳の地球にとっては、つい最近のことだ。地球の歴史を1年に例える「地球史カレンダー」で言えば、なんと12月26日、クリスマスの翌日に当たる。

それから、われわれにとってもオナジミの、鳥や獣たちの世界になる。つまり、地球が鳥獣の惑星になったのは、1年に例えれば年末の4~5日間にすぎない。

人類に至っては、どんなに古くまでさかのぼっても、1年で言えば12月31日、大みそかだけの生物だ。

それから、数万年前に文明が始まり、1万2千年ほど前に農耕文明が始まってからは、文明の歴史が急加速する。5500年ほど前からシュメール文明が出現し、エジプトや中国・インドにも文明が現れ、2500年ほど前には、巨大なペルシア帝国によって世界帝国の時代が始まった。現代人から見れば、実にノンビリした歴史展開だけど、地球の歴史からすればジェットコースター並みの急加速。

それから、15世紀に鉄砲や帆船が登場して大航海時代になり、18~19世紀に産業革命が起きて、20世紀には世界大戦が起きて、現代文明が始まり・・・と、時間は急加速し、日進月歩どころか、秒進分歩の世界になっていく。携帯電話やインターネットは、10年~20年ほどで普及し、世界をガラリと変えてしまった。
 
このような時間の加速ぶりを見れば、この先も、さらに大きな変化が急激に起きてくることが、当然に予想される。

それに加えて現在の状況を見れば、世界的な異常気象に、経済・社会の激変、科学技術の劇的な進歩・・・と、まさに激変が起きている。

「地球が大激変する」というのは、もともと、こういうことを根拠にしているのであって、「イワシの頭も信心」どころか、むしろ、「当たり前のことを述べている」と言っても言い過ぎではない。

重要なのは、こうした生物の進化や、文明の進歩が、「意識の進化」を伴っているということだ。

歴史を観察すれば、昔の地球人類の野蛮さ、凶暴さに度肝を抜かれることの連続だ。最初はコン棒で殴り合っていたのが、だんだん槍で突き刺し合ったり、刀で斬り合ったりするようになり、さらには鉄砲で打ち合ったり、爆弾の雨を降らせ合ったり・・・。時代を経るごとに、徐々に洗練されてはいったのだが。今でも、そういうことはなくなっていないけど、少なくとも日本のような文明国では、遥かにマシになっているのは確実と言ってよい。明らかに、人類の意識は進化してきている。
 
動物も一緒だ。犬や猫といった哺乳類、オウムやインコといった鳥類は、人間と心が通い合うほど意識が進化している。その点、カメとかコイといった両生類や魚類は、飼い主がどんなに愛情を注いだとしても、いつまでたっても水槽や池に入れて眺めることしかできない(笑)。それが、意識の進化というもの。

これを見るに、この先の世界の激変もまた、必ずや地球の生命、とりわけ人類の意識を強く刺激し、何らかの形で「意識の進化」を引き起こすであろう。

もっとも、必ずしも良い方向に変わるとは限らないので、「進化」と言わず、「意識の活性化」と言い換えてもいいだろう。現代人から見れば、大昔の人々の大半は意識が開発されておらず、眠っていたようなものだ。大昔の世界はスピードが遅くて情報量が乏しく、刺激がなかったのだから仕方ない。そんな、まどろんでいた古代人の意識は、近代に入るにつれて、次第に明晰な意識に変わっていった。「意識の活性化」とは、そういうことを指している。
 
というわけで、これが「アセンション」という考え方の基本。だんだん、そこから離れていく一方だけど、元はと言えば、そういう話なのだ・・・ということを、改めて確認しておきたいと思う。
 
もっとも、スピリチュアル界や新興宗教界では、ここに書いたような歴史を否定する人も少なくない。スピリチュアル的には、大勢の生物学や考古学の研究者が物的証拠を積み重ねて明らかにしてきた実証主義的な歴史よりも、「アカシック・レコードを霊視して明らかになった地球の秘史」といったものが、しばしば上位に置かれるからだ。このため、歴史の話をすると、そういう宗派の人たちに怒られることがよくある。まあ、そのあたりが、この世界の難しいところだろう(笑)。

ただ、ここ数十年~数百年の歴史を見ただけでも、「時間の加速」は明らかなので、太古の歴史に関して大幅に異なる見解を持っている人は、そこだけ見てもらえばいいと思う。

スピリチュアル化への道

2013年03月16日 | こっくり亭日記

以前から、「2012年のアセンション・イヤーを過ぎたら、スピリチュアル業界はどうなるのだろうか?」とひそかに心配していたのだが、どうやら心配無用だったようだ。アセンションの話は、特に盛り下がっているという印象を受けない。「つい最近、アセンションブログを始めたので見てくださいね」という人もいる。2012年の年末をもって引退を表明したアセンションブロガーだって、早くも復帰したようだ。

これは、当然と言えば当然と思われる。もともと、「2012年の年末に地球の自転がストップして、3日間ほど静止した後、逆回転を始める」とか、「2012年の年末までに世界中のおカネが紙クズになり、必要なモノが何でもタダで手に入る世の中になる」とか、そういう話に無理があったのだ。そんなの、いくら宇宙パワーが降り注いできたって、無理なものは無理。

もっとも、「実現不能」と言っても、そこにはおのずと程度差がある。

さっきの例で言えば、前者の「地球の自転停止」は、物理的にまったく起こり得ない。空気抵抗も何もない宇宙空間で、一度回り始めたものを止めるのは大変だ。まあ、火星くらいの巨大な天体が地球に衝突するとかすれば可能性はゼロじゃないけど、その場合は、地球の全表面が完全に崩壊し、そこで生物が生き残れる可能性はゼロになる(笑)。もっとも、巨大隕石が飛び交っていた40億年前の形成期ならともかく、出来上がって久しい今の太陽系で、それは考えにくい。

でも、後者の「必要なモノが何でもタダで手に入る世の中」は、急には無理だけど、いつかは実現してもおかしくない。まあ個人的には、「貨幣」が諸悪の根源だ、悪魔の発明だという風に言われるのには違和感を覚える。貨幣など、文明の進歩に伴って自然に発生した、単なる道具としか思えないからだ。でも、「貨幣くらい、あってもいいじゃないか」という話をしたところ、たちまち非難の声が上がったのを見て、いかに貨幣が目のカタキにされているかを知り、認識を改めた。

そんなこんなで、従来、本ブログで筆者が受ける批判や非難というのは、たいてい、「常識の枠を越えられずにいる」といった主旨での、熱心なスピリチュアリストからのお叱りがほとんどだった。これは主として、筆者の生きてきた人生に原因がある。つまり、最初からそうだったわけではない。地球で生きていくうちに、徐々に身に付いてきた傾向だ。

それもこれも、「注意欠陥・多動性障害」に加えて「熱烈な哲学マニアで精神世界マニア」という、どちらか一方でも日常生活に支障を来たすのに十分な二重苦のハンデを抱えつつ(笑)、よりによって金融・財務・不動産etc.・・・といった現実主義のカタマリみたいな業界の人たちに揉まれ、辛酸をナメてきたおかげだ。前にも書いたけど、会社を辞めてフリーターになり、工場や倉庫で働いてみたり、学習塾で理科の先生をやってみたりしたけど、おカネに困って追い込まれたあげく、結局は元の世界に引き戻された。そこからは、逃れられない運命のようだ。

これでモノの考え方がシリアスにならなかったら、それこそ、どうかしている。むしろ、それでも精神世界マニアでいられていることが稀有だと言うべきだろう(笑)。

実際のところ、学生時代の友人には、心を病んで精神障害者になった人が何人もいるけど、みんな、筆者がいつまでも元気で平然と生きていることに感心する。だが、残念ながら彼らには、精神世界談義が通用しなかった。「宇宙からの転生者」や「地球の次元上昇」の話をしたら、プッと吹き出して「相変わらずだな」と言われた。「俺の人生は大変なのだ。根拠のない希望など、もたらさないでくれ」というわけだ。

でも、一方で、そういう古くからの友人たちは、かつて「数学が0点でも東大に入れる」と言われた、筆者のスーパー文系秀才ぶりを熟知している。歴史や哲学の話なんか始めたら、それこそ徹夜でも平気で語り続けるのを知ってるから、誰もあえて議論しようとはしない。

またまた話が脱線したけど、要するに、「自分もコテコテの精神世界マニアであるにもかかわらず、スピリチュアリストによる主張に対し、『そんなことがあるワケがない』と言って反対することが多い」という奇妙な傾向は、長い時間をかけて、多くのフクザツな要因によって形成されてきた。まったく、申し訳ないとは思う。でも今さら、どうにもならない。

ところが、このたび、初めて(・・・と言っていいだろう)、筆者の語るアセンションやワンダラーの話が、「あやしいスピリチュアル情報に洗脳されている」という趣旨で批判を浴びた。そういう風に言われたことが、なんだかんだ言いつつ、リアルでもネット上でもほとんど記憶になかっただけに、新鮮だった。

そこで、去年の本ブログを見直してみたところ、「今年はいよいよアセンション・イヤーだ」という話をひとしきりやった後、知る人ぞ知るUFO研究者にして「八ヶ岳の聖人」こと葦原瑞穂氏の「黎明」の話を延々とやっていた。それから、しばらく更新が途絶えた後、「月日が過ぎるのが早い。もうすぐ『2012年の冬至』だ」とハイテンションに語りつつ、「宇宙船、天空に満つる日~オイカイワタチ」の話に入っていた。

こうして見ると、知らず知らず、ほとんど常にUFO関係者の話ばかりしていたことに、今さらながら気づいた。

そう言えば、ヒマなとき、「こんなところでUFOが目撃されたぞ!!」というような、YOUTUBEの動画を見ていることも最近はよくある。

なりゆきでそうなったとは言うものの、これはやっぱり、アセンション・イヤーを迎えて、考え方がスピリチュアル化する方向に向かっているということなのかもしれない。そこに向かって一歩、踏み込もうとしているのか。どこに向かっているのかは、本人にも分からない・・・(笑)。