これからの世の中の変化は、精神世界にとって確実に追い風になるだろう。
今までは、経済や産業を発展させるために、人々があまりにも必死だった。今でも中国あたりではそうだけど、先進国にはだんだん「ゆとり」ができてきている。精神世界を探求しやすい環境が整ってきている。
精神世界というのは、あまりにも日常生活に追われていると、どうしても影が薄くなってくる。たとえてみれば、海を渡る船の中で必死になって働いている船員が、忙しくて船の外のことを考えるヒマがないようなものだ。船の外には、大海原が広がっている。その向こうには大陸諸国やら島国やら、いろんな国がある。でも、船の中の雑務に追われていれば、アタマの中ではわかっていても、だんだん外の世界のことを考えなくなっていく。
かつての自分を振り返ってみると、日常生活がどんなに忙しくても、精神世界の探求をそれより優先していたように思う。最近は、そうでもなくなってきた。日常生活に追われていると、しらずしらずのうちに、優先順位がだんだん下がってくる。さすがに、何十年も地球の物質世界にいるおかげで、なんだかんだ言いつつ、ここの波動に染まってきているのだろう。
本ブログでは、自分自身の体験談として、地球世界への不適応ぶり、それに対して適応しようとする悪戦苦闘ぶりをたびたび書いてきているけど、それは若い頃の思い出がほとんど。今の自分は、昔と比べたら、かなり地球になじんできている。もちろん、それはあくまでも「昔の自分と比べれば」という話で、他人と比べたらどうかってのはあるけど(笑)。
ここでもう一度、地球での人生をやり直したならば、今度は結構うまくやれるだろう。いや、何度やっても同じか。まあ、多少はそれなりに違うだろう。
ここでいう「不適応」というのは、「遠くに行くには時間が余計にかかる」とか、そういった本当に基本的レベルのところで、どうも地球環境になじめなかった。どうしても、瞬間移動できるのが普通で、移動に時間がかかるのが異常に思えてしまう。このため、移動にかかる時間の計算が大きく狂うので困っていた。
だから、最近の交通手段の急速な進歩には、「我が意を得たり」の思いだ。精神世界関係者には、科学技術の進歩に対して批判的な目を向ける人も多い。考え方としては、もちろんそれが正しいんだろうけど、個人的には「瞬間移動できるのが普通で、移動に時間がかかるのが異常」という世界観がどうしても根底にあるので、移動速度が速くなるにつれて、「本来あるべき姿に近づいてきたな」と感じる。
「この世になじめない」っていうと、「人間関係が苦手で生きづらさを感じている」というイメージをもたれるかもしれないけど、ここで言いたかったのはそういうことではなくて、もっと根本的なレベルで、地球の物質世界が苦手だということ。「物質世界とはこういうところであり、このような動きをすればうまくいく」というような基本的ノウハウが、生まれつき欠落していた。その代わり、観念的の分野には強かったから、バランスがとれていたのかもしれない(笑)。
それはともかく、「地球環境に慣れてきた」という話に戻すと、それは単なる「慣れ」の問題であって、意識進化とは言えない。地球環境にも長くいれば、慣れてくるのは時間の問題。それと意識進化との間に、直接の関係はない。むしろ、逆効果になることもある。
今の地球の価値観では、日常生活に埋没して余計なことを考えず、人生を「うまくやれている」人が称賛される。精神世界に関心を持っていることは、ほめられるどころか、非難の目を向けられることも多い。ここでは、価値観がひっくり返っている。
まるで、ネットのゲームの世界みたいなものだ。そこでは、いつも熱心にゲームをして、強力な装備をそろえて、献身的に仲間を助けてくれる人が優秀な人物とされる。逆に、たまにしかやらず、やる気の乏しいプレイをする人は、「使えない人」というレッテルを貼られる。しかし、ゲームの外の世界から見れば、前者は「ネトゲ廃人」であり、後者こそが「真っ当な社会人」なのである。
それと同じで、地球の日常生活に埋没している人は、ここでは「健全で有能な人物」かもしれないが、もっと広い見地からすれば、「何も分からない人」でしかない。本当は、日常生活のことなどホドホドにして、精神世界の探求にまい進することこそ、健全で有能な人物のやるべきことだ。これは、価値観の逆転といえる。
最終的には、意識進化がなによりも重要だ。そうでないと、どっちにしても地球環境を維持することすらできない。
北朝鮮がいい例だろう。北朝鮮が貧しくて、アタマのいかれた人物が権力を握っているのは、今に始まったことではなく、千年前からよくある状況だ。でも、千年前や五百年前は、それは北朝鮮という狭い世界の問題でしかなかった。今は、北朝鮮から日本や太平洋にミサイルが飛んでくる。アメリカにも飛ぶんじゃないかという勢い。ヘタをすれば、地球人類が滅びかねないほどの大問題になってしまった。
それは、文明が発達したおかげで、それだけ危険が大きくなっているということ。飛躍的に意識進化しない限り、たぶん、このままでは地球環境を維持するのは難しい。古代や中世のような闘争的な意識のままでは、もう地球はもたないことが明らかになってきた。
それはともかく、話をもとに戻すと、これからは日常生活に埋没するのはホドホドにして、精神世界を探求するのが普通の世の中になるだろう。
筆者も、かつては日常会話の中で、輪廻転生の話とかを普通にやっていた。「前世はペルシャ人だったようだ」とか、「今回の人生では、このあたりが限界だな」とか、そういう調子。あまりにも普通に話すので、スピ系の話にアリガチな異質感がないという定評があった。
でも最近は、あまりにも周囲に精神世界関係者がいないので、さすがにやりにくくなってきている。会話というのはキャッチボールなので、相手が関心を持たない話を一方的にし続けるのは難しい。
以前は、そうではなかった。本ブログを始めた十年前は、同じ職場にも精神世界マニアが結構いたのだ。あの頃は、周囲にそういう雰囲気があった。今はそういう雰囲気が皆無で、どちらかというと、科学技術に関心のある人が周囲に多い。これはやはり、波長同通の法則、類は友を呼ぶということなのかもしれない。ここは、環境を変えてみるのも、ひとつの手なのかもしれない・・・(笑)。