宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

精神世界が常識になる世界

2017年09月27日 | 精神世界を語る

これからの世の中の変化は、精神世界にとって確実に追い風になるだろう。

今までは、経済や産業を発展させるために、人々があまりにも必死だった。今でも中国あたりではそうだけど、先進国にはだんだん「ゆとり」ができてきている。精神世界を探求しやすい環境が整ってきている。

精神世界というのは、あまりにも日常生活に追われていると、どうしても影が薄くなってくる。たとえてみれば、海を渡る船の中で必死になって働いている船員が、忙しくて船の外のことを考えるヒマがないようなものだ。船の外には、大海原が広がっている。その向こうには大陸諸国やら島国やら、いろんな国がある。でも、船の中の雑務に追われていれば、アタマの中ではわかっていても、だんだん外の世界のことを考えなくなっていく。

かつての自分を振り返ってみると、日常生活がどんなに忙しくても、精神世界の探求をそれより優先していたように思う。最近は、そうでもなくなってきた。日常生活に追われていると、しらずしらずのうちに、優先順位がだんだん下がってくる。さすがに、何十年も地球の物質世界にいるおかげで、なんだかんだ言いつつ、ここの波動に染まってきているのだろう。

本ブログでは、自分自身の体験談として、地球世界への不適応ぶり、それに対して適応しようとする悪戦苦闘ぶりをたびたび書いてきているけど、それは若い頃の思い出がほとんど。今の自分は、昔と比べたら、かなり地球になじんできている。もちろん、それはあくまでも「昔の自分と比べれば」という話で、他人と比べたらどうかってのはあるけど(笑)。

ここでもう一度、地球での人生をやり直したならば、今度は結構うまくやれるだろう。いや、何度やっても同じか。まあ、多少はそれなりに違うだろう。

ここでいう「不適応」というのは、「遠くに行くには時間が余計にかかる」とか、そういった本当に基本的レベルのところで、どうも地球環境になじめなかった。どうしても、瞬間移動できるのが普通で、移動に時間がかかるのが異常に思えてしまう。このため、移動にかかる時間の計算が大きく狂うので困っていた。

だから、最近の交通手段の急速な進歩には、「我が意を得たり」の思いだ。精神世界関係者には、科学技術の進歩に対して批判的な目を向ける人も多い。考え方としては、もちろんそれが正しいんだろうけど、個人的には「瞬間移動できるのが普通で、移動に時間がかかるのが異常」という世界観がどうしても根底にあるので、移動速度が速くなるにつれて、「本来あるべき姿に近づいてきたな」と感じる。

「この世になじめない」っていうと、「人間関係が苦手で生きづらさを感じている」というイメージをもたれるかもしれないけど、ここで言いたかったのはそういうことではなくて、もっと根本的なレベルで、地球の物質世界が苦手だということ。「物質世界とはこういうところであり、このような動きをすればうまくいく」というような基本的ノウハウが、生まれつき欠落していた。その代わり、観念的の分野には強かったから、バランスがとれていたのかもしれない(笑)。

それはともかく、「地球環境に慣れてきた」という話に戻すと、それは単なる「慣れ」の問題であって、意識進化とは言えない。地球環境にも長くいれば、慣れてくるのは時間の問題。それと意識進化との間に、直接の関係はない。むしろ、逆効果になることもある。

今の地球の価値観では、日常生活に埋没して余計なことを考えず、人生を「うまくやれている」人が称賛される。精神世界に関心を持っていることは、ほめられるどころか、非難の目を向けられることも多い。ここでは、価値観がひっくり返っている。

まるで、ネットのゲームの世界みたいなものだ。そこでは、いつも熱心にゲームをして、強力な装備をそろえて、献身的に仲間を助けてくれる人が優秀な人物とされる。逆に、たまにしかやらず、やる気の乏しいプレイをする人は、「使えない人」というレッテルを貼られる。しかし、ゲームの外の世界から見れば、前者は「ネトゲ廃人」であり、後者こそが「真っ当な社会人」なのである。

それと同じで、地球の日常生活に埋没している人は、ここでは「健全で有能な人物」かもしれないが、もっと広い見地からすれば、「何も分からない人」でしかない。本当は、日常生活のことなどホドホドにして、精神世界の探求にまい進することこそ、健全で有能な人物のやるべきことだ。これは、価値観の逆転といえる。

最終的には、意識進化がなによりも重要だ。そうでないと、どっちにしても地球環境を維持することすらできない。

北朝鮮がいい例だろう。北朝鮮が貧しくて、アタマのいかれた人物が権力を握っているのは、今に始まったことではなく、千年前からよくある状況だ。でも、千年前や五百年前は、それは北朝鮮という狭い世界の問題でしかなかった。今は、北朝鮮から日本や太平洋にミサイルが飛んでくる。アメリカにも飛ぶんじゃないかという勢い。ヘタをすれば、地球人類が滅びかねないほどの大問題になってしまった。

それは、文明が発達したおかげで、それだけ危険が大きくなっているということ。飛躍的に意識進化しない限り、たぶん、このままでは地球環境を維持するのは難しい。古代や中世のような闘争的な意識のままでは、もう地球はもたないことが明らかになってきた。

それはともかく、話をもとに戻すと、これからは日常生活に埋没するのはホドホドにして、精神世界を探求するのが普通の世の中になるだろう。

筆者も、かつては日常会話の中で、輪廻転生の話とかを普通にやっていた。「前世はペルシャ人だったようだ」とか、「今回の人生では、このあたりが限界だな」とか、そういう調子。あまりにも普通に話すので、スピ系の話にアリガチな異質感がないという定評があった。

でも最近は、あまりにも周囲に精神世界関係者がいないので、さすがにやりにくくなってきている。会話というのはキャッチボールなので、相手が関心を持たない話を一方的にし続けるのは難しい。

以前は、そうではなかった。本ブログを始めた十年前は、同じ職場にも精神世界マニアが結構いたのだ。あの頃は、周囲にそういう雰囲気があった。今はそういう雰囲気が皆無で、どちらかというと、科学技術に関心のある人が周囲に多い。これはやはり、波長同通の法則、類は友を呼ぶということなのかもしれない。ここは、環境を変えてみるのも、ひとつの手なのかもしれない・・・(笑)。

 


地球の科学技術は、まだ遅れている

2017年09月20日 | こっくり亭日記

 

今日はカゼを引いて休んでいるが、午後になって回復したので、ブログを書くことにした。

それにしても、21世紀に入って20年近くがすぎた今、まだまだ克服されていない病気が多い。むしろ高齢化社会なので、病気の人がますます増えている。

アメリカの経済規模は日本の3倍以上で世界最大だけど、そのうちの2割近くが「医療産業」だという。これは日本の倍くらいの比率。もはや、医療産業こそが、アメリカの経済を支える屋台骨、基幹産業そのものだと言ってよい。

つまり、「アメリカを見習って、日本の経済をもっと発展させよう」というのなら、なによりもまず、日本人がもっと莫大な医療費を使う必要がある。しかし、それが国民にとって豊かさを意味するのかどうか。

筆者は海外ドラマファンなのでアメリカのドラマをよく見るけど、たしかに、どのドラマでも、出てくる病院の設備がすごいなといつも思う。まるでSF映画に出てくる未来の病院みたいだ。でも、それでいて、平均寿命は日本よりかなり短い。これは、なぜなのか。アメリカ人は、ピザやハンバーガーを食べすぎているのかもしれない。あるいは、コーラの飲みすぎなのかもしれない。

それはともかく、お釈迦さまは、「生・老・病・死」を人生の「四苦」とした。これらは、現代でも解消されていない。もちろん、古代のインドよりも、現代の日本のほうが、寿命は何倍も長いし、遥かに病気になりにくくて、死ににくい。だからといって、病気や老化や死が、なくなったわけではない。やっぱり、それは程度の問題にすぎず、変わっていない。

むしろ、多くの人が老いる前に地球の物質世界を去っていた大昔より、大半の人が老化を迎える現代のほうが、老化の脅威が実質的に大きくなってるんじゃなかろうか。

筆者は、「遠からずバイオテクノロジーが発達して、老化した皮膚や血管を注射1本で再活性化し、若返らせることが可能になる」と昔から主張してきた。以前は、「ハァ? また意味不明なことを言い出したな」というような反応が多かったけど、最近は、「たしかに、遠からずそうなるだろうな」といった反応が多い。それだけ、驚くべき科学の進歩ぶりが、人々にも知れ渡ってきた。

「最低でも200歳までは生きる」とか、「60歳くらいから、科学の力で逆に若返り始める」というようなことも、10代の頃から周囲によく言ってたが、それは妄想や思い付きではなく、いろいろ調べた上で、「2030年頃の地球の科学技術はこのくらいまで進むだろう」というような予測をした結果だった。

「科学技術が進歩した未来の世界に、妙に憧れているな」とよく言われたが、確かにその通りだった。

というより、「いまの地球は、科学技術があまりにも遅れている」という不満が強かった。「地球人の寿命は短すぎる。人間の寿命は、5百歳か千歳くらいがちょうどいい」とも考えていた。

まあ、そんなことばかり言ってるから、「なんだか、宇宙人みたいな奴だな?」と言われるハメにもなるわけだが。

ていうか、地球人類が抱えている悩みの多くは、科学技術の発達によって克服できる。科学技術は、発達する途中の、中途半端な段階では、多くの問題を引き起こす。でも、それはあくまで、惑星としての進化の途上のレベル。まだ、地球の惑星進化は中途半端で、安定した成熟段階には至っていないと考えられる。

もちろん、「人間、原初の自然が一番」という考え方もあるし、それにも一理ある。しかし、根本的な原初の自然が、どういう環境だったかを考えてみよう。そこには、そもそも人間などいなかったのではあるまいか?(笑)

 


バーチャル化する世界

2017年09月19日 | こっくり亭日記

 

最近は、仕事で全国各地に行くことが多くなった。そのたびに思うのは、新幹線や飛行機の速さだ。とくに新幹線。東京から、仙台・新潟・富山・金沢などは、すぐに着いてしまう。ちょっと前まででいえば、北関東の宇都宮か前橋あたりの感覚だ。移動時間が短すぎて、遠くに来たという実感がない。

10年後には、リニアモーターカーが開通する予定になっている。東京-名古屋間が40分になる。電車賃はともかく、時間的には、名古屋は首都圏の一部になる。東京にいても、名古屋にいても、ほとんど違いがなくなる。

電車だけではない。遠くない将来に車の自動運転が普及すれば、「車の中で寝ている間に目的地に着く」というのが当たり前になり、これまた移動革命が起きるであろう。電気自動車の場合、床は段差がなくて平たい。車の中は、箱みたいな空間になっており、布団と枕が置いてある。寝ていれば、朝には勝手に目的地に着いている。まさに、「移動するカプセルホテル」だ。

21世紀に入って十数年。いよいよ、SF映画みたいな世界が現実になろうとしている。2001年頃は、「20世紀とたいして変わらないな?」とよく言われていたが、その判断はまだ早すぎた。2020年頃から、いよいよ世界が、本当にSF映画みたいになってくる。

問題は、それが人間の精神にどういう影響をもたらすかだろう。

考えられるのは、「おそらく、この世界そのものが、壮大なバーチャル・リアリティーに見えてくるのではないか?」ということ。

というのも、もともと、この世界は壮大なバーチャル・リアリティーなのである。これは、精神世界の探求者にとっては、古来から常識だった。でも、世間の一般人には、いまひとつ普及しなかった考え方。

でも、だんだん、昔はどうにもならなかったことが、自由自在にできるようになってくる。遠いところにも素早く移動できるし、物理的な障壁がだんだん薄れてくると、この世界の本質が、あらわになってくるに違いない。

ていうか、遠いところに移動する必要もなくなってくる。代理となる昆虫サイズくらいのロボットを現地に派遣して、自分の目と耳の代わりをさせればよいのだ。まるで、現地にいるのと変わらない現地体験ができるようになるであろう。

筆者のように、好奇心は旺盛だけど、行動力が乏しくて、どこにも行かないタイプの人にとっては、実にありがたい技術だ。最近は、上にも書いたように国内ではアチコチに行ってるけど、しょっちゅう海外出張している知人などと比べたら、まだまだ行動範囲は狭い。しかし、これからは、行動範囲を広げなくても、認識範囲をどんどん広げることができる。

いろんな面で危険な技術ではある。とくに、盗撮・盗聴をいかにして防ぐかが、将来は極めて難しい課題となるだろう。自分の身近にいる昆虫が、地球の裏側の人と直通する情報端末だった・・・というようなこともあり得る。

例によって話がズレてきたので、もとに戻すと、要するに近い将来、この世はバーチャル・リアリティーに見えてくる。今までにも、精神世界の探求者には、そのように見えていた。でも、これからは、世間の一般人にも、明らかにそう見えてくる。人によって個人差はあるだろうけど、おそらく大半の人にとって、そう思える日がきっと来る。

そのとき、精神世界というジャンルが大きくクローズアップされるものと筆者は見ている。今までは、どちらかといえば、「陽が当たらない日陰のサブカルチャー」という扱いだったけど、おそらく遠くない将来に脚光を浴びることになる。

(つづく)