宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

スティルネス ~ エックハルト・トール

2010年04月29日 | エックハルト・トール


 
世界が静寂に感じられるなら、そっと耳を澄ませてください。ただ静寂に気づくだけでいいのです。静寂に意識を向けるのです。静寂に耳を傾けると、あなた自身の内なる静止の次元が、目を覚まします。あなた自身が静止していないかぎり、静寂の次元に気づくことはありません。 (エックハルト・トール)
 
 
静かに止まっていること。それが、スティルネス。“STILLNESS SPEAKS” という原題でも分かるとおり、「静止」はエックハルト・トールにとって、最大のテーマのひとつ。

過去も未来もないなら、「いま、この瞬間」にいるしかない。ポール・デルヴォーの絵のように、「この瞬間」で、時計の針が永遠に止まる。無限の沈黙の中に、時が凍りついている。

重要なのは、心の中で沈黙することだ。「沈黙に耐えられなくて、思わず喋りだす」というのは、日常生活ではアリガチなことなのだが、それは対人的な場面だけでいい(笑)。せめて、自分の心の中では、それをやらないようにする。

沈黙に耐えるというのは、自分一人でも意外と大変なことだ。気がついたら、心の中で喋りだしている。しまいには、いつのまにか、声に出して喋っていたりする。エックハルト・トール自身、かつてはそうだった。他人から変な目で見られて、トイレで延々と独り言を言ってる自分に、はじめて気がついた・・・。

心の中での口数が少なくなると、内面的に静まり返ってくる。夜中に、家の中でテレビをつけっ放しにしていた人が、急にスイッチOFFしたようなものだ。今までは、ワイワイガヤガヤと音がしていたのに、急にシーンとなってしまう。慣れないうちは、静かすぎて不気味この上ない。

でも、なんとか、そこで踏み止まる。慣れれば、それが心地よくなってくる。心の中で沈黙していると、なんだか、外界までが静かになったような気がしてくるから、不思議なものだ・・・。


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いま、起きている出来事 ~ エックハルト・トール

2010年04月26日 | エックハルト・トール
 
ほとんどの人は、「いま、この瞬間」を、「いま、起こっている出来事」と錯覚しています。でも、このふたつは別のものです。「いま、この瞬間」は、そこで起こる出来事よりも、ずっと奥深いのです。  

(エックハルト・トール著 あさりみちこ訳 『世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え』より)
 

エックハルト・トールによれば、「いま、この瞬間」には、何も問題がない。

問題があったのは、過去のこと。未来には、また別の問題が生じるだろう。でも、「いま、この瞬間」には、何も問題がない。

「ちょっと待てよ」と言いたくなる人もいるだろう。「問題がない」なんて、トンデモない。現在の俺は、どちらかといえば問題だらけだ。というより、問題の山に押しつぶされて、ぺちゃんこの窒息状態に近い。まずは、現在の俺をなんとかしてくれ。

・・・と言いたい気持ちは、よく分かる。でも、それは誤解だというのだ。エックハルト・トールによれば、それは「いま、この瞬間」と、「いま、起こっている出来事」とを混同することから生じる錯覚だという。
 
それはつまり、「いま、起こっている出来事」というのは、「いま、この瞬間」を通り過ぎていく、日々の泡のようなものにすぎない。むしろ、「この瞬間」というのは、そんな「出来事」が起きる場だということ。
 
問題は、人々が、「起きている出来事」という形でしか、「いま」を認識できなくなっていることにある。例えば、「いま、ラーメンを食べている」というのは、「いま」そのものではない。ラーメンを食べていても、カレーライスを食べていても、車に乗っていても、「いま」に変わりはない。でも、人々は「ラーメンを食べている」という形でしか、「いま」をとらえられなくなっている。
 
人々にとって、「現在」とは、「現在の状況」という意味でしかない。それはやはり、過去から未来へとつながる流れの中の、通過点としての現在。あまりにも、そういう見方に慣れきっているため、それ意外の意味を考えてみようともしない。
  
とはいえ、まずは、そういう「現在の状況」を、まるごと受け入れることから始めるしかないだろう。「なんとかしよう」と燃えるわけでもなく、逆に「仕方がないさ」とあきらめるわけでもなく。とりあえず、現在の状況を、あるがままに受け入れる。 
 
現在の状況がどうであろうと、「いま」が「いま」であることに変わりはない。「いま、この瞬間」というのは、それよりも、もっと、ずっと深いところにある。現状をあるがままに受け入れたとき、初めて、その深淵が姿を見せてくる・・・。
 
ですから、「いま、この瞬間」を、その内容と混同してはなりません。「いま、この瞬間」は、その中で起こるどんな出来事よりも、深遠なのです。

(同上)
 
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意識を、「いま、この瞬間」にフォーカス ~ エックハルト・トール

2010年04月26日 | エックハルト・トール
 
意識を、「いま、この瞬間」にフォーカスするときにはいつでも、感覚が研ぎ澄まされます。それは、あたかも「夢」から覚めたときのようです。ただ、ここでいう夢とは、「思考」という夢、「過去と未来」という夢です。夢から覚めれば、なにもかもが見違えるほどクリアーに、シンプルに変わります。問題が生じる余地などありません。存在するのは、ただ、ありのままの、「いま、この瞬間」だけ・・・。
 
(エックハルト・トール著 あさりみちこ訳 『世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え』より)


「地球のアセンション」といえども、結局は、ひとりひとりの個人が覚醒するしかない。個人の覚醒を積み上げることにより、人類全体の意識進化が、結果としてついてくる。どうやら、それが見えてきた。

覚醒を目指すなら、やっぱり、まずは「現代のスピリチュアル・リーダー」こと、エックハルト・トールに学ぶべきだろう。

エックハルト・トールによれば、意識を「いま、この瞬間」にフォーカスすることにより、感覚が研ぎ澄まされる。なんと、それは、「夢から覚めたときのようだ」という。まさしく、「覚醒」そのものではないか・・・!?

人は皆、過去をひきずり、未来に向かって生きている。「いま、この瞬間」にフォーカスするとは、過去をひきずるのを止めること。そして、未来に向かって生きるのを止めること。

多くの人々は、「いま、この瞬間」を、未来への通過点と捉えている。今の自分は、残念・無念な状況だ。でも、こればっかりは仕方がない。人は、未来に向かって生きるしかないのだ。現在は、輝かしい(・・・というより、今と比べればマシな?)未来に向かって上る、長い階段のワンステップにすぎない・・・。
 
それは前向きなようでいて、実は、「時間」という信念に、丸ごと飲み込まれてしまった考え方と言えるだろう。それより、未来のことなど忘れて、「いま、この瞬間」に意識を集中する。意識のすべてをかけて、たったいま踏んでいる、階段のワンステップに集中する。すると、目の前に見えていた、「未来」へと続く果てしない階段が、たちまち真っ白な煙になって消えてしまう。振り向けば、「過去」からダラダラと続いていた階段も、いつのまにか消えてなくなっていた。もう進めないし、戻れない。階段がなくなったからには、ここにいるしかない。いまや、「現在」が、すべてとなった。
  
エックハルト・トールと言えば、「いま、ここに在る」(BE HERE NOW)というのが、定番だ。それは分かっちゃいるのだが、都会の雑踏の中をアクセクと生きるうち、ともすれば忘れそうになる。しだいに雑多な日常生活に飲み込まれて、埋没し、忘れていってしまう。

忘れるのは、仕方がない。忘れたら、思い出せばいいだけだ。「あ、そういえば、“いまに在る”だったな・・・!」という感じ。

問題があったのは、過去のこと。未来には、また別の問題が生じるだろう。でも、「いま、この瞬間」には、何も問題がない。
 
過去や未来のことは忘れて、「いま、この瞬間」に集中する。いろんな思考でごちゃまぜになっていた意識の内部が、だんだん、霧が晴れるようにクリアーになってくる。ひっきりなしに垂れ流されていた「思考」が、スローダウンしてきたのだ。自分の意識の内部で、莫大なエネルギーを浪費していた「思考」が、どうやら静まってきた。その分、外界に対する感受性が、みるみる鋭くなってくる。

外界への意識が鋭くなるにつれて、電線に止まっているスズメや、空を流れている雲など、今までは気に留まらなかったモノが見えてくる。死んでいた日常の風景が、たちまち生気を取り戻す。しなびて茶色くなっていた古い野菜が、急にシャキシャキした新鮮野菜になるような感じ。その思いがけない新鮮さに、すっかり驚いてしまう。
  
「過去と未来」は、思考が見ている夢。それは、物質界に特有の、破壊的な混沌でしかなかった。過去から離れ、未来からも離れるとき、意識は目を覚ます。それはまるで、夢から覚めるようだ。「覚醒」というのは、こんなにシンプルなものだったのか・・・。
 
意識的に「いま、この瞬間」へと足を踏み入れたとたん、人生が神聖であることに気づきます。いまに在るとき、目に映るすべてのものに、神聖さを見ます。

(同上)

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地球大変動を引き起こした、18世紀の火山噴火

2010年04月20日 | こっくり亭日記

  
アイスランドの火山噴火の影響が、長引いている。火山灰は、じわじわと上空に広がってきた。ロシアでも、スペインでも、飛行機が止まっている。信じられないほどの悪影響だ。
 
アイスランドは、極北の火山国。西暦934年の大噴火は、「人類史上最大級の火山噴火」とされている。もともと、漁業を中心とする漁師の国で、ここで取れるシシャモは、ビールのツマミに最適だ。金融バブルが破裂して、火山が大噴火。まさに踏んだり蹴ったりなのだが、地元の人々の反応は、「仕方ないさ」とノンビリしたものだとか。
 
だが、噴火の影響は、予想以上にシャレにならないものになる可能性もある。
 
18世紀の後半にも、1783年から85年にかけて、アイスランドでは火山の大噴火が起きた。このときは、大量の二酸化硫黄ガスが噴出して、太陽が血の色に染まった。なんと、有毒ガスによる呼吸困難が原因で、イギリス・フランスを中心に数千人の死者が出たという。

しかも、火山灰の影響に異常気象が重なり、冬には大寒波が到来した。寒さで、イギリスでは1万人近い死者が出たとされる。上空を覆った火山灰は、激しい雹(ひょう)を降らせ、大量の家畜が死んだ。春には、その反動で雪解けの鉄砲水が発生。ドイツでは、洪水で大量の死者が出た。

アイスランドの火山噴火をキッカケに、その後の数年間にわたって、ヨーロッパ全域で異常気象が続いた。フランスは大飢饉となり、革命の原因になったとされている。フランス革命に対抗して欧州各国の王侯貴族が立ち上がり、さらに、それに対抗する形でナポレオンが大戦争を引き起こす。欧州全域を巻き込む大戦乱が、長く続いた。戦争による死者は、200万人とされる。
 
影響は、欧州だけにとどまらなかった。アメリカでも、「ミシシッピ川が凍った」というから凄い。

>ベンジャミン・フランクリン(アメリカ人)の1784年の観察記録

>1783年の夏の数ヶ月、太陽が北半球を暖めるはずだった時、全ヨーロッパと北アメリカの大部分が霧に覆われていた。この霧はなかなか晴れなかった。その霧は乾燥していたため、日光が当たって雨に変わるということもほとんどないようだった。その霧を通ると、日光は非常に弱くなった。レンズで光を集めても、茶色の紙を燃やすだけの熱量にはならなかった。そのため、夏効果で地球が暖められることはほとんどなく、地面は早くから凍りついた。そのため、初雪さえ融けることがなく、雪は降り積もっていった。そのため気温はますます下がり、風も強くなり、1783年~1784年の冬は過去にないほどの厳しい寒さになった。
 
>この霧の原因はまだ確認されていない。あるいは、はるかアイスランドのヘクラや、その他の島の火山からもたらされた可能性もある。その煙が北半球に広がっていくことがあるのかどうかは、まだよく分かっていない。

(出典:ウィキペディア『ラキ火山』)
 
18世紀末の火山の大噴火は、その後の数年間に及ぶ異常気象の、最初のキッカケにすぎなかった。異常気象は、大革命や大戦争を引き起こす一因となった。そもそも、今年の地球では、噴火が起きる前から異常気象や大災害が続いている。

もちろん、気象衛星が詳細なデータを地上に送ってくる現代は、状況が大きく異なる。でも、現代の科学技術をもってしても、お天道さまには、まだ敵わない。後で振り返ってみれば、爆発する火山の轟音は、アースチェンジ(地球大変動)の号砲だったと言われるのかもしれない・・・。 
 

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ヒューマノイド型のロボットが、宇宙に進出

2010年04月20日 | こっくり亭日記

 
WIRED VISION(英文)

人間の形をしたヒューマノイド型のロボットが、ついに宇宙空間に進出する。今年の9月、国際宇宙ステーション(ISS)に送り込むことを、NASAが発表した。製造は、経営危機の自動車メーカー・GMが担当するらしい。

ロボットは、必ずしも人間のような手足を持っている必要がない。現在のロボットの大半を占める産業用ロボット(そのうちの何割かが日本にある)は、特定の機能に特化した形をしている。でも、宇宙ステーションでは、何が起きるか分からない。そのたびに産業用ロボットを送っていたのでは、あまりにも大変。ここはやはり、道具を持った人間による、場当たり的な対応がどうしても必要だ。その代わりを務めるためには、人が使う道具なら何でも持てる、五本の指を持ったヒューマノイド型ロボットが望ましいという。
 
もっとも、ロボットは、最初から自由に動き回れるわけではない。計画の「第1フェーズ」においては、ロボットは特定の場所に固定されている。これはまあ、「お試し期間」といったところだろう。まもなく、ロボットが宇宙ステーションの中を自由に歩き回れる、第2フェーズに突入する。数年後に予定される第3フェーズでは、宇宙飛行士と同じように船外活動ができるようになるという。 

宇宙では、どんな問題が起きるか分からない。そのたびに地上から人間が指示を出していたのでは、対応が間に合わないことも多いだろう。自分で判断して行動するロボットを作ることが、究極の目標とされている。

いよいよ、SF映画の世界が近づいてきたか・・・。
 

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クリシュナムルティの反逆 ~ 教団解散宣言

2010年04月19日 | クリシュナムルティ
 
クリシュナムルティは、少年の頃、神智学協会のアニー・ベザント夫人によって「世界教師の器」とされ、若くして「星の教団」の教祖に祭り上げられた。

「神智学協会」というのは、小さな勢力ではなかった。19世紀にブラヴァツキー夫人によって創設され、20世紀のスピリチュアル界に絶大な影響をもたらした。現代の精神世界ジャンルで、直接・間接とを問わず、ここの影響を受けていない人はまずいないと言っていい。その意味で、この分野では並ぶもののないパワーハウスと言える。
 
1891年、ブラヴァツキー夫人は、神智学協会を創設した本当の目的を告げた。なんと、それは来るべき現代のメシア、「世界教師」が再臨するときのために、受け皿として作った団体だというのだ。

その遺志を継いだベザント夫人とリードビーター師は、巨大なオーラを放つ少年・クリシュナムルティに白羽の矢を立てた。新たに宗教団体・「星の教団」が組織され、Kがその教祖となった。この事件をキッカケとして、ドイツ神智学協会のルドルフ・シュタイナーは、イギリスの本部と対立するようになり、やがて神智学から離脱して「人智学」を打ち立てるに至る。クリシュナムルティと、シュタイナー。タイプは違うが、ともに20世紀の精神世界を代表する、2人の大物の人生が交錯した瞬間だ (結局、両者とも、神智学協会とは縁を切ってしまったわけだが・・・)。
 
世界各国に4万人もの信者を持つ、国際的宗教団体の教祖。だが、自由人のクリシュナムルティを、いつまでも宗教団体に縛り付けておくのは無理だった。1929年、Kはついに「星の教団」を解散してしまった。3000人を超える聴衆に向かって、Kは演説する。
 
>今日、これから私たちは、「星の教団」の解散について話し合いたいと思う。喜ぶ人々も多いだろうし、悲しむ人々も多いであろう。しかし、これは喜ぶとか、悲しむとかいった問題ではない。なぜなら、これは避けがたいことだからである。

信者諸氏は、さぞかしショックを受けたことだろう。信者だけではない。「若き教祖が、宗教団体を解散した」という前代未聞の事件は、世間の一般人までも驚かせた。でも、仕方がない。クリシュナムルティによれば、真理を探究するのに、組織など必要ないというのだ。必要ないだけではない。それは、真理を探究する上では、むしろ有害な存在と言える。

>「真理」は限りないものであり、無制約的なものであり、いかなる道によっても近づきえないものなのであって、したがってそれは、組織化され得ないものなのである。それゆえ、ある特定の道をたどるように人々を指導し、あるいは強制するような、いかなる組織も形成されるべきではないのである。・・・ひとたび組織化したならば、信念は血の通わない、凝り固まったものになってしまうだろう。それは他人に押しつける教義に、教派に、宗教になってしまうのだ。

新興宗教の信者諸氏にも、たまには、こういう言葉を聞かせたいものだ。もっとも、信者特有の曲がったレンズを通って、言葉が屈曲してしまうのがオチなのだが・・・(笑)。

>真理探究の目的で組織を創立するならば、組織は松葉杖となり、弱点となり、束縛となって、人をかたわにし、かの絶対かつ無制約的な「真理」を自分自身で発見するために必要な、その人の独自性の成長と確立を阻害するものになってしまうに違いない。

クリシュナムルティは、自分の率いる教団が、信者諸氏の松葉杖となっていることをヒシヒシと感じていた。だから、解散を決意したのだろう。

とはいっても、組織が松葉杖になっていることを、信者が自覚するのは難しい。以前、ネット上で某教団の信者が、「ウチの団体には、ろくな人間がいない」と愚痴っているのを見て、「だったら、某教団の信者をヤメれば?」と言ったところ、「いや、悪いのは団体の職員なのだ。OO先生の教えは、それはそれは素晴らしいものなのだ」と言ってたものだ・・・(笑)。

まあ、信者には信者の論理があり、信念世界がある。こればっかりは、仕方がない。

もちろん、宗教団体の存在自体が悪だとは、決め付けすぎだろう。人によっては、組織に所属することが、真理を探究する上でプラスになることもあるはずだ。かつては、人々を救済する受け皿として、宗教団体の存在意義もあったに違いない。

でも、クリシュナムルティの場合は、本当に組織を解散してしまった。フリーの宗教家になったKは、90歳で死ぬまで、世界各国を説法して回ることとなる。そういう人がいたということを、知っておくのも悪くない。
 
最近は、宗教団体が嫌われる傾向にあり、どこの団体も信者離れに苦しんでいるという。これには、インターネットの普及による影響も大きい。ありがたや・・・。合掌。
 
(引用部分は、大野純一訳『クリシュナムルティの瞑想録』より)

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反逆のススメ ~ クリシュナムルティ

2010年04月17日 | クリシュナムルティ
 
クリシュナムルティといえば、「自由への飛翔」とか、「自由への反逆」といった言葉が付いてくることが多い。Kといえば「自由」、そして「反逆」・・・。
  
「子供たちとの対話」でも、それは例外ではなかった。相手は子供だというのに、いつもと同様、「絶えず反逆する人になりなさい」と説く、クリシュナムルティ。これには、子供もビックリだろう。でも、それは仕方がない。
 
>なぜなら、何が真実かを発見するのは、服従したり、何かの伝統に従う人ではなく、絶えず反逆している人たちだけですから。
 
もちろん、クリシュナムルティが言ってたのは、「資本主義を打倒しよう」とか、「改革に反対する者は抵抗勢力だ」とか、そういうことではなかった。今の社会体制に反逆して立ち上がり、革命を起こしたところで、形を変えた社会体制ができるだけ。Kは、それを「監獄の中での、囚人の反乱」と呼ぶ。
 
>社会を少し良くしたり、一定の改革をもたらすために社会の中で反逆するのは、監獄の壁の中での生活を改善するために、囚人が反逆するのに似ています。そのような反逆は、まったく反逆ではありません。それは、ただの反乱です。  

クリシュナムルティが説いていたのは、監獄の中で反乱を起こすことではなかった。重要なのは、監獄から外に出ること。それは、この歪んだ人類社会からの、離脱のススメ。

地球の社会では、価値観が倒錯している。こんなところで、皆と一緒に夢中で生きていたのでは、狂気の渦に巻き込まれるだけだ。正気を維持するためには、そこから一歩でもニ歩でも離れる必要がある。  
 
>理解から生まれた反逆とは、個人が社会から離れることであり、それは創造的な革命です。
 
素朴なインドの子供たちも、学校で、家庭で、その他のところで、徐々に既成の価値観を刷り込まれていく。価値観を刷り込まれた精神は、もはや自由ではない。「OOにならなければ」、「XXのような人間でありたい」・・・といった信念は、人をゆっくりと、着実に縛っていく。
   
もちろん、「社会への反逆」といっても、森の中にこもって隠遁生活を送るというのは無理がある。本当は、日常生活にわずらわされずに、精神世界の探求その他に没頭するのが理想なのだが、せちがらい現代社会でそれを実現するのは難しい。

重要なのは、あらゆる信念の刷り込みから自由になり、精神的な自由へと飛翔すること。これが、なかなか出来そうで出来ない・・・。
  
(引用部分は、J.クリシュナムルティ著「子供たちとの対話」 藤仲孝司訳 平河出版社 mind books)


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異常気象 2010 ~ アイスランドの火山噴火、火山灰が欧州を覆う

2010年04月17日 | 異常気象
 
先日、アイスランドの火山が噴火した。もともと、アイスランドは火山国で、噴火するのは珍しくない。北極の近くにある寒いところなのだが、あたたかい温泉がわくのでも有名。近年は、各国の金融機関が続々と乗り込んできて派手な金融バブルを起こし、「世界屈指の富裕国」・「金融立国の見本」とまで持ち上げられたものの、2008年にアッサリとバブル崩壊して、深刻な経済危機に陥ったことでも知られる・・・(泣)。
 
だが、今回の噴火は特別だったようだ。火山灰が、広大なヨーロッパの上空でジワジワと広がってきている。さっさと風に吹かれて流れ去ってくれればよいものを、「渋滞にハマったときの自動車くらい」という、ハエが止まるような遅さで広がっているという。いつになったら終わるのか分からない。
 
暗雲となって垂れ込める火山灰は、ドイツやイタリアあたりから、ロシア・ウクライナ・ポーランドといった東欧にも広がっている。被害は欧州全域にまたがる様相だ。危険なので、空港が閉鎖されて飛行機が飛べなくなった。すでに1万数千便が欠航になっている。
 
悲劇的な墜落事故で死去した、ポーランドの大統領の国葬にも影響が出ている。すでに、欠席を表明する外国首脳も出てきた。まさしく、踏んだり蹴ったりだ・・・。
   
「これは、前例のない事態ですな」と、各国の航空当局も頭を抱えている。
 
日本でも、記録的な異常気象が続いている。今朝の東京では、窓を開けてビックリ。4月中旬だというのに、外はしんしんと雪が降り積もり、凍てつく外気がヒンヤリと流れ込んできた。「今年は、41年ぶりの寒さ」だという。
 
中国の青海省では、地震による死者が千人を大きく突破した。青海省は、面積が日本全土の2倍くらいあるのに、人口が500万人くらいしかいないという人口過疎な地域。そんなところで10万人が緊急避難したというのだから、想像を絶する規模だ。外遊中だった胡錦濤主席も、大急ぎで帰国。大変なことになっている。
 
とにかく荒れてます、今年の地球・・・。
  

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またしても、チベットで大地震

2010年04月15日 | こっくり亭日記
   
また、中国で大地震だ。しかも、またしても、チベット人が住む地域。地震が起きた青海省は、富士山クラスの標高を持つ広大な山地。日本の倍くらいの面積に、500万人強の人口しかないという、きわめて人口密度の低い地域であるにもかかわらず、すでに1万人を超す死傷者が出た上に、10万人が避難したと発表されている。
 
日ごろから民族紛争が絶えない地域だけに、北京の政府も神経を尖らせており、迅速に反応したようだ。でも、救助隊員は高山病で体調不良な人が続出し、寒さがそれに追い討ちをかけているという。
 
ただでさえ政治的に難しい地域で、立て続けに災害が起きている中国。一方では、昨年の経済成長が10%を超えたと発表され、「高度成長に復帰した」と、もてはやされている。日本の鳩山首相からの公式会談の申し出を断った米国のオバマ大統領も、中国の胡錦濤主席とは、握手して頭を下げている写真が新聞に掲載された。まあ、これは国家としての勢いの差だけではなく、「個人の資質の問題」もあったという評判なのだが・・・(笑)。
 
だが、中国の「高度成長」を、手放しで賞賛する声はさすがに少ない。もちろん、すべての人が統計に疑問符をつけているわけではないとはいえ、「条件付で支持する」というようなスタンスの人が多いのは事実だろう。「バブル経済の末期」という声も、ますます大きくなってきた。興奮と熱狂が渦まく中、2010年の中国は、どこに進むのか・・・!?
  
一方、日本は、今日も寒い。四月の半ばだというのに、しとしとと雨が降り、またしても、真冬なみの寒さがぶり返してきた。「今年は、いくらなんでも寒すぎる」という声が、あちこちから聞かれる。「もはや、温室効果で、氷河期の到来を遅らせるしかないんじゃないの?」という、気の早い意見まで聞かれる始末だ(笑)。

だが、チベットの被災地では、もっと冷たい雨が降っている。黙祷・・・・・。

 
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日本人の腸にだけ、海藻を消化する細菌

2010年04月14日 | こっくり亭日記

WIRED VISION

フランスの海洋生物学者が、興味深い研究結果を発表した。記事によると、「フランスのStation Biologique de Roscoff(ロスコフ海洋生物研究所)の生物学者、Mirjam Czjzek氏」は、「海洋細菌の中で、藻細胞壁の分解を行なう酵素を特定した」という。は述べている。興味深いのは、「この酵素が見つかる他の場所は1つしかない。それは日本人の腸に見られる細菌の中だ」というところだろう。

「海藻の細胞壁を分解する酵素」というのは、ひらたく言えば、「ノリやワカメ、コンブその他を消化するのに役立つ酵素」ということ。海に住む細菌には、海藻に栄養を頼っているものが多い。そういう細菌は、この酵素を持っているという。
 
日本人は、「世界一、海藻の消費量が多い」ということで知られている。長い海岸線を持つ日本は、古くから海苔や昆布を食べてきた。今は、九州の有明海あたりで海苔が作られている。寒い北国の海で育った、北海道の昆布も絶品だ。長い間、海藻を食べてきたおかげで、日本人の腸内細菌は、海藻を分解しやすいように進化したという。
 
これに似た例としては、かつて、北欧・スウェーデンの人々の腸内で、「牛乳を消化する酵素」が発見されたことが挙げられるだろう。北欧の生活は、古くから家畜に依存していた。他の人種の腸にはない酵素が、北欧人の腸にはある。これは、「そういう酵素を持った細菌が腸内に住んでいる」というような問題ではなく、人間本体が酵素を持っているらしい。実際、日本人には、牛乳を飲むとすぐに腹を壊す人が少なくないのだが、北欧には、そういう人が滅多にいない。

これは、小さいとはいえ、一種の進化といえる。「意識の進化」ではなく、生物学的な進化だ。それはつまり、アフリカで誕生し、世界各地に広がってきた現生人類から、数千年から一万年ほどの間に、「牛乳を消化しやすい人種」や「海藻を消化しやすい人種」が分化してきたということを意味する。「生物の進化ってのは、こんなに短期間で起きるものなのか」というオドロキ。この事実が、進化論の研究者にも影響を与えている。
 
それはともかく、日本人が牛乳を飲んで腹を壊しやすいのと同様、欧米人にとっても、ノリやコンブは消化しにくい食べ物だということになる。スシが世界に普及してきた今、欧米人にもノリ巻きを食べる機会が増えている。同時に、生の魚を食べるという習慣も、世界に広がってきた。これが人類にどういう影響をもたらすかは、まだ分からない。グローバル化する一方の食文化の中では、「お互いさま」ということか・・・。
  
  
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