宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

ネフィリムと、アヌンナキ ~ 宇宙からやってきた神々

2010年01月17日 | シュメール神話 アヌンナキ
  
旧約聖書には、「ネフィリム」に関する記述がある。「昔、地にはネフィリムがいた」と、簡潔に記されている。
 
旧約聖書の「創世記」によれば、神が人間を創造した。地上に人間が増えてくると、それに比例して(?)、美しい娘たちも増えてきた。それを見て、神(エロヒム)の子たちは、おのおの選んだ者を妻にした。こうして神の子らと人間の娘たちの間に生まれたのがネフィリムであったという。
 
古来、この「ネフィリム」は、「巨人」と解釈されてきた。身長が何メートルか、何十メートルなのかは知らないが、とにかく、巨人というからには、人類よりデカかったのは間違いない。これは、「聖書なんて非科学的だ」と批判する人たちの、格好の攻撃材料となってきた。「大昔、『地には巨人たちがいた』なんて、キミは信じられるかい?」というワケだ。
 
ところが、ゼカリア・シッチンによれば、そもそも「ネフィリム」を「巨人」と訳したのが間違いのもとだという。それは「天から落ちてきた者」という意味であり、「宇宙人」と訳すのが正しいというのだ(!)。

(通常、シュメール神話の神々は「アヌンナキ」と総称されるのだが、シッチン説では、アヌンナキは中級・下級の神々であり、「ネフィリム」がその上位に位置づけられているようだ。著書・「人類を創成した宇宙人」のサブタイトルも、「ネフィリムとアヌンナキ」となっている)。
 
旧約聖書によれば、ネフィリムは地上に増えていった。ネフィリムたちは勇敢な戦士だったのだが、素行不良なのが欠点。「彼らの邪悪な行いによって地は暴虐で満ちていった」という。

そんな混乱の中で起きたのが、かの有名な「ノアの大洪水」。神の一大決意により、空前絶後の大洪水が起きた。暴虐に満ちた地上からは、人類もネフィリムも一掃された・・・。
  
ゼカリア・シッチンによれば、これは単なる神話・伝説ではなく、実話だという。
 
シッチン説の主役は、彗星のような長い楕円形の軌道を持つ、太陽系の第12惑星・二ビル(実在するかどうかは、誰も知らない・・・)の宇宙人たちだ。シッチンによると、惑星二ビルは、「長い楕円形の軌道を持ち、何千年もかけて太陽の周囲を回っている。長い軌道の途中では、たまに地球のすぐそばを通るときもある」という。かつて、何十万年か前に、二ビルが地球に最接近したときのこと。地球は、まだ氷河期だった・・・。そのとき、かれらは宇宙船に乗って地球を訪れたという。

真偽はさておき、これは、なかなか良くできた説だ。というのも、「なぜ、宇宙人は古代には地球をコマメに訪れて地球人を指導していたのに、最近はなかなか姿を現さないのでしょうか?」という素朴な疑問に、この説はキッパリと答えている(笑)。つまり、「古代には、彼らの故郷・惑星ニビルが地球に接近していたから、近いので気楽に来れたのだ」ということになる。

彼ら宇宙人が、地球に来た目的は何か? ・・・シッチンによれば、それは「希少な鉱物資源を、地球に探索しにきた」ということだ。地球には、金・銀・プラチナなど、貴重な金属が埋蔵されている。それを採掘するのが、宇宙人の目的だったという。

彼らが地球を訪れたとき、地球は氷河期だった。地表は、見渡す限り、真っ白な氷河と氷山に覆われていた。そんな白い大地の上を、宇宙船は探索していった。そんな彼らが発見したのは、大河が流れる温暖な地・シュメール。

そこに降り立った宇宙人たちは、鉱物資源の採掘を始めた。中でも最大の狙い目は、南アフリカの金鉱だったという。空からの調査により、首尾よく金鉱を発見した彼らは、さっそく採掘に取りかかった。神々の中でも、下っ端の神々が、鉱山労働に従事したという。
 
シュメールの地は、人類学でも「人類の故郷」とされる、東アフリカ(現代で言うエチオピアの辺り)にも近い。そこには、原始的な猿人たちが、ウッホウッホと歩いていた。地球生命が、生命のゆりかご・海から陸上に進出してきて、すでに四億年が経過していた。猿人たちは、すでにかなり進化した存在。直立二足歩行し、集団で狩猟採集もやっていた。
 
シッチンによれば、南アフリカの金鉱で厳しい労働に従事していた下級の神々は、働くのが嫌になってきた。働くのが嫌になった彼らは、金属鉱山でストライキを起こした。

下級の神々にストライキを起こされ、貴重な金属を採掘できなくなったネフィリム。困った彼らは、エチオピアの猿人たちに目をつけた。彼ら猿人は、かなり進化してはいたものの、知性が低いのが欠点。この連中に、高度に発達した知能を持つ、アヌンナキの遺伝子を植えつけたらどうなるか。優秀な労働者が育つかもしれない。

というわけで、ネフィリムによって創造されたのが我々、地球人類ということになる。地球人類は、もともと労働するために創造されているのだ。現代の日本人ビジネスマンの多くがワーカホリック(仕事中毒)と化しているのも、これなら、うなずけるというものだ・・・(泣)。
 
やがて、そんな人類もネフィリムも、大洪水で地上から一掃されることになる。人間たちの度を越した素行不良に激怒した最高神・エンリルが、怒りのあまり人類絶滅を決意したのだ。
  
シッチンによれば、大洪水は本当に起きた。氷河期が終わり、温暖になってきた地球で、南極大陸の氷山が一挙に溶けてきた。増水した海面は一気に上昇し、地表の諸都市を飲み込んでいったという。ペルシャ湾に面した大河の河口の地・シュメールは、真っ先に水没してしまった。大洪水で廃墟と化した地球から、ネフィリムたちも去っていった・・・。グラハム・ハンコックの「神々の指紋」などと同様、シッチン説は、南極の氷と切っても切れない。
  

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シュメール文明の夜明け

2010年01月17日 | シュメール神話 アヌンナキ

 
↑シュメール(イラク南部)に林立していた、古代の都市国家  
 
ゼカリア・シッチン氏の代表作「人類を創成した宇宙人」は、マジメな歴史学的考察と、トンデモない(失礼・・・)宇宙人アヌンナキのストーリーが同時進行する、奇妙な書物だ。だが、これは世界的なベストセラーになり、いまや精神世界ジャンルに確固たる位置を占めている。良くも悪くも、旧約聖書やギリシャ神話に比べて、あまりにもマイナーだった「シュメール神話」の知名度が、劇的に向上したのは確かだ。
  
精神世界ファンにアリガチなパターンとして、筆者も古代文明への憧れが、幼少期から人一倍、強かった。「四大河文明」はもちろん、それ以前の実在が不明な「超古代文明」のことなども、小学生の頃からよく知っていた。自慢するわけではないのだが(いや、やっぱり単なる自慢話でしょうな・・・)、そのおかげで、高校生の頃には、世界史が非常に得意になっていた。全国トップクラスの秀才連中からも、「ほかの科目はともかく、国語と世界史の論述答案に関しては、誰にもマネできない文章だ」と言われたものだ。全国100万人の受験生の頂点に位置する彼らにとってさえ、一種の「超えられない壁」と化していたほど、筆者の文系論述答案には定評があった。要は、「この、ワケワカメな文章を読んで、著者が何を言いたかったのかを代わりに説明せよ。300字以内で」というようなジャンルに、滅法強かったのだ。それというのも、世間の一般人には大半がおよそ意味不明と思われる、精神世界本をせっせと読み込んできたおかげ。ありがたや・・・・合掌。
  
それはさておき、古代シュメール文明は、本当に凄かった。春秋戦国時代の中国や、お釈迦さまの時代のインドの話を聞いても、われわれにとっては大変な大昔に思えるのだが、シュメールの都市国家が繁栄していたのは、それよりもさらに2千年や3千年も前からのこと。気の遠くなる大昔だ。

近代に入って、イラクの各地を発掘調査した西洋の考古学者たちは、巨大な神殿(ジッグラト)の遺跡に驚倒した。エジプトのピラミッドも不思議だが、こちらは建築のプロセスが不明なのに対して、メソポタミアのジッグラトは、建築設計図の一部が残っているという。七階建ての複雑な建築物。まぎれもなく、当時の人々が高度な技術によって建築したものだ。
 
 

 
↑ウルのジッグラトの復元図CG


ゼカリア・シッチンいわく、

>われわれは、戦争が科学の進歩につながることを知っているが、古代シュメールにおいては、神殿の建設が、技術の進歩につながった。計画どおりに巨大な建設作業を実行する能力、大きな労働力を組織して養う能力、土地を平らにして丘を形成する能力、レンガを形作って石を輸送する能力、珍しい金属とその他の原料を遠くからもたらす能力、金属を鋳造して装飾品と用具をつくる能力。これらすべてが、紀元前3000年に高度な文明が全盛期を迎えていたことを物語っている。

しかも、シュメール人は、「くさび型文字」と呼ばれる文字を発明した。湿原地帯だけに、粘土が豊富に取れる。粘土を固めて、干してつくった粘土板に、文章を書きつけていた。しかも、原始的な「活字」まで発明した。活字というより、「ハンコ」というべきモノだが、実際に活字として使われていた。

これは、後にイラクの地を発掘調査した西洋人の学者たちを、「われわれにとって、中世ヨーロッパのことより、古代メソポタミアの方が、よほど事情がよく分かるようになってしまった」と言って嘆かせることになる。というのも、中世のヨーロッパでは、文字を読み書きできる人が本当に少なかった。世間の一般人は、まず文字が読めない。知識人を養成しているはずの修道院でさえ、書物は手で数えられるほどしかなかったと言われている。大量の粘土板文書を残した古代メソポタミアとは、情報量が大違いだ。この驚くほど高度な文化水準のおかげで、古代メソポタミアの実情は、現代のわれわれにも、意外とよく分かっているのである。
 
数学も発達した。土地の測量や、建築のために数学が不可欠だったのだ。シュメール人が用いた「60進法」のおかげで、今でも1時間は60分、1分は60秒だ。(ついでに、1週間が7日というのも、シュメール人が決めた)。
 
シュメール人は、石油や金属の使い方も知っていた。石油が地表に染み出てくる土地柄だけに、瀝青(れきせい)やアスファルトといった石油製品が使われていた。金属の精錬も始まっていたという。金・銀・銅はもちろん、青銅の合金も作られ始めた。

石油製品を使っていたおかげで、化学が発達し、さらには医学が発達した。ヨーロッパ人が、数千年後の中世にいたっても、まだ病気といえば魔法や呪術に頼っていたことを思えば、雲泥の差があったと言える。

>メソポタミアの墓から発掘された頭蓋骨のいくつかには、脳手術の明白な跡があった。部分的に失われた医学文書は、「人の目を覆っている影」(白内障)の外科的な除去について述べている。・・・いくつかの円筒印や粘土平板には、医療チームに囲まれ、手術台の上に横たわる患者の姿が描かれている。

羊毛の毛織物は、紀元前3800年ごろにシュメールで織られ始めたという。玉ネギ、きゅうり、キャベツ、レタスなど、今日のわれわれの食生活にも欠かせない野菜や果物の多くも、シュメールから世界に広がったのだ。シッチンは、「古代シュメール人の食生活がいかに豊かだったかを示す詩」を引用している。


 ワインとオイルで
 香りづけした水の中で
 私が、この鳥を料理した
 そして、私は食事をした


昔の歴史教科書には、「世界最古の法律は、紀元前1800年頃のハンムラビ法典」と書かれていた。でも、今ではさらに古い法律が発見されている。紀元前2350年ごろの、ウルナンム法典だ。ハンムラビ法典が「目には目を、歯には歯を」という復讐法で知られているのに対し、ウルナンム法典は「損害賠償」に重点が置かれていたという。
 
そんなこんなで、シッチンは、古代シュメール文明のすごさを、これでもかとばかりに力説する。たしかに、すごいのは事実だ・・・。では、「なぜ、古代シュメール人は、そんなに進んでいたのか?」ということになるだろう。
 
中東の現地事情に詳しい人の話によると、イラクはとにかく暑いらしい。夏は、インド人でさえ、避暑のためインドに里帰りするほどだという(笑)。海岸に出ても、誰も海水浴などしていない。海岸が暑すぎて、それどころじゃないのである。そのくらい、イラクは暑い。なんで、こんなに暑いところが、「文明の故郷」になったのか。
 
それは、「氷河期」と関係があると考えられている。1万2000年ほど前から、地球で最後の氷河期が終わり、氷河が溶けてきた。北の方の地域が、まだ氷河に覆われていた頃、この暑い地域で、いち早く農耕文明の萌芽が見られたのは、自然なことといえる。
  
シッチンによれば、シュメール人に文明を教えた宇宙人たちは、宇宙船に乗って氷河期の地球にやってきた。氷河期だけに、当時の地球は寒い。見渡す限り、真っ白な雪と氷の大地が広がっている。そんな真っ白な大地の上を、宇宙船は滑るように飛んでいった・・・。
 
暖かい南国を探して飛行していた彼らの目に、突出して峻険な山岳が飛び込んできた。アララト山だ。かの有名な「ノアの箱舟」が、大洪水のときに漂着したとされる険しい山。この地域では、飛びぬけて目立つランドマークだ。峻険なるアララト山のふもとからは、暖かい南国の大河が流れ出していた。チグリス・ユーフラテス川だ。かくして、大河の流れに導かれ、河口の地・シュメールに着陸することにした宇宙人・・・。

ゼカリア・シッチンの宇宙人ストーリーは、ここから始まる。
  

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古代シュメール ~ 人類の故郷

2010年01月17日 | シュメール神話 アヌンナキ


↑古代シュメール文明を生んだ、ユーフラテス川の流れ(イラク)

 
昔は(今はどうか知らないが)、歴史の教科書で「古代文明」といえば、「四大河文明」と相場が決まっていた。中国の「黄河文明」、パキスタンの「インダス文明」、イラクの「メソポタミア文明」、そしてエジプトの「ナイル文明」である。

人類が住む陸地は、大なり小なり、乾燥している。どこに行っても水が豊かな日本列島は、例外中の例外。大陸国家では、乾燥地帯がハテしなく広がっているのが普通だ。でも、人間が生きていくためには、水がどうしても必要。特に、農耕には水が不可欠なのは言うまでもない。どうしても、豊かな大河のほとりに、人は集まることになる・・・。

最も分かりやすい例は、エジプトだろう。古代の歴史家・ヘロドトスは、「エジプトはナイルのたまもの」と言ったという。豊かなエジプトの農耕文明は、みんな「ナイル川のおかげ」というわけだ。これは、オオゲサでもなんでもない。エジプトを空から見た航空写真を見れば(画像をご参照)、それはよく分かる。ナイル川の両岸と、河口に広がる三角洲だけが、緑色に覆われた豊かな地域。それ以外は、一面の茶色。不毛の大地が、ハテしなく広がっているだけだ。もしも、ナイル川がなかったならば、エジプトなど「古代農耕文明の発祥地」どころか、そもそも人の住めるところではなかった。それが、実によく分かる。まさしく、母なる大河だ。ありがたや・・・合掌。

  

 
↑緑に覆われた、エジプトの三角洲。周囲には何もない・・・。
 
 
他の大河文明でも、事情は似たり寄ったりだ。大河の流域には、高度な文化と教養を誇る「文明人」が住んでいる。周辺の不毛な地域に住む「野蛮人」たちは、みんな豊かな地域に憧れ、あるときは文明人たちに従属し、ときには野蛮な武力をもって攻め込むこととなる・・・。

そんな、世界に広がる「古代の大河文明」。中でも、最も古い歴史を誇るのは、古代メソポタミア。21世紀になっても戦乱が続く、イラクの地に生まれた、世界最古の文明だ。チグリス・ユーフラテスという2つの大河が並んで流れ、河口の近くで合流する。河口付近には、広大な湿原が広がっている。
 
「砂漠の国」というイメージを裏切る、湿原の国。ボートに乗った人々が悠然と航行し、周辺には甘美なナツメヤシの森林が広がっている。残念ながら、狂気の独裁者サダム・フセインが、ナツメヤシの森に潜む反政府勢力を壊滅させるため、湿原を干拓して不毛の地にしてしまったという。独裁者は国際社会によって排除されたが、時すでに遅し・・・。これは、人類の損失だ(泣)。

とはいっても、この地域の統治が難しく、政府にとって頭痛のタネなのは、現代に始まったことではない。イスラム帝国のカリフたちや、オスマン帝国のスルタンたちも、みんな、この地の反乱に手を焼いてきたのだ。13世紀(日本史でいえば鎌倉時代)に北アフリカから出発して、インドや中国を周遊した大旅行家のイブン・バットゥータも、この地に臨んで緊張を隠せず、「この辺りの治安の悪さは有名だ」と書き残している。最近は、米軍が乗り込んで統治を開始したが、やはり手に負えないので撤退するようだ。なんといっても、世界で最も古い歴史を誇る地域。戦争も、革命も、世界で最も長く経験してきている。最も重いカルマ(エックハルト・トール風に言えば、ペインボディ)を背負っているのは、仕方がないと言えるだろう。
 
人類最初の文明は、ここに誕生した。この地域の名は、シュメール。今から5500年前、シュメールには高度な文明が栄えていた。一方、シュメール人を除く世界中が、まだ未開の地であった。
 
世界中で、シュメール人だけがレンガ造りの住居に住み、色とりどりの衣服を着て、多彩な料理を楽しんでいた。陶器を焼き、金属を精錬し、石油を燃やし、粘土板に文章を書きつけていた。車輪を発明したのも彼らだと言われている。一方、シュメール以外の全世界において、地球人類は穴ぐらのようなところに住み、石器で暮らす原始人そのものであった。
  
なんで、古代シュメールは、これほどの先進地域だったのか。実のところ、それは世界史でも最大級のナゾとされている。

そもそも、「シュメール人は、どこから来たのか」が分からない。どの辺りの地域から移住してきてシュメールに住み着いたのか。他の人種(たとえば、アラブ人やペルシャ人など)との関係は、どうなのか。そういう、人種的な系統や出自が、まるきり分からないのである。いわば、シュメール人そのものが最大のナゾなのだ。シュメール人たちは、自分たちを「黒い頭の人々」と呼び、粘土板には彫りの深い顔立ちの自画像を描いている。そのおかげで、「ああ、こんな外見の人たちだったんだろうな」と想像できるだけ。  
 
ここで登場するのが、かの高名なるゼカリア・シッチン氏。「シュメール語で書かれた粘土板を読める」という特技を持つ、歴史・言語学者だ。なんと、「シュメール人たちに文明を教えたのは、宇宙人なのだ」という説を唱え、しかも、それが世界的なベストセラーになってしまった。あまりにも謎めいたストーリー。精神世界ジャンルの中でも、最高のエンターテインメントが、ここにある(笑)。
 

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AVATAR ~ 強烈な映像体験

2010年01月11日 | こっくり亭日記
                              
ジェームズ・キャメロン監督の最新作「AVATAR(アバター)」を観た。いやはや、前評判以上の、強烈な映像体験だ。圧倒的な臨場感で飛び込んでくる、驚異の神秘世界。まさしく、「自分がそこにいる」という感覚だ。もはや、ヒマラヤ山脈で修行しているという、聖者の神秘体験すら超えたんじゃないか・・・(笑)。
   
キャメロン監督といえば、世界で歴代興行収入一位の「タイタニック」だが、「アバター」がすでに歴代二位となり、1人で1・2位を独占した形になっているという。タイタニックから12年。アバターは、「構想14年、制作4年」というから、あの頃からずっと取り組んできたことになる。
  
3D画像の立体感は、確かにある。破片が飛び散るシーンでは、思わずよけそうになる。特にすごいと思ったのは、字幕。本当に、文字が空中に浮いているようにしか見えない。その分、より一層、目をキョロキョロさせることになるので、映像で船酔い状態になりやすい人は要注意だ(ちなみに、筆者はそういうタイプ。途中で気分が悪くなってきたため、字幕は見ないことにした)。

注目の3D映像については、あの押井守監督も「やりたいことを、全部やられちゃったという感じ」とコメントしているという。たしかに、あれだけ強烈な映像を見せられては、映画関係者によっては無力感すら感じてしまうかもしれない。今後は、別の要素で勝負するしかないだろう。
 
とは言っても、これから何年かで、3D映像も当たり前になっていっちゃうんだろうな・・・。カラー映像も、CG映像も、みんな、その道をたどってきたのだ。やはり、2010年代ともなると、本当に「立体テレビ」の時代になってきたのか。
  
3D映像には上映方式がいろいろあって、映画館によって効果が異なるという。この映画には、ハマッてしまって何回も見ているリピーターが多く、映画館を変えて見ている人も多いようだ。筆者が見たのは、「XpanD方式」といって、日本で最も普及している方式。ゴーグルみたいなメガネで、右目用の映像と、左目用の映像を瞬間的に切り替え、左右の目に別々の角度から見せることにより、立体感を出しているという。昔なつかしい、左右が赤と青の色つき立体メガネとは、まさに雲泥の差がある(笑)。マニアの解説によると、最も3D映像が鮮明なのは「IMAX」という方式だそうで、これは「109シネマズ川崎」っていうところでしか見れないということだ。時間があったら、リピートしてみるか・・・。
  
内容は、地球人が、他の星を侵略するというストーリー。そこには、美しい自然と共生する、素朴な人種が住んでいる。そこに、粗暴な地球の軍人が、侵略と環境破壊をしかける。誰もが、アメリカ大陸に移住してきた白人と、ネイティブアメリカンを想起してしまうストーリーだ。「風の谷のナウシカみたい」という感想を漏らしていた人もいた。
 
主人公が「アバター」という、現地の人種と同じような肉体を遠隔操作して、バーチャル行動するというところがミソ。最初は気乗りがしなかった主人公は、しらずしらずのうちに、その世界でのバーチャル体験に引きずり込まれていく。ついには、現地の人種と同化していってしまう。

ちょうど、ロバート・モンローが描写する、「地球で人間の肉体に転生し、最初は気乗りがしなかったけど、いつのまにか地球での人間体験に引きずり込まれていく魂」というストーリーについて考えていたところだったので、イヤでも重ねあわさずにはいられなかった。そこに奇妙なシンクロニシティを見た・・・(笑)。
  
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輪廻が始まるとき ~ ロバート・モンロー

2010年01月11日 | ロバート・モンロー
  
あるとき、体外離脱したロバート・モンローは、同じKT95(どこか遠くの天体)から地球にやってきた、AA氏とBB氏という2人の仲間たちと語り合っていた。モンローとは異なり、ほかの2人は地球で人間をやったことがなく、人間の生態をいくら聞かされても、理解できない様子。「百聞は一見にしかず。ここはひとつ、実地見学といこう」とばかりに、3人で人間界を見にいくことにした。

人間界に近づくにつれて、、ザワザワという騒音が耳に入って来た。「Mバンド・ノイズ」だ。これは、地上にいる無数の人間たちが放射する思考や感情が、錯綜して鳴り響いているノイズ帯。BB氏は「なんだか、うるさいな」と思ったようだが、なぜかAA氏は、妙に興味を引かれた様子。BB氏が止めるのも聞かず、何かに取りつかれたように、ふらふらと進んでいく。いつのまにか、エントリー・ステーション(地球の人間界に生まれ変わるための中継地点)までやってきた。


>AAは「中間地帯」まで入っていった。BBは後に続いた。AAはいましがた見たばかりの人間たちに類似した背の高い、がっしりした形をした者(註・エントリーステーションの管理者。特定の形を持たないエネルギー体であるAAやBBと異なり、人間経験があるので明確な外形を持っている)の前で止まった。


「あのう・・・人間になりたいんですが・・・」と、エントリー・ステーションの管理者の前で切り出したAA。「はあ? 人間になりたい!? ・・・そりゃまた、なんで?」と不思議がる管理者。「人間になるってのが、どういうことか知りたいんです。あの下界の連中のことを知りたい。別に、ずっとやりたいわけじゃなくて、ちょこっと感じをつかむだけでいいんですけど」とAA氏。

「そうか。Mバンド・ノイズに引きずり込まれたんだな。みんな、あれにヤラレちゃうんだよな・・・」と、ひとりで納得するエントリー管理者。「記録事項・・・アナタは求めた。それでは、あちらの方に行き、右に曲がってください。くれぐれも、まちがえて左に行かないように」と管理人に指示され、AA氏はめでたく人間界への一歩を踏み出した・・・。

「アイツも、よくやるよ」と思いつつ、BB氏は「彼は、終わったら、このステーションに戻ってくるんですよね?」と管理者に聞いてみた。だが、なぜか返ってきたのは「そうねえ・・・」という、はかばかしくない返事。

やがて、エントリー・ステーションの管理者は「まずい。君の友人は、まずいことになってるぞ」と言い出した。動揺するBB氏。どうやら、AA氏はどこかに捕われてしまったようだ。とにかく、皆で探しに行かねばならない。

モンロー、BB、エントリー管理者の3人は、AAを探しに、人間界へとさらに降りていく。すさまじいMバンドノイズだ。人間たちの膨大な思考や感情が、渦を巻いている。もはやザワザワを通り越して、ワーワーキャーキャーという阿鼻叫喚。それが、耳をつんざく轟音と化してきた。「こりゃ、すげえところに来ちまったな・・・」と思わずにはいられない。

やがて、無数の群衆が見えてきた。何千、いや何百万、いや、ひょっとしたら何億。なんと、おびただしい数の人霊がウジャウジャと、はてしなく群れているではないか。「な、何なんですか、この人たちは・・・」。エントリー管理者によれば、「これは、リピートする連中」だという。人間に生まれ変わりたくて順番を待っている、人間界のリピーターたちだ。人間ってのは、そんなに、もう一度やりたくなるものなのか。もはや、ワケが分からない。絶句するBB。

エントリー管理者は、「われわれは、『人間体験は、習慣化する恐れがあります』と、さんざん警告してるんだけどねえ」とお手上げの表情だ。なんだか、タバコの箱に書いてある警告文みたい・・・(笑)。

そんな群衆の中に混じって、トボトボと歩いているAAを見つけた。人間の形をしているが、間違いない。あれはAAだ。

AAは、近代アメリカの大都会・ニューヨークで、人間を経験してきたのだ。積もる話を、記憶のカタマリとして受け取るBB。

AAがいよいよ生まれようとする場面から、それは始まった。どこに生まれたいか、具体的な交渉に入っている。「ニューヨークに生まれたい」と話すAAに、誰かが突然、話しかけてきた。「人間界に生まれたいですって? 他の連中が、あそこでどんなことを経験しているのか、分かっているのですか? それはそれは、言葉に表せない苦しみですよ・・・」。動揺するAA。そこに、声が鳴り響いた。「アイデントAA! アイデントAA! エントリーポイントにて受け入れ準備完了!」。吸い込まれていくAA。「飛べ! 飛ぶんだ、AA!」。AAは飛んだ。強烈な収縮。どんどん締め付けられ、痛くてたまらない。悲鳴を上げるAA。こうして、ニューヨークの片隅で、新生児が産声を上げた・・・。

BBは、「たったそれだけ?」と拍子抜けしてしまった。AAは「いや、これは始まりにすぎない。この後、いろんなことを経験したのだ」と言う。「そうか、良かったな。さあ帰ろう」と言うBBに、AAはビックリして、「トンデモない。まだ帰れないよ」と言い出した。聞けば、ニューヨークでは45歳の若さで病気になり、志なかばにして世を去ったのだという。まだまだ、人間界にやり残したことがある。前回は男だったから、今度は女になりたい・・・。
 
BBはあきれた。「警告文を見ただろ。AA、お前はな、とり憑かれちゃったんだ。お前はな・・・」。耳を貸そうともせず、去っていくAA。「AA、行くなよ、待てよ・・・!」。しかし、AAは奇妙な波のうねりと共に消えてしまった。

また、AAを探さなければならない。今度は、容易に見つからなかった。どうやら、もっと下界に近い世界に取り込まれてしまったようだ。

やっとのことで、AAを見つけた。でも、何かがおかしい。BBが話しかけても、しばらく気がつかなかった。もはや、自分が「KT95からやってきたAA」だということすら忘れかけている。聞けば、今度はもっと昔のイギリスで女に生まれ、散々な苦労をしたらしい。貧困、厳しい農作業、、炊事洗濯、夫の暴力。十四人もの子供を産んだが、疫病で生き残ったのは六人。最後は、自分も疫病で世を去った。今でこそ、女性の人生は大幅に改善されたのだが、昔は洋の東西を問わず、そんなものだっただろう・・・。

金輪際、女には生まれたくないというAA。今度は強い男になって、戦士として戦うと言い出した。

>「AA!」。BBは激しく振動した(註・BBは依然としてエネルギー体のまま)。AAはきょとんとした。そして揺らいだ。「え? ああ、あんただったの、BB。何か用?」。「家に帰ろうよ」。「家ってどこへ?」。「KT95にさ」。

AAは、激しく動揺した。そして、混乱した。でも、ムダだった。何かに引きずられるように、去っていくAA。今度は、どこにいくのか。どこかで戦士になって、殺伐とした戦乱の日々を送るのだろうか。ぼう然とするBBのそばに、いつのまにか、あのエントリー管理者が立っていた。「仕方がないさ。ああいうタイプは、一度とことん落ちてみるしかないんだ」・・・。
 
こうして、地球生命系に取り込まれていったAA。地球での人間体験は、強烈に刺激的なものだ。苦労すればするほど、中毒症状を起こす。これが「輪廻のメカニズム」。みんな、こうやって巻き込まれてきたのだ。「思い当たるフシがある」という人もいることだろう(笑)。
 
(引用部分はロバート・モンロー著、坂場順子訳「魂の体外旅行」)

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異常気象 2010 ~ 今度は大豪雪の中国

2010年01月04日 | 異常気象
   
去年は、「過去50年間で最大の大干ばつ」で、すっかり干上がってしまった中国。政府も、手をこまねいていたわけではない。人工降雨剤を空にバラ撒いたり、ものすごい努力をしてきた。「雲の発生を化学的に促進する薬品」を仕込んだロケット砲弾を、空に向かって数千発も打ち込むというスケールだ。これを、去年はさんざんやってきた。ついに、天候までコントロールするようになった大陸国家。
   
それが一転して、今年は大寒波が到来。今度は、「過去60年間で最大の大雪」になっているという。ドカ雪で、各地に大きな被害が出ている。家屋の倒壊や、路面の凍結で死者続出だ。首都・北京も豪雪で、マヒ状態。
 
「降雨剤をまきすぎたからじゃないか」という批判の声が上がっているのは、無理もない。
   
四川省の大地震のときも、「三峡ダムに膨大な水を溜めたのが、地殻に過大な負担を与えているから」という声が聞かれたものだ。これは、オオゲサでもなんでもない。しょっちゅう大洪水を起こしてきた、世界でも最大級の河川のひとつをせき止めて、巨大な人工湖を造った。いつも中国に出張している知人が、船で長江を下ったところ、三峡ダムのところで船が止まり、巨大な機械で船がダムの下まで降ろされたという。スケールが大きいのは確かなのだが、自然環境にもたらす影響はあまりに大きい。
    
日本でも、冬なのに中国の黄砂が飛んできている。まったく、大陸の環境破壊はとどまるところを知らない・・・。
   
 
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「ドバイの塔」がついに完成

2010年01月04日 | こっくり亭日記

      
あの「ドバイの塔」(ブルジュ・ドバイ)が、ついに完成したらしい。
  
何年か前、躍進する中東の新興都市・ドバイの象徴として建てられ始めた。工期は「5年かかった」ということなのだが、3年くらい前から、建築中とはいえ途方もない高さのタワーが出現し、世界的な話題を集めるようになった。建て始めた当初は、「当時世界一の台北101(約500m)を超える」ということだけは決まっていたが、正確な高さが公表されなかった。ドバイで建設中の、他のビルに追い越されることがないよう、本当に高さ未定で始まったらしい(笑)。バブル崩壊で「建築中止」が伝えられたこともあったが、どうやら「高さ820m」で落ち着いたようだ。
 
砂漠の中に、コツ然と出現した摩天楼。周囲は、本当に何もない。現地に詳しい人によると、暑いなんてもんじゃないらしい。夏は「湿度100%」のスチームサウナ。晴れていても、空気中から水滴がポタポタ垂れてくる。
  
ああ、それにしても、わずか2~3年前と比べて、世界の様相はなんと変わってしまったことか。超・好景気にわいていたドバイは、いまや、まったくのバブル崩壊状態。欧米の金融界は、「ドバイ・ショック」に揺れている。出稼ぎのインド人たちも、インドに里帰りだ。栄枯盛衰は、この世の習い。今は日の出の勢いに見える新興諸国も、明日はどうなることか・・・。
     
日本でも、新東京タワー(スカイツリー)の建設が進んでいる。こちらは、高さ634mとなる予定。戦後の復興期に、全国から腕利きのトビ職人を集めて命がけで建設した初代・東京タワーよりも、こちらの方が断然高い。まさしく、新しい東京名物にふさわしい。現地の押上(おしあげ)は、夕日が似合う古い下町だ。世界中から観光客が集まり、「世界のオシアゲ」と呼ばれる日は近い!?
 
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大集合 ~ ロバート・モンロー

2010年01月03日 | ロバート・モンロー
  
あるとき、体外離脱したロバート・モンローは、「地球と月の間のどこか、はっきりしない地点」にやってきた。そこは、非常に澄み切った場所だったという。
 
近くに、灰色をした固体と思われる巨大な物体があった。それは、何マイルもの長さを持つ、巨大な宇宙船だった。一方の端は円錐形で半球体のドームがかぶさった形になっていたが、もう一方の端は、遠くにありすぎて見えない。

モンローは、ガイドから「現時点では、物質的な地球のまわりにはこのようなものが沢山あるのです」と告げられた。


>私はすぐさま地球のパーセプト(註:直感的に認識したもの)を見た。それは遠くにあって、小さな星ほどの大きさしかない、反射する光の点だった。その点から、(何なのエネルギーなのかは分からないが)不規則なエネルギーが流れてくる。・・・私は眼前のありさまにあまりに魅了されてしまって、この現象の背後に何があるのか、初め気がつかなかった。


間近にみた地球の姿に見とれて、最初は周囲に気づかなかったロバート・モンロー。だが、やがて、周囲を異様な集団に取り囲まれているのに気づいたという。


>地球を中心として八方見渡す限り、数限りないと思われる多くの物体がある。その中のいくつかは形があるが、他のものは雲の蒸気が小さなまとまりになった位しか見えない。でも、これら全てがいろいろな明るさで光り輝いていた。


これらの集団は、皆、強烈な期待感を持って地球に意識を集中していた。あたかも、番組の放映をまちわびているような期待感だった。これだけの数のものの注意を引くのだから、よほど大した番組なのだろうと思われた・・・。

すると、ガイドいわく、「私たちはこれを『大集合』と呼んでいます。ここには、あなたが言う特別番組を見るためだけに、近隣のほかのエネルギーシステムのものたちが出現し、集まっているのです。・・・いま始まろうとしている特別番組は実際のところ極めて稀な出来事で、異なるいくつかの強力なエネルギーの場が、あなた方の時空間で言えば同一点に合流するのです。この稀な出来事が起こるがゆえに、これだけ注目を集めたのです」。

これによって、人間の意識は、「統一された知的エネルギーシステム」として急速に浮かび上がるのだという。バラバラに分離していた、地球人類の意識がいよいよ統合だ。それによって、膨大な「新しいエネルギー」が生み出される。それは、地球のみにとどまらず、近隣のエネルギーシステムまでも、一気に変えてしまうだろう・・・。

ロバート・モンローが第二の著書・「魂の体外旅行」に書き記した、「大集合」。分厚い著書の中の、ほんの数ぺージを占めるにすぎない断片的な記録なのだが、モンロー研究所の枠を超えて、精神世界関係者の間ですっかり有名になった。
 
この「ロバート・モンローの大集合」は、アセンションにからんで、しばしば言及される。ただし、時期については明言されていない。モンロー自身は、「西暦三千年・・・?」という感想を漏らしている(ちなみに、当時は1970年代)。ただ、モンローが訪問したという「西暦三千年以後」の世界では、すでに地球は完全に調和された世界と化しており、人間は卒業してしまって、ほとんど住んでいなかった。自縛霊になって迷っていた浮かばれない連中も、みんな集められ、一斉に地球を旅立ってしまった後だったのだ。
 
ということは、「それよりも前のこと」と解釈するのが自然でしょうな、やっぱり・・・。
 
  
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「自分」を拾い集めて帰る

2010年01月03日 | ロバート・モンロー
 
あるとき、ロバート・モンローは、妙にお腹や背中が痛くて悩んでいた。理由を調べてみたが、どうにも原因不明。すると、何者かが、ある場所に案内してくれた。そこでは、褐色の短いトーガ(古代ローマ人とかが着ている、布を巻きつける服)を着て、腰に幅広のベルトを閉めた5~60人の男たちが、およそ同数の浅黒いヒゲ面の男たちと戦っていた。両方とも、短剣と槍、丸い盾で武装していた。ここは一体、いつの時代なのか・・・?

もうもうとあがる土煙、ほとばしる血潮。そんな中、18歳くらいの若者がもがいていた。なんと、槍で背中から腹にかけて、地面に突き刺されてしまっているのだ。

それは、ロバート・モンロー自身の過去世の姿だった。この、槍で背中を突き刺された強烈な体験のおかげで、いまだに痛みを感じることがある。やっと原因がわかって、ほっとしたロバート・モンロー。

その数年後、体外離脱したモンローは、またまた同じ場面に遭遇した。槍で地面に突き刺され、もがいている若者。なぜか、モンローの横に立って、それを不安そうに見ている男がいる。なんだか、兄弟みたいな感じだ。

もがいていた若者は、やがて弱々しくなり、動きが止まった。モンローは、隣に立っている男に、「わかるかい」と言った。男はうなずくと、背を向けて去って行き、やがて姿を消した・・・。

若者に、「起きろ」と呼びかけるモンロー。やがて、若者の身体から、別の頭が浮き上がってきた。それを引っ張りだしたところ、若者は身体からスルリと抜け出した。戦いに戻ろうとするのだが、もはや、手は短剣を持つことができない。ガクゼンとする若者に、「お前は死んだのだ」とさとす。そして、


>私は、若者の手を握って、舞い上がりはじめた。若者は不安そうだった。「ボクは・・・ボクは鳥じゃないんだ。飛べないよ!」。私はそっと手を引っぱってやり、2人してゆっくりと戦場の上空へ舞い上がった。若者の抱いていた懸念は一瞬にして消え去り、私たちは2人ともはしゃいで声を上げ、スピードをあげながら飛んでいった。

>・・・手の中に若者の手が感じられた。問題はどこで放してやるかだ。私が尋ねようとした、まさにそのとき、若者の手の感触が消えていることに気づいた。あたりをぐるぐる回ってみた。いない。若者がいない。誰もいない。いったい、どうなっているんだ?


結局、若者の救出に失敗したロバート・モンロー。そこで、ふと思い出した。「横で立っていた男」というのは、何年か前の自分だったということを。 原因不明の痛みに悩まされていたモンローは、何者かのガイドで、この場面に遭遇したのだ。その「何者か」というのが、まさに今の自分。

ということは、同時に、3人の「自分」が存在したということになる。ここから、ロバート・モンローの「自分」に対する見方は、大きく崩れていった・・・。
 
やがて、モンローは、あちこちの時代や地域を訪ねては、こうした過去の「自分」と遭遇するようになる。彼ら(?)は、死んで自縛霊と化し、死後世界で迷子になってしまっている。こうした「自分」たちを拾い集めて全員そろえるのが、モンローに与えられた使命。どうやら、それは予想以上に重要な意味を持っているようだ。
 
その理由は、後にロバート・モンローが「宇宙の源」を訪れたとき、明らかになったという。

そこには、「大いなる全体」があった。あらゆる次元から、あらゆる存在がそこに流れ込んできていた。ただし、ほかの存在たちは、モンローよりもずっと大きい。モンローなど、ほんの塵のようなものだ・・・。あまりにも小さい・・・。

そこで、ロバート・モンローは、「まさにそうだな、小さな者よ」と呼びかけられたという。さらに、「おまえは、何か違っているな。贈り物も持っていないし、ひとりきりだ。不完全ではないか」と言われた。そこで、モンローは思い出した。


>前に私は・・・「KT95」(註:どこか遠くの天体の名前)の遊びの輪に注入された、エネルギーの閃光だった・・・離脱・・・ひとり故郷を離れ、何かを探し、探して・・・そして黄色い太陽のまわりを回る青い惑星の放射に出会い・・・進入する・・・入っていく・・・それになるために・・・何になるために?・・・人間・・・そうとも、人間になるためにだ!


ついに、地球にやってきたときのことを思い出した、ロバート・モンロー。地球で肉体という物質的存在になったことにより、重苦しい制限を味わうハメになったのを思い出した。気楽に人間になってはみたものの、なってみたら、トンデモない苦労の連続だ。まったく、シャレになっていない。しかし、ほかの多くの人間たちと同様、苦労すればするほど、ますます人間体験がもたらす強烈な刺激に中毒する一方。何かにとりつかれたように輪廻転生を繰り返していった・・・。これは、一種のマゾヒズムなのだろうか(笑)。
 

>何度も何度も試みを繰り返し・・・生の過程を数知れず繰り返し・・・毛深い顔をした初めの小さな生き物から・・・何千年もの過程・・・人生を経て・・・何度も何度も、意識と知性の向上と低下を繰り返し、それらすべてをあわせたものが、「全体」に持ち帰るべき贈り物なのだ・・・。しかし、私はそれを持っていない・・・。


なんと、「贈り物」の意味まで分かった。地球で生きている意味までも、すべて思い出したことになる。


>やっと、部分がまき散らされたわけがわかった・・・私は、あの無数の人生を、すべてひっくるめたものなのだ。すべてが私なのだ。私はそれをなんと呼んでいたっけ・・・そう、私のIT(I THERE、向こうの自分)だ。

かくして、ロバート・モンローは、地球生命系の過去・現在・未来にまき散らされた無数の「自分」の断片たちを、拾い集めて帰るハメになったということだ。槍で地面に突き刺されていた古代の若者は、その中のひとり。他にも、そんな「自分」が多数。大変ですな・・・!!

でも、モンローによれば、それが「地球生命系からの卒業」。大変だけど、やるっきゃない!?
  
 
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「生存せよ」という刷り込み

2010年01月02日 | ロバート・モンロー
  
ロバート・モンローの最後の著作・「究極の旅」において、かの有名な(?)、「地球生命系の原理」が展開されている。いわく(抜粋)、


1.地球の生命系に参入するとき、すべての生命体は、おそらくDNAを通して、最優先の指令を刷り込まれている・・・「生存せよ!」。これこそ、生命系に存在する、すべての個体の行動をカゲで支配している動因である。・・・成功とはすなわち、肉体の生存だ。失敗とはすなわち、生存できないこと、肉体の消滅・・・死なのだ。恐怖とはすなわち、生存できない恐れがあるということだ。

2.急地球の生命系は、生命を維持するための栄養を求めて生命体どうしが競争しあうという、非個人的なシステムである・・・その過程で、個体間の協力というものも生じる。生存のために、しばしば協力が要求されるのだ。それでも全体としてみると、これは捕食のシステムになっている。

3.肉体の生存に結びつかない意識は、すべて侮蔑される。

4.この生命系の基本的なパターンは変化である。静止はエントロピーであり、エントロピーは死である。
 
 
なんとまあ、地球生命系システムの本質を、鋭くえぐったことか。ここには、「自然界では、万生万物が共存共栄しています」というような、きれいごとの影も形もない。たしかに、個体どうしが協力しあうこともあるのだが、それは生き残りのための協力であるとされている。

ここでいう「生存」とは、自分の個体のみならず、子孫を残すことや、種の保存をも含む。

地球では、「成功」とは、生存を意味する。「失敗」とは、生存できないことだ。生存に結びつくもの・・・食物、住居、異性その他・・・を得ることこそが、成功だ。それが得られないことが、失敗だ。
 
つまり地球は、意図的に創られた、サバイバルゲームの環境だということ。すべての個体が、「生存」という究極の目標に向かって、激しい競争を展開する。好むと好まざるとにかかわらず、それが地球環境というものだ。「なんで、こんな世界になっているのだ」と言って、怒ってみても仕方がない。
 
だが、いまや2010年代に突入した。いまこそ、意識を変容させるとき。このような、地球生命系の原理から逸脱した価値観が求められている。
 
意識を変容するためには、まず、上記のような「刷り込み」を自覚する必要がある。「ボクだけは、例外だ」というようなことはない。自分自身にも、「生存せよ」という指令は、DNAを通して刷り込まれているのだ。ウツ病で自殺寸前の人でさえ、潜在意識のレベルでは変わらない。それが、自覚されないほど深く、意識の奥に刷り込まれているだけである。
 
今の世の中のように、不景気な時代には、人々は余裕をなくして生存競争が厳しくなる。生存に結びつくものが得られなければ、人は不安になる。悲しくなる。それは「生存せよ」という刷り込みを強化し、人々の意識を、目前の現実へとよりいっそう強く縛りつける。

まったく、不景気には、百害あって一利がない。これは、地球人類の意識の覚醒にとって、非常に邪魔な状況だ。一日も早い景気回復が望まれる・・・。
  
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