宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

強盗に襲われた、イラク帰りの海兵隊員

2008年06月03日 | こっくり亭日記
  
CNNニュース
 
 
アメリカの海兵隊員が、イラクからオハイオ州クリーヴランドに一時帰省中、強盗に襲われて死んだ。
 
イラクより危険なのか、アメリカは・・・。
 
最近のイラクは、ひところに比べると治安が回復していると言われます。

昨年、ブッシュ政権はリベラル派からの批判を浴びつつ、イラクに大規模な援軍を送った(共和党大統領候補・マケインの意向とされる)。

大変な批判を押し切っての強行だったが、ひところに比べ、狂信的なイスラム教テロリストたちが追い詰められているのは事実。
 
でも、皮肉なことに、危険なイラクから一時帰還したアメリカで、海兵隊員が強盗に襲われた。 

アメリカでは、一時帰省中の海兵隊員は、多額の給与のおかげで「大金を持っている」というイメージをもたれているらしい。

そのため、上官から「帰省中の海兵隊員は強盗に襲われやすい」というアドバイスを受けていた海兵隊員は、現金をなるべく持ち歩かないようにしていたという。

ところが、皮肉なことに、強盗は「なんだ、海兵隊員のくせにカネも持ってないのか」と怒り、「生きる資格がない」と言って射殺したという。
  
銃器が容易に手に入るアメリカでは、強盗がはびこっています。

貧民街では、「おい、いい車もってるな。ズドン」という世界になっている。
 
そのため、あちこちの高級住宅地では、要塞のように防備を固めている。中にはお濠を掘るところまで出てきたとか。
    
もっとも、歴史的に見て、現代のアメリカが特に荒れているわけではありません。

地球は、昔からこういう世界。
 
たとえば、中国史上最大の名君と言われる唐の太宗の「貞観の治」は、「一人で出歩いても強盗に襲われなくなった」と、その奇跡的な統治を称えられています。

大陸国家では、強盗がはびこっているのが通常の状態。陸には馬賊。山には山賊。湖には匪賊。ときには、官軍と真っ向から戦争するほど強くなる。

強盗がはびこらない世の中を実現すると、歴史的な名君として、後々までの語り草になるほど。
 
現在の中国もまた、毎日どこかで暴動が起きている崩壊状態です。これは、国そのものが滅びる兆候?
   
その点、日本は平和ですな・・・。 
 
 
にほんブログ村 哲学ブログ スピリチュアル・精神世界へ
 
ブログランキング・ヒーリング部門
  
 

記録的な長雨の日本 2008年

2008年06月02日 | 異常気象
  
東京は、今日も雨。

毎日毎日、雨、雨、雨・・・だ。いつまで続くのか。

気象庁の発表によると、今年の春(2008年3~5月)の東日本の降水量は、1946年の観測開始以来、2番目に多かった。

平年の176%も降ったという。

しかも、例年より早く梅雨入りし、今は梅雨。6月・7月も雨が続きそうだ。

「異常気象だ」と騒ぐかどうかは別にして、例年に比べて異例なのは確かである。

ここで思い出すのは、例によって「ミロクの世が到来するとき、すべては水に流され、洗い流される」という、どこかで聞いた予言。
 
実際、雨がこれだけ降れば、現実味を帯びてくる。

少なくとも、隣の大陸から風に乗って流れてくる、黄砂やら大気汚染物質やらが洗い流されているのは確かだろう。

ついでに、精神汚染も洗い流してもらいたいものだ。
 
天気予報によれば、今週の雨は週末まで続く。

一方、北日本(青森とか)では、逆に記録的な少雨だったとか。

いったい、世の中はどうなっているのか・・・??

  
にほんブログ村 哲学ブログ スピリチュアル・精神世界へ
 
ブログランキング・ヒーリング部門
 
 

不常不断の中道

2008年06月01日 | 釈迦 ~ 輪廻転生からの卒業

「不断不常の中道」

断見・常見から離れて縁起のままに生きる修行道のこと。

断見とは、人の一生はこの世限りであるとして、死後の世界を否定する考えであり、
常見とは、世界が永遠に不滅であり、人間が死んでも我という固定な実体が永続する
という考え方である。

それに対して、仏教では双方の固定化した考え方を否定して、
縁起によって自らも世界も現象しているものとしてみている。
 
 
ウィキダルマ 「中道」より
 


「人間は、死ねば無になる。人生は一度きり。死んだら何もかもオシマイだ」。
 
このような考え方を、「断見」(だんけん)と言います。


一方、「人間は、死んでも天国で再生する。何度も生まれ変わって、永遠に存続する」。

このような考え方を、「常見」(じょうけん)と言います。


この「断見・常見」の2つを、「両極端である」として排除する。

両極端から離れて、中道をゆく。

これを「不常不断の中道」と言います。


論争の舞台では、しばしば 「YESかNOか、二者択一で答えてください」という迫り方が見られる。

これに対して、「YESでもないし、NOでもない。 YESでないわけでもないし、NOでないわけでもない」というのが、仏教者の模範回答(笑)。

「YESかNOか。 答は2つに1つしかないはずだ」というような、物質界で刷り込まれた二元論的な思考から離れる。

両方とも、固定観念に過ぎない。 2つの極から離れ、中道をゆく。

そうすれば、他人との論争のタネは絶たれる。

それだけではない。

自分の葛藤のタネも絶たれる。

ようやく、精神の静寂が訪れる・・・。

ありがたや。

合掌・・・・・