宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

持って生まれた使命

2016年09月19日 | 精神世界を語る

 

またしても、何ヶ月も更新せずに過ぎてしまった。「またしても」っていうか、これほど長く更新しなかったのは初めてかもしれない。といっても、ブログを始めて10年以上にもなるだけに、まだ続いてるだけ上出来か。

実際のところ、このブログは必ずしも、人に何かを訴えようとしているものではない。半分は、自分自身があとで読み返すために書いている。たとえば、しばらく更新しなかった後に本ブログを読み返す。すると、忘れていたことも思い出し、たちまち精神世界ジャンル全般がすっきりと頭に入る。とくに、失業してヒマだった頃に書いた記事は、今じゃ書くのに手間ヒマかかりすぎて再生不能。じつに重宝する。

いままでに何度も自慢してることだけど、筆者はもともと「文系秀才」という一面を持っている。どこの中学にも高校にも、数学とかスポーツとかはあんまりできないけど、英語や国語などの文系科目に関してはトップクラスというような人がいるものだ。でも、そんな人たちを日本全国から集めても、筆者の国語や世界史の論述答案を見れば、「なんで、こんなにスラスラ書けるのか。やはり世の中、上には上がいるもんだな」と、たいてい脱帽されるレベル。これで、高級官僚とか大学教授とかにでもなったのなら嫌味なのかもしれないが、実生活でこれといって才能を活かしてもいないから、平気で自画自賛できるのである(笑)。要するに、難解な文章を読んだり書いたりする能力には、相当なレベルで定評がある。

一見、イイカゲンに見えるかもしれないけど、実はそれだけの特技をもった人が、ややこしい精神世界本や哲学書や歴史書その他・・・をせっせと読み込みつつ、かなりマジメに書いてきたブログなのだ。われながら、「読み返して勉強するのに便利」と思えるのも当然かもしれない。

ていうか、今ふと思ったことだけど、本当は自分には、もっと書くべき使命があったのかもしれない。もともと、そういう使命を帯びて、この地球そして日本に生まれたのかもしれない。ということは、もっと宗教その他をメチャクチャ勉強して、もっともっと熱く語るべきであったのか。いや、それはそれで、さらに人生をまちがえるのがオチなのだろうか・・・?(笑)

まあ、何もしないのに比べたら一応、精神世界ブログを書いただけマシか。

というより、自分の考えとしては、「高次の意識の覚醒者は、たとえ洞窟にこもって何もしていないように見えても、実際には、その愛と智の波動で地球を変革しているのである」というのが根底にある。つまり、意識の覚醒者というのは、世間の一般人にとって、何もしていない人でも別にかまわない。結論としては、何もしなくていいし、ましてや、精神世界ブログを書かなくてもいいのである。

早い話が、久しぶりに自分が過去に書いたブログを読み返してみて、「よく、こんだけ書けるなあ」と他人事のように感心してしまった。とても、自分が書いたとは思えないような記事も少なくない。まあ、それだけの話なんだけど。

なんで、いまさら、「持って生まれた使命」がどうのと考え始めたのかというと、これまた精神的な背景がある。というのも、筆者には、「新興宗教が嫌い」という一面がある。10年前にブログを始めた頃は、もっと熱いキャラだった。ネット上で某新興宗教の教義批判を展開し、そこの信者諸氏といつも荒っぽい論争を繰り広げていた。それだけ、新興宗教をモーレツに毛嫌いしていたのだ。

マジメな話、「自分はなんらかの使命を持って生まれてきたのに、それを果たさず、まちがった人生を送っているのではないか?」という疑念にとらわれている人は、決して少なくないと思われる。というのも、何かの縁でたまたま最初に知り合った新興宗教を見て、「私は、この教えと出会うために生まれてきたのだ」とか、「この教えを広めることが、私が持って生まれた使命なのだ」とか、すぐに感激してしまう人があまりにも多かったからだ 。宗教界をよく知ってる人から見れば、「おいおい、それはまだ早すぎるよ。もうちょっと、いろいろ見てから結論を出してみても遅くないんじゃないの?」という感じ。まるで、タマゴからかえったばかりのヒヨコが、最初に見たものを親鳥だと思い込み、どこまでも後ろをついていくみたい。

そんな信者諸氏を批判する人が、「ボクには持って生まれた使命があるのです」などと言ってるようでは、「お前のほうこそ、なんだか信者っぽいな?」と言われかねない。だから、そんなことを考えるはずもない。でも、一筋縄ではいかないのが世の中の常。いまにして思えば、本当は自分のほうこそ、なんらかの使命を帯びていたのかもしれないではないか(笑)。

なんとなく、そういうのも一概には否定できないんじゃないかという気がしてきている。実際のところ、「持って生まれた使命」ってのは、あっても別におかしくない。というより、実際にあるんじゃないか。

いま、地球の変化はものすごく加速している。こればっかりは、精神世界を抜きにしても、そう考えている人が世界的に多い。たとえば、中国の経済規模は15年前には日本の3分の1もなかったが、今じゃ日本の2倍以上もある。まあ、「統計がデタラメだ」とか、「急激に伸びたものは潰れるのも早い」とか、そういう外野の声はさておいて(笑)。それにしたって、北京や上海の風景が、以前とは同じ惑星と思えないほど発展してガラリと変わったのは確かだ。アメリカだって、メキシコからの移民の流入で人口が3億人を超え、そこらじゅうでスペイン語を話している国になった。こんな調子で、驚くべき速さで世界中が激変している。

もっと変化が加速するのは、いよいよ、これからだ。21世紀の初めにIT革命が起きて、人工知能が大幅な進歩を遂げた。100年前に登場した建設機械のおかげで超高層ビルや高速道路が広がり、それまでの地球とはまるきり風景が変わったように、これからは人工知能が世界の変化を一気に促進する。変化のスピードが、今までよりも格段に速くなる。そのおかげで医学もバイオテクノロジーも急速に進歩するから、人間の寿命は一気に伸びて、若返りが始まる。こんな時代に過去の古い常識にとらわれて、「どうせ、俺の人生なんか・・・」とかなんとか、ウジウジ悩むのはバカげている。世界が大きく変わり、それに合わせて、軽佻浮薄な世間の一般人の価値観もコロッと変わるから心配いらない。

こんなにすごい変化が起きている時代だけに、ついでに意識を改革する絶好のチャンスでもある。その意識変化を促進するのは、われわれ精神世界系の人しかいない。これこそ、持って生まれた使命と呼ぶに値する。

その使命を果たすために何が必要かといえば、なんといっても、自分自身の意識を改革することだろう。おのれの意識の波動を高めることにより、長年にわたる生存競争で荒れはて、殺伐としてしまった地球の意識空間を波動調整する。重要なのは、意識波動を高めること。そうすれば、たとえ洞窟の中にいて何もしなくても、持って生まれた使命を果たすことができる。

「なんだ、結局、何もしないんじゃないか」と言われるかもしれないが、実際その通りなのだから仕方がない・・・。

(つづく)