「お金のいらない国」という本の著者、長島龍人氏は、それからもずっと、「お金のいらない国」というテーマを掲げて活動している。筆者も、ずっと前に、スピ系の友人に「是非、読んでくれ」と言われて読んだ。
これは、まさに理想の社会だ。
>呆然と少し歩き、ふと見ると一軒のレストランがあった。
こぢんまりとした、入りやすい感じの店だった。
>私は急に空腹を覚えた。
ま、とりあえず飯でも食って、それからまた考えるとするか。
私は店のドアを開け、中に入った。
人気のある店らしく、結構混んでいた。
>私はウェイトレスに案内されてテーブルにつき、受け取ったメニューを広げた。
家庭料理風の、うまそうな料理の写真がたくさん並んでいた。
私はつい、ウキウキと迷っていたが、あることに気付いてはっとした。
値段が書いてないのだ。
>しまった。もしかしたらこの店、すごく高いのかもしれない。
そういえば、このテーブルやイスもさりげなくいいものを使ってるみたいだし。
困ったなあ、あんまり持ち合わせがないんだ。
今から出るわけにもいかないしなあ。足りるかなあ。
まあ、いいか。
>そう言えば、この国で日本円が使えるとも思えないし。
最悪、店の人に頼んで待ってもらって、あの紳士にお金を貸してもらおう。
私は恐る恐るあまり高そうでないものを選んでウェイトレスに注文した。
>ウェイトレスはにっこり笑って奥へ引っ込み、間もなく料理を運んできた。
目の前に料理が置かれるやいなや、私は値段のことも忘れて夢中で食べた。
>腹も減ってはいたが、とにかくすごくうまいのだ。
きっと、相当がつがつ食べていたのだろう。
>食べ終わってから、隣のテーブルの白人と黒人の学生風の女の子二人連れが
くすくす笑っているのに気付いた。
照れくさかったので私はそそくさと席を立った。
>さあ、いよいよ問題の一瞬がやって来る。
果たして、いくら請求されるんだろうか。
>私は店の出口の方へ向かい、レジを探した。
しかし、レジは見当たらない。
仕方がないのでもう一度、中へ戻り、ウェイトレスを呼び止めた。
>「あの…」
「はい、何でしょうか」
>東洋系の、愛嬌のある顔をしたウェイトレスは、愛想良く日本語で答えた。
>「レジはどこですか」
ウェイトレスは、きょとんとしている。
店は結構話し声がしているので、よく聞こえなかったのかなと思い
私はもう一度ゆっくりと繰り返して聞いた。
「レジは、どこですか」
>彼女は困ったような顔をして小声で言った。
「あの、すいません。ここにはそういう物、置いてないんですけど」
>私は呆れた。こいつまで私をからかうつもりなのか。
一体、この国のやつらは何を考えているんだ。
よそ者をからかって、そんなにおもしろいのか。
>私は黙ってウェイトレスをにらみつけた。
>彼女はすまなそうに、うつむいてしまった。
私はちょっとかわいそうな気がして、なるべく優しい口調で聞いてみた。
>「私が食べた料理の値段を知りたいんです。お金を払いますから。
教えてくれないとこのまま帰ってしまいますけど、いいですか」
>ウェイトレスは顔を上げ、不思議そうに言った。
>「あのう、お食事がお済みでしたら
お帰りになっていただいてかまわないのですけれど。
もっと何かお召し上がりになるのでしたら、ご注文くださればお出ししますが…」
>ウェイトレスの表情は真剣だった。とてもふざけているとは思えない。
私の頭は混乱した。ひょっとしたら本当にタダなのだろうか。
ここは、何かボランティアでもやってる店なのか。
>でも、来てる客はそんな、生活に困っているふうにはとても見えない。
全く訳がわからなかったが、私はとりあえずウェイトレスに
にっこり笑って右手をちょっと上げて挨拶し、店を出てみた。
>彼女もにっこり笑って見送ってくれた。後は追って来ない。
>私は狐につままれたような気持ちで、また町を歩き出した。
ほんとにタダだった。
だとすると、あの紳士と飲んだコーヒーも、やはりタダだったのかもしれない。
>なぜだ。なぜ、タダでやっていけるんだ。
その時、私の脳裏に無謀な仮説が浮かんだ。
(ひょっとしたら、この国のものはみんなタダなのかもしれない)
>我ながらとっても無謀な考えだと思った。
後でそのシステムを理論づけることなど
自分にはできっこないという妙な自信まで持ってしまった。
>そんな馬鹿なこと、すべてタダで世の中が成り立つはずはないんだ。
・・・というわけで、この国では、何をやっても、お金がかからない。すべてが、無料で提供されている。
料理店にしても、料理を作るのが好きな人が、ボランティアでやっている。食べた人が喜び、感謝されることが、店主の生き甲斐なのだ。そのために、お店をやっている。
お金は一切、受け取らない。ていうか、もともと、「お金」という概念が、この国には無い。
スピ系の友人いわく、「ある経済学部出身の知り合いに、この本を見せたところ、これは原始共産制の社会だなと言われた」と言う。
「君はどう思う?」と言われたから、筆者は、「いやいや、原始共産制でも、ここまでは行かない。一言で言って、これは、あの世だ。霊界だ」と答えた。
原始共産制というのは、マルクスが唱えた説で、原始人の社会には、貧富の格差がなかった。みんなで海に行って魚を釣ったり、山でウサギやイノシシを狩ったり、森で木の実を拾い集めたりして、何もかも分け合って食べていた。
縄文時代の遺跡を見ても、原始人は、大きなツボを火にかけて、ドングリの実とかをグツグツ煮て食べていた。肉や魚もあったので、かなり良いものを食べていたことが分かる。人口は少なく、自然は豊かなので、なんでも取り放題だ。
それは小さなムラ社会で、村人たちが家族も同然に生きている世界。もちろん、料理店などという高度なサービス業は存在しない。だから、この「お金のいらない国」は、原始共産制とは言えない。
「現代のような都市の文明を捨てて、原始人みたいな小さなムラ社会にすれば、それは可能になる。現在の地球の人口では多すぎるので、かなり減らさなければいけない」というような話をした。
すると、スピ系の友人は、「この鍵を握るものの一つは、ヘンプ(大麻)の活用だろう」と言う。
現在では、大麻は「麻薬であり、危険だから」という理由で、禁止されている。ただし、ヨーロッパの一部の国や、アメリカの一部の州では、禁止されていない。
この大麻は、雑草みたいによく育ち、麻の服も作れるし、食用にも薬品にもなるし、住宅用の建材にもなる・・・という、便利な万能植物だ。これをうまく活用すれば、衣食住が不足するという問題は、大幅に解消される。
確かに、人類が現代の文明を捨てて、自然に回帰していけば、麻の服を着る人が増えるだろう。
いずれにしても、未来の世界では、お金はいらなくなるだろう。どういうプロセスを通って、そうなるかについては、いろいろと考えている。
筆者も、かつては経済学部で貨幣論を学んだこともあるくらいなので、もともと、このテーマに関して、スピ系とは別の角度からの見方をしている。もちろん、話が脱線しすぎるから、ここでそれを展開するつもりは無いけど・・・。
それはともかく、「貨幣こそ諸悪の根源であり、これを無くせば幸せになる」というような、スピ系の過激な意見には、「貨幣」ってものに対する誤解がかなり含まれていると思うし、そのまま賛成は致しかねるんだけど、だからと言って、反対するかって言ったら、そういうわけでもない。そこが、微妙なところ。
実際のところ、「お金のいらない世界など実現不可能だ」とは、まったく考えていない。それどころか、未来の地球は、そういう方向に向かって進んでいくのが自然だと考えている。
(続く)