宇宙のこっくり亭

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輪廻の原因の発見

2009年10月27日 | 釈迦 ~ 輪廻転生からの卒業
     
「輪廻転生の終焉」こそが、釈尊の生涯を貫くテーマであった。「輪廻転生」が重要なのではない。あくまでも、ウエートは「終焉」の方にある。

最近になって、このテーマは思いがけない形で再浮上してきた。驚くべきことに、仏教とは縁もゆかりもない、現代のアメリカを中心とするスピリチュアル界において、「アセンションとは、地球人類が輪廻転生から卒業することである」という認識が広がってきたのである。本ブログで、この話題をたびたび取り上げているのも、そのためだ。決して、古い仏教談義を蒸し返そうとしているわけではないということを断っておきたい(笑)。

それはともかく、原始仏典は、どこから読んでも、「私は解脱した。輪廻は終わった。もはや二度と再生することはない」のオンパレード。それでも言い足りなかったのか、弟子たちも次々に登場して、「釈尊のおかげで、私たちも解脱した。輪廻は終わった。私たちも、もはや二度と再生することはない」の大合唱。

あまりにも「終焉」の方に力点が置かれているため、「輪廻転生そのものを否定するのが、釈尊の真意であった」とする解釈は、根強い勢力を保っている。だが、それはやはり無理がある。輪廻転生がないのなら、終わらせるまでもない。やっぱり、あるから、終わるのである。

インド思想の研究者・宮元啓一氏によれば、実のところ、これは釈尊ひとりが唐突に始めた話ではなかったらしい。インド思想の流れは、釈尊が登場するより以前から、すでにこれが最大のテーマになっていたという。

もっとも、最初からそうだったわけではない。インド人の思想家たちも、かつては、「あの世はある。人は生まれ変わります」というような、単純な話からスタートした。やがて、「善い人は天国に赴き(おもむき)、悪い人は地獄に赴く」という考え方が広がった。おなじみの、因果応報思想である。このあたりの話までは、日本人にもおなじみだ。こういうのを「お釈迦さまの教え」だと思っている人が、世間には多い。だが、実際には、釈尊がそのレベルの話をするのは、在家の素朴なお爺さん・お婆さんたちが相手のときに限られていた。相手がプロの修行者なら、そんな話はしない。
   
やがて、輪廻思想が高度に展開し、深化するにつれて、「いかにして、はてしない輪廻から脱却するか」が、最大の関心事に浮上してきた。そのためには、まず、「なぜ、輪廻が延々と続くのか」という原因を探る必要がある。原因が分からなければ、対策の立てようがない。

そんな中で、釈尊の先駆者ともいえる大哲学者が登場した。かの高名なる、天才ヤージュニャヴァルキヤである。

ヤージュニャヴァルキヤは、「業」(ごう)、つまり、カルマこそが、人を輪廻させる原動力であると見抜いた。業とは、行為のこと。われわれが日々やらかしている、数々の行いだ。そして、われわれの行為は、欲望を原因として起きる。

つまり、「欲望」こそが輪廻が終わらない根本原因だというのだ。ということは、欲望を消滅しさえすれば、輪廻も終わるということになる。

これは、輪廻思想史上、空前の大発見と言える。もっとも、輪廻そのものに関心がない人にとっては、「発見」でもなんでもないだろうが(笑)。そういう人は、対象外・・・。

かくして、「輪廻から脱却するためには、欲望を消滅させる必要がある」というのが、インド思想界の共通理解となった。宮元啓一氏によれば、釈尊が登場する以前から、ここまでは話が進んでいたのだという。


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