宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

ポジティブな振動数の上昇

2013年09月24日 | アセンション ~ 地球の次元上昇

 
アセンションは、着々と進行している。

多くのアセンション系ブログでも、この2013年9月を、「飛躍的に波動が上昇するとき」と位置づけているところが多かった。

もちろん、アセンション系ってのは、いつもそうやって期日を区切っては、「キタキタキタ~!!」と盛り上がってることが多いんだけど(笑)、今回は筆者もそれに共感するところが大きかった。

なんだか最近は、自分自身の精神構造に、急速に透明感が増してきている。ようやく、雑念が減ってきた。明らかに、「振動数が上がってきた」という実感がある。

ここで、「振動数が上がるって、どういうことなの?」という疑問もあるだろうけど、それは要するに、意識が活性化して、エネルギーが増大する・・・ってこった。

でも、前回も書いたけど、精神世界には「ポジティブ」と「ネガティブ」という、2つの流派(?)がある。同じように「振動数が上がる」と言っても、この2つでは方向性が異なる。ネガティブ派は、こんなに脳天気で、根拠のない希望に満ちてはいない。

ここで、「ネガティブな方向に振動数が上がるって、どういうことなの?」という疑問が起きてくるところだが、それは、とりあえず考えなくていい。本当は深く掘り下げてみてもいいんだけど、ポジティブ路線を目指すなら、スルーしてもOK。

もちろん、ネガティブ派の人々を言葉で説得する必要なんか、一切ない。ああだこうだ言ってくる人がいたら、テキトーにやり過ごすに限る。

リサ・ロイヤルの本にも書いてあったけど、宇宙において、ポジティブ派とネガティブ派の戦いというのは、言葉で議論してるわけじゃないのである。大勢でポジティブな意識エネルギーを増幅させて、相手にぶつけること。それが、ネガティブ派への攻撃なのだ(笑)。

ネガティブ派というのは、個の分離をそのままにして、自力による意識進化を追求する人々。だから、たいていの場合、1対1ではネガティブ派のほうが強い。でも、ポジティブ派のほうが数が多くて、集団でパワーを増幅することができるから、十分に対抗できる。
 
話を元に戻すと、ポジティブ・サイドで振動数が上がってくると、人は、だんだん生き生きしてくる。「なんだか、生き生きしてるね?」と言われるようになる。

そこで、リアルの生活が順調なら、「やっぱり、人生が順調なんだな!」と感心されるだけなのだが、問題は、人生が順調でないにもかかわらず、妙に生き生きしている場合だろう(笑)。

この場合は、「よく、その状況で生き生きしていられるな?」と言われることも覚悟しておかなければならない。そんなときは、「これ以下には落ちようがないと、開き直ったんだよ」とでも答えておけばいいだろう。そうすると、「そうなのか? そんな風には見えないぞ」と言われる。

こればっかりは、意識の奥底から湧き上がってくる生命感だけに、「なにか、いいことがあった」というようなのとは、ワケが違う。ソウウツ症の人のソウ状態なんかとは、一見して違いが明らかだから、そんな風には誰からも言われない。

まあ、意識の覚醒が近づいてくると、日常生活から受ける深刻さが、だんだん薄れてくるのは確かだ。というより、この地球における人生そのものの意味が、次第に薄れてくる。

でないと、こんなに苛酷な地球環境で前向きに生きていくことは、とても無理というものだ。

まあ、さすがに、「こんな地球に生かしていただいて、ありがとうございます」という心境にまでは、当分なれそうもないのだが(笑)。

こんな世界や人生から早く離脱したいのは、今も変わらないけど、それなりに前向きに生きていられる。それが「ポジティブ」というものなのだ・・・。 
  


ネガティヴなアセンション

2013年09月19日 | アセンション ~ 地球の次元上昇

アセンションには、2つの方向がある。ひとつは、ポジティヴなアセンション。もうひとつは、ネガティヴなアセンションだ。

ポジティヴなアセンションでは、この地球が理想郷に変わると考えられている。地球人類が一斉に目覚めるか、もしくは、地球という惑星自身が変化することにより、愛と思いやりにあふれた世界に変容する。

そんな中で、自我の壁がだんだん薄れていき、徐々に一体化に向かう。つまり、バラバラに分かれていた個人の分離感がなくなる方向に向かう。完全な一体化には、まだまだ遠いのだが、方向性としては、そういうところ。

一方、「アセンション」の話を聞くと、躍起になって否定し始める人がいる。「そんなに簡単に地球は良くならないぞ。安易な意見に乗っちゃいけない。考え直せ」と言う。ただし、そういう人の話をさらに聞くと、たいてい、「人類がこのまま悔い改めなければ、いずれ滅亡するだろう」という風に考えていることが多い。前から何度も書いてるけど、江原啓之氏がその例だ。

でも、「悔い改めない人類が滅亡する」というのだって、その結果として汚れた人類が一掃され、地球が浄化されるんだから、これも形を変えた一種のアセンションなのだ。これまた、「ネガティヴなアセンション」として、ずっと前から知られている。

誰もが「アセンション」の話を聞いて、「ポジティヴなアセンション」を思い浮かべるとは限らない。人によっては、「アセンションとは、もうすぐ人類が滅亡すること」と受け取る人もいる。ちょっと古いけど、「ノストラダムスの大予言」が典型的な実例だ。そういう人にとっては、「アセンション」と言えば「ネガティヴなアセンション」を意味している。精神世界関係者ならともかく、世間の一般人の場合は、むしろ、こちらの解釈の方が多いんじゃないかと思う。

この2つは、方向性の違いでしかない。単純に、「ポジティヴが善で、ネガティヴが悪だ」とは決めつけられない。「どちらかが正しくて、どちらかが間違っている」という風に、簡単には割り切れないものがある。

「アセンション」と聞いた途端に怒り出したり、躍起になって否定し始めたりする人というのは、たいてい、「ポジティヴなアセンション」に対して怒ってるんであって、そういう人ほど、「ネガティヴなアセンション」を支持する傾向にある。

「ネガティヴなアセンション」を支持する人には、自意識が発達していて、負けん気が強い人が少なくない。霊能自慢な人もよくいる。これは、ネガティヴ側の人にアリガチな特徴だ。

そこまでは行かなくても、単純に「マジメで、求道心が強すぎる」というケースもある。いずれにしても、そうやって自分自身を鍛えることにより、自分の意識のパワーを強めていくのが、ネガティヴな意識進化の道なのだ。

ネガティヴな意識進化の道は、これも立派な「意識進化の道」のひとつであって、別に「鬼だ、悪魔だ」というわけでもない(ただし、この方向で進化しすぎちゃった場合、見る角度によっては『悪魔』に見えるかも)。それ自体は悪いことじゃないんだけど、「それもいいけど、キツい生き方ですよ・・・?」っていうだけ。

一方、ネガティヴ側から見ると、「ポジティヴなアセンション」の道を進む人は、道を踏み外しているように見えるのだ。彼らは、「そういう安直な路線で、本当の意識進化などできるはずがない」と考えている。確かに、それもひとつの考え方だろう。

つまり、「ポジティヴ、ネガティヴ」って言ったら、ポジティヴが良くてネガティヴが悪いような印象を受けるけど、それはポジティヴ側からの見方なんであって、ネガティヴ側に属する人はそう思っていない。そういう人にとっては、自分たちのいる側こそが「ポジティヴ」なのだ。

両方とも、別に魔が差しているわけではない。ポジティヴもネガティヴも、どちらも第四密度に移行できる(つまり、アセンションできる・・・)から、最終的には大丈夫だ。ただし、行き先は同じではない。「ポジティヴな第四密度」と、「ネガティヴな第四密度」に分かれて、別々の道を歩き始めることになる。

人類が滅亡することにより、地球が一気に浄化されるというのも、それはそれで魅力的な路線ではある。少なくとも、「現状維持」よりは、よほどマシに見える。この苛酷な地球環境からの早期解放につながる、なんとも魅力的なプランだ・・・。

でも、それはやっぱり、危険な魅力なのだ(笑)。たとえ回りくどく思えても、この地球では、時間をかけてポジティヴな進化を遂げる方向に進まなければいけない。

ネガティヴな道で意識進化していくというのは、キツい生き方だ。それよりも、ポジティヴな道を目指した方が、たとえネガティヴ側から「安直だ」と批判されようとも、ずっとラクな路線になる。

つまり、意識進化の道は、ひとつではないということ。全員が、他者への奉仕と、全体の融合に向かうというほど、単純にはデキていない。「それじゃ、個性が乏しくて面白くないよ」と思う人だっているだろう。そういう人には、別な道も用意されているというのが、この宇宙のフトコロの深さなのだ。

ただし、「険しい道」だから、普通は誰からも推奨されることはない(笑)。このため、「意識進化」と言えば、通常はそのまま「ポジティヴな意識進化」を意味している。でも、だからと言って、宇宙にはそれだけしかないってことではない。

どちらにしても、アセンションするためには、とにかく振動数を上げることが大事。これは、どちらのサイドでも変わらない・・・ 。

ネガティヴな思いを吐き出す

2013年09月17日 | アセンション ~ 地球の次元上昇

早いもので、2013年も9月の後半だ。あと3ヶ月ちょっとで2014年なんだから、時間がたつのが本当に早い。ますます時間の流れが早くなっている。

「アセンションは、どうなった?」と思って、アセンション系のサイトを見てみると、一部には2012年のブームをすぎて静かになったところもあるけど、やはり、「次元上昇が進行中だ!!」という報告が多い。

この話をすると、「別に変わってないよ?」という人が必ずと言っていいほど出てくるけど、それは人それぞれの個人的な問題なんで、無理に「変わった、変わった」と思う必要はない(笑)。

そもそも、アセンションは、地球人類全員でやるもんじゃないのである。「14万4千人」という、聖書に由来する数字が語られることも多いけど、地球人類70億人の中の14万人なんだから、単純計算で5万人に1人くらいだ。日本のようなスピ系思想の先進国では、この比率がちょっと上がるだろうとはいうものの、それにしたって多くはない。

少数の意識が進んだ人が、この変化を先取りすることになる。そう言うと、なんだか「エリート主義」みたいだけど、世俗社会のエリート主義とは違って、誰でも、いつからでも参加できる。「スピリチュアルなエリート主義は、誰にでも門が開かれている」と、ケン・ウィルバーだって言っている・・・。

それに、人数が少ないのは最初だけで、だんだん増えることが予想されている。少ないのは最初だけで、最終的には人類の多くを巻き込んでいくことになる。もちろん、それでも背を向けて、別の道を進む人も出てくるんだけど、それは人それぞれの自由選択。

重要なのは、そんなことより、意識の振動数を上げることだ。

もうすでに、意識の振動数がだいぶ上がった人もいるみたい。中には、もう五次元に突入してしまって、「五次元からコンニチワ~!!」という人もいる(笑)。

今の地球は、直線的な時間を超越した五次元の世界と、今までどおりの三次元の世界との間で揺れ動いている。そのため、とても不安定な状態にある。

筆者も、すっかり忘れていた過去の出来事を、なぜか突如として思い出し、急に腹が立ったり、悲痛な心境になったりすることがよくある。それも、ちょっとやそっとでなく、爆発寸前なほどの激しさで、よくそうなる。

子供の頃の、日常のホンのささいな記憶が、急によみがえる。たとえば、中学生のときの学校の授業の記憶などが、まるでリアルタイムで受けているかのように鮮明によみがえり、教師に対して急にムカムカと腹が立ってきたりとか。当時は、なんとも思っていなかったにもかかわらず・・・。今にして思えば、心の中に溜まっているものがあったんだろう。

でも、その後では、一気に、それ以前より気分が良くなったりするから面白い。少しの間、トテツもなく気分が悪くなり、その反動で、その後はずっと良い気分が続く。

でもって、気分が良いときは、「周囲の気分まで良くする、特有の雰囲気がありますな」という定評がある。急に、すべての人間や動物や植物が、自動的に動く人形やヌイグルミみたいに、かわいくて面白いものに見えてくるのだ。周囲の人々にも、それが伝わる。

単に、気分が良くなったり悪くなったりするだけなら、「ソウウツ症の初期症状か?」と疑うところだけど、そういう感じではない。「吐き出して、スッキリする」という表現がピッタリだ。

筆者の場合は特に、以前から観念的な面では非常に発達していたけど、世俗の面では不慣れな失敗の連続で、アンバランスな屈折した人生を送ってきただけに、たまりにたまったネガティヴな思いが、心の奥深くに鬱積している(笑)。それを吐き出していくのは大変だ。

精神世界の話をしていても、なぜか、新興宗教の信者とか、左翼の唯物論者とか、そういう人たちとの争いになることが多い。あちこちのアセンション・サイトを見ると、とても平和でマイペースな印象を受けるのに、筆者の周囲ではしょっちゅう思想対立が起きている。そういう星の下に生まれているというのか、そんな対立を呼び込む要素がもともと自分にあるのか、多分その両方だろうけど・・・。

重要なのは、それらをひとつひとつ吐き出していって、振り返らないことだろう。せっかく吐き出したものを、わざわざ、また吸い込むこともない。

そうやってネガティヴな要素を吐き出していけば、だんだん意識が軽くなっていく。次元上昇するためには、気球のように軽くならなきゃいけない。

これは一方通行ではなく、行ったり来たりの曲がりくねった道だけど、それを繰り返しながら、少しずつ意識が上がっていく。

さあ、次元上昇しよう!!





世界平和の鍵を握る、中東・シリア

2013年09月17日 | こっくり亭日記
    
東京オリンピックも決まり、イプシロンロケットの打ち上げも成功した。なんだか、ますます日本が上り調子だ。
  
そんな中、シリアへの米軍の攻撃は、とりあえず回避されそう。イラクのときと違って、アメリカ・イギリスともに厭戦気分がみなぎっており、攻撃を決定するのが難しかった。それを見透かしたロシアが、「話し合いによる解決」を持ち出してきた。オバマ大統領はその話に乗った・・・ということらしい。
 
イラクやアフガニスタンでの泥沼の戦いを見れば、戦争にウンザリするのは当たり前だろう。それだけ、欧米人の意識も変わってきたということか。

ただし、アメリカの介入がとりあえず避けられそうだというだけで、戦争そのものが終わるわけではない。アメリカが介入せず、シリア人同士で戦っている限り、目立たない戦争にはなるだろうけど、目立たなければいいってものでもない。むしろ、「すでに今世紀最悪の戦争になった」といわれるシリアの内戦は、さらに延々と続く可能性が高くなった。

毒ガスも、「政府軍が使ったのか、反政府軍が使ったのか、わからない」と言われていたが、国連が調査した結果、やはり「政府軍だろう」という話になった。理由は、「使われた毒ガスのサリンが、あまりにも高品質で、そう簡単に手に入るものじゃないから」ということらしい。

なんで化学兵器がこれほど問題視されるかというと、毒ガス攻撃を受けた人は、窒息してアガいたり、ケイレンして飛び跳ねたり、悲惨なことになるからだ。

化学兵器が初登場したのは、第一次世界大戦だった。西部戦線では、フランス軍とドイツ軍が、たがいに塹壕を掘って兵士たちが閉じこもり、ときどき地上で撃ち合っては、また閉じこもる・・・という、ダラダラした勝負を延々と続けてた。業を煮やしたドイツ軍が、毒ガス兵器を使った。塹壕の中で毒ガスを吸い込んだフランス軍の兵士たちは、ジタバタとモガきつつ、苦しんで死んでいった。人々が受けた強烈なショックは、半端なものじゃなかった・・・。

毒ガスが使われると、地球人類が繰り返してきたメチャクチャな殺し合いの中でも、特にひどい殺し合いになってしまう。
 
シリアの毒ガス攻撃では、兵士だけでなく、大勢の子供も死んだ。
 
大量破壊兵器を持っていなかったのにイラクは攻撃され、化学兵器を使ったのにシリアは攻撃されない。これまた、世の中にはアリガチな不条理だろう。

 
シリア問題については、スピリチュアル界でも、いろんなことが言われている。

スピリチュアル界では、「アメリカの覇権」を諸悪の根源のように言うことが多い。それさえなくなれば、世界は平和になるという見方も強い。それは、スピリチュアル情報の多くを発信する本場アメリカのスピリチュアリストに、自国の支配層に対して反体制的な考えを持つ人が多いからで、その影響で日本も自然とそうなっている。
 
日本でも、民主党や社民党のような左派勢力の人ほど、なにごとも「日本が悪い、反省して謝罪すべきなのは日本だ」と言いたがるのと同じで、アメリカでも、反体制的な人ほど、何かといえば「アメリカが悪い」と言い出す傾向がある。その点は、割り引いて考えるべきなんじゃないかと思う。
 
アメリカが参戦するのはホメられたことじゃないけど、シリアの政府が非常にヤバい勢力なのも、まず間違いない。戦争を避けるのはもちろん重要だけど、「独裁者を倒す」ってのも、軽視すべき問題じゃないように思う。
 
 
いままで筆者は、「前世は、中東にいた」と言われたことが何度もある。「宇宙からの転生者」と言っても、地球での人生が最初の一回目とは限らない。霊感が強い人たちによると、筆者の場合、日本に生まれる前には中東にいたんだそうな。
 
たしかに、イスラム教のコーランを読んだり聞いたりすると、妙に心の安らぎを覚える。キリスト教の聖書だと、そういうことはない。かつては、「外見も、テレビのニュースに出てくるアラブ人の子供みたい」とよく言われた。

でも、以前の知り合いには、もっとハッキリとアラブっぽい顔立ちの人がいた。しかも、仕事でも、中東と日本を行ったり来たりしていた。「混血?」と聞いたら、「それはよく聞かれるけど、まったくそんなことはない」と言っていた。両親も祖父母も、呉服屋さんとかをやっている、純日本風な人たちだという。当人は、人生観もまったく日本人離れしているので、家庭内でとても浮いていたらしい。これなどは、肉体的な血縁よりも、魂の転生履歴の影響が強く出た例ということか?(笑)。

ちなみに、シリアのアサド大統領と同じ名前の「バシャール」をチャネリングするダリル・アンカ氏も、「自分は中東と縁がある」としばしば語っている。名前など特にないと言っていい宇宙存在を呼ぶのに、「バシャール」というアラブ風な名前を採用したのも、そのためだという。

それが本当かどうかは分からないけど、中東こそは、地球の文明の発祥地で、人類の故郷だ。欧米や日本のような文明国には、中東で魂の経験を積んだ人が多くても不思議はないか・・・(?)。


それはともかく、中東は、世界平和の鍵を握っている。

もう、ドイツとフランスが戦争したり、アメリカとロシアが戦争したり・・・ということは、まず考えられない時代になった。日本と中国だって、なんだかんだ言っても、本格的な武力衝突になることは、まずないだろう。
 
いつも小競り合いが続いているアフリカ諸国を除けば、大きな戦争が起きそうなのは、もう中東くらいしかない。 
 
今までは、中東といえば、「石油」をめぐる争いがついて回った。でも、いまやシェールガス革命で、アメリカが巨大なガス産出国に変身している。日本だって、メタンハイドレートが実用化される日は遠くない。この先、中東の石油の重要性は、低下する一方だろう。それとともに、中東にはお金が入ってこなくなり、存在感がなくなっていく可能性が高い。

最終的な問題は、そこにある。アラブ人も、イラン人も、石油の時代の終わりを予感して焦っている。今まで、どれほど石油のおかげで潤ってきたかを考えれば、当たり前。

もともと、石油が出ることを除けば、乾燥した荒野があるだけで、他にこれといったものは特に何もないところ。

中東が世界大戦のキッカケになるのも困るけど、かといって、「忘れられた地」になっちゃっても困る・・・。
 

いよいよ大詰めの、シリア情勢

2013年09月09日 | こっくり亭日記
   
暑さはやわらいできたけど、雨が多い。朝から雷がゴロゴロ鳴り続けたり、相変わらず気象が変だ。「何十年に1度の異常気象」が世界中で起きているので、もはや感覚がマヒしてきている。「ああ、また100年に1度の異常気象か」という感じ。でも、異常であることに変わりはない。
 
そんな中、2度目の東京オリンピックが決まり、日本の上昇ムードはますます盛り上がっている。「イスタンブールは政治情勢が悪すぎる。マドリードは、スペインの経済危機でヤバイから、東京で決まり」と以前から言われてはいたものの、ここに来てスペインの経済が回復傾向にあるので、マドリードが盛り返してきていた。結果は、東京とイスタンブールの決選投票で、東京が圧勝した。
 
日本やスペインに限らず、最近は、世界経済が回復傾向にあるという話を聞くことが多くなった。そのおかげで、金融危機が騒がれる中国も、輸出が少し回復している。「世界的な経済破綻」は、どうやら今回も起きないみたい。
 
そんな中、世界の注目はシリアに集まっている。イラン・イラクやイスラエル・レバノン・エジプト・トルコといった難しい国々の真ん中にある、中東でもカナメの国。イスラエルの隣国だけに、かつての中東戦争では、エジプトと並んで常に主役級の役回りを演じてきた。ロシアとの関係も伝統的に深い。「第五次中東戦争の引き金になる」、「いや、第三次世界大戦すら引き起こしかねない」とまで言われるのは、そのためだ。

かつて、アメリカを中心とする連合国は、「大量破壊兵器を持っているから」という理由でイラクを攻撃したものの、それはガセネタだったことが判明した。今回は、「化学兵器を使ったから」という理由で、シリアを攻撃しようとしている。

確かに、化学兵器による被害が出ているのは、写真その他から見てもまちがいない。オウム真理教が使ったのと同じ、サリンがまかれたようだ。化学兵器が使われたのは確実なんだけど、問題は、政府軍が使ったのか、反政府軍が使ったのか・・・ということにかかっている。こればっかりは、誰にも分からない。政府が使ったというほうが話は単純になるのだが、不自然な点も多い。

バシャール・アサド大統領は、アサド政権の2代目だ。初代のアサド大統領は、イラクのフセイン大統領と並び称される凶悪な独裁者だった。でも、2代目は学者肌で、「本当は政治家になりたくなかった」という人。化学兵器など使いそうなタイプではないというのは、その通り。
 
チャネリング界の有名人・バシャールと同じ名前だ。関係ないけど、そういえば浅川嘉富氏は、講演で「バシャールは要注意存在だ。気をつけろ」と言ったとか・・・(笑)。
 
アメリカ軍によるシリア攻撃は、秒読みになってきた。平和主義者とされ、ノーベル平和賞までもらっているオバマ大統領が、ブッシュ政権と似たような戦争を始めるというのも歴史の皮肉だ。でも、歴史というのは、そんなものだ。こればっかりは、相手があることだけに、「平和、平和」と呪文のように唱えていれば平和になるというほど、単純なものではない・・・。

前回、ブッシュ大統領がイラクを攻撃したときは、イギリスのブレア首相と、日本の小泉首相がすぐに支持を表明した。アメリカを中心とし、日本とイギリスを東西の両翼とする、世界の新体制をアピールするかのようだった。

でも、今回はイギリスの参戦が議会で否決され、ちょっと雲行きがあやしい。安倍首相も、かつて小泉首相が「アメリカのいいなりだ」と激しく批判されたのを知っているだけに、今回は慎重だ。最終的にはアメリカを支持するにしても、支持を表明するのが早すぎると、また反米主義者から格好の攻撃材料にされてしまう(笑)。

とかく「日本を軽視している」と言われることの多いオバマ大統領も、今回のG20では、日程の最初に安倍首相との会談をセットして、シリア攻撃への支持を求めた。「時間がないから、日米首脳会談は無理だろう」と言われていただけに、日本の外務省も驚いているという。こんなときに限って、急に日本を重視し始めたか・・・?

イラクのときとは違って、中東の中心に位置する国だけに、周囲にも影響が及ぶのは避けられそうにない。特にイスラエルでは、シリアからの攻撃が飛び火してくることを予想し、早くもガスマスクの売れ行きが絶好調だという。ここ数年、厳しく対立してきたイランとイスラエルの対決を誘発するんじゃないかとも言われている。
 
これは、今に始まったことではない。シリアは、まさしく真ん中の国。ペルシア人が西に向かうにも、ギリシア人やローマ人が東に向かうにも、エジプト人が北に向かうにも、トルコ人が南に向かうにも、みんな必ずここを通ることになる。だから、商業の中心でもあった。
 
有名なのは、マホメットがイスラム教を起こし、イスラム勢力がどっと広がったときのことだ。その少し前まで、シリアを支配していたのは、東ローマ帝国のギリシャ人皇帝だった。あるとき、東のイランからペルシャ帝国が攻め込んできて、シリアを奪い取られてしまった。東ローマ皇帝ヘラクレイオスは苦節ウン十年、臥薪嘗胆の日々を送る。人生のほとんどを費やして、ついに宿命の強敵・ペルシャ帝国を打ち破り、シリアを奪い返すことに成功した。でも、喜んだのもつかの間、皮肉にもアラビア半島に興ったイスラム教徒の軍がどっと押し寄せ、たちまちシリアを奪い取られてしまった。アラビア人の怒涛の攻勢を前に、なすすべもなくシリアから撤退する東ローマ皇帝。人生をかけたシリア再征服事業は、すっかりパーになった。そのときの、「シリアよ。汝は敵にとって、なんと美し(うまし)国であることか!」という悲痛な言葉が、歴史に刻み込まれている。

一時が万事、こんな調子。シリアは中東のどの勢力にとっても、あまりに重要で、何千年も前から奪い合いになってきた土地だ。そんな国の内戦がいよいよ世界各国を巻き込もうとしているというのに、注目されないわけがない。
 
一部の人たちが言ってるような、「いよいよ、聖書で予言されたハルマゲドンが成就するのだ」というのが本当かどうかは別にして、中東は、まさしく戦国時代。この大混乱は、まだまだ続きそうだ・・・。
 

固定観念からの脱却

2013年09月09日 | 釈迦 ~ 輪廻転生からの卒業
                               
ある比叡山の僧侶の話によると、比叡山に初めて登ったとき、雪が残っていた。春になって溶け残った雪だから、黒くなっている。それを見て、僧侶は雪だと思わなかったという。そうしたら、師匠から言われた。「雪は白いという固定観念を捨てよ」と。
 
  
>まず、比叡山天台宗の基本的なものの見方をお話ししたいと思います。私が初めて延暦寺に来た昭和18年(1943年)の春、境内には屋根から落ちた雪が土のように汚く積もっていました。ほとんど雪が降らない香川県善通寺市の出身だったため、私は最初、雪だと思いませんでした。すると、連れてきて下さった師匠が「世の中に決まったものはない。雪が白いとか黒いとか、比叡山に来たら固定観念を捨てよ」と教えられたのです。

>元来、ものには決まった姿はありません。すべては移り変わる。これを無常といいます。雪は白く見えるが、いつまでも白くはない。解けて水になって流れ、どこかで木の葉になるかもしれません。循環しているのです。それを仏教では縁起と呼びます。縁によって世の中が動くと考えるのです。

(小林隆彰 比叡山延暦寺学問所長の講話より)
 
 
モンロー研でも、「信念体系(ビリーフ・システム)の崩壊」ということが、盛んに言われている。いわく、死後世界の、フォーカス度の低い領域では、さまざまな信念にとらわれた人々が、独自の世界を創って住み着いている。食欲にとらわれた人は、はてしなく食べ続ける世界。仕事にとらわれた人は、はてしなく働き続ける世界だ。宗教団体の人たちは、集団で世界を創り上げている。そこでは、巨大な教会や祭壇があり、信者たちが永遠に宗教儀式を続けているという。

アセンションの時代を迎えて、こうした信念体系領域の破壊が進んでおり、地球の死後世界そのものが一挙に浄化されつつあるとされている。
  
 
ここでいう「信念体系の崩壊」というのは、「宗教を信じるかどうか」というようなのとは、また別問題。そういう、表面意識のレベルでの信念ではなく、もっと深いところでの根本的な固定観念を指している。
 
広い意味では、この地球の物質世界そのものが信念体系なのだ。古代の叡智は、「この世界は幻影であり、とらわれてはならない・・・」と、繰り返し教えてきた。
 
地球での人生は刺激的なもので、中毒症状を起こす。それが、輪廻転生する原因。
 
単に、瞑想して精神を修養しただけでは、意識の覚醒はムリ。まずは、固定観念からの脱却がカギを握る。

とはいっても、長年の地球生活によって刷り込まれた信念から脱却するのは、簡単なことではない。そもそも、「刷り込まれている」ということを自覚することが難しい。


まずは、「この世界は幻影であり、輪廻転生は、幻影の世界の中で続く、迷いのループにすぎないのだ」という見方を、しっかりと身につけることから始める必要がある。

もちろん、「この世界は幻影だ」というのも、ひとつの信念であることに変わりはない。でも、それを言いだしたらキリがない。「この世界は幻影だというのも、ひとつの信念だ」というのだって、ひとつの信念だ。そんな調子で、無限ループになってしまう。

なにも、あらゆる信念から完全にフリーになる必要まではないのである。そもそも、それはムリというもの。そんなことをしたら、人間ではなくなってしまう。一分たりとも生きていられない。

ここは、余計な疑念を持たずに、まずは「この世界や人生は、真実在ではない。幻影なのだ」ということを、とっくりと腑に落とすことに専念する。
 
もちろん、この地球の物質世界に、最初から現実感を持てない人もいる。「宇宙人の魂」と言われる人は、特にそうだ。でも、そういう人こそは、逆に、「もっと、この世界に現実感を持って生きなければ」とアガいていたりするもの。だから、「この世界は幻影なのだ」という古代の叡智を学ぶことが、やっぱり重要だ。
 
それが、「意識の覚醒とは、そもそも何なのでしょうか?」という疑問への答でもある。早い話が、この世界や人生という幻影にとりつかれた状態は、眠っているようなものなのだ。そこから、目を覚ます。

夜、眠っているときに、「明日の数学の試験に落第したら、留年してしまう」という夢を見たとする。夢の中では、「留年なんかしてたまるか」と、必死になっているかもしれない。でも、目を覚ませば、なんということはない。「落第したら大変なことになる」どころか、そもそも学生ですらないというのが真実なのだ(笑)。

それと同じように、幻影から目を覚まして、それが真実在ではないことに気づく。そして、本当の真実在を自覚する。それこそが、意識の覚醒だということになる。
 
・・・という風に、言葉にするのは簡単なんだけど、実際には、これができた人はほとんどいない。
 
でも、なにごとも一足跳びでデキるものではない。それは、なんだってそうだろう。

まずは、「この世界は幻影である」ということを、とっくりと腑に落とすことから始める。そこから、次のステップが始まる・・・。

汝もまた、信仰を捨て去れ

2013年09月09日 | 精神世界を語る
    
先日は、某宗教団体の出身者から、1日か2日で100件を超える大量の嫌味コメントを頂戴した。どうやら、この人は、大のアセンション嫌いで、本ブログのアセンション記事に怒っていたようだ。
 
それ自体はネット上でよくあることだけど、改めて、この手の人たちの難しさを実感する。

よく思うのは、現役信者よりも、脱会した人のほうが、かえって教義の刷り込みが深いことが少なくないということ。ブラック企業なみにキツい組織だったとか、職員の人柄が悪すぎたとか、脱会する理由はさまざまだけど、脱会したからといって教義の洗脳が解けるとは限らない。むしろ、組織を離れて自分一人の世界で、さらに深く教義を信じ続けるケースをしばしば見かける。
 
もちろん、本人は、とっくに教団の影響を脱け出して、フリーな立場で真理を探求しているつもりでいる。でも他人から見れば、本人が普遍の真理だと思っている内容は、某教団の教義そのもの。それしか知らないから、誰にとっても、それが真理なんだと思い込んでいる。
 
それだけならいいんだけど、自分たちの信じている教義体系に合わない話をする人を見て、「鬼だ、悪魔だ」と騒ぎ出すのが困ったところだろう。もちろん、意見の違いは、大なり小なり誰にでもあるけど、信者諸氏の場合は、その許容範囲が極端に狭い。
 
そもそも、「アセンション」に対する解釈は、人によって異なる。たとえば、江原啓之氏もアセンションに反対する一人だけど、一方では、「このまま悔い改めなければ、人類は滅亡する」とも、たびたび発言している。でも、人によっては、「アセンションとは、悔い改めない人類が滅亡すること」と受け取ってる人も多いのだ。実際、去年までは、「2012年に人類が滅亡するんだってね」という話を、何人から聞いたか分からない。そういう人にとっては、むしろ江原啓之氏こそが「アセンション論者」だということになる。

それと同じく、ブーブー文句を言う人も、自分自身の脳内にある「アセンションとは、こういうものだ」というイメージに対して文句をつけているだけだ。基本的に信者本人の脳内対話なので、気のすむまで喋らせておくしかない。

それはともかく、筆者は、幼少の頃から精神世界に慣れ親しんでいる。だから、この分野を語るのは、空気や水のように当たり前。そのため、「私は、この教えと出会うために生まれてきたのだ」とか、「この教えを世の人々に広めるのが、私の使命なのだ」とか、そういう信者諸氏にアリガチな思い入れを持っていない。

言い方は変だけど、根っからの野球ファンがプロ野球の話をするのと、たいした違いはない。「俺は、野球が嫌いで、美少女アイドルが好きなんだよ」という人がいたら、「ああ、そうなんだ」で話題を変える。それだけのこと。
  
それに比べて、信者諸氏のノリの強烈さには、ビックリしてしまう。

もっとも、強固な信念を持つことが、まちがっているとか、悪いとは思わない。むしろ、敬虔なイスラム教徒の純粋な信仰などを見ると、本当にすばらしいと思う。アッラーへの信仰を限りなく強めることによって、究極の境地へと到達することができる。

仏教の場合は、ほぼ正反対なのが面白い。「固定観念からの脱却」を目指す仏教は、「汝もまた、信仰を捨て去れ」という世界だ。ものごとは、一方通行ではないということだろう。
 
とはいうものの、筆者も、最近はそうでもなくなってきたけど、以前は、信者さんたちが変な宗教をカタクナに信じ込んでいるのを見て、むやみにイライラしたことがあった。イライラというより、気持ち悪くて、吐き気がすることがよくあった。実際に、熱烈なアンチとして掲示板に登場し、論争を繰り広げたこともある。これまたネット上ではよくあることだし、お互いさまと言ってしまえば、それまでなんだけど・・・。

まあ、家族や、自分の身近な知り合いが新興宗教に入信してホルホルしていたら、文句のひとつも言いたくなるのが人情だろう。でも、ネット上でアカの他人がそれをやっているのにまで怒るのは、それとは別問題。
  
筆者の場合、高校から大学にかけての時期に、オウム真理教や幸福の科学を初めとする新興宗教ブームがあった。この二団体に限らず、盛んに活動している団体が本当に多かった。あの頃は、そういう時代だったのだ。だから今でも新興宗教のことになると熱くなるのは、全共闘世代の人が左翼思想に思い入れが強いのと同じようなものだろう。

新興宗教では、「アナタがたに人類の本当の歴史を教えましょう」とか、「大昔、お釈迦さまは、このような教えを説いていたのです」というような話になることが少なくない。そういうのを見て、「そんなウソ話を信じるな!」と怒るというのが、よくあるパターンだった。こちらは、精神世界マニアであるのと同じくらいに、歴史や哲学のマニアでもあるのだ。

でも、信者諸氏の強固な信念の力は、半端なものではない。こちらは良くも悪くも柔軟性がありすぎるので、知識では信者を上回っても、信念の強さで負けている。だから最終的には、信者には永遠に勝てないのだ・・・。


関係ないけど、この頃ますます、韓国の歴史捏造がひどい。最近はむしろ、新興宗教のことより、こちらの方がよほど気になっている。

日本では、歴史というのは、歴史学者が史料をたんねんに調べて、発掘調査などの物証とも突き合わせて、事実を解明していくものだ。でも、韓国ではそうではない。「事実はこうだったのだと、強く言い張って通ったほうが勝ちになる」というのが、韓国の歴史感覚。

「そんなウソの歴史を信じるな!」と言ったところで、言うだけ野暮。相手は、火病を起こして荒れ狂うだけだ。

とはいうものの、「歴史は決まっている」というのも、地球の物質世界で刷り込まれた信念なのかもしれない。

地球はもともと、パラレルワールドなのかもしれないではないか。いろんな歴史が同時進行して、何かが起きるたびに、世界が分岐していく構造になっているのかもしれないのだ。どこかのパラレルワールドでは、韓国が東洋の先進地で、日本人や中国人に文化を教えていたのだ・・・ということも、その意味では大いに有りうる(笑)。
  
しかし、歴史というのは、専門家やマニアならともかく、史料を読んだり、博物館に見に行って確認するといったことを、一般人は普通はしない。「昔はこうだったのだ」と信じてしまえば、その人にとっては、それが事実になる。

そんな調子で、たとえウソでも大勢の人が信じてしまえば、いつのまにか、それが事実になってしまうことだろう。そこが、信念の怖いところなのだ・・・。
              

ブッダの言葉



>ヴァッカリやバドラーヴダやアーラヴィ・ゴータマが信仰を捨て去ったように、

>そのように汝もまた信仰を捨て去れ。

>そなたは死の領域(死王が支配する世界=悲苦にさいなまれる煩悩の世界)

>の彼岸にいたる(超克する)であろう。ピンギヤよ。
 

(スッタニパータ 1146、中村元訳『ブッダのことば』岩波書店)