宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

やはり、エネルギーは人類最大のテーマ

2011年03月22日 | お金が要らない世界

    
東北の大地震と大津波がもたらした凄まじい被害に、日本中が凍りついた感がある。地震の揺れは千キロ以上にもわたって、東北から関東に東日本の海岸一帯に及んだ。関東でも余震が延々と続いて、「また揺れてますな」というのがあいさつ言葉。さらに、まるで余震の一部でもあるかのように、長野や新潟でまで地震が起きた。まさしく、日本列島の東半分を覆い尽くした超巨大地震。
  
その地震の被害が、予想を超える方面にまで及んでいるのは、ご存知のとおり。福島の原子力発電所が爆発して炎上し、放射能が周囲に漏れ出している。これは世界にも衝撃を与え、あの「チェルノブイリ原発事故」と並び、史上最大級の原発事故と位置づけられた。数万人の住民が避難した福島では、危険な放水作業が今も続けられている。
 
おかげで、首都圏はものすごい電力不足に見舞われた。電車が突然ストップして、途方に暮れる人や、何十キロも歩いて帰宅する人が続出。「従業員が出勤できない」という理由で、デパートやスーパーが次々と休業。もっとも、たとえ従業員がいたとしても、商品が届かない陳列棚はカラッポだった。
 
埼玉県や山梨県などで、計画停電が実施された。これに対しては、「東京電力は都心を優遇して、郊外に差別的な待遇をした」という批判の声が多い。でも、現実問題として、膨大なコンピュータに依存する東京都心で大規模停電が発生すれば、その影響は計り知れないものがある。
   
この事件を機に、欧米でも、「原子力発電を見直そう」という機運が広がっている。あの中国でも、見直しが始まっている。「技術が遙かに進んだ日本でさえ原子力発電所を管理できないのなら、まして、われわれにできるはずがない」というのがその理由だという。これを聞いた大前研一氏は、「中国も、たまにはいいことを言うじゃないか。分かっていればいいんだ」と評した(笑)。中国に限らず、欧米でも、アメリカのスリーマイル島で起きた原発事故以来、企業が原発事業から続々と撤退してきた。いまや、原発を作れるのは日本の3社のみだということが広く知られている。外国に技術支援を依頼しようにも、「日本ですらできないことが、他のどこでできるのか」と言われてしまう時代だ。
 
われわれの生活が、どれほど原子力発電に依存しているかを、意識する機会はあまりない。この事故は、予想外の形でそれを教えてくれた。
 
だからといって、「原子力発電をやめよう」とは言いにくい。はからずも、今回の事件で、原子力発電なしでは一日も暮らせないことを思い知らされてしまったのだから仕方がない。日本では、特に左派の勢力が「反核」の立場もあって、原発に反対してきた。でも、長年にわたって原発反対の論陣を張ってきた朝日新聞でさえ、今回は慎重な意見を書いている。

膨大な日本の電力需要をまかなえるのは、現状ではなんといっても火力発電と、原子力発電だ。水力や風力など、それ以外の方法では、生み出せるエネルギーの量が小さすぎるので難しい。原発をやめるのなら、代わりになるのは、火力ということになる。つまり、現状で「原子力を使うな」というのは、「石油をもっとガンガン燃やせ」と言っているのと意味が変わらない。これは、さすがに言いにくい。
  
やはり、「使えるエネルギーに限りがある」ということこそが、地球人類にとって最大の難問だ。それがあるから、人類の大半は貧しい生活にとどまり、奪い合いがひどくなっている。
  
足りないものの代表は、やっぱり「食糧」だろう。今回も、日本中でカップラーメンなどの保存食が、スーパーやコンビニの棚から消えた。まったく商品のないガラガラな陳列棚は、ちょっとした非日常の光景で、衝撃を覚える。電力不足で危機感を煽られた人々が、まっさきに買占めに走ったのは、やはり食糧だった。テレビには、「食べるものが買えない」と嘆く老人の姿。この日本でさえ、一皮むけば、いつ食糧の奪い合いが始まっても不思議がないという現実をまざまざと教えてくれた。
  
食糧の買いだめは、被害のなかった西日本にまで広がった。それどころか、海を隔てた中国でも起きているという。中国では、「海水が放射能で汚染された。これから出荷される塩は危ない」というデマが広がり、各地で塩の買占めが起きた。
  
「塩」の不足に対して敏感なのは、大陸国家の国民ならではだろう。海に囲まれた日本でさえ、「上杉謙信は、敵に塩を送りました」という戦国時代のエピソードは名高い。それに比べて、広大な大陸で、内陸の奥にまで塩の流通を行きわたらせるのは、さらに並大抵のことではなかった。歴代の王朝は、戦争などで財政が危機になるたびに、塩に重税をかけてきた。税金が高くなると、アングラの闇商人が幅をきかせるようになるのが世の常。政府と鋭く対立した塩の闇商人は、私兵を雇って巨大勢力になり、ついには首都に攻め込んで王朝を滅ぼしたりする始末。それくらい、塩の奪い合いは古来から激しい。
  
「塩」でさえそうなのだから、ましてや、「水」がさらに死活問題なのは言うまでもないだろう。古代から、黄河文明・エジプト文明・・・と、文明が発達するところといえば、「大河の流域」と決まっている。人間は、水なしでは一日も生きられないのだ。人間が飲むだけではなく、穀物や家畜を育てて食糧を確保するためにも、水が絶対に不可欠。残念ながら、海水では、塩分が濃くてダメ。人間が飲むのにも適さないけど、農業や牧畜もムリ。オーストラリアの広大な砂漠の地下には、膨大な水分が眠っているのだが、残念ながら塩分があるので農業には使えないらしい。ちょっと塩分が混ざっていただけでも、ダメなのだ。

真水さえ存分にあれば、サハラ砂漠でも、ゴビ砂漠でも、オーストラリア大陸でも、どこでも農業ができる。食糧問題は解決だ。それができないばっかりに、あえなく餓死した人々は、人類史上、いったいどれくらいの数なのか、とても計り知れない。現代でさえ、発展途上国では飢えが蔓延している。「餓死」と言うのは簡単だが、人間にとっては七転八倒の苦しみだ。雑草や木の皮まで食べつくしたり、さらには人肉しか食べるものがなくなって、老人や子供から計画的に食べられていったり。歴史には、そういうホラー映画より怖い事例が山ほどある。
 
地球の七割は、海水で覆われている。海水は、地球で最もありふれたもののひとつだ。塩など、海水には無尽蔵に溶けている。塩も水も、海水を熱して蒸留すれば、無限に得られるというのに、そんな塩や水を確保することが、人類にとっては、これほどの死活問題。塩や水が得られないばかりに、血みどろな奪い合いの中で、のたうち回って死んでゆく人々と、生き残る人々。そのかたわらでは、広大無辺の海が、無限に膨大な水と塩分をたくわえているのだから、地球という環境はどこまでも皮肉なまでに厳しい。
  
でも、エネルギーが無尽蔵にありさえすれば、海水を蒸留して、真水にするのはカンタンだ。ついでに、塩もあり余るほど手に入る。余った分は、海に捨てることになるだろう。さらに、水を分解して、酸素を取り出すこともできる。これで酸素不足も解消だ。さらには、海水に溶けているいろんな金属や、海底に眠っている資源を取り出すこともできる。水を陸地にまけば、どこででも食糧を生産できる。地球は一転して、「人間に必要なものを何でもタダで無尽蔵にくれる、どこまでも優しい環境」ということになるだろう。
 
例によって、原発問題から話が飛躍してしまったが、エネルギーさえ十分にあれば、とりあえず、生きていくのには困らない。人類は、生き延びるために汲々としなくてもすむようになる。結局のところ、人類が抱えている問題の大半は、究極にはフリーエネルギーによって解決されると言っていい。
  
原子力も、少量の資源から大量のエネルギーを取り出せる、昔の地球人類から見れば、大変な夢の技術に近いものだ。決して否定されるようなシロモノではない。でも、これではまだ足りないみたいだ。もっと、無尽蔵にエネルギーを取り出せる、究極のフリーエネルギー技術があれば・・・。人類が抱える問題の大半は解決され、理想の世界が一気に近づいてきそうだ。 
 


いよいよ、リビアで戦争が始まった

2011年03月21日 | こっくり亭日記
 
日本では、大地震と大津波に続いて、原子力発電の大事故が誘発された。いずれも、日本はもとより、世界の歴史にも前例がほとんどないほどの大事件で、世界中から注視されている。

その影に隠れて目立たないのだが、リビアではいよいよ戦争が始まった。カダフィ大佐が率いるリビア政府軍と、東部に勢力を張る反政府軍の戦闘に、イギリス・フランス・アメリカの3国が主導する多国籍軍が、ついに軍事侵攻を開始したのだ。
 
今のところ、世間はこの件にほとんど反応していない。もちろん、日本の国内でこれだけの非常事態が起きているのだから、その分、海外ニュースへの関心が薄れるのは当たり前なのだが、それにしたって、ペルシャ湾岸戦争やイラク戦争のときと比べて、世間の反応は静かすぎないか?
 
昨年、オバマ大統領がアフガニスタンに米軍を増派したときも、ブッシュ大統領がイラクで同じことをやったときと比べて、平和主義者の反応があまりに静かなので、筆者は違和感を覚えずにいられなかった。今回の多国籍軍によるリビアへの軍事介入だって、イラクとクウェートの戦争に多国籍軍が介入したときと、本質的な違いは特にない。平和主義者は、今回はフランス大使館の前に集まって「戦争反対、戦争反対!」のシュプレヒコールをやるつもりはないのだろうか?
 
まあ、平和主義者に文句を言っても仕方がない。問題は、リビアがこれからどうなるかだろう。
 
今回は、伝統的に北アフリカに大きな影響力を持つ対岸のフランスが、イギリスと並んで多国籍軍を主導している。イラクのときとは逆で、軍事介入に積極的なフランスの勢いに、慎重なアメリカが巻き込まれた形だ。そのほか、中東からはサッカーでおなじみのカタールが参加し、ベルギーやオランダといった欧州諸国も加わった。多国籍軍は反政府軍を明確に支持しており、カダフィ勢力を攻撃している。結局のところ、処刑台に立たされたイラクのフセイン大統領と同じで、「独裁者の排除」が欧米諸国の目標だ。
 
1960年代の終わりごろからリビアを支配し、1988年の米パンナム機爆破事件では死者270人を出して、「中東の狂犬」と世界中から恐れられた独裁者カダフィ。1986年には、米軍が明らかにカダフィを狙ったリビア爆撃を行い、カダフィ自身は生き延びたものの、家族の一人が死んだ。今度こそ、カダフィは国際社会から排除されそうだ。
 
カダフィは、「これは十字軍による進攻であり、さらなる大規模な十字軍戦争を呼び起こすものだ!」と国営放送でまくしたているらしい。これまた、イラクのフセインと似た発言だ。でも、アラブ諸国の反応は冷たい。国内でも見放されたカダフィ政権は、もう長くなさそうだ。
 
チュニジア→エジプト→リビアと、ドミノ倒しのように中東の独裁者がバタバタ倒れている。はたして、この流れが他のアラブ諸国にも広がるのか。さらには、東の北朝鮮と並び、世界最大の頭痛のタネである核開発国のイランに、この流れが及ぶのかどうか。世界の関心は、ここに注がれている。もっとも、アラブ諸国の王族や独裁者たちも、手をこまねいているわけではない。すでに、インターネットを規制するなどの手を打っているらしい。中東諸国だけではない。中国政府までが、「われわれが崩壊すれば、東アジアは収拾のつかない大混乱に陥る」という脅し文句を吐いているところを見ると、この事態には本気でビビっている様子。
  
中東は、地球上でもっとも偉大なる歴史と文明を誇る地域だ。まさしく人類の故郷であり、文化の発祥地。お隣のヨーロッパやインドは言うまでもなく、中国だって、漢の時代から、シルクロードや海上貿易を通じて計り知れない文化的恩恵を受けてきた。この地域が人類全体の集合意識に及ぼしている影響は、非常に大きいと思われる。中東の人々の意識変革は、地球全体に大きな影響を及ぼすハズだ。かつて、ソ連や東欧諸国がバタバタと倒れて、東西冷戦が終結したとき、「次は、キリスト教国とイスラム教国による百年戦争が始まる」と多くの人々が言っていたのを思い出す。イスラム勢力が変われば、そんな流れも断ち切られることになる。
 
当分、この地域の動きから目が離せそうにない。2011年は、激動の年になりそうだ。
  

急速な中東の民主化

2011年03月20日 | こっくり亭日記
  
大地震の衝撃があまりにも深くて、ほかの出来事がかすんでしまう今日この頃。でも、地震の影響で財政赤字も円高も一気に進み、物流も滞っている今、経済問題はさらに深刻化したといえる(泣)。ただでさえ景気が悪いのに、いったいどうなってしまうのか。
  
スピリチュアルな教えの多くは、「不安や恐怖を持つな」とわれわれに教えている。この状況で「不安を持つな」というのも無理があるのだが、これからの時代は、思うことや考えることが現実化しやすい世界になってくる。暗い未来予想図を思い描くと、それが実現してくる恐れがある。なるべく、気楽に生きていくよう心がけたいものだ・・・。
 
そんな中、地球人類の意識の変革は、今も急激に進んでいる。それが最も先鋭に表れている出来事は、中東諸国の民主化だろう。中東といっても、主な舞台はエジプト・リビア・チュニジアといった、北アフリカのアラブ諸国だ。
   
最初は、チュニジアから始まった。チュニジアは、北アフリカ諸国の真ん中に位置する小さな国。古代においては、地中海貿易を支配したフェニキア人の国家・カルタゴが繁栄したことで有名だ。カルタゴは、やがてイタリア半島から勃興したローマ帝国によって徹底的に滅ぼされ、ローマの属州・アフリーキヤとなった。さらにその後、アラビア半島から勃興したイスラム帝国が攻め込んできて、イスラム圏に組み込まれ、今ではすっかりアラビア人の国となった。それっきり、歴史の教科書からはほぼ消えるのだが、歴史そのものから消えたわけではない。14世紀にも、「人類史上最大の歴史家」として名高いイブン・ハルドゥーンを輩出するなど、ほんの数百年前までは文化的な最先端を行っていた。
 
そんなチュニジアで、2010年の12月、民主化を求める民衆がデモを起こし、「ジャスミン革命」が始まった。2011年に入ってからは、暴動が激化し、23年間もチュニジアを支配してきた独裁者のベン・アリ大統領は、失脚して国外退去するハメになった。こうして、世界で最も民主化が遅れている地域のひとつ、中東での民主主義革命が始まった。
 
・・・と聞けば、「中東の夜明けだ」と手放しで喜びたくなるのだが、実態ははたしてどうなのか。70年代のイラン革命もそうだったが、失脚したパーレビ国王は、どちらかといえばむしろ開明的な君主で、急速な上からの近代化を進めた結果、イスラム教にしばられた古い民衆の反感を買って打倒されたという面がある。「上からの近代化」といえば、日本の明治政府、ロシアのピョートル大帝、ドイツのフリードリヒ大王などが思い浮かぶのだが、欧米や日本と違って、中東の近代化は、古い勢力の反発がより強くて難しい。民衆の意識が古いままでは、政府や知識人がいくらガンバってもムダなのだ。どこの国でも、伝統的な価値観にしばられた保守的な人々は多く、本気で改革を志向している人は少ない。民衆から孤立すれば、数の力で、改革者はいずれ排除される。
 
なぜ、中東の近代化はなかなか進まないのか。砂漠だらけの気候風土が不利なのも確かだが、根本的な原因は、やっぱり、「歴史がありすぎる」ということなのではないか。世界を日本に例えるならば、中東は、京都や奈良に相当する地域。中国・インド・ヨーロッパなど、ほかにも歴史のある地域はいくつもあるけど、中東は別格だ。まさしく人類の故郷であり、文明の発祥地といえる。歴史が長いだけに、背中にしょってるものも重い。エックハルト・トールいわく、この地に紛争が絶えないのは、歴史に由来する重い「ペインボディ」に原因があるという。歴史が長いということは、それだけ、戦争とか殺人とか、疫病とか貧困とか・・・を、数多く繰り返してきたということ。不条理な人生を送り、理不尽な死を遂げた無数の人々の怨念が、長い間に積もり積もって渦を巻いているのだから、物事がなかなか良い方向に進まないのも仕方がないと言える。地球というのは、もともとそういうところなのだから、文句を言っても始まらない。
 
それだけ、重い荷物を背中にしょっている中東。そんな中東諸国で、最近になって急速に民衆が目覚めてきた背景には、インターネットがある。ツイッターや携帯電話で、独裁政権への怒りを募らせてきた民衆は、立ち上がって独裁者を倒した。
 
チュニジアの革命は、エジプトにも飛び火した。エジプトでは、30年間も独裁してきたムバラク大統領が失脚した。長年にわたってオナジミの名前だっただけに、「もうちょっと粘るかな」と思われていたのだが、意外にアッサリと辞任した。エジプトは、いわずと知れた歴史の国。ピラミッドやスフィンクスで有名だが、人口が8000万人を超え、「そのうち1億人を突破するだろう」と言われている、中東随一の大国だ。「独裁政権」と言ったって、そんなにムチャなことをやってたわけではない。むしろ、欧米諸国とも協調的だし、中東の優等生だった。エジプトは、すっかり地中海のリゾート国家と化し、海外旅行に大人気。他のイスラム諸国が「テロリスト支援国家」のレッテルを貼られてきたのと比べると、まさに別世界だった。そんなエジプトで、政権がアッサリと倒れた。携帯電話やインターネットの威力は、それほど大きかったということだろう。
 
デモは、ジブラルタル海峡でスペインと向かい合っている北アフリカの西端の国、モロッコにも飛び火した。東方では、ペルシャ湾岸の小国・バーレーンにもデモが広がり、サウジアラビアが軍隊を派遣する騒ぎにまで発展している。もっとも、バーレーンで騒いでいるのはイスラム教の非主流派・シーア派に属する集団なので、民主化というより宗教対立の面がある。単純に「民主化」と割り切れないのが、中東諸国の難しいところだろう。アラビア半島の南端の国、イエメンでもデモが起きている。そして、ついに政府と反政府勢力の内戦にまで突入したのが、リビア。

「意外と粘らなかった」エジプトのムバラク大統領と違って、徹底的に粘っているのがリビアのカダフィ大佐だ。40年くらい前から、リビアといえば、カダフィ大佐。「なんで、カダフィはあんなに偉いのに、いつまで経っても大佐なのですか?」という素朴な疑問が、30年以上も前から問われていた古い人。中東情勢に関心の深い人にとっては、ウンザリするほど見飽きた名前のひとつだ。北朝鮮の金正日と同じく、平気で国際テロを起こし、飛行機を撃墜する危険人物。こんな人が一国の指導者におさまっているのだから、恐ろしい。
 
そんなリビアのカダフィ大佐が、「徹底交戦」を唱えて粘っている。もっとも、これまた、単純に「民主化」とばかりは割り切れない。背景にあるのはアラブならではの部族対立。広大な砂漠を抱えるアラビアでは、古来から、「部族」が生活の単位だった。部族は、勇敢な男たちに率いられ、集団で牧畜を行い、生活する。「やられたら、やり返せ」というのが、部族の価値観だ。仲間にはどこまでも優しいが、敵に対してはとことん苛烈になる。部族仲間の一人がほかの部族の男に攻撃されたら、おのれの生死をかえりみず馬上で古剣をふるい、十人をやっつけて「血の報復」を行う。それが、部族の英雄たる、男の中の男の生きざまだ。血で血を洗う中東の歴史の背後には、このような部族社会の価値観がある。

欧米メディアの報道によれば、リビアの対立の背景にも、実は「東西二大部族の対立」があるようだ。つまり、リビアの東部を拠点にして粘っている反政府勢力というのは、もともと、カダフィ大佐の属する西部の大部族とは、昔から仲が悪いもうひとつの大部族の人たちが中心だということ。単純に、「独裁者と、それに抵抗する民主主義者」というような白黒をつけると、物事の本質を見誤ることになるのが世の中の常というものだろう。
 
それはともかく、リビアの内戦には、ついに英仏を中心とする欧米諸国が介入することとなった。「反政府勢力への攻撃をヤメなければ、欧米諸国が一致団結してカダフィを攻撃するぞ」というわけだ。これに対して、カダフィは一歩も引かない構え。世界が、固唾を呑んでゆくえを見守っている。いまや、日本のTSUNAMIや原子力発電所事故と並ぶ、世界の二大ニュースの一角を占めていると言えるだろう・・・。
 

今年の冬は寒かった

2011年03月18日 | こっくり亭日記
 
冬の間、ブログの更新がほとんどできなかったのだが(泣)、今年の冬はつくづく寒かった。夏の暑さがあまりにも異常だっただけに、寒さがひときわ身にしみる。日本海側は特に大雪。

昨日も寒かった。もう3月も後半に入り、もうすぐ春分だというのに、真冬みたいな寒さ。東京は、緯度ではかなり南に位置しているのに、コンクリート・ジャングルならではの底冷えに定評がある。北海道出身者や長野県出身者も、「東京の寒さは別格だ。何かが違う」と口をそろえる。ロシア人やイギリス人に聞いても、「冬の東京の寒さは異常だ。わが国のほうが過ごしやすい」と言っていたのには驚いた。もっとも、ロシア人の場合は、酒さえあればドコででも暖かくなってしまいそうだが・・・。氷点下のモスクワでも、浮浪者が大勢、路上で寝ているのだからタフな国民だ。
  
それはともかく、今年だけでなく、去年の冬も寒かった。「地球温暖化」というのがウソに思える、毎年の冬の寒さ。いよいよ、日本には四季がなくなり、「夏と冬の二季になった」という話に説得力がある。
    
東北の地震被災地では、何十万人もの人々が避難生活を送っているというのに、氷点下の寒さは厳しい。ダラダラと続く余震と同様、寒さが苦境に追い討ちをかけている。体調を崩す人がさらに増え、薬も不足しているという。なんとかならないものか。
 
東北の寒さは、それでなくても古来から深刻だ。3月18日付の天声人語も、宮沢賢治の童話を引き合いに出している。

>震災で大きな被害を受けた岩手県は、宮沢賢治が生まれ暮らした土地でもある。賢治の思想の結晶の一つとされる名作「グスコーブドリの伝記」は、一人の若者が自らを犠牲にして人々の命の糧を守る話だ。きびしい冷害で飢餓が迫る中、火山島を噴火させて気候を暖かくする計画が立てられる。だが、仕掛けのために島へ渡った者のうち最後の1人は島から逃げられない。若いブドリがその役を買って出る――。

新潟が生んだ大政治家・田中角栄も、「三国峠を崩して、新潟から関東に、寒波を流す」という、トンデモない計画を選挙演説で語ったことで知られる。奇しくも、宮沢賢治と似たような発想だ。筆者も冬の雪国で暮らしたことがあるのだが、真っ白な雪はロマンチックどころか、積もれば大変な災いだ。雪下ろしが原因で起きる事故は、後を絶たない。北日本ほど雪が降るところは世界的にも珍しい。札幌なども、あれだけ広い平野に位置しているだけに、雪さえ降らなかったら、古来からもっと発展したのではないかと思われる。
   
北日本は、昔から冷害や雪害、地震や津波に悩まされてきたのだ。自然環境は美しいのだが、それでいて非常に厳しい。これからは暖かくなるというから、被災地の状況も良くなると信じたい。とにかく、早く良くなってもらいたいものだ。
  

すごい大災害だ

2011年03月18日 | こっくり亭日記
 
昨年はチリで「地軸がズレるほどの」大地震。今年に入って、ニュージーランドでも地震が起き、多くの被害者が出た。そして、太平洋岸を時計回りに回ってきた大地震は、ついに日本を襲った。
  
世界の観測史上にも前例が数えるほどしかない、マグニチュード9のスーパー地震。アメリカ地質研究所により、チリと同様、またしても地軸がわずかながらズレたという発表がなされている。

>この地震のエネルギーはアメリカの1ヶ月の消費エネルギー程度という凄まじさで、今回のこの地震により本州は東に243センチ(8フィート)動いたとアメリカ地質研究所は発表している。またNASAによれば地球の自転も1000万分の16秒早まったといい、この地震の大きさがうかがえる。

東北の太平洋岸を津波が襲い、関東までも激しく揺れた。津波の威力は、想像を絶する。すさまじい勢いで、家々を押し流していく水流。赤や黄色や青、色とりどりの車が、おもちゃのように流されていく。巨大なタンクローリーまでが押し流されて、横倒しになった。太平洋の向こう側にあるカリフォルニアでも、津波による死者が出たという。そういえば、去年のチリ地震のときも、津波が日本にまで来てかなりの被害があった。ジェット機なみの速さで、地球を半周するほどの威力をもった津波。そんな津波に、至近距離から直撃されたのだから大変だ。
 
大規模な津波の痕跡は、室町時代や平安時代の地層からも発見されているという。チリやカリフォルニアで地震が起きても、東北にまで津波がやってくるのだが、地球の裏側の事情など知る由もない昔の人にとっては、さぞかしナゾの現象だったことだろう。津波は、トテツもなく速い。海岸のすぐ近くで急に浅くなる地形のおかげで、いきなり堤防を越えて出現する。それまでは、誰にも分からない。本当に、いきなりの出現。ビックリした瞬間、波に飲み込まれる。太平洋だけでなく、日本海も意外に深い海で、同じような津波の害が昔から繰り返されてきた。海に囲まれた日本にとって、人生は津波との戦いだ。“TSUNAMI”は、いまや世界共通語。 
  
3月11日の金曜日は、忘れられない一日となった。いきなり、グラグラと大きく揺れて、棚が次々に倒れ、中のモノがブチまけられた。すさまじい悲鳴があがる。神戸や新潟の出身者ならともかく、関東人にとっては、誰にとっても生まれて初めて経験するほどの揺れっぷりだ。あれ以来、延々と余震が続いている。
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地震のおかげで、原子力発電所に事故が起きた。大規模停電で、首都圏には大混乱が起きている。電車が突然、止まるので、足がストップしてしまう。現代生活は、電車が動いているのを当然の前提として成り立っているのだ。「歩ける距離内で生活しよう」というような考えは、現代の日本の大都市ではほとんど成り立たない。パニックが広がり、スーパーやコンビニの食品売り場は、棚がスッカラカン。野菜などの生鮮食料品はあるのだが、カップラーメンなどの保存食がまったくない。70年代の石油ショックと同じ。昔も今も変わらぬ、日本人ならではの過剰反応だろう。
 
首都圏も大変だが、東北の被災地にとっては、あまりにも厳しい悲劇だ。津波による死者は、優に1万人を超えるという。波に洗われる海岸には、数千の遺体が黙々と打ち寄せられている。地球人類の歴史には、この種の悲劇が数え切れないほど繰り返されてきた。それでも、すっかり便利で快適な環境となった現代の日本で、これほどの大量死が起きるとは、普段は想像もできないことだけに、衝撃があまりにも深い。地球は本当に、人に優しくできていない。これほど荒っぽい環境で、人類はよく数万年も生き延び、数千年にわたって文明を営々と築き上げてきたものだ。築いては壊れ、築いては壊れの連続だったとはいえ、人類はよくやってきたものだと思わずにいられない。 「人生は修行なのだ」というような言葉が、空虚な絵空事に見えてしまうほど過酷な現実。まったく理不尽な悲劇の連続だ。
 
2011年は、特にそれが集中的に表れてきた感がある。やっぱり大変な年になってきた・・・。