精神世界を探求するのは、実生活においてもメリットが大きい。でも、それは知られていない。
これほど世間の一般人から誤解されている分野は、他にないだろう。
世の中、「勉強すれば、知性と教養が向上する」ということや、「スポーツをすれば、身体能力が向上する」ということは、広く認められている。
それに比べて、「精神世界の探求をすれば、意識が向上する」というのは、あまり認知されていない。
いくら、「選民意識」がどうのこうのと言われても、やっぱり、精神世界の探求者と、そうでない世間の一般人とで、どちらの意識レベルが高いかは、ハッキリしている。
他の条件が同じなら、精神世界を探求したほうが、まちがいなく意識レベルが高くなるのである。
それは、日頃からスポーツをやっている人のほうが、カラダがよく動くのと一緒。こればっかりは、日頃の修練の有無によるものが大きい。
文句があるのなら、今からでも遅くはないから、精神世界を始めればいいだけだ(笑)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/d4/cb22454dceca7b956addd71817c5ffe8.jpg)
とは言うものの、勉強で向上する「知性と教養」や、スポーツで向上する「身体能力」と比べて、精神世界の探求によって向上する「意識」というのは、いまひとつ分かりにくい。
でも、それは決して、目にも見えず、耳にも聞こえない・・・というようなものではない。
筆者の場合、「波動がいいですね」というのは、世間の一般人からもよく言われる。
いや、世間の一般人だけに、「波動」というようなスピ系っぽい用語は使わないのだが、要するに、そういう主旨のことをよく言われる。
だからといって、「そう言われることに、何のメリットがあるのか?」と言われたら、それまでなんだけど・・・(笑)。
でも、そんな波動が、周囲の環境にも影響を及ぼすのは確かだ。それだけ、自分にとっても居心地のよい環境に変わることになる。
それ以上に大きなポイントなのは、雑念がなくなることだろう。これは、瞑想で意識を集中することによって得られる。それは、日常生活にも大きなプラス効果をもたらす。
悩みの大半は雑念なので、雑念を排除すれば、その分だけ悩みが減ることになる。ウツ病その他で苦しんでいる人が多いことを考えれば、これだけでも大きなメリットと言えるだろう。
雑念がなくなれば、「集中しよう」とムリに努力しなくても、自然と集中力が増す。自然体で、集中していられるようになる。これは、日常生活において、いろんな面での能率の向上につながる。
とくに筆者の場合、これによって、仕事や生活の能力が劇的に向上した。
というのも、かつては、雑念が多すぎて注意欠陥のため、日常生活に支障を来たしていたからだ。
もっと若い頃から雑念を排除し、心を鎮めることができていたならば、回り道のない、ずっと安定した人生を送れたことだろう。それを思うと、まったく惜しいことをしたものだ。
もっとも、それと、回り道の多い人生の、どちらが真の意味で有意義だったか。それは分からないが・・・。
もちろん、「雑念を排除して、集中を高める」という効果は、瞑想でしか得られないものではない。
勉強でも、スポーツでも、ある程度、その効果は得られる。というより、どんなことでも、真剣に取り組んだならば、集中力は高まるだろう。
ただし、スポーツその他の場合、本来の目的は、それ以外のところにある。集中を高めるのは、そのための手段でしかない。
それに対して、「雑念を排除して、心を鎮める」ということ自体を目的にしているのが、瞑想の意義。
つまり、他のことをやらずに、それだけに専念しているから、瞑想の効果は大きい。
でも、たとえば、「弓道」なんかは、それと同じようなものなんじゃないでしょうか・・・というような疑問もありうる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/0c/cad3cdb7b276851d8f133e3d7a7a9183.jpg)
弓道は、集中力がモノをいう武道だ。いや、武道は、どれも集中力がモノをいうんだけど、弓道の場合はとくに、「心を鎮める」ということに重点がある。
マトに向かって、雑念を排除して、心を鎮める。キリリと弓をひきしぼり、無心に矢を放つ。それは、限りなく瞑想に似ている。
まあ確かに、弓道をやれば、瞑想をする必要はないかもしれない。
それでも、弓道だって、「雑念を排除して、心を鎮める」というのは、的に向かって弓を引きしぼる直前の、短い時間だけだ。それに対して、長時間にわたって、それだけをやるというのが瞑想。だから、やっぱり弓道も、瞑想の代わりにはならないだろう・・・。
(続く)