この「究極の後ろ向き思想」という話は、どうも誤解されやすい。
どう誤解されるのかというと、ここでは、「地球での人生は、とても大変だ。だから、生きるのが嫌になってくるのだ」という話をしているわけではない。いや、もちろん、そういう話もしてるんだけど、それがメインではない。
ここでの主眼は、なんといっても、「人生が嫌になることこそ、解脱への第一歩」というところにある。
というのも、地球の物質世界という、深い眠りの中で夢を見ている状態から、目を覚ますためには、まず、「ここから抜け出したい」と思わなきゃいけない。そもそも、「抜け出したい」と思ってなければ、抜け出せるはずもないからだ。だから、むしろ、積極的にそう思うべきなのである。
古代インドのお釈迦さまも、「人生は苦しい」と弟子たちに教えていた。当然のことながら、世の中の人々の全員が、「人生は苦しい」と思っているわけではない。中には、「生きてることが、楽しくて仕方ないんです」という人もいる。そこまで行かなくても、「まあ、大変なことも多いけど、その代わり、楽しいことも多いよね」というくらいの人が多いだろう。
そういう人には、おいしい食べ物が腐っていくところを見せたり、瞑想でそういうイメージを持たせたりする。しまいには、弟子たちを墓場に連れて行って、美女の死体が腐乱していくところを見せたりとか。そうやって、「人生は、楽しくないんだ。一見、楽しそうに見えたとしても、それは長続きしないんだ」ということを、せっせと刷り込む。
なんで、そこまでして、後ろ向きな人生観を持たせたいのか。それはやっぱり、それこそが、「解脱への第一歩」だからなのだ。
ポジティブ・シンキングもいいんだけど、残念ながら、意識の覚醒には役立たない。まったく役に立たないというわけじゃないんだけど、それほど役に立たない。それよりも、後ろ向きな人生観のほうが、よほど効果が高いと言える。
後ろ向きな人生観を、努力して身につけるのは、大変なことだ。それに比べて、特に努力をしなくても、自然と嫌気がさしてくるくらい不愉快な人生を送っているのなら、むしろ好都合と言えるだろう(笑)。
しかし、それは、両刃の剣でもある。
というのも、人間には、往々にして、「ムキになってガンバる」ということもあるからだ。「ちくしょう。俺は、こんな人生を送るつもりじゃなかったのだ。なんとかして、立て直してみせるぞ」と燃えるのもいいんだが、そうすると、ますます地球の物質世界という、底なし沼にズブズブとハマッていく恐れがある。
しまいには、「もはや、生まれ変わって、人生を最初からやり直すしかない」ということにもなってしまう。そういう強い気持ちを持っている人が、「輪廻転生から卒業」できるはずもない。また、生まれ変わることになるのは必定だ。
どっちかっていったら、「ボクの人生は、振り返ってみると、とても楽しかったな。また生まれ変わって、楽しい人生を送りたい」という人より、「こんちくしょう。俺は、生まれ変わって人生を最初からやり直すぞ。今度こそ、とても楽しい人生を送ってやる」という人のほうが多いだろう。そのほうが、輪廻転生の大きな原動力になっていると思われる。
苦難の多い大変な人生のほうが、ずっと刺激が強いのは確かだ。クスリと同じで、刺激が強いほど、依存症になりやすい。地球生命系での輪廻転生も、それと同じだろう。それが意識覚醒をさまたげることは、十分に考えられる。
一番いいのは、そこそこ気楽な楽しい人生を送って、なおかつ、極端に後ろ向きな人生観を持ち、そのまま地球生命系を卒業することだろう。なかなか難しいのだが、それができたら、ベストだ。
実際のところ、お釈迦さまは、それに近かった。若き日のお釈迦さまは、一国の王子として、なに不自由ない日々を過ごしていたのだ。しかも、容姿端麗で、大変な秀才だったと言われる。ちょっと、カラダは弱かったみたいなのだが、ネガティブな要素はそれくらいしかなかった。
それでいて、人生に心底、嫌気がさし、王家での暮らしを捨てて出家してしまいました・・・というのが、この話のミソ。
なぜ、生きるのが嫌になったのかというと、老人がヨボヨボ歩いているのを見て、「大変そうだな。年をとるというのは、とても悲しいことだな・・・」と、嫌になってしまった。病気で人が死ぬのを見て、「みんな、こうやって死んでいくんだな。この世は、悲しいところだな・・・」。赤ちゃんがウエーンと泣いているのを見て、「赤ちゃんは、いつも泣いててカワイソウだな。この世に生まれてくるというのは、悲しいことなんだな・・・」。
・・・そんなこんなで、この世で生きることが、完全に嫌になってしまったのだ。このように、なに不自由ない快適な人生を送っていても、感受性が強い人なら、地球という環境を観察しただけで、「究極の後ろ向き思想」に到達することは十分にあり得る。
でも、何度も言うように、究極の後ろ向き思想は、実のところ、究極の前向き思想へとつながっているのである。ブラックホールの出口が、ホワイトホールにつながっているようなものだ。
地球という環境に、なんの未練も執着もなくなると、かえって、地球の風景の美しさが、目にしみるようになってくる。
緑があふれる森林に、悠然たるガンジスの流れ。孔雀が舞い、牛が草を食む。入滅する寸前のお釈迦さまは、インドの風景に見とれて、「美しい・・・」と感嘆した。そして、「人生は甘美なものだ・・・」とつぶやいた。
おそらく、最後には、そんな美しい地球にいるだけで、なんだか楽しくなってきたのだろう。しょせん、この世は、仮の宿り。だからこそ、かえって、その美しさが鮮烈に感じられる。
そこまで行かなくても、後ろ向きな思想は、「ウツ病の人に、ガンバレとか、ポジティブな言葉をかけるのは禁物だ」というのと、まさしく逆の効果も期待できる。
「そんなに落ち込んでばかりいないで、元気だせよ」などと言われても、ウツ病になって困っている人は、元気など出せっこない。だから、「俺は、いつも元気がなくて、情けないヤツだな・・・」と思って、ますます落ち込んでしまうのだ。
しかし、後ろ向きな思想を持てば、それこそが「解脱への第一歩」なのだから、なんだか楽しくなってくるというもの(笑)。
「ボクはあの時、どうして、あんなことをしてしまったんだろう・・・」とか、「こんなはずじゃなかった。どうして、こんなことになってしまったのか・・・」というように、ウジウジ悩んでいる人に対しては、「人生で起きることには、なんの意味もない」と、キッパリ断言する。
これによって、重い荷物を背負って坂道をトボトボと歩くような人生から解放され、気楽な明るい人生に変わることも、おおいにあり得る。それこそ、ウツ病だって、治るかもしれない。
「究極の後ろ向き思想」を身に着けると、かえって、肩の力が抜けた、明るくて楽しい人になる。これこそが、後ろ向き思想による、最大の効用なのだ・・・。