宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

地球の「短期滞在者」の目的と役割 ~ 葦原瑞穂氏

2012年03月26日 | 精神世界を語る
 
葦原瑞穂氏によれば、「地球の短期滞在者」には、いくつかの目的と役割がある。ひとつは、地球を調査する目的だ。地球生命系に関する情報を集め、「地球生命系の生命表現の中心となる波動領域の移行」(・・・要するに、地球が物質世界から次元上昇して変わること)を見届けることだ。他の星でも、地球の次元上昇に対する関心は強い。「広い宇宙でも滅多に起きないこと」とされているだけに、ヴァイブレーションの変化が他の星に及ぼす影響も小さくないと言われている。このため、一種の「調査員」として送り込まれている短期滞在者もいるという。
 
まあ、例えてみれば、「北朝鮮の体制がどうなるか、ちょっと行って見てきてくれ」と言われて送り込まれた、ピョンヤン特派員みたいなものか。並大抵の覚悟では勤まらない任務だ・・・。
 
もっとも、元からいた星には通常、地球人類のような分離感がないので、「自分たちの意識の一部を地球に送り込んだ」という感覚だと言われている。地球に、探索機(プローブ)をひとつ送ったような感覚なのだろう。自分で行く必要はなく、現地に行った人と情報を共有すればいいだけなので、とても便利だ。
 
そういえば筆者の場合は、長年にわたって地球の歴史とか文化とか自然環境とか政治経済とか、あらゆる知識や情報を貪欲に吸収してきている。誰もが驚くほど、なんでも読んできた。その上、多彩な職業を経験したおかげもあって(笑)、あらゆるタイプの人々と接することにより見聞を広めてきた。でも、その知識を活用して何かを成し遂げようとか、そういう目的意識はまるっきり欠落している。実際、仕事や生活の役にはほとんど立っていない。単に、ミツバチが蜜をせっせと集めるように、地球に関する情報をひたすら集め続けているだけ。これが、「地球調査員」としての本能なのか(?)。
   
もっとも、「地球調査員」にもいろんなタイプの人がいて、実際に世界中のアチコチを訪れ、地球の隅々まで踏破してきたような人もいる。こういうのも、「地球を知り尽くそう」という意気込みの表れなのかもしれない。幸か不幸か筆者は、生まれてこのかた、ほとんどの時間を日本ですごしている。もちろん、海外経験が豊富な人や、日本に来ている外国人を見れば、いいなとは思うけど、自分も同じようにはできない。おそらく根本的に、「自分が行かなくても、誰かが現地に行ってれば情報を共有できる」という感覚が、地球では無理があると分かっていても抜けないのだろう。実際のところ、行動範囲が狭いだけで、外国の事情には広く深く通じている。外国人と話をすると、「なんでこんなに、私の国の歴史と地理にくわしいのか」とビックリされることが多い。それでいて、筆者が実はどこにも行ったことがないということが分かると、二重にビックリだ(笑)。先日も、インド人から「世界は広い。世の中には、いろんな人がいるものだ」と感心(?)された・・・。
 
それはともかく、短期滞在者の目的と役割は、「地球調査員」だけではない。「地球のヴァイブレーションに影響を及ぼす」という目的を持っている人もいるらしい。

というのも、地球には、この地球生命系で動物から人間にまで意識を進化させてきた土着の地球人類もいれば、太古の昔に地球生命系に転生してきて、ここで長い経験を積んできた「長期滞在組」もいる。もちろん、地球で生きる主役は彼らだ。彼らが長い間に地球環境で鍛え上げてきた「信念体系」は、あまりにも高く堅い城壁となって、われわれの前にそびえ立っている。これを打ち破るのは、容易なことではない。ここで新風を吹き込むために、異質な存在である「短期滞在組」が呼ばれたのだという。

葦原瑞穂氏によれば、地球の信念体系の解体作業は進んでいる。そのひとつの例として、「マジメにコツコツと努力しなければならない」という地球的な信念がある。いわく、

>これらの短期滞在組の地球に対する貢献としては、地球人類が極めて長い年月にわたって作り続けてきた、強力な固定観念を破壊するような新しい感覚の波動を持ち込んで、長期滞在組が解脱に至るための手助けを行なうことが挙げられます。精神階層ではすでに様々な局面から「地球的信仰」の解体作業が始められていますが、ここで具体的な例をひとつ挙げてみることにしましょう。

>旧世代の強固な価値観のひとつとして、「良い結果を得るためには、真面目にこつこつと、地道に努力を積み重ねなければならない」という考え方があります。これは確かに良い資質ではありますし、魂がある側面を成長させる時期には必要な体験であったことは確かなのですが、・・・それは単なる制約になり・・・卒業間近の魂にとっては解脱の障害になるのです。

もっとも、短期滞在組にとっても、こうした旧世代の地球人類の強固な価値観は他人事ではない。こうした想念形態にまきこまれることにより、自分に合わない無理な表現をしようとして疲れきり、ボロボロになってしまう短期滞在者もいる。葦原氏いわく、

>分離意識のあまりない恒星系から転生してきた魂は、直感的に今の地球上の状態が異常であることを察知しており、しかも周囲の経験豊富な人たち、つまり比較的長期間にわたって地球圏に表現を行なっている魂が、制約された自我意識によって「こうすべきだ」「ああしてはならない」等という道徳や処世訓が、まったく真実ではなく、混乱した社会を調和させることも、個人を幸福に導くこともできないことを見抜いているのですが、自分自身も内在の普遍意識からくる叡智を表現できるほどには進化していないので、代わりになる指標を見つけることもできずにいます。

(つづく) 
 

地球の「短期滞在者」 ~ 葦原瑞穂氏

2012年03月18日 | 精神世界を語る
 
精神世界ジャンルで広範な話題を取り扱っている葦原瑞穂氏なのだが、やはり同じ八ヶ岳に住む浅川嘉富氏と同様、UFOと宇宙人に対する関心が根本にあるようだ。そもそも、八ヶ岳は冷涼な気候のせいか、「よくUFOが目撃される」という評判の地でもある。そういうところに住んでいること自体、この問題に対する並々ならぬ関心を感じさせる。基本的に、「宇宙人問題の研究者」と言っていいだろう。
 
「黎明」では、ワンダラーのことも多く書かれている。いわく、

>魂が地球上に人間として表現を始めるもうひとつの状況として、他の生命系、つまり他の天体からやってくるというかたちがあります。こうした魂の中には、地球生命系という宇宙の中でも特殊な生命の表現の場にじっくりと腰を据えて、非常に多くの転生を繰り返す可能性も考慮に入れ、さまざまな体験を積んでから普遍意識に目覚めると言うような、本格的な魂の成長を目指したフルコースのカリキュラムを組み込んでいる、勇気と意欲に満ちた長期滞在組が大勢います。

・・・つまり、「ワンダラー」といっても、いろいろなタイプがいるということだ。ワンダラーと言えば、地球生命系に転生してはみたものの、「なんだ、ここは?」と予想以上にひどい環境にあきれ、考えるのは「さっさと帰りてえな」ということばかり・・・という人を思い浮かべるのだが、そういう人だけではない。

「ボクは、厳しい地球環境でじっくりと魂を鍛え上げることにより、偉大なる魂を目指すのだ」という、志の高いワンダラーもいる。なんとも、ご苦労なことだ・・・。

こういう「長期滞在組」は、地球で人間の意識にまで進化してきた土着の地球人類に勝るとも劣らないほど、地球環境に長いこと慣れ親しんでいる。その点では、地球出身者と見分けがつかない。こういう人たちまで「ワンダラー」(さまよえる人)と呼ぶべきなのかどうかは、迷うところだろう。そういえば、坂本政道氏は、「私は、最初から地球生命系に46億年かけて滞在する予定で、原始の地球に戻って初期の鉱物から体験を積んできました」とよく言っている。そういう宇宙からの転生者、「長期滞在組」も、実は結構いるのかもしれない。

それはそれで、ひとつの選択と言えるだろう。でも、筆者の関心は、なんといっても「短期滞在組」にある。「短期滞在組」というのは、要するに、「ちょっと地球に来てみた人々」を指している。好奇心や使命感、あるいは特に理由もなく地球に転生してきたおかげで、予想外にひどい環境で生きるハメになり、辛酸をなめている人々だ。葦原瑞穂氏も言っている。

>反対にそういった大上段に構えるのは苦手で、好奇心から1、2転生やってみようかという軽いノリの魂がいますし、また今回のように地球上で人間の意識に大きな変容が起こる時期には、これらの変化が自分たちの恒星系にどのような影響を及ぼすのかということを調査する仕事で来ている魂や、地球上の長期滞在組が気の遠くなるような歳月にわたって造り続けてきた、強靭な固定観念を壊すために、さまざまな新しいエネルギーを持ち込む目的で呼ばれている魂たちもいます。
 
・・・これには、「わが意を得たり」という思いだった。個人的には、「黎明」で最も好きな箇所と言える(笑)。それだけでなく、本ブログのメインテーマでもあるので、ここは少し長くなるけど引用しておきたい。

>短期滞在組のうち大部分は、他の恒星系から、この時期の地球における体験をするためにやってきた魂たちで、そのうち大半の魂たちは、地球圏のアストラル・レヴェルおよびメンタル・レヴェルに近い波動領域で表現を行っていたために、幽体が発達していることが特徴です。このため、テレパシーによる想念の伝達や、アストラル・レヴェルやメンタル・レヴェルでの視聴覚、植物や動物たちと会話する能力、意識的な幽体離脱等、長期滞在組の中でも、何転生にもわたってヨガの修行をしてきた人たちが身につけるような潜在能力を、生まれつき持っていることがよくあります。

>・・・このような恒星系の出身者は、幽体が発達しているために周囲の想念波動にきわめて敏感な上に、自分とは違った波動に接することには慣れておらず、なおかつ分離意識を初めて体験する人たちもいるわけですから、周囲の人たちが自分と同じ考えではないという、地球の物質レヴェルでは当たり前の状況に直面することが、大変なストレスになる場合があります。

>・・・また肉体を初めて持ったり、肉体を通して表現する経験が比較的少ない魂の場合には、歩いたり、体のバランスを取ったり、道具を使ったりというような基本的な動作の発達が、長期滞在組の魂が表現する子供に比べて、著しく遅れるようなことも起こります。

>・・・この他、肉体に意識が明確に固定されていないために、しばしば意識が飛んで「心ここに在らず」というような状態になる場合があります。このようなとき、本人はそれなりの精神活動を他のレヴェルでやっていて、それが必要なこともあるのですが、外側からは単にボーッとしているようにしか見えませんから、周囲の人たちが無理解な場合には、いろいろとトラブルになることもあるわけです。

・・・。
  
この後も、「短期滞在組」の特徴が、「これでもか」とばかりに延々と書き連ねられている。まったく、「わが意を得たり」というか、まるで自分のことを書かれているようだ。「何転生にもわたってヨガの修行をしてきた人のような意識的な幽体離脱」とかは出来ないけど(まあ、夢の中ではよくやってるが・・・)、それ以外のことは、ほとんどが当てはまっている(笑)。
 
葦原瑞穂氏自身はおそらく「長期滞在組」なのだろうと思われるのだが、どこから得た情報なのか、「短期滞在組」のことを実によく知っているのには驚かされた。

それにしても、短期滞在者の苦労は、まったく筆舌に尽くしがたいものがある。分厚い「黎明」の中でも、ここは筆者にとって最大の関心分野だ。今後とも、このテーマを掘り下げていきたい。
  

地球の表現領域の移行 ~ 葦原瑞穂氏

2012年03月12日 | 精神世界を語る

葦原瑞穂氏の「黎明」は、やはり賛否両論を呼んでいる。精神世界というのは、百人いれば百通りの意見が錯綜する世界。たとえ大筋では同じような考え方をしている人でも、細かいところでは意見が違うのが普通だ。金太郎アメのように同じ意見しか出てこないのは、教祖の思想で一色に塗り込められた新興宗教の信者さんたちくらいのものだろう。でも、そんな信者さんたちでさえ、よく見ると教義の解釈その他に違いがあり、信者同士で意見が衝突することは珍しくない。そのくらい、人によって見解が異なるのは普通で、それを気にしていたら、この分野での話はしにくくなる。

特に葦原瑞穂氏の「黎明」の場合は、この分野において、日本では前例がないほど体系的かつ網羅的な理論書だけに、書かれている内容が多岐にわたっている。ということは、必然的に、人によって「ここは違うんじゃないの?」と思われる部分も多くなる・・・ということを意味している。本ブログだって、その点にかけては似たようなものだろう。「黎明」と違って、体系的には出来てないけど・・・(笑)。

そういう見解の相違に対して、どう対処すべきかといえば、これはもうハッキリしている。自分として「許容範囲におさまっているかどうか?」・・・それがすべてと言ってよいんじゃなかろうか。見解の相違が許容範囲におさまっているのなら、細かい違いは気にしない。そうでないのなら、距離を置くのも仕方ないか・・・。
 
それはともかく、葦原瑞穂氏は、「地球生命系の変容は近い」としている。それも、「地球の死後世界が浄化される」という、ここ数年になって流行するようになった説を大幅に先取りして唱えている。浄化されるのは、モンロー研でいう「信念体系領域」だ。特定の信念にこりかたまった個人や、多くの場合、集団の強固な信念によって死後世界に作られた、閉ざされた領域。これを、高次のガイドたちがあの手この手で破壊し、浄化し続けているという。いわく、

>広大な幽界のヴァイブレーションの中には、今回の地球の表現領域の移行に伴って、ひとつの表現世界が根こそぎなくなってしまうところもかなりあります。こうした状況は、その波動領域の住人にとっては世界の終末ともいうべき大事件になるわけですから、必死になって地上にメッセージを送ってきたりします。

でもって、1990年代頃の平均的な地球人類の進化レヴェルでは、地上で行われるチャネリングの情報源の大半が、こうした幽界からのメッセージなのである・・・ということだ。

この「地球生命系の表現領域の移行」というのは、地球の生命活動の大半が表現されてきた、この「物質的ヴァイブレーション」という舞台が、いよいよ消滅するということを意味している。どうやら、地球生命系は、もっと非物質的な波動領域に、その軸足を移すことになるらしい。

それと同時に、「地球人類の卒業」が起きる。

>地球圏で充分な経験を積んで生長し、卒業の準備が整った魂たちを、地球生命系全体として一世に地球圏から引き上げる時期があり、現在の地球生命系に関係のある大きな周期の中では、既にこれを27回経験して、本書が記された時点では28回目の最後の周期に入っています。この時期には、目覚める準備のできている魂や、既に自覚にいたった魂を通して、普遍意識の展開を促進させ、すべての波動領域にわたる媒体を浄化する目的で、膨大なエネルギーが地球圏に注がれるために、通常期に比べると個々の魂の解脱は大変に容易になります。

しかも、「地球を預かる大師たちと、他の恒星系の代表との会議」という、最高機密まで既に書かれている。

>この会議では、地球上の混乱を極めた状態を手厚く救っていこうとする大師たちに対して。「手ぬるい! 地球など消滅させてゼロからやり直させろ」等と強行な意見を吐く人たちもいます。かれらは地上に転生した経験がないために、肉体を持って意識が制約される状態がどういうものなのかということや、肉体を持って生活する人たちの心の痛みがどのようなものかという実情が理解できないのですが、地上経験のある大師たちの深い愛によって、なんとか人類の痛みを最小限に抑えて多くの魂たちを卒業させてやろうという方針が、基本線としては固まってきています。

他のアチコチの箇所でもそうなのだが、ここでも坂本政道氏やペトル・ホボット氏たちの話を10年くらい先取りしていることに驚かされる。1998年の時点でこんな本を書いておきながら、今も隠者のような境遇にとどまっているとは、世の中つくづくいろんな人がいるものだ・・・。

それはともかく、筆者はどうも上記のような話を見ると、「手ぬるい! 地球などさっさと消滅させろ」という、「過激な意見」のほうに共感を覚えてしまう。でも、それはネガティブ・サイドの発想なので、ここは距離を置いた方が賢明だ・・・(笑)。

この地球の変容に際して、個々人はいったいどうなるのか。いわく、

>ここで特に注意していただきたいことは、地球のヴァイブレーションが変化するときに、仮にそれについていくことができない人たちが、他の星に転生するような事態が生じ、地球人類の現象上の分離が起こったとしても、意識の未熟な人たちが、未来の地球から追放されると考えることは適切ではありません。このような考え方は分離感に基づくものであり、排他的、もしくは否定的な波動を含んでいますから、自分もまた同類となる準備をしているようなものだということを、肝に銘じておいていただきたいと思います。

ここでは、「仮にそれについていくことができない人たちが、他の星に転生するような事態が生じ、地球人類の現象上の分離が起こったとしても」という、「仮の話」ではあるけれども、それが起きること自体については否定していない。単に、「それによって分離感を持つな」と行っているだけ。ここは、その辺りの微妙なニュアンスを汲み取るべきところだろう(笑)。
 

地球生命系の変容 ~ 葦原瑞穂氏

2012年03月09日 | 精神世界を語る
 
葦原瑞穂氏によれば、20世紀の後半頃までの地球人類の平均的な意識は、ほぼ物質的ヴァイブレーションの世界に集中されていた。その結果、地球生命系という、「宇宙の中でも極めて特殊な生命の表現の場」ができあがっていた。

地球生命系がどう特殊なのかと言えば、「ほとんどの人が普遍意識を自覚していない」、つまり、「分離感を持つ」という現象が起こっていた・・・というところにある。地球とは、「独立した個人」という幻影を各自が持つことにより、分離された意識を体験するための実験場なのだ。
 
1998年の時点で、このような話をしていた葦原氏。たしかに、後に精神世界で流行することになる論調を、何年も先取りしていた。
 
でも、そんな「分離の実験場」としての地球生命系も、それほど長く続くわけではない。変容は、間近に迫っている。いわく、

>普遍意識の顕現は、過去の多くの時代においては、ほんの一握りの天才が、超人的な努力の結果として可能ならしめたものでしたが、地球人類の意識も徐々に進化していますので、次第に普通の人たちが普遍意識を顕現し始めるような時代に移っていき、やがては産まれてくるほとんどの子供たちが初めから普遍意識の中に在るようになって、それに伴い、地球は大きな変容を遂げることになります。
 
・・・これが、いわゆる「アセンション」だ。葦原氏は、それを地球人類の「黎明」と呼んでいる。しかも、それだけにとどまらない。「地球における生命の表現」の中心領域が、物質的ヴァイブレーションから、より高い波動領域へと移行するのだという。

地球での、特殊な体験は、どうやら終わることになりそうだ。ヤレヤレ・・・といったところだろう。ここで言う「地球での特殊な体験」というのは、異なった波動領域の魂たちが、物質および肉体という共通の表現媒体を持つことによって、一緒に生活できるということにある。つまり、普通だったら、存在する波動領域がカケ離れているおかげで、とてもコミュニケーションを取るどころでない人々とも、出会いの場が用意されているということだ。葦原氏いわく、

>地上では、意識の進化段階としては本来地上にやってくる必要のない高度な魂から、始めて地上を経験する若い魂まで、あらゆる意識レヴェルを表現するパーソナリティが、肉体という共通の波動領域の衣をまとうことによって、自由に出会うことができるようになります。このため偉大な大師から貴重な教えを受けたり、未熟な人間から散々な目にあわされたり、といった顕著な体験をすることがここでは可能になっており、短期間に大幅な進化を遂げようとする魂にとっては、絶好の環境が用意されているわけです。
  
つまり、地球環境は、「偉大な大師から、未熟な人間に至るまで、あらゆるタイプの魂との出会いの場」ということになる。といっても、実際には、地球上に「偉大な大師」は極めて少なく、優曇華(ウドンゲ)の花よりも稀少なのに対して、「未熟な人間」は、地球上に極めて多い。蟻塚にいるアリよりも多いくらいだ。

悪い奴らや、貪欲な連中。その上、精神世界に無関心な人々や、新興宗教の信者たちとの貴重な出会いの場が得られるのも、地球の物質的ヴァイブレーションのおかげ。いやはや、まったくアリガタイというか、何というか・・・。
 
でも、そんな地球人類も、いまや急速な意識の変容の時期を迎えている。

人類の多くは、そんな地球生命系で、物質的ヴァイブレーションとその近辺の波動領域(要するに、物質世界と死後世界)を往ったり来たりする、輪廻転生ライフを送ってきた。もちろん、人類だけでなく、動物や植物も、その仲間。
 
地球生命系が、この先、どう変容するのか。最大のカギを握るのは、そこだろう。
 

物質的ヴァイブレーション ~ 葦原瑞穂氏

2012年03月08日 | 精神世界を語る
 
どんな本でもそうだけど、葦原瑞穂氏の「黎明」を読むためには、使われている独特の用語に慣れなきゃいけない。その最たるものは「物質的ヴァイブレーション」という言葉だろう。これが、実に良く出てくる。では、「物質的ヴァイブレーション」とは何を意味しているのか。本文からアチコチ引用してみると、

>このように粒子という概念は、自然界に表現されている物質レヴェルの波動を、ある時間軸にそった瞬間の断面で参照していった時に観測される状態を、心の中に理解できるような形で投影した映像のひとつなのですが、人間がより高いエネルギーの領域に意識を向けるにつれて、その領域を表現するために、さらに「細かく精妙な粒子」という解釈が造られ続けてきたという事情があります。

>光は波としての側面と、粒子としての側面をあわせて持っていると書きましたが、物質を構成するあらゆる粒子もまた、粒子としての表現の他に、波としての表現という、2つの側面を持っています。

>本来、自然界の現象面には、無限に続く波動領域が重なって表現されているだけで、境界のようなものが存在しているわけではないのですが、これまでの科学で取り扱ってきたような、人間の五官を通して知覚している世界の範囲を、便宜上、「物質的ヴァイブレーション」と呼ぶことにします。

>私たちの多くは物質というと、何か恒久的な存在とか、確かな実体があるものというイメージを思い浮かべがちですが、これまで何度も述べてきましたように、これらのイメージは心の中で作り上げた固定観念に過ぎないことを、よくよく理解していただくことが重要です。

>私たち人間の多くは、自然界の膨大な表現領域の中から、物質的ヴァイブレーションというごく限られた側面を、五官の小さな窓を通して見ているにすぎない・・・(以下略)。
  
 
・・・つまり、葦原氏いわく、「物質」とか「粒子」といったものは、「心の中で作り上げた固定観念」もしくは「心の中に投影された映像」といったようなものにすぎず、実体のあるものではない。物質世界とは、無限に広がっている波動領域の中のごく一部、人間の意識によってとらえられる範囲におさまった、一定の狭い波動領域を指しているにすぎない。普通なら「物質世界」と言えばすむところを、あえて「物質的ヴァイブレーション」と呼ぶのは、そういう面を強調するため。
 
なんだか、カントの「純粋理性批判」のような認識論を、現代的に突き詰めたという感じだ。でも、ここでは「認識論」というより、「物質世界とは何なのか」ということに重点がある。それはつまり、物質とは、実体のない幻影(マーヤー)なのである・・・ということ。いかにも物質っぽく見えるような、波動(ヴァイブレーション)の一定領域にすぎないんですぞ・・・ということになるだろう。

とはいうものの、頭では分かっていても、目の前にそびえる物質世界の堅牢さには、ついつい圧倒的な実在感を覚えてしまうというのが日常生活の常。いつの間にか、地球の物質世界という牢獄につながれた囚人と化してしまう。そう、それはまさしく、遠い宇宙のサイハテで過ごす懲役囚そのものだ・・・。

では、そんな物質的ヴァイブレーションよりも、上にある波動領域とは何だろうか。

葦原氏によれば、その少し上には、「エーテル体」と呼ばれる波動領域がある。これは、神智学の言葉。エーテル体は、物質的なヴァイブレーションによって表現された体(・・・要するに、肉体)と重なり合って存在している。エーテル体は、肉眼では見えず、潜在意識として機能している。われわれが、自律神経の働きによって、日頃は意識しなくても呼吸や内臓がコントロールされているのは、このエーテル体のおかげ。

ヨガの行者には、常人にとっては潜在意識でしかないエーテル体をも顕在意識とすることにより、自律神経を自在にコントロールできる者がいるという。呼吸や脈拍、体温まで思い通りにできるというから、まるで変温動物だ。カエルのように、寒くなったら体温を下げて冬眠すれば良いのだから、さぞかし冬には便利なことだろう。

エーテル体の上には、アストラル体がある。「アストラル」とは、「星のような」という意味。この波動領域まで見える視力を持つ人にとっては、煌めく星のように見えることから名付けられた。さらにその上にあるのは、メンタル体。
 
この辺りが、葦原瑞穂氏の「黎明」の中心となる世界観ということになるだろう。普通の人なら「物質世界と幽界」とでも呼ぶところを、この本では「物質的ヴァイブレーションとその近辺の波動領域」といったような表現になるので、ここに戸惑わないことが円滑に読み進めるコツとなる(笑)。ちなみに、この辺りは、まだ序論。まだまだ、本題には入っていない・・・・。
 

「黎明」・・・葦原瑞穂氏

2012年03月06日 | 精神世界を語る
 
日本の精神世界関係者の間で、「知る人ぞ知る名著」として知られる葦原瑞穂氏の「黎明」を、今やっと読んでいる。10年前の本で、筆者もちょっと前から持ってはいたけど、まだ読んでなかった。

葦原瑞穂氏は、教祖として祀り上げられるのを嫌ったためもあって、八ヶ岳で静かに暮らしている。地元では「八ヶ岳の聖人」とも「八ヶ岳の仙人」とも呼ばれているようだ。「精神世界の歩く百科事典」と呼ぶ人もいるほど、この分野に造詣が深い。八ヶ岳といえば、あの浅川嘉富氏も住んでいるという、日本におけるUFOウォッチャーのメッカだ。葦原瑞穂氏も、地元のUFO関連のイベントには、「著名なUFO研究家」として登場するらしい。もちろん、筆者にとっても憧れの地ではあるのだが、寒いのが苦手なので住むのは無理と思われる。
   
上下巻に分かれた大著の「黎明」は、長くて読むのに時間がかかる。葦原瑞穂氏は、量子論を初めとする物理のことも非常によく勉強していて(これも独学なんだそうな・・・)、特に最初の方は物理関連の話がよく出てくる。「科学的な話に慣れていない人は、最初の方を読み飛ばしてもらって構わない」と、著者本人も前書きに書いているほど。

それはともかく、「黎明」の内容はきわめて包括的かつ網羅的で、読んだ人が異口同音に言うように、とても10年前の本と思えないほど、今でも斬新だ。最近になって流行しているような話も、ほとんど出てくると言っていい。それでいて、精神世界の古典も総復習できるようになっている。「これから精神世界を学びたい」という人が最初に読む一冊としてはオススメできないけど、いつかは読んでおいた方が良い本なのは確か。

冒頭で挙がっている「精神世界の様々な分野」としては、

>人間の知覚と意識の科学的な探求から初めて、インドのヨガやヒマラヤの聖者たちの世界、日本神道や仏教、ヒンズー教やキリスト教といった宗教の側面、そしてニューエイジと呼ばれる新しいアプローチや地球外生命(Extra Terrestrial)に関する情報も含めた、全体の関係を一望できる視点
 
・・・と、著者自身が「序章」に書いている通り、多くの分野にまたがっている。
 
プロフィールがほとんど公開されていないナゾの人物だけに、思想的なベースや背景を探るのは難しい。でも、フリーな立場の人なのは確かなようだ。どこかの教祖との関連性とか、そういうのは特に感じられなかった(当たり前か・・・)。
 
ただし、大本教の出口王仁三郎の話はよく出てくるし、「日月神示」や「大本神諭」を始めとする、大本系の神示のことにもくわしい。さらには、「奇魂」(くしみたま)といった「生長の家」系の用語がときどき登場するし、「世界人類が平和でありますように」という白光真宏会のスローガンを「マントラ」として挙げているところを見ると、大本教とその流れをくむ神道系宗派には、ある種のシンパシーを感じている様子がうかがえる。「葦原瑞穂」というジャパネスクなペンネームからしても、復古神道への思い入れの強さが感じられる。
 
でも、それ以上にベースになっているのは、西洋の神智学系統のようだ。ブラヴァツキー夫人やリードビーター師の著書からは、しょっちゅう引用している。ただし、神智学には言及することも多い代わりに、批判することも多い。アリス・ベイリーについては、ちょっと悪魔系(?)が入っちゃった人として見ている感じもするけど、「黎明」にはよく登場する。ルドルフ・シュタイナーの話はあまり出てこない印象。クリシュナムルティについては、「誰も覚醒しなかった神智学協会からの出身であるにもかかわらず、自分自身は覚者になったという例」として名前を挙げている。
 
それから、インド人のグルたちや、ヒマラヤ聖者への傾倒ぶりも目立つ。「インドの大師」たちの言葉は、全体を通して繰り返し登場する。その中には、筆者にとっては「イカサマ手品師」としか思えない、サティア・サイババも含まれている(笑)。でも、そういう細かい解釈の違いを言い出したらキリがないのが、この世界の常。いちいち異議を唱えていたのでは、そのたびに話がストップしてしまう。
 
仏教やキリスト教の話も出てくるけど、イエス・キリストを「イエス大師」、釈迦を「釈迦大師」と神智学的な名で呼んでいるのが目につく。釈迦より、イエスの方が登場頻度は断然多い。ただし、この本に出てくる「イエス大師の言葉」は、聖書からの引用よりも、「奇跡のコース」や「心身の神癒」といった、「イエスからのチャネリング」とされている現代のチャネリング文献のものが多いみたい。

要約すれば、欧米の神智学と日本の復古神道をベースに、精神世界・チャネリングへの造詣が全般的にとにかく深い。さすがは、「八ヶ岳の聖人」だ。
 
(つづく)
  

意識のシフト

2012年03月06日 | 精神世界を語る
 
精神世界に無関心な人も、新興宗教にハマっている人も、相変わらず多い。そういう人たちも、これからは第四密度に意識をシフトしていかなければいけない。今は、そういう時代。なんとも、難しい時代になったものだ。
 
ここでいう「第四密度」というのは、意識の進化段階。それも、地球や太陽系といったような、惑星や恒星系の意識の進化段階を指すことが多い。いまの地球は、第三密度。最も個体の分離が進んだ段階と言える。 次の第四密度では、個別化した意識の再統合が始まる。
 
なぜ「四次元」といわず、「第四密度」というのかといえば、数学や物理でいう科学的な「次元」と紛らわしいからだ。つまり、これは精神世界に特有の用語。ただし、英語で「密度」と「次元」は両方とも頭文字“D”で始まる単語で、“4-D”は一種の掛けコトバになっている。ここは、そのあたりの微妙なニュアンスを汲み取りたいところ。
 
とはいえ、第三密度の世界に骨まで浸かってきた地球人類に、「意識をシフトしましょうよ」と言っても難しい。これは、川の中で一生を過ごしてきたメダカに、急に「宇宙に意識を向けようよ」と言うようなものだからだ。もっとも、最近は科学実験用の衛星に乗って、宇宙空間の無重力を体験してきたメダカもいるから、一概には言えないんだろうけど・・・。
 
もっとも、精神世界に無関心な人には意識をシフトすることができないかと言えば、必ずしもそんなことはないだろう。「アンチ精神世界」的な信念でコチコチに凝り固まったような人はともかく、柔軟な精神の持ち主なら、少し遅れる形で変化に同調するだろうと思われる。
 
筆者は2~3日前にカゼをひき、「早く体調を戻そう」として生命エネルギーを集めすぎたせいか(?)、逆に、非常に気分が良くなってきた。その場の現実的な状況とはまったく関係なく、意識がどんどん軽くなり、上昇していく感覚だ。 
 
さあ、いよいよ意識のシフトだ。ラセン階段のように意識がぐるぐる回りながら上昇していくのを、いま、実感している。もちろん、カゼ薬の副作用でアタマが麻酔状態になってるせいかもしれないので、結論を出すのは早すぎるのだが・・・(笑)。
 

カゼに注意

2012年03月05日 | 精神世界を語る
 
今年の冬は寒い。季節の変わり目だけに、カゼを引きやすいので要注意。
 
というのも、筆者自身がカゼをひいたからだ。熱を出して2日間、寝込んでしまった。病院に行ったら「39度の熱が出ているので、インフルエンザの検査をします」と言われた。検査の後も歩けないので、しばらく病院のベッドで寝ていた。検査の結果、どうやらインフルエンザではなかったらしい。まあ、原因は「生命エネルギーの不足」といったところか・・・。
 
こんなときこそ、生命エネルギーを天から集め、地から吸い上げるとき。日頃の修養がモノを言うのは、こういうときだろう。 
 
そのおかげかどうかは知らないが、2日間はほとんど寝てたけど、今日は早くも働いている。別に、働くのが好きなわけではない。単に、余裕がないのである。すでにアクセクした日常生活に巻き込まれ、病気が遠い過去に思えてきた。
 
改めて思うのは、「現代人の生活には余裕がない」ということ。現代人には、日常生活に埋没して精神世界に無関心な人が多い。こればっかりは、仕方がない。もともと精神世界に興味がある人ならともかく、そうでない人については、まず余裕を作ってからでないと、関心を持つこと自体が難しいだろう。そこには越えられない壁がある。
  
思うに、地球の物質世界でうまく生きていくためには、この世界に意識をまるまるフォーカスして、余計なこと(つまり、精神世界・・・)には関心を持たないのが効率的な生き方だと言える。「いろんな世界に意識が飛んでいってしまう」という傾向は、生きていく上で不利だ。精神世界に意識が飛んでいってる間に、物質世界で、自分の身体を肉食動物に喰われてしまったら元も子もない(笑)。
 
地球は、生き残り競争の世界。より生き残る確率が高くなる生き方、つまり、「より一層、物質世界に意識をフォーカスする生き方」が現代人に好まれるのは、自然の成り行きだろう。「精神世界には興味を持たない方が良い」と考えている人が世間に多いのは、このためと思われる。
 
実際には、そうではない。むしろ精神世界を知らないと、こういうときに生命エネルギーを集めて自分自身をヒーリングするコツが分からないから、回復が遅れるのである。

筆者は、何年か前にもひどいカゼをひいた。あのときは、治った後も、3週間くらいゴホゴホと咳き込んでいた。さらにその何年か前にも、そうなった。今回は、いつになくセキが止まるのが早くて、すでにピタッと止まっている。
 
「自分は病気で苦しんでいるのである」という信念は、ストッパーになって、回復を遅らせる。今回は、そういう信念の障壁をうまくハズすことに成功したようだ。もちろん、「薬の効能が進歩しているおかげ」とも考えられるので、結論を出すのは早すぎるかもしれないが・・・(笑)。