「ワンダラー」、つまり、「自分は、宇宙からの転生者であり、地球の短期滞在者である」と主張する人は、世界には結構いる。そういう人たちには、大なり小なり、「幼少の頃に感じた違和感」がベースになっている。
これに関しては、自分もそうだから、よく分かる。小学生の頃の筆者は、今のような、そこそこバランスの取れた現実的な人間ではなかった。もっとコテコテに濃い、純粋なスピリチュアル思想で生きていた。むしろ、普通の現実的な考え方があんまり無かった。
学校や近所の人たちと考え方が合わなかったのは当然としても、家族とはさらに考え方に深い溝があった。別にケンカになったわけでもなく普通に生活してたが、彼らの世界観や人生観は、驚くほど自分とは異なっていた。
家族や親戚との深いギャップは、それが遺伝とか環境によるものでないことを示している。だから、「幼少の頃に感じた違和感」なのである。
「なぜ、自分と他人とは、これほど世界観や人生観が異なっているのか?」というのをジックリ考えた結果、やはり、「自分はどこか異世界から来た者なのだ」という結論になった。
中学生の頃も、「地球人類は、滅亡するか、大進化するかの2つに1つしかない」という考えに取りつかれ、予言書や未来予測本を読み漁っていた。三度の飯のことより、「地球はどうなるのか」というのが気になっていた。周囲で、「良い悪いは別にして、かなりユニークな人」という評判になっていたのは言うまでもない(笑)。
高校から大学にかけて、あの「第三次宗教ブーム」が起きてきた。オウム真理教、幸福の科学、法の華三法行・・・その他の登場だ。宗教に限らず、バシャールのチャネリングや、チベット帰りの中沢新一もブームになった。哲学も盛り上がってきて、半田広宣氏が大好きなドゥルーズ・ガタリがブームになったのもこの頃だった。まったく、バブルのアダ花か、それとも新時代の到来か・・・(?)。
このあたりから、「私は真理に目覚めました。この教えを広めることが、今生の使命だったのです」というような人が増えてきて、さらに違和感を覚えることになる。
おそらく、新興宗教の人たちの中にもワンダラーはいたであろう。精神世界の探求への情熱、もしくは地球を救済したいという使命感が、彼らをそういう方向に向かわせたのだろう。でも自分には、ちょっと違和感があった。
それでも、根っからの研究熱心のため、上に挙げた「第三次宗教ブーム」の諸氏の著作はよく読んでいた。信者よりも教義をよく知っていたくらいだ。
それはともかく、世間の一般人も、新興宗教の人たちも、自分とは違いすぎた。何か、根本的に異質なものを感じた。
中には、「自分は『宇宙からの転生者』であると主張するのは、自分は特別なのだという優越意識、もしくは劣等意識の表れなのではないか?」と指摘する人もいた。それも、もっともな意見だろう。哲学マニアの友人からそう言われた。本ブログを始めるより、ずっと前のこと。
これに対しては反論がある。ひとつには、「宇宙からの転生者は、意外と多い」ということ。ワンダラーは、世界には結構いる。日本やアメリカのような精神世界が盛んな地域にはとくに多く転生していると考えられるため、おそらく、「クラスに1人」というくらいの割合でいるだろう。それよりも、もっと多いかもしれない。だから、そんなに特別なものではない。
それにしたって、「自分は特別なのだ」という意識がないとは言えない。いや、あると言うべきだろう。「自分は、なんだか他の人たちとは違うな」という感覚があるのは確かだ。逆に、他の人たちからも、「普通の人とは、何かが違う」とよく言われる。
だからといって、世間の一般人に比べて良いとも悪いとも、別に思っていない。単に、「違う」というだけ。
もっとも、オイカイワタチに出てくるような、「地球人類を救済したい」という情熱に燃える、崇高な使命を持ったワンダラー。そこまでの自覚は、さすがにない・・・(笑)。