宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

着実に進む、世界の変化

2013年12月23日 | こっくり亭日記
    
「2012年の冬至」から一年になる。はたして、意識の変容は進んだのか、どうなのか!?
        
それには、自分自身の意識を振り返ってみるのが一番だろう。個人的には、人生観や世界観はそれほど変わってないにもかかわらず、上機嫌でワクワク感が心の奥からわきあがってくることが多くなってきた。結局のところ、そういうのが意識の変容なんだということを実感する。
   
アセンション・ファンとしては、この地球の物質世界が、「思ったことが実現しやすくなる世界」という方向に向かっているかどうかが、気になる。
 
これは高島康司氏のブログにも書いてあったけど、意識の変容を待つまでもなく、科学技術の進歩によっても、それは実現に向かっている。

たとえば、以前と違って、自分が心の中で思ったことを、インターネットですぐに公表できるし、それに対する他人の反応がすぐに返ってくる。まあ、本ブログのコメントに対するブログ管理人のレスは、お世辞にも早いとは言えないが・・・どうもすみませんm(__)m。

3Dプリンターも、この動きに拍車をかけている。最初の頃は、なんかプラスチックみたいな素材で作った、秋葉原で売られてるフィギュアやプラモデルみたいで、あやしさ全開だったけど、最近は製造業の現場でも活躍している。特に、以前は高度な職人芸が必要だった金型の作成に、大きな効果を発揮しているという。3Dプリンターで作った型に、溶けた金属を流し込んで固めれば、金型がハイ出来上がり。
 
3Dプリンターで複製された銃も登場した。模型じゃなくて、本当にタマを撃つこともできるらしい。いよいよ、そういう時代になってきたんだな・・・。
 
 


↑ CGを元にして、3Dプリンタで製作されたハイヒール (画像元
 

この技術が進めば、素人でも、デザインのセンスがある人なら、自分の作品をかなり簡単に作れるようになる。今までは、心の中で思い描くだけだったものを、こうして現実の世界でカタチにすることができてきた。

だからといって、「思ったことが実現しやすくなる世界になった」とも言い切れないものがあるけど、それが大きく現実化に近づいたのは事実だろう。
 
今後はますます、SF映画みたいなホログラム映像によるバーチャル・リアリティも出てくるだろうし、人工臓器や義肢などにより、医療も自由自在になってくるだろう。
 

政治や経済も、大きく変わってきた。もう、先進国はもちろん新興国でさえ、爆発的な経済成長にはブレーキがかかってきている。かといって、世界経済が急に崩壊して、大混乱になるという兆候もない。

イランでは、国際的な合意ができて、核開発をストップすることができた。もちろん、これで中東が平和になるというほど、世の中は単純じゃないけど、大きな前進なのは確かで、人々に希望がわいてきた。

アメリカは、中東でもアジアでも、影響力が以前より落ちている。シリアで化学兵器が使われ、オバマ大統領が「いよいよ、シリアを攻撃するぞ」と宣言したにもかかわらず、実行できなかったことが、それに拍車をかけた。「もはや、戦争したくても、できない国になったようだ」と、足元を見られている。

かといって中国の軍拡も、日本を始めとする周囲の国々から一斉に「ノー」を突きつけられ、壁にブチ当たっている。しかも、それに対する反動で、日本や台湾・東南アジア・オーストラリア・インドにまで広がる、大きな連帯感ができてきた。

いまや、どこの国で世論調査しても、日本に対する好感度は高く、連帯意識が高まってきている。日本でも、それらの国々に対する連帯意識は高くて、「台湾最高!」とか、「タイの料理や文化が大好き」といった声がますます強くなってきた。

昔は(1970年代)、東南アジアでも反日暴動が起きていたのを思うと、隔世の感がある。右翼の人たちに言わせれば、「東南アジア諸国は、大東亜戦争で欧米の白人と戦って、アジアの独立を勝ち取ってくれた日本に感謝しているのだ」ということになるんだけど、そうではない。彼らは、過去ではなく、あくまでも現在の日本が好きなのだ。それは、お互いさまだろう。「俺は、昔のフィリピンが好きなんだ」という人を、見たことはない。国境を超えた連帯意識は、たった今、この瞬間にも生まれ続けている。

もちろん、例外もある。日本の隣には、「千年たっても反日を続けます」という国もある。まったく、ご苦労なことだ。でも、ものごとに例外はつきもの。反日国家といっても、全員が反日というわけではない。「学校での反日教育も、以前ほど過激ではなくなってきた」という話も聞く。新聞の論調もちょっと変わってきて、「反日をやりすぎた」という反省が見られるようになった。まあ、あの国もいつかは変わるだろうから、気長に待つしかない。

精神世界ブログとしては、そういう物質界の変化もさることながら、最大のポイントである「意識の覚醒」へと、再び目を向けなきゃいけない。

それには、「ワクワク」が重要だ。というのも、意識が覚醒してくれば、人間はワクワクしてくる。
 
もしも、「ボクは、どうもワクワクしないな。どちらかといえば、気分が重苦しい」という人がいるのなら、それは、アセンションに向かってないことを意味している。そういうときは、無理やりにでもワクワクする必要がある。

とはいっても、こればっかりは気分や感情の問題なので、電気的刺激かなにかで強制的にワクワクさせられても、長続きはしないだろう。あくまでも、自分の心の奥から、自然にわきあがってくることが望ましい。
 
そのためには、なんといっても、「アセンション」に気づくことが一番。ここに気づくかどうかで、今後の数年の意識も大きく変わってくる。
 
(つづく) 
 

意識の変化は本当に進行しているのか?

2013年12月13日 | 精神世界を語る
  
2年前の2011年10月28日は、「コルマン・インデックス」のマヤ暦が終了する日だった。従来、「2012年の冬至」とされていたマヤ暦の終了を、北欧のコルマン博士が、独自の暦数計算により、「それは間違いで、2011年10月28日が正しい」と主張し、論争を始めたのだ。両方とも過ぎ去って久しい今となっては、どっちでもいいと言ってしまえば、それまでなのだが・・・(笑)。
 
そんな中、コルマン・インデックスを日本に紹介した人・高島康司氏のブログに、「あえてコルマンインデックスを振り返る。意識の変化は本当に進行しているのか?」という記事が出ていた。

確かに、あれだけ精神世界ジャンルで一世を風靡した話だけに、忘れてしまうのはモッタイない。常に振り返って、現在・未来を考える材料にするべきだろう。

この高島氏という人は、主としてスピ系の予言や占いを取り扱っているとは言うものの、いつ見ても政治や経済の話ばかりしている。それも、反原発や安倍政権批判・アメリカ崩壊論といった左派系の話題が中心で、ブログに「参考図書」として挙げているのも、マルクスの本。国際関係を見る角度はいつも中国寄りで、まるで中国・人民日報の社説みたい。

そういうスタンスが個人的には嫌いなんだけど(笑)、ブログ記事のタイトルは、やはり気になった。

かなり長くなるとはいえ、ここは引用するしかない。


>これまで何度も言ってきたことだが、2011年10月28日にマヤカレンダーが終了するとしていたコルマンインデックスは、この日に巨大な出来事が起こり、世界が劇的に変化することを予想したものではまったくない。コルマンインデックスが主張していたことは、2011年10月28日から、ある方向に向かう変化が加速するいうことである。

>これもすでに何度も掲載したことだが、以下がコルマンインデックスが主張していた変化の方向性だ。

>人間の意識の変化

1)物欲や他者の支配を欲する権力欲が衰退し、人間関係に最大限の喜びを見いだす意識状態になる。

2)将来の計画を志向する目的合理的な行動が希薄になり、生きている「いま」に最大の幸福を感じる意識に変化する。

3)競争で勝利し、権力を追い求める強い自我を持った権力型の人格から、多くの人を対話で説得できる対話型の人格へと変化する。

>社会システムの変化

4)ピラミッド型の階層構造やそうした構造に基づく権力型の組織が崩壊し、メンバーの協調によるフラットなネットワークの組織が社会のあらゆる側面を担うようになってゆく。

5)無限の物欲の再生産と、無理な成長を強いる消費社会から、社会の実質的な必要性に基づいて生産する実質的な経済へと移行する。

6)根拠のない幻想的な価値に基づく金融資本主義から、必要なものとサービスの生産を中心とした実体経済に移行する。

7)第6サイクルの意識に基づいた古い社会集団への帰属意識が衰退し、国家の弱体化と消滅に向かう流れが出現する。

思想の変化

8)特定の民族のアイデンティティーに過度に固執する民族意識や国家主義が衰退し、普遍的な人類意識が出現する。

9)左翼と右翼、保守と革新というように二極に分化した見方から、どんな対立した見方にも共通点を見いだし、対立を統合する総合的な知へと移行する。

10)人間の外部に存在し、人間を支配する超越的な存在としての神の概念から、一人一人が神や仏の一部であることを実感する方向へとシフトする。

>ハンク・ウエスルマン博士の段階論

>さらにハンク・ウエスルマン博士は、やはりコルマンインデックスと同じような意識の変化が、歴史的な段階として起こるとして次のような段階論を提示している。いま最後の第5の段階に入り、意識の驚異的な覚醒が進んでいるのではないかと考えている。
 
(長いので省略・・・要するに、古代のシャーマニズム信仰から、一神教を信仰する時代になり、近代になって一神教が信じられなくなる)
 
>第5段階ー2012年前後からやってくる新しい精神の時代

>これまで「神」と呼ばれ、崇拝されてきた超越的存在を個々の人間が自分の内面に直接体験できるょうになる時代。このため、聖なるものを信者に伝える聖職者の必要性はなくなるので、宗教教団のような組織も消滅する。新しい神秘主義のはじまりの時代。

>ウエスルマン博士は、このような人間の精神の進化をベースに、いままさに人々が覚醒し、新しい精神に目覚めようとしていると考えている。

>変化の中核、個人こそが偉大な力

>さて、こうした変化をまとめると次のようになる。変化の中核となるのは、やはり個人が自分の内面に超越的な力を感じ、自分こそが神であり仏であると強く自覚する意識の変化であろう。

>このような意識の変化を個々の人間が体験すると、自分の内面には目の前の現実を変革し、新しい現実を生成できる偉大な力が内在していることを実感する。自分が思うように現実を変革できるのだから、この現実生成の力こそ、個人が自立する根拠となる。すると、保護と引き換えに個人を組織に埋め込むあらゆる権力や階層型の組織に依存する必要もなくなる。また、自分の存在根拠を特定の集団に求める民族主義やイデオロギーからも自由になる。

>そのように意識が変化した個人は、必要に応じてそれぞれが相互に結合するので、社会全体が階層化されないネットワーク型の社会へと移行する。

(つづく)

上機嫌になる

2013年12月12日 | 精神世界を語る

上機嫌であることには、大きな意義がある。それは、サラリーマン社会でも、たいていの人はわかっている。中には、「殺伐とした雰囲気でなければ職場じゃない」と思ってるような軍隊調の人もいるけど、昔に比べれば減ってきた。もはや生きる化石もいいとこ。

筆者はかつて、大手金融機関に勤務していた。こういうところは、どうも陰険な世界で、ほぼ全員がストレスのカタマリになっている。葬儀場のようなムードで黙々と仕事をする中、一人だけ妙に上機嫌だと、「たるんでんじゃねえ!」と怒られるか、もしくは「どうやら、まだまだ余裕があるみたいですね。さすがに、仕事が速い」と嫌味を言われることになる。

でも、その代わり、「職場の雰囲気を良くする貴重な存在」と言われるようになる。「怒りを通り越して、つい笑ってしまう」という領域だ。もっとも、そうなるためには、当時の筆者のように、よほど突き抜けた波動の持ち主でなければならない(笑)。

朝早くから夜遅くまで緊張の連続の世界にいると、並の神経では、だんだん参ってくる。かといって、そこで暗くなってもいけない。「どうやら、彼はストレスで精神が崩壊したようです」と言われ、マイナス要因と見られるだけだからだ。

営業マンなら、やはり明るく楽しい人のほうが顧客も集まり、成果が上がる。成果が上がると、周囲から文句を言われなくなってくるので、ますます上機嫌になる。こうして、好循環が生まれる。

問題は、逆のケースだ。成果が上がらないと、社内で文句ばかり言われるようになるので、だんだん不機嫌になる。不機嫌になると、さらに営業力が低下する。こうして、負のスパイラル、悪循環に陥る。人間というのは、こうやって二極化していくように出来ているのだ。

これは人間社会に限らず、広く地球の自然界に見られる傾向。つまり、地球というのは、一方に好循環を起こし、他方に悪循環を起こし、どちらも別々の方向に向かって加速していくように出来ている。そうやって、生物の種類を増やし、進化を加速して、多様化を推進してきたのが地球生命系のシステムと言えるだろう。

この悪循環を断ち切るために、しばしば推奨されるのは、「カラ元気を出す」ということだ。毎朝、大声で社訓を唱えるモーレツ営業会社は、その典型。これも、それなりに効果がある。こうすれば、中身はともかく、表面的には明るくて元気な人になれる。

でも、無理してカラ元気を出すより、本当に上機嫌になったほうが、もっと効果が上がるのは間違いない。いかにして、上機嫌に戻るか。そこに鍵がある。

「お酒を飲む」というのも、上機嫌になるための、ひとつの方法だろう。

筆者もだんだん悩みの泥沼にハマり、「内向的思考型」っぽくなった時期があった。そんなとき、上司から、「なんだか、妙に観念的な暗さが感じられるな。朝、一杯飲んでから出勤したらどうだ?」と言われたことがあった。

そのときは、「なるほど」と思っただけだったが、後には、それを実行してみた。朝、一杯飲んで、上機嫌になってから出勤した。すると、たちまち、「なんだ、その赤い顔は。それで仕事できるか~ッ!!」という罵声が飛んできた。これは誤算だった。朝起きたばかりだと、たった一杯の酒でも、そんなに効くことがあるのだ。「いや~、昨日はつい飲みすぎてしまって。顔が赤いってことは、まだ酒が残ってるんでしょうかね?」とかなんとか言うと、横で聞いていた偉い人が苦笑しながら、「まあいい。ちょっと別室で休んでこいよ」と助け船を出してくれた。本人も毎晩のように酒浸りになっているのだから、通じるものがあったのだろう。

もっとも、酒を飲めば上機嫌になれるかといったら、そんなに単純なものでもない。怒っている人が酒を飲み、ますます怒って暴れだすことはよくある。悲しい人が酒を飲むと、涙をボロボロ流して泣き出す。眠たい人が酒を飲むと、そのまま眠ってしまう。このように、酒には、そのときどきの感情を増幅する効果がある。

酒を飲まずに上機嫌になれれば、それに越したことはない。音楽とか、アロマテラピーとか、対策はいろいろ考えられる。運動や入浴で血行を良くするのも、飲酒と同じような効果がある。愛想の良い女性に接客してもらうというのも、ひとつの手だ(・・・ただし、多額のおカネがかかることが多い)。

一番いいのは、自分自身をコントロールし、自然な形で上機嫌に持っていくことだろう。

気分転換の名人なら、良い見本に事欠かない。犬や猫、小さな子供などだ。なぜ、犬猫は気分転換が早くて、すぐ上機嫌になれるのか。それは、何も考えていないから。

これを見ると、「何も考えなければいいんだな」ということが分かる。「思考を止めよ」という、古くて新しいテーマの再登場。

精神世界の探求というのは、そのためにやっているようなものだ。

瞑想して精神を集中するのも、雑念を排除して、思考を止めるのが目的。これによって期待できる効果は、「意識の覚醒」とか、いろいろあるワケなんだけど、それ以前のこととして「上機嫌になる」というのが、とりあえず最大の効果。

「修行によって苦悩を克服できる」という要点は、そこにある。


職業としての上機嫌

2013年12月10日 | こっくり亭日記
最近、「上機嫌」というのに注目している。

たとえば、斉藤孝氏は2年前に「上機嫌」を提唱していた。それによると、「ロナウジーニョだって、コンディションが悪ければ、良いプレーはできない。どうすれば社員のコンディションを上げられるか。そのためには、『上機嫌』が重要だ」という。

確かに、上機嫌な人には勢いがある。アイディアや積極性も生まれてくるし、周囲にも好印象を与える。まさに、いいことずくめ。バシャールでは、「ワクワク」(exciting)がいつも推奨されるけど、ワクワクするには、上機嫌であることが必要だ。

性格や気質は、持って生まれたものもあるし、生まれ育った環境にも大きく左右される。同じアメリカ人でも、寒くて霧の多いニューヨークと、陽光あふれるカリフォルニアでは、人々の気質が大きく異なる。

でも、それと上機嫌であることとは、別問題だ。生まれつき性格が暗くても、上機嫌になることは十分に可能だと言える。

人間、ときには暗さも必要だ。常に陽気なだけじゃ、本も読めないし、座禅も組めない。ニーチェやハイデッガーなどの哲学者は、みんなユングの類型論で言えば「内向的思考型」に分類される人ばかり。全員が明るい人ばかりだったら、哲学は生まれなかった。古代ギリシャの哲学者たちがいなければ、人類の文明は、いつまでも明るく楽しく獲物を追いかける狩猟採集レベルから進歩しなかっただろう。

だから、世の中にはいろんなタイプの人がいていいんで、別に、無理して性格を変える必要はない。できる範囲で、「上機嫌」であれば良いのだ。いつも上機嫌でいれば、長い間には性格や人生観も変わる。

斉藤孝氏によれば、上機嫌であることには、職業上にも大きなプラスとなる。斉藤氏は、「会社の社是で、上機嫌を唱えよ」とまで言う。確かに、世の中にはいろんな会社があって、「殺されても離れない執念を持て」なんて社訓もあれば、船井会長の影響を受けて「運を良くしよう」という社訓のところもある。

それを思えば、「いつも上機嫌でいよう」と、毎朝、朝礼で唱えてもおかしくない。

少し長いけど引用してみたい。

>「職業としての上機嫌」の必要性

>一般に「機嫌」というと、自身ではコントロール不能のように思いがちだ。確かに人間である以上、感情の起伏はつきものだ。意味もなく気分が良いときもあれば、悪いときもある。

>ここで私が取り上げたいのは、「職業としての上機嫌」だ。社会学者のM・ウェーバーは「職業としての政治」「職業としての学問」という考え方を提示したが、私は「職業としての上機嫌」を提唱したい。これなら、ある程度は自分でコントロールできるし、また社会人として当然すべきである。

>そこには、大きく3つの意味がある。

>第1に、心身ともに上機嫌でなければアイデアも生まれない。昨今のビジネスパーソンに求められるのは、長時間にわたって働くことより、斬新かつ有効なアイデアを出すことである。身体が疲れていたり、気分が沈んだりしていては、アイデアを出そうという気にもなれないだろう。

>第2に、上機嫌だと、当然ながら対人関係もうまく行く。仕事には、個人の感情を持ち込まないのが前提だ。とは言うものの、喜怒哀楽のない人と一緒に仕事をするのは疲れる。例えばゴルゴ13を想定してみればよい。超一流の“腕”を見込んで仕方なく依頼はするが、それ以上の付き合いをしようとは思わないだろう。“仕事”が終われば他人だ。

>ゴルゴ13ならそれでもいいだろう。だが、ビジネスパーソンはそうは行かない。次の仕事につなげるため、あるいは仕事のしやすい環境を保つため、会社内外の対人関係は重要だ。上機嫌が求められるのは、そのためでもある。

>そして第3に、上司など部署のリーダー的な立場にある人は、特に上機嫌を演出する必要がある。前述の対人関係の延長線上だが、職場の雰囲気や部下への影響などを考えれば、その責任はきわめて大きい。

>上機嫌は、リーダーシップの基本である求心力の重要な条件だ。明るい人、元気な人、これから何かやりそうな人には、自然と人が集まってくる。一緒に明るくなりたい、成功したい、あるいは楽しみたいという願望が働くからだ。私は私塾で小学生の指導を行っている。そこでは、この傾向が顕著である。大人の社会でも同じだろう。


筆者も私塾で小学生の指導をしたことがあるが、確かに同感だ。もっとも斉藤孝氏と違って、教育に情熱を燃やしていたわけではなく、単に会社を辞めて生活費が足りないから、とりあえず始めたバイトだった。状況は暗くて深刻なのだが、特に小学生の指導などは、上機嫌な人じゃないと務まらないところがある。

難関中学受験用の算数や理科は、妙に難しかった。特に、理科にはだんだん自分自身がハマってきた。しまいには秋葉原に行って部品を集め、自分で電気回路を作って納得いくまでやってみた。それ以外にも、滑車とかバネ量りとか、小型人体模型とか、だんだん身辺は、実験道具や標本・科学オモチャだらけになった。「なんだか、意外と楽しいお仕事なんじゃないかな?」と思い始めた。

そんなある日、保護者の一人から「クレーム」が来た。なんと、「ウチの子には、もっと算数のお勉強をさせたいのに、先生の理科の授業が楽しいので、理科をやりたいと言って困ります」というのだ。確かに、小中学生に英語・国語や数学・算数を教えていて、「理科がやりたい」と言われることは、よくあった。やはり、楽しさや上機嫌は、素直な子供にはすぐ伝わる。それが、新たな興味や意欲を生むのだ。

この「バリバリに文系なのに、理科の先生としても評判が良かったのだ」というのは、筆者がよくする自慢話のひとつ(笑)。本ブログでも、以前はよく科学トピックを取り上げて好評だったけど、それは、このときの経験によるものが大きい。

大人がやる仕事は、そこまで単純ではない。でも、同じ人間である以上、基本は変わらない。上機嫌なほうが能率が上がるし、何よりも、自然と人が周囲に集まってくる。

もっとも、これも過ぎたるは及ばざるが如しで、しょっちゅう自分の周囲に人が集まってきて雑談するようになると、時には迷惑だし、周囲からウザがられることもあるので要注意だろう。事務作業に没頭するときなどは、暗くて深刻な人のほうがいいかもしれない。

そういえば、自分で言うのも変だけど、上機嫌なときの筆者は、昔から本当に人気があった。「なんだか、周囲にいるだけで自然と心地よくなる」と言われたことが多い。多すぎて、いちいち覚えていない。そこが、この物質世界の波動に、骨のズイまでドップリ浸っている人々とは、ひと味違うところなのだ。

ただし残念ながら、いつも上機嫌ではいられない(笑)。それだけ、この地球での人生はとても難しいものがある。もちろん、人生の難易度は人によって異なるとは言うものの、地球環境でずっと生きていれば、普通はだんだん深刻になってくる。

でも、今にして思えば、「それでも、あえて常に上機嫌でいられたら・・・。この人生は、実はもっと、ずっと簡単だったんじゃなかろうか?」と思えるフシが多々ある。

それこそ、「職業としての上機嫌」じゃないけど、いつも上機嫌でいられたら、「それだけで食っていける」というくらいの特技だったのではないかと思われる。


(続く)

高級霊は上機嫌

2013年12月04日 | 精神世界を語る
  
五井昌久の名著に、「高級霊は上機嫌」というのがある。
 
この五井昌久という人は、白光真宏会(びゃっこうしんこうかい)の教祖で、かの高名なる「宰相の師」こと安岡正篤や、合気道の開祖・植芝盛平とも親しかったことで知られる人。後継者の西園寺昌美さんは、一時期は船井会長との対談本を出したりとか、アセンションの論客として活躍していた。
 
「白光真宏会」と聞いてピンとこない人も、「世界人類が平和でありますように」というお札が、街角のアチコチに貼り付けられているのは見たことがあるかもしれない。この言葉は、あの葦原瑞穂氏の「黎明」にも、「究極のマントラ」として紹介されていた。
 
筆者も、知り合いの信者さんから「アタマ数をそろえるため、是非とも出てくれ」と頼み込まれ、「世界人類が平和でありますように」の集会に出て、一緒に唱えたことがある。筆者の人生には、そういうことが多い。だから、多くの宗教団体を知っている上に、宗派の系統にも妙にくわしかったりする(笑)。
  
それはともかく、宗教うんぬんは別にして、「高級霊は上機嫌」(High Spirit Is In High Spirits)は良い本だった。


>英語に面白い言葉があるのですよ。

>イン・ハイスピリッツという言葉があるのです。

>ハイスピリットというのは、高級霊ということなのですね。

>イン・ハイスピリッツで、上機嫌という意味になるのです。


>ですから上機嫌ということと高級霊魂ということは、

>英語では同じなのですね。

>上機嫌で、いつも明るく朗(ほが)らかな人は、ハイスピリットなのです。

(引用元 五井先生に学ぶ


言われてみれば、確かにそのとおり。英語では、「高級霊」と「上機嫌」が、同じ言葉だというのは含蓄が深い。

つまり、高級霊というのは、いつも上機嫌なのだ。

逆に、「いつも上機嫌な人は、高級霊だ」・・・とまで言えるかどうかは、わからない。ヤクザの親分だって、いつも妙に上機嫌で、ニッコリ笑って「おい、そこの鉄砲玉。アイツを包丁で刺してこい」とかなんとか、物騒な指令を下す人がいるかもしれないからだ。「逆は必ずしも真ならず」という、数学の格言を思い出す。

それにしたって、高級霊を目標にしてガンバッているのなら、上機嫌でいる必要があると思われる。

これは、筆者には身につまされる言葉だ。というのも、「どうも、人生観や世界観に暗さがある」と、よく指摘される。

でも、暗いもなにも、偏見を抜きにして客観的に見るならば、この地球環境で生きていくというのが、罰ゲームにしか見えないのも事実だろう。

ここは、生きるのが難しい場所。もともと生存環境そのものが厳しい上に、大勢の地球人たちがエゴをぶつけ合って生きている世界だ。昔ほどではないとはいうものの、ここでサバイバルしていくのは、とても大変。

こんな環境で生きているというのに、上機嫌でいなきゃいけないというのは、さすがに無理がある。

「生かしていただいて、ありがとうございます」とかなんとかいうのも、悪くはないけど、無理をしているように見えて仕方がない。「この人たちは、よほど恵まれた人生を送っているのかな?」と、つい勘ぐってしまう。
 
しかし、そんな地球環境で生きているにもかかわらず、あえて上機嫌でいるためには、どうしたら良いのか。

そこには、どうしても「割り切り」が必要だろう。つまり、「この地球は、一種の強制収容所なのである」という現実を直視し、ここでしばらく強制労働させられるという運命を、「仕方がない」と割り切る。

無理をして現実を良く見ようとするより、スパッと割り切ったほうが、それ以上は悩まないで生きていける。

大喜びで走り回っている犬とか、歌いながら歩いている小さな子供とかを見ると、これこそ、「上機嫌の見本だな」と思わずにいられない。とはいうものの、彼らのようになるのは、別に難しくない。一言で言って、何も考えなければ良いだけ。

筆者の場合も、人生観や世界観がイマイチ暗いにもかかわらず、「妙に楽しそうだねえ」と、人から感心されることは珍しくない。「なんだか、こっちまで、釣られて愉快になってくる」とも、よく言われる。

そんなときの自分自身を振り返ってみると、そういうときは雑念がない。何も考えず、心の奥底から、自然に楽しさや嬉しさが湧きあがってくる。その場の状況とは、直接の関係がない。

残念なのは、いつも上機嫌ではいられない・・・ということだ。やはり、時によっては、人生観の暗さが表に出て、深刻な雰囲気のときもある。もちろん、どんな人だって状況によっては深刻になるのが当たり前なんで、100%上機嫌というのはあり得ないけど、なるべく上機嫌の「打率」を高くしていきたいものだ。

自分のことはさておき、再び五井昌久の言葉を借りると、



>本当の自分とは何か。

>上機嫌の自分です。

>明るい自分、柔和な自分、光り輝いている自分です。

>その他の自分はあるべきものではない。

>消えてゆく姿の自分なのです。

>これを徹頭徹尾想うことです。



>自分の心を穢(けが)すもの、

>自分の心を不安にするもの、

>自分の心をヒステリーにする、

>自分の心を妬み心にさせる、

>それらは皆、消えてゆく姿です。



>ただ本心の前を通り過ぎてゆくだけなのです。

>通り過ぎてゆく間、神さまの中に、

>世界平和の祈りの中に入っていればよいのです。

>そうすると、あとで明るく晴れやかになって、

>”ああ、私はよかった”と思う。



>だから、いつも本心と業想念を分けていることです。

>通り過ぎてゆくと思っていると、だんだん光が大きくなって、

>宇宙大に光り輝くようになります。

>そして、いつも上機嫌でいられるようになるのです。
  

広がる大気汚染

2013年12月03日 | こっくり亭日記

中国に出張中の友人から連絡があった。とにかく、空気が汚れててスゴイらしい。目がかゆくて痛くて、息もできない。「出張だからいいようなものの、こんなところに転勤になったら、辞めるしかないな」と言う。

以前は、大気汚染といえば「北京」だったけど、最近は、上海にまで汚染が広がってきた。12月2日(2013年)は、地元の人も驚くほど空気が悪かった。ついに上海でも最悪の「汚染度・第六段階」に指定された。いつもはそこまで悪くないんだけど、気象配置の都合で空気の流れが滞ったみたい。

大気汚染は韓国のソウルにも広がっている。先日ソウルで起きた、ヘリコプターが高層マンションに激突した事故は、韓国では「中国からの大気汚染で、視界が悪かったせいだ」と言われ、これに中国人が「また、悪いことを俺たちのせいにするのかよ、韓国人!?」と猛反発している。中国では、北京のあたりから上海あたりにかけて、だだっ広い大平原が広がっている。それに比べて、ソウルは狭い盆地なので、空気がこもりやすいんだそうな。

上海の中心部の発展はものすごくて、東京はもちろん、ニューヨークから来た人でさえ圧倒されるほど。まさしく、東洋の大都にふさわしい壮観だ。

アリガチなこととはいえ、筆者は、上海や台湾が大好きで、北京や韓国には悪い印象を持っている。もっとも、北京には行ったこともなければ、北京人と話をしたことも少ないので、本当は良いところなのかもしれないが・・・(笑)。

それはともかく、以前は、「経済成長がストップした日本より、絶賛発展中の中国で働きたいものだな?」と思った時期もあった。でも実際のところ、アレルギー体質の筆者が中国で生活するのは、かなり無理っぽい。何日か滞在するくらいが限界だ。何年か前には、花粉症で苦しんでいるのを見て、知り合いの上海人から「それなら中国に行くよろし。日本と違って木が生えてないから、花粉なんか全然ないよ」と言われたものだったけど、今では、それどころの騒ぎじゃなくなった。

特にひどいのは北京で、「マンションで窓を締め切っていても、部屋の中でマスクが必要だ」とか、「まわりの空気全体が、煙みたい。視界が悪くて、車の運転どころじゃない」とか、にわかに信じがたい話ばかりが聞こえてくる。それも、PM2.5を超えるPM10とか、かなり悪質な汚染物質が増えている。そんなところに住んでいたら、マジで寿命が縮むことだろう。

華北平原は、日本の国土とほぼ同じくらいの広大な地域に広がる、まさに大陸そのもののようなスケールの大平原。気の遠くなるような歳月にわたって大黄河の洪水にならされてきてるから、どこまでも平たくて地平線が続く。北京は、そんな大平原の北端に位置しているから、南側は開けている。換気の条件は、悪くないはずだ。それでいて、それだけ空気が汚れているというところに、問題の根の深さを感じさせる。以前なら、「冬になると、寒くて石炭を燃やすから」とか言われてたが、今年に入って、もう季節も関係なくなってきた。

石炭を燃やすと、灰が出る。こればっかりは、仕方がない。日本の製鉄所の場合は、オーストラリアの良質な石炭を使っている上に、ムダなく使ってカスを出さない高度な技術があるけど、中国では、そうはいかない。そもそも、暖房で石炭を燃やすこと自体が問題なのだが、これも他に燃料がないから仕方がない。

影の世界政府がケムトレイルをまくまでもなく(笑)、地球の大気には汚染物質がバラまかれている。

石炭に変わるエネルギー源・・・と言ったら、まず思いつくのは原子力発電だけど、やはり事故が怖い。韓国だって、「山」と言えば「川」、「日本」と言えば「放射能」というくらい、いつも日本の放射能の話で盛り上がってるが、実際には韓国のほうが、福島より放射能が濃いらしい。韓国の原子力発電所は手抜き工事で欠陥だらけのため、止められてるのが多い。それが、深刻な電力不足の原因になっている。

日本も、全国で原子力発電所が止まってるおかげで、代わりに石油を大量に燃やすようになり、石油・天然ガスの輸入が大幅に増えている。福島の事故以来、日本の貿易赤字はすっかり定着した。

確かに、原発事故の被害は深刻だし、原子力発電が復活するのは難しいだろう。だだし、原子力発電をやらないのは別にいいんだけど、代わりに石油を燃やすのが良いことかと言えば、ちっとも良くはない。中国の石炭ほどじゃないとはいえ、やはり資源のムダ使いだし、大気汚染にもつながる。

このように、ひとつの問題に対処すると、別の問題が発生する。アチラを立てれば、コチラが立たず。それが世の中の常というもの。

中国の大気汚染がひどいのは知れ渡ってきたけど、その影に隠れて目立たないとはいえ、インドの大都市もひどいらしい。こればっかりは、急速な経済発展の副作用。それだけ人口が多いんだから、仕方がないと言える。

大気汚染対策の鍵を握るのは、なんといっても石油や石炭、特に、石炭を燃やさないことだ。でも、その代わりに原子力というのも、また難しい。

いよいよ人類は、代わりのエネルギー源を創り出すしかなくなったようだ・・・。もっとも、「新しいエネルギー源は、すでに開発されている」と言う人も少なくない。