宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

2012年は激変の年

2011年12月25日 | こっくり亭日記

2011年は、大変な年だった。日本の大地震と大津波、それによる原子力発電所の事故。そして、中東の独裁政権がバタバタと倒れ、今もシリアとイエメンがほぼ内戦状態だ。ギリシャを始めとするユーロ諸国の金融・財政危機が連続し、欧州経済が動揺している。最後は、北朝鮮の独裁者・金正日が死去した。
 
そんな2011年も年末となり、来年の予想が盛んに行われている。多くの人が、「今年以上に大荒れな展開」を予想している。

ロイターの記事は、「マヤ暦の終了にともない、2012年終末説が流行している」ことに言及しつつ、2012年は「さらに大荒れの展開になるだろう」と予想している。

2012年は、世界の大国の指導者が一斉に交代期を迎える。アメリカ・ロシア・フランスで大統領選挙が行われ、中国でも、胡錦濤から習近平への政権交代が予定されている。あの史上初の黒人大統領・オバマ政権が、早くも二期目の選挙を迎えるのだから、時の流れは早いものだ。

国際情勢ウォッチャーが注目しているのは、イランとイスラエルの対立だ。先日も、ミサイル開発が進むイランの基地でナゾの大爆発が起きて、「イスラエルの仕業ではないか?」と取り沙汰された。なにせ、過去にもイラク・シリア・レバノンに空軍機を送り込み、核開発中の施設を爆撃してきた「実績」のあるイスラエル政府だけに、今度はイランでそれをやっても不思議はないと見られている。記事によると、
 
>また、西側情報機関がイランの核兵器獲得は予想以上に早いと指摘するなか、一部専門家の間では、イスラエルが来年に対イラン軍事攻撃に踏み切るとの見方もある。

>政治リスクの調査を手掛けるコンサルティング会社ウィキストラットのチーフストラテジスト、トーマス・バーネット氏は「イスラエルによるイラン核施設への攻撃が大きなワイルドカードだ」と指摘。両国ともに一歩も引かない構えを見せている現在の状況は「恐ろしい」と述べた。

ただでさえ中東は危険地帯なのに、イランの核開発なんか、危なっかしくて仕方ない。今年こそは、イランも変わらざるを得ないだろう。

地球の裏側の状況もすごいけど、やはり気になるのは、日本と東アジアだ。
 
日本の国家予算は、ますます歯止めがきかない大赤字になっている。「日本国債が暴落する日」が、真剣に取り沙汰されるようになってきた。

個人的には、あんまり「国債が暴落する」と大騒ぎしないほうが良いのではないかと思う。金融マーケットでは、いろんな思惑を持った勢力がうごめいている。そりゃ、日本国債にカラ売りを仕掛けて、大儲けを企んでいる連中だっているだろう。それならそれで、ますます金融機関を始めとする国内の勢力が、ガンバッテ買い支えるしかない。そうすれば、外国で悪だくみしている連中は、思惑が外れて大損だ(笑)。

北朝鮮は、独裁者の死去で揺れに揺れている。毎日新聞の報道によると、首都・ピョンヤンでは、金正日の死去した日から、停電が続いているという。さぞかし、真っ暗で、静まり返っていることだろう。市場はすべて閉鎖され、商売がストップしている。

権力闘争のウワサは絶えないらしい。「三代目・金正恩に反対する軍部の勢力が、クーデターを起こそうとしている。背後には中国がいる」というウワサが流れているそうな。奇しくも、週刊現代の記事と一致する話だ(笑)。それによると、ヨーロッパに留学してきた三代目は、国際情勢をよく知っていて、北朝鮮の改革・開放を考えている。それに反対する、北朝鮮政府NO.2の大物・金永春を始めとする軍部の保守派が、中国政府の支持をバックに反乱を起こすのではないか・・・と言われているという。
 
その中国も、インフレと不動産バブルで社会が動揺している。中国ウォッチャーの意見は、例によって割れている。専門的なエコノミストには、「中国経済は、来年もそれなりの景気を維持するだろう」と、穏健な予想をする向きが多い。確かに、あれだけ勢いよく発展してきただけに、多少のスピードダウンがあっても、急には止まらないだろう・・・というのも分かる。一方、政治や社会を含めた、トータルな面から中国を見ているウォッチャーには、「中国崩壊論」を唱える人が多い。
 
筆者も、長いこと「中国崩壊論」を唱えてきただけに、なかなか崩壊しないのは残念だ(笑)。それはやっぱり、政府が必死で情報統制したり、内陸部の辺境地帯でせっせとおカネをバラまいて強引に内需拡大したり、長いこと無理を重ねて引っ張ってきたおかげ。でも、その分、矛盾が社会の内部に蓄積されているのも事実。

最近は、東南アジア諸国も中国の海洋侵略に激怒しており、中国離れが進んでいる。中東の独裁政権の崩壊だって、予想以上の急展開で世界中をビックリさせたのだ。来年こそは、そういう「ビックリ」が、東アジアに起きることを期待したい。
          
このような変化の結果、地球では、独裁国家や全体主義国家がほとんど消滅する。まさしく、驚くべき変容だ。それは、何千年もかけて激しい政治的闘争を繰り広げてきた地球人類にとって、初めての夜明けを意味する。「もう、戦争や革命は起きない」と、いよいよ本当に実感できる年になるだろう。
 

マヤの碑文には、本当はどう書かれているのか

2011年12月23日 | マヤ文明・アステカ文明
ナショナル・ジオグラフィック 
 
大変な1年となった2011年も、ようやく終わろうとしている。すでに、コルマン版のマヤ暦は、2011年10月28日に終了した。ただ、通常、「マヤ暦の終わり」と言えば、2012年12月21日を指している。ずいぶん先の話と思っていたが、あと一年と迫った。

もっとも、マヤ暦については、「2012年で終わっているらしい」という話が一人歩きし、それが終末論と結びついるだけだ。この話そのものは世界中に広がっているが、元ネタである古代マヤの碑文には、本当はどう書いてあるのか。それを知っている人は、実はあまりいないだろう。
 
マヤ暦について、ここで復習しておくと、
 
1.マヤ文明の「長期暦」は約5125年周期で、紀元前3114年から始まっている。2012年12月21日に周期の終わりに到達する。

2.長期暦の単位では約400年を「1バクトゥン」と数えており、12月21日に13バクトゥンが終了する。
 
・・・ということになる。ただし、ナショナル・ジオグラフィックの記事によると、マヤ暦はここで終了してしまうというより、十二支が、グルッと一巡したらまた「ネズミ年」に戻るのと同様、マヤ暦は13バクトゥンで一巡し、次のサイクルがまた始まる・・・ということらしい。いわく、
 
>メキシコ国立人類学歴史学研究所(INAH)のチアパス州担当責任者エミリアーノ・ギャラガ・ムリエタ氏によると、マヤ文明における長期暦の終わりは、新旧の周期の世代交代を表しているという。「中国の十二支と同様だ。今年が卯年で、来年が辰年、再来年はまた別の動物になる」。
 
専門家による調査・研究は、今も続いているようだ。
 
>13バクトゥンの終わりについて記述された史料はほとんど存在しない。大半のマヤ学者が根拠として挙げるのは、メキシコ、タバスコ州のトルトゥゲーロ遺跡にある「モニュメント6」の石板だ。
 
>しかし、碑文の象形文字は部分的に損傷しているため、正確な内容は不明である。研究者は何度か解読を試みてきた。最も有名なのはアメリカ、ブラウン大学のスティーブン・ヒューストン氏とテキサス大学オースティン校のデイビッド・スチュアート氏による1996年の試みだ。

>当初の解釈によると、13バクトゥンの終わりに神が降りてくる。その次に何が起きるかは不明だが、何らかの予言だった可能性があるという。「この解釈は、マヤ暦が人類滅亡を予言した証拠として、ニューエイジ思想のWebサイトやフォーラム、書籍などで盛んに取り上げられた」とスチュアート氏は説明する。
 
こうした専門家たちは、スピ系とは関係がない。アメリカの大学や、メキシコの国立研究機関などに所属する、普通の考古学者だ。彼らは、「2012年終末説」を否定している。マヤの碑文には、「2012年に世界が滅びるとは、どこにも書かれていない」ということらしい。当たり前といえば、当たり前・・・。
 
では、マヤの碑文には、本当はどう書いてあるのか。

>INAHのギャラガ氏によると、マヤ碑文の表現は回りくどい。文字どおりの直接的な読解に慣れた現代人は混乱してしまうという。モニュメント6の碑文で13バクトゥンの終わりに神が降臨すると書かれていても、世界の終末について述べているわけではないという。「マヤ人の文章は詩的センスにあふれている。2012年12月21日に、“神が降り立ち、新たな周期が始まる。古い世界は死に絶え、新たな世界に生まれ変わる…”という調子だ」。

>ボストン大学の考古学者ウィリアム・サトゥルノ氏も、「碑文で特定の日が言及されているのは確かだが、“これが世界の終末になる”、“世界が燃え尽きる”などの記述はない」と話す。

つまり、専門家の解読では、マヤ暦に記されている内容は、こういうことになるようだ。

「2012年12月21日に、神が降り立ち、新たな周期が始まる。古い世界は死に絶え、新たな世界に生まれ変わる」。
   
それが何を意味するのか。それは、古代マヤ人だけが知っている・・・(?)。 



↑「2012年」が書かれている石版、「トルトゥゲーロ遺跡のモニュメント6」 ※画像出典サイト

地球で生活するのがヘタ  2

2011年12月22日 | ある宇宙人の人生
 
大学卒業後は、大手金融機関に入った。よせばいいのに、妙なチャレンジ精神を発揮して、大きな苦労を背負いこむパターンはいつも一緒。
 
周囲の人は反対していたが、なぜか、「世の中の最前線で働かなければ」という気持ちが強く、何も考えていなかった。結局のところ、それは「地球をもっと知りたい」という衝動。たまたま遠くに旅行した人が、「あれもこれも全部、この機会に見ておこう」と欲張る心理と一緒だ(笑)。
 
今はどうか知らないが、当時は不良債権問題が火を噴いた時代。バリバリに地球的な人がやっても、ストレスで病気になる仕事だった。
 
周囲の金融マンたちは、朝早くから夜遅くまで会社で仕事をして、しかも家に帰ってからも仕事をしていた。一体、いつ寝ているのかという感じだ。勤務時間はトンデモなく長いのだが、それでいて、常に大急ぎでセカセカと、事務所を出たり入ったり、書類の山をひっくり返したりしている。そういう日々が、切れ目なく延々と続いていた。あんな人たちと同じだけの仕事をしていたのでは、時間がなくて、とても精神世界を探求しているヒマはない。筆者はしばしば寝坊して遅刻し、その上、帰るのも早かった。
 
現代人には、日常生活があまりに大変で、余裕のない人生を送っている人が多い。「精神世界どころではない」というのは、よく分かる。人類の意識進化のためには、この辺りが変わる必要もあるだろう。

筆者は、例によって、何をやってもヘタだった。失敗続きで、足し算・引き算がいつも間違っていた。これは何についても言えることなのだが、ヘタというより、好調なときと不調なときの波が激しかった。目の前の物質世界に意識をフォーカスできているときは「優秀だ」と言われるのだが、どうしても意識がどこかに飛んでいってしまうことが多く、それが長続きしない。

「とても勤まりそうにないので、ヤメます」という話をしたところ、「もうちょっとガンバってみようよ」と周囲から引き留められた。本当になじめない世界で大変だったけど、じっとガマンしているうちに、少しずつ慣れてきた。

何年かたち、周囲から、「以前はとても勤まりそうになかったけど、彼もだんだん使える奴になってきたな」と評価されるようになった頃、残念ながら無理なガマンの限界が来て、本当に退職してしまった。「何を考えてるのかサッパリ分からないけど、なぜか癒される人」という定評があっただけに、惜しい人を失ったと残念がる人が多かった。
 
トランスパーソナル心理学の巨匠ケン・ウィルバーは、ひと頃、あえて学究の道を捨て、いろんな職業について修業したらしい。ガソリンスタンドの店員、レストランの皿洗いを、特に長くやったようだ。

ウィルバーに倣ったわけではないが、筆者もサラリーマンの道を捨ててフリーターになった。

とりあえず、家電量販店の配送センターでバイトすることにした。倉庫に入ると、大きなトラックから、社員が電機製品の入った箱をテキパキと手際よく降ろし、積み重ねていた。マネして箱を積み重ねようとしてみると、なんと、重くて動かせない。社員は、軽々と持ち上げて積んでいる。「同じ人間なのに、これほど力が違うのか」と、ガク然とした。
 
「とても勤まりそうにないので、ヤメます」という話をしたところ、「もうちょっとガンバってみようよ」と周囲から引き留められた。何日か続けたところ、「箱の持ち上げ方にはコツがあるのだ」ということが分かってきた。毎日ものすごい筋肉痛で大変だったが、何週間かたった頃には、電機製品の箱を、なんとか持ち上げて積み重ねられるようになった。   
 
他にも、いろんな仕事をやってみた。最後は、野菜市場の仕事をした。夜中に市場に出勤して、電動車で走り回り、野菜や果物を仕入れて回る仕事だ。冬の朝は、真っ暗で凍りつくような寒さだったが、市場の中だけは昼間のように活気があって、電動車がひっきりなしに行き交い、トラックが出たり入ったりしていた。野菜が品薄なときは、先手必勝だから急がなければならない。やがて、配送ドライバーを兼務するようになった。夜が空けると車に積み、野菜をアチコチに配送して回った。
 
でも、睡眠不足には悩まされた。車で走っていても、信号待ちのたびに眠り込んでしまうので、後ろの車がビービーうるさくて仕方なかった。市場の中でも、居眠りして電動車でキャベツ箱の山に突っ込んでしまった。

「とても勤まりそうにないので、ヤメます」という話をしたところ、またしても、「もうちょっとガンバってみようよ」と周囲から引き留められた。

実際のところ、これは、どの職場でもよくあることだった。イマイチ役に立たないにもかかわらず、いざヤメようとすると、残念がる人が多かった。

なぜかと言えば、端的に言って、筆者がいなくなると、波動が悪くなるのである(笑)。ワンダラーたるもの、役に立つ必要はない。この荒んだ地球環境において、「波動調整装置」としての機能を果たしていればよいのだ。

いろんな世界をのぞいてみたけど、みんな大変だった。現代人の多くは、日常生活が大変で、ちっとも余裕がないことに変わりはなかった。皆が意識進化するためには、この辺りを変えていく必要があるだろう。
 
結局、スーツ姿のサラリーマンに戻ることになった。ワンクッション置いた後、コンサルティング会社に入社した。「コンサル星人」は、こうして誕生した・・・。

(続く)
 

地球で生活するのがヘタ

2011年12月22日 | ある宇宙人の人生
 
子どもの頃から、筆者は、地球で生活するのが明らかにヘタだった。

朝起きてから夜寝るまで、日常生活の隅々にいたるまで、何をやっても驚くほどヘタで、生活能力ゼロ。掃除とか、モノを持ち運んだりとか、食事とか、服を着たりとか・・・。何をやっても極端に不器用で、いつまでたっても普通にデキるようにならないので、「大丈夫か?」と言われた。でも、本人は至って平気。

スポーツが苦手だったのは、言うまでもない。走れない、泳げない。歩き方も変。小学校の体力テストや運動テストは、ほとんどすべて最下位。ボールを投げても前に飛ばず、飛んできたボールはひとつも捕球できないので、キャッチボールすらできなかった。サッカーボールを蹴っても、ほとんど前に飛ばず、少しコロコロ転がるだけ。

普通、そういう子どもはスポーツにコンプレックスを持ち、体育の授業が大嫌いになったりするものなのだが、筆者は別にそんなことなかった。試合の役には立たないのだが、走ったり、壁に向かってボールを投げたり蹴ったりの単純な練習を、ひたすら続けていた。鉄棒で回る練習も、何時間も続けた。
 
他人との比較など、いっさい気にしていなかった。というより、スポーツに限らず他のことも、たいてい同じくらいヘタだったから、それだけを特別に気にする理由がなかったのだ(笑)。生まれたばかりの赤ちゃんは、ほとんど動けなくて寝てばかりだけど、手足をバタバタ動かしたり、ゴロンと転がったりしてニッコリ喜ぶ。それと似たようなもので、まずは地球人の身体の使い方に慣れるのが目標だ。
  
おかげで、小学校高学年の頃には、「努力賞」の銅メダルをもらった。学校で一番スポーツの得意な子供が金メダルをもらい、二番目に得意な子供が銀メダルをもらい、筆者は、「ヘタだけど、妙にヤル気があるから」という理由で、銅メダルをもらった。 

算数とか数学も、なぜかデキなかった。といっても、理解できなくて困っていたわけではない。むしろ逆で、授業などで新しい概念が出てくると、理解するのは誰よりも早かった。でも、計算するとか、図を書くといった技術的な段階になると、驚くほどデキなかった。何度やっても、なぜか極めてヘタ。理解の早さとのギャップに、みんなビックリだ。でも、どうすることもできなかった。
 
アートは大好きで、1人で美術館に行って古今東西の傑作をしきりにチェックしていた。美術館のオジサンからも、「子供なのに偉いねえ。将来は、画家にでもなるのかい?」と感心された。だが実は、図画工作が極端な苦手科目で、体育よりもさらに苦手だった。絵とか、彫刻とか、木工細工とか・・・。すべてが余りにもヘタで、どうにもならなかった。

一事が万事、そんな調子。どの分野でも、やたらと関心を示し、理解するのは非常に早いのだが、実際にやってみると妙にヘタだった。
 
ただし唯一、圧倒的に得意なものがあった。国語と作文だ。これに関しては、「他のことでは幼児並みのレベルなのに、作文だけを見れば、大人が書いたみたい」と、誰からも感心されていた。それというのも、幼少の頃から精神世界マニアで、ワケのわからない思想書を読み慣れていたおかげ。書く文章も、読んでるものに自然と影響を受ける。こればっかりは、大きなアドバンテージと言えた(・・・ただし、字を書くのはヘタだった)。
  
でも、学校の成績は悪かった。国語と作文という特技のおかげで、なんとか進学できてはいたものの、学校の勉強は苦手だった。高校一年生のときは、学校の教師が「このままでは、お子さんはドコの大学にも入れません」と言うので、ショックで母親が泣き出してしまった。そこで、「あれ?・・・ボクってそんなに成績ワルいんだったっけ?」と思って成績表を見たところ、確かに悪かった(笑)。「現代国語」という科目にだけは及第点がついていたが、後はすべて落第点。下から、片手で数えられる順位の科目が多かった。
 
さすがにアセって、「このままじゃ、いかんな。ヨシ、なんとかするぞ!」と奮起した。意識が変われば、現実も変わるはず。友人に向かって、「オレは今日から変わる。今日からは、思いっきり奮起したのだ」と宣言した。しかし、友人たちの反応は、「また、奮起したのかよ。オマエは何回、奮起すれば気が済むんだ?」という冷ややかなものだった。確かにその通りで、そのときも奮起しただけで、結局、何もしなかった。
 
というのも当時の筆者は、アタマの中の観念世界が人一倍に発達していたため、常にいろんな考えに夢中だったのだ。イマジネーションの広がりが、地球の物質世界を遥かに超越していた(笑)。周囲の風景など、ほとんど見ておらず、毎日の通学路でさえ、ちっとも景色を覚えていない。学校の授業も、音声として耳に入ってはいたものの、大半が素通りしていた。
  
意識というのは、カメラと同じで、ピントを合わせなければ機能しない。地球の物質世界でうまく生きていくためには、目の前の現実にどれだけ意識をフォーカスできるかが重要だ。人によっては、それが長く続けられない。ウルトラマンのカラータイマー(・・・ちょっと古いか)と同じで、地球で活動できる時間が限られているのである。
  
そんな状態がさらに二年近くも続いた、ある日。高校三年生の夏頃のことだ。いつものように授業を聞きながら、とりとめのない考えやイメージを際限なく展開させていたところ、「成績が学校で一番になって、皆がビックリしている」というイメージが強く浮かんだ。一度ではなく、何度も繰り返し浮かんできた。そうしたら、2か月ほど後、本当に学校で一番になって、皆がビックリしてしまった。
  
友人からは、「なんで、急にアタマ良くなっちゃったんだよ~。オレは、バカな頃のオマエが好きだった・・・(泣)」と言われた。もちろん、急にアタマが良くなったわけではない。意識をフォーカスすることに、ようやく成功したのである。つまり、それまでの成績は、カメラで言えばピンボケ写真。ようやく、意識というカメラのピントを合わせ、鮮明な写真を撮ることができたのだ。
  
(続く)
 

泣き崩れる市民

2011年12月21日 | こっくり亭日記
 
独裁者の死去で、また北朝鮮が脚光を浴びている。誰もが驚くのは、「嘆き悲しみ、泣き崩れる市民」の姿だろう。ピョンヤン市内はもちろん、北京の空港で飛行機を待っている旅行者までが、空港で泣き崩れ、倒れこんで嘆き悲しんでいた。
 
初代の金日成が死去したときは、なんたって建国のカリスマ指導者なのだから、まだ分からないでもなかったのだが、今回は、大勢の国民を飢餓に追い込み、公開処刑で虐殺し、強制収容所でメチャクチャな目に合わせてきた二代目だ。「権力者には功罪がつきものだが、金正日に限っては、罪ばかりで功が見当たらない」とまで言われる人。「やっと、いなくなってくれたか」という、うれし涙なのか・・・と思いきや、異様なまでに嘆き悲しんでいる。「マインドコントロールとはこういうものなのかと、寒気がする」という声が続出している。
 
韓国の中央日報の報道によれば、これは世界各国の注目を集めている。
 
>19日に動画サイトのユーチューブに上げられた「North Koreans weeping hysterically over the death of Kim Jong-il」というタイトルの映像は、北朝鮮の朝鮮中央テレビが伝えた平壌市民らの姿を現わしている。AFP通信のある記者が上げたこの映像は、1日で照会数180万件を突破し、コメントが2万8000件以上つけられるなど各国のネットユーザーらの爆発的な反応を得ている。

>平壌市民は通りに出て来て金日成(キム・イルソン)の銅像前に立って涙を流した。制服姿の少年・少女らも大きな声で泣いた。カメラに収められた市民はだれもがひざまずいて地面を叩いた。平壌はそれこそ「涙の海」だった。朝鮮中央テレビは、「悲しみを熱気に変え、青年大将金正恩(キム・ジョンウン)同志にさらに仕えたい」という20代女性会社員のインタビューを放映した。

ところが、漏れ伝わってくる報道によれば、本音はやはり、相当に違うようだ。読売新聞の報道によれば、「泣き崩れている市民は、大半が演技だ」という。
  
> 韓国の脱北者団体「自由北韓運動連合」の朴相学(パクサンハク)代表は読売新聞の取材に、北部・両江道の住民と19日、電話で話したと明らかにした。この住民は「19日は朝10時頃から、総書記死去のうわさが広まっていた。公開処刑や餓死は金総書記の時代になってひどくなった。正直言って、やっと死んでくれたと思う。国営テレビで悲しむ住民らが映っているが、あれは大半が演技だ」と語ったという。住民らが陰で金正恩氏を「ガキ」と呼んでいることも明かした。
  
>他の韓国の脱北者団体の関係者によると、国境地帯に住む30代の露天商は「(外出禁止令が)恐ろしかったが、19日も午後に1時間ほど隠れて食糧を売った。表では(少なくとも)泣くふりをしないと連行されるから、皆泣いているが、本当は泣いていない者もいる」と携帯電話で伝えた。この関係者は「建国の父である金日成主席が死去した時は、みな地べたに座り込んで慟哭(どうこく)したものだ。庶民の心に以前では考えられない変化が起きたようだ」と話す。
  
泣かないと、どんな目に合うか分からないらしい。いやはや、北朝鮮の国民もご苦労なことだ。しかも、三代目の金正恩は、表向きは「青年大将」と呼ばれているが、カゲでは「ガキ」と言われているようだ。もはや、カリスマ性のカケラもない。いつまで、国民を抑えておけるか。
 
動揺する北朝鮮の体制。もはや、崩壊は秒読みだ。最後まで目が離せない、2011年の激変・・・。 
  

東アジアの夜明け

2011年12月19日 | こっくり亭日記
  
ついに、北朝鮮の二代目独裁者・金正日がこの世を去った。今までにも、死去説や危篤説がたびたび流れてきたが、今回は北朝鮮の国営テレビが報道しているのだから、まちがいあるまい。
 
独裁者は今までにも、ゼイタクし放題のせいか、健康に問題があることが知られていた。香港駐在歴が長い知人は、「金正日は、しばしば特別列車に乗って香港の病院まで治療に来ていた。現地では有名な話だった」と語っていた。
   
奇しくも、リビアの独裁者・カダフィと同じ年に生まれた金正日。30年近く前、2人がまだ40歳だった頃に、一度だけ会ったことがあるらしい。2人とも、同じ2011年に死んだ。まるで、「われら同年同月に死せん」と桃園で誓いあった、三国志の義兄弟みたい。熟しきった柿が落ちるように、独裁政権がバタバタ倒れた2011年を象徴する事実・・・。
  
シリアのアサド政権も、頻発する市民のデモに加えた血の弾圧で、国際社会から見放され、末期状態にある。ひょっとしたら、シリアと同様、北朝鮮も年内もたないかもしれない。まあ、それはあまりにも希望的観測だけど(笑)。それにしても、いよいよ危険な問題国家が総崩れになってきている。もはや、地球では独裁支配が成り立たなくなったんじゃなかろうか。
    
北朝鮮が崩壊したら、いよいよ環日本海文明圏が出現する。新潟や金沢を始めとする日本海側の都市が、一挙に活性化するだろう。北朝鮮は、意外と重要なのだ。資源も多い。
 
日本海沿岸の貿易が活発化すれば、がぜん脚光を浴びそうなのは、日本海に面した羅津港だろう。あの石原莞爾も満州への海の玄関として注目していた、冬でも凍らない天然の良港。中国とロシアにとっては、かけがえのない日本海への出口になっている。
 
ちょうど一年ほど前に、韓国の朝鮮日報が報道したところによると、中国軍は国境を流れる豆満江を越えて、ここに進駐したらしい。

>中国共産党系紙「環球時報」は、羅津港の借用は「日本海への通路を開拓するためである」と報道し、日本海への出口がない中国にとって大きな意味を持つと伝えていた。

もちろん、ロシアも黙っていない。極東ロシアと羅津港の間に鉄道を敷いて、がんばっている。。8月には、このような報道があった。 

>露、羅津港開発を本格化へ 北朝鮮進出の中国けん制

>羅津港開発はロシアを訪問中の金正日総書記とメドベージェフ大統領の会談でも議題になるとみられる。・・・開発への本格参入で中朝露3カ国の国境地帯という「微妙な地域」でインフラ整備の動きを加速する中国をけん制する狙いもあるようだ。
 
すでに、問題は北朝鮮にとどまらない。これは、日本海の陣取り合戦だ。綱引きは、とっくに始まっている。新しい東アジアへの夜明けに向けて、激変は始まったばかり・・・。
 


画像出典

すばらしい世界

2011年12月19日 | ワンダラー ~ 宇宙人の魂を持つ人々

 
かつて愛読した小説に、ヴォルテール(18世紀に一世を風靡したフランスの啓蒙思想家)の「カンディード」というのがある。これは、悲惨で不条理な世の中で、主人公たちがメチャクチャな苦労をするプロセスを、淡々とコミカルに(?)描く冒険小説。作中の至るところでヴォルテールは、同時代のドイツが生んだ「万能の天才」ことライプニッツの思想を皮肉っている。

ここでいうライプニッツの思想とは、「この世界は、神が創造した最良の世界なのだ」というもの。

これは、宗教につきまとう問題だろう。つまり、全知全能の神様が創造し給うたアリガタイ世界にしては、この地球環境はあまりにもデタラメで、ひどい。それはナゼなのか・・・ということ。「悪魔や、一部の悪い人間のせいだ」という考えが、まあ一般的なのだが、ライプニッツはそんなこと言わない。「この世界が最良なのだ」というのが結論。

それに対して、「こんな世界のどこが最良なんだよ?」と皮肉るのがヴォルテール。まさしく、悪魔のささやきだ。

大哲学者に限らず、これは一般人の会話にも登場する、人類普遍のテーマだろう。筆者も、友人から、「もしも神が存在するのなら、どうして世界はこんなに悲惨なんだ?」と言われたことがある。その疑問に対する筆者の答は明白だ。それは、「宇宙全体がヒドイところなのではない。地球がたまたまヒドイだけだ」というもの。
 
個人的には、地球が悪い環境なのは事実であり、無理に良いところだと思う必要はないのではないかと思う。それも、何者かが意図的に悪くしている・・・というわけではない。単に、もともと悪い環境なのだと考えている。
  
ただし、いつまでも悪い環境のままではない。これから、急速に良くなる可能性が、十分にある。
 
これは、世間の一般人には二重の意味で違和感がある。つまり、過去や現在の地球については、「もうちょっと前向きに考えてもいいんじゃないの?」と言われ、未来の地球については、逆に「楽観的すぎるのではないか」と言われる。
 
でも、これは、せっせと観察してきた上での結論だ。
 
むしろ、こんな地球環境を、無理して前向きに捉えようとするから、過剰なストレス社会になるのである。それより、「トンデモないところに来ちゃったな。我ながら、オツトメご苦労さん」というくらいの認識でちょうどいい。そうすれば、「刑期が終わるまでガマンして乗り切ろう」というような人生観になり、プレッシャーが軽くなる。
 
でも、そういうのはすべて、過去の地球の話だ。今後は大きく変わってくる。
 
というのも、地球人類の意識が、急速に進化しているからだ。もっとも、全員ではない。今のところ、人類の一部にとどまっている。
 


ワンダラーの人生は大変

2011年12月18日 | ある宇宙人の人生
   
地球環境で生きていくというのは、誰にとっても大変なことだ。もちろん、ワンダラーにとっては、特に大変だ。
  
ワンダラーというのは、地球に転生してきた宇宙人のこと。といっても、地球に生まれてきたのは、今回が初めてとは限らない。すでに地球で何回も転生している場合もある。

「地球人の魂は、大なり小なり、宇宙に起源を持っているのだ」と唱える人もいる。それはそれで、一理ある話であり、否定できるものではない。でも、筆者にはそう思えない。

なぜ、そういうのかと言えば、自分自身と、他人とを観察してきた結果だ。多くの人々は明らかに、生まれつき、地球で生きることに「慣れている」。もちろん、全員がそうなのではない。今まで観察してきた人々の中には、自分と同程度か、それ以上に、地球で生きることに「慣れていない」人もいた。
 
ワンダラーの多くは、地球生活になじもうと大変な努力をしてきた。でも、全員がそうではない。中には、地球に適応しようという気もない人だっている。
  
地球的な意識というのは、なろうと思ってなれるものではない。おそらく地球人類の大半は、地球の数十億年の歴史の中で、地球の生命と一緒に進化してきた、土着の意識なのだろうと筆者は推測している。つまり、鳥や獣として何千万年もの転生を重ねることによって、徐々に意識を発達させてきた結果、いまや人間の意識にまで至ったのだろうと考えている。
 
それは、多くの人間や動物を、せっせと観察してきた上での結論。というのも、動物たちは、いつも生きるのに必死だ。他の動物を捕まえて、鋭い爪や牙で引き裂き、ガツガツと食べる。無邪気で素朴だけど、野蛮で残酷だ。地球人類がさんざん引き起こしてきた、野蛮で残酷な殺し合いを見れば、やってることは変わらない。これを、あるがままに観察すれば、地球人類の意識はやはり、鳥や獣の意識から自然な形で発達してきたのであって、まだ意識進化の途上なのだということがよく分かる。
 
地球環境で生きるのは、本当に難しい。何もかも、「これは、違う」という感じだ。自分でそう思うだけでなく、子供の頃から、周囲の人々からも「ホントに宇宙人みたい」とよく言われてきた。家族にとっても、ナゾの人間だった。「今まで随分いろんな人間を見てきたが、その中に似たようなタイプが見つからない」というようなことを言われたことも多い。
 
なぜ、そう言われるのかと言えば、あまりにも地球で生活するのがヘタだからだ。
 
地球生活には不適応なのだが、別に人間関係が悪いわけではなく、むしろ「愛されるキャラクター」という定評があった。文章や弁舌の巧みさには定評があって、いわゆる「世渡りがヘタな人」というタイプとは異なる。ディープな精神世界マニアなのだが、その一方では、現実に対する観察眼に定評があり、むしろ世間の一般人がドン引きするほどドライな現実的発言も多い。
  
要するに、何が問題なのか、誰にも分からない。でも、誰が見ても、地球で生活するのは明らかにヘタだった(笑)。 
 
まあ、自分で振り返ってみても、「よく、ここまで無事に生きてこられたな」というのが率直な実感と言える。本当に、生きるのは大変なのだが、なんとかなっている。
 
学生時代の親しい友人たちが何人も、後に精神科の患者となり、筆者はお見舞いにいくのが大変だった。彼らにとって、地球で生きるのは大変すぎたようだ。いつまでたっても元気なのは、自分だけ。むしろ、「見るからに精神的に健康そうで、うらやましい」と人から言われることが多い。

その理由を、自分なりに、いろいろと考えてみたものだ。「精神世界マニアであることによって、心の支えがあるのかな?」と思ったというのも事実。というのも、彼らは、そうではなかったからだ。

以前、精神障害をわずらった友人の一人を訪問したところ、彼は安定剤を服用して安静にしていた。病気になったのは残念だが、こんな地球環境では仕方がない。あまりにも異常きわまりないストレス社会だ。一日も早く、こんな地球が変わるしかないだろう。

それはいいのだが、話が盛り上がったついでに、「宇宙からの転生者」の話をしたところ、友人はプッと吹き出した。「相変わらず、妙なことを考えているな」と笑われてしまった。

ここがまた不思議なところだ。精神世界に関心がない人は、筆者にとってナゾの存在。なぜ、興味が起きないのかが分からない。まあ、精神世界に興味があっても、「宇宙からの転生者」の存在を認めるとは限らないのだが・・・(笑)。

(続く)
 

歩く魚

2011年12月18日 | こっくり亭日記


ナショナル・ジオグラフィック
 
筆者にとって、「進化」は最も興味あるテーマのひとつだ。地球をもっとマシな環境にするためには、進化が欠かせない。今の人類では、もう限界だろう。人類が進化するとき、それは今・・・。
  
いまや、人類は宇宙に進出しようとしている。それは、しばしば、魚の陸上進出に例えられる。なぜ、宇宙に進出するのか。それは、そこに宇宙があるからだ。それが、新たなフロンティアを目指して常に進み続ける、生命の本能。
  
魚も、それは同じだろう。なぜ、海や川から上がって、陸地に進出したのか。それは、そこに陸地があったからだ・・・。
 
「魚が陸上に進出したこと」は、地球の進化の歴史の中でも最大級の事件のひとつ。ずっと海の中にいた生物は、なぜ、どうやって陸地に出て、四本の足で歩くようになったのか。これは大変な興味をそそるテーマで、日進月歩の研究成果が発表されている。
  
とはいっても、魚は、ある日突然に陸上進出したわけではない。実際には、陸地に上がる前から、何千万年もかけて準備を進めていた。現在もアフリカなどの各地に生息する肺魚(ハイギョ)こそ、その生きた実例。
    
ハイギョは、れっきとした水中生物なのだが、陸上生物と同じような肺を持っている(・・・普通の魚は、エラで水中呼吸している)。アフリカのハイギョは、雨季には川や湖などの水中で暮らしているが、雨が降らなくて水が干上がってしまう乾季には、泥の中で息をひそめて、ひっそりと生き延びることができる。また雨が降って水が増えてくれば、水中生活者に戻る。ただし、ときどき水面に顔を出して、息継ぎすることが欠かせない。
 
それだけではない。なんと、「ハイギョの一種はヒレで歩行する」という研究成果が報告された。記事によると、
 
>研究責任者でアメリカ、シカゴ大学の生物学者ヘザー・キング氏は、「足がないのに歩いた。これは驚きだよ」とメールでコメントを寄せた。 実験室のガラスの水槽でハイギョの動きを観察したところ、腹ビレを使ってガラス面を押したり、面に沿って移動したという。「ヒレを交互に入れ替える“歩行”や同時に動かす“跳躍”など、さまざまな歩き方をする」。

つまり、ハイギョは、ヒレを互い違いに動かして、水底を這うことができるというのだ。水底だけではなく、泥の中を這って進むこともできる。動物が、足を使って歩くのと一緒。

ハイギョについての、去年から今年にかけての研究成果には、いろいろなものがある。動物のような首があるハイギョ、指のあるハイギョ・・・といったものだ。

中でも不思議なのは、「指のある肺魚」だろう。3億5千万年以上も昔のハイギョの化石を調べたところ、ヒレの骨格に、人間の指と似た構造が発見された。ヒレの中の骨は、指のように分かれていた。なんのためなのか、理由は分からないのだが・・・。
    
>これに対し、シカゴ大学の進化生物学者、マイケル・コーツ氏は次のように話す。「今回の新発見は興味深いものだが、パンデリクティスのヒレにある指状の構造が私たち人間の指と同等のものだという考え方は十分に納得できるものではない。・・・(中略)・・・ただし、コーツ氏も、古代の魚類の中に、指、あるいは少なくとも指の祖先を持っていたものが存在していたはずだという点については同意している。「生物進化の過程において、無からなにかが突然生まれることはない」とコーツ氏は話す。

このような過去の地球の歴史を振り返れば、「進化」というものが、決して突然に起きるのではないということが、よく分かる。
  
見た目はパッと進化したように見えても、そのためには、必ず長い「準備期間」がある。魚が陸地に出るに当たっては、肺で呼吸し、ヒレで水底を歩く魚たちが、何千万年もかけてトレーニングを積んでいたのだ。
 
これを思えば、人類の意識進化も、突然に起きることではない。やっぱり、二千数百年前の、釈迦や老子やギリシャ哲学者たちが大挙して登場した頃から、長い時間をかけて準備が進められてきたのだろう・・・。
 

これからの精神世界

2011年12月16日 | 精神世界を語る
 
早いもので、もう2011年の終わりが近い。コルマン版のマヤ暦が終了して以来、「もうすぐ、通常(・・・アグエイアス版と言うべきか?)のマヤ暦も終わるんだな」というのを実感するようになった。何年か前まではずいぶん先のように思えていたのに、あっという間にすぐそこまで来ている。やはり、時間が加速しているというのは事実のようだ。
 
すでに統合意識に加わり、意識進化のラセン階段を急上昇中の人々が登場している。まだ気がついている人は少ないものの、重大な変化だ。この先、意識進化する人は増えていくだろう。でも、全員が次のステップに進むわけではない。今までどおりの地球的な意識を続ける人も大勢いる。

大昔、魚が陸地に上がって四本の足で這うようになり、進化して恐竜になったときも、そうだった。陸に上がる者たちがいる一方では、海に残って魚を続けた者たちもいた。「お前ら、陸に上がるのか。達者でな。俺たちは、海に残って魚を続けるぜ」というわけだ。海に残った魚たちも、魚なりに洗練されていった。ついには、マグロやカツオのような、魚としての進化の極点に到達する者たちも現れた。驚くべきスピードで泳ぐ、流線型のジェット潜水艦みたいな身体。まさしく、魚としての洗練の極みだ。寿司屋でも、高級魚として別格あつかいされている。

それと同じように、次の意識段階へのステップを進む人々もいれば、今までの地球人類のような意識を続ける人々も出てくるだろう。それは良い悪いの問題ではなく、進化というのは、そういうものなのだ。全員が一斉に変身を遂げるわけではない。今までになかった新しい者たちが登場して、幅が広がるようにできている。地球的な意識も、極めればネガティブ道で大成できるのだから、捨てたものではない。人それぞれのレールに乗って、新たな意識進化の旅が始まる・・・。

それにしても、この先、ポジティブな第四密度の世界に入っていく人々にとって、「精神世界」とはどういうものになるだろう?・・・というのが、以前から気になっている。第三密度の地球においては、精神世界は風変わりな趣味だった。精神世界マニアは、世間の一般人とは、ちょっと異質だった。
 
精神世界が嫌いという人に、嫌いな理由を聞いてみると、「オレは、現実逃避するヤツが嫌いなのだ」と言ってたことがあった。こればっかりは、価値観の違いとしか言いようがない。精神世界マニアにとっては、むしろ地球の日常生活に埋没して生きている方が、よほど真の「現実」から逃避して、心のスキマを仕事で埋めてるな・・・という風に映る。お葬式で、「死んだ人がカワイソウ」と泣いている人を見て、「本当にカワイソウなのは、これからも地球の物質世界で生きてく俺たちのことだろ?」と、ひっくり返った地球人の価値観にビックリするのと同じだ。
 
でも、統合意識へと移行しつつある人にとっては、「精神世界」というものの位置づけが、今までとは大きく変わるに違いない。もちろん、誰もが精神世界マニアになって、大ブームが起きるという未来も考えられる。でも、そうなるとは限らない。
 
というのも、今までは「精神世界」として語られてきた内容が、これからは当たり前になってしまうかもしれないからだ。
 
たとえば、ヴィパッサナー瞑想だ。ヴィパッサナー瞑想をやってるときのような意識状態で、いつも生きているのが普通になれば、「もう、学ぶ必要はなさそうだな?」ということにもなるだろう。
 
実際、多くのことが必要なくなっていく可能性は十分にある。まあ、それならそれで、またそれに代わる新たな奥義が登場してくるんだろうけど・・・。