宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

「エリア51」の実在を、アメリカ政府が公表

2013年08月28日 | UFO



ネヴァダ州の砂漠地帯のど真ん中にあるアメリカ軍の極秘研究プロジェクトの中心、グレーム・レイク基地こと「エリア51」。ナゾの存在が、ついにアメリカ政府によって公表された。

ここは、アメリカの映画やドラマにはよく出てくる人気スポット。なぜ、そんなに人気があるのかと言えば、高度な軍事機密に包まれた研究所だけに、「UFOを開発している」とか、そこまで行かなくても、「民間より20年ほど進んだ超ハイテクがある」といったウワサが絶えないからだ。

でも、最もポピュラーな説は、「ロズウェル事件で墜落したUFOから回収された、宇宙人の死体が保存されている」というもの。さらには、「マジェスティック12」(宇宙人を巡る、アメリカの機密保持と世界戦略を決定する、政府高官や科学者などから構成される組織)の本部になっている・・・(!)とか。話はふくらむ一方だ。

というのも、このあたりでは昔から、UFO目撃談が多い。「飛行機にはありえないほどの高さを、超高速で移動する発光体を見ました」とか、そういう目撃事件が絶えない。
 
アメリカ政府に対する情報公開請求がいまだに行われている。今回、エリア51の存在すら公式に認めていなかったアメリカ政府が、ついに公表に踏み切ったのは、世の中全体が情報公開の流れにあるからだろう。

「このような重要なアメリカの国家機密が明らかになるのは、いつも民主党政権の時に限られる」という話もあるけど、最近のスノーデン暴露証言を見る限り、国家機密や諜報活動に対するオバマ政権の姿勢は、ブッシュ前政権よりキツいとも言われ、ちょっと怪しくなってきた・・・。

このエリア51は、確かにナゾのスポットとして人気が出るだけのことはあって、「内部の機密保持体制がすごいことになっている」という話は漏れ伝わってきていた。技術者は、担当以外の部署を見せてもらえないし、どの出入り口もオートロックがかかっていて、移動するのにたくさんの鍵が必要。日常の行動も見張られている・・・といった証言が出ていた。

ただし、「宇宙人の解剖が、実際に行われているようだ」という証言は、今までのところ出ていない。


今回のアメリカ政府による公表で明らかになったのは、「ここは、冷戦時代に米政府が開発したU2型偵察機の試験場だった」ということ。

「U2」っていうと、かつて一世を風靡したバンド名を思い出す。だいぶ前のことになるが、某カラオケ・パブでよく会った外人は、いつもU2ばかり歌いまくっていた。筆者もよく一緒に歌ってたのだが、他の客は、誰もそれがU2だと知らず、シラケきっていた覚えがある・・・。

話が脱線したけど、そのU2型機というのは、やたら高いところを飛ぶのが特徴。「当時の民間航空機や、ほかの軍用機の飛行高度よりもはるかに高い6万フィート(約1万8300メートル)を超える高度で行われていた」という。

だから、そんな高いところを飛ぶ飛行機を見て、UFOを目撃したと思い込んだ人たちが続出したのである・・・というのが、この話のオチでした。

新聞その他には、ここまでしか書かれていない。普通に見れば、「なあんだ。UFOだと思ってたのは、実はU2だったのか~」で終わりそうな話だ。でも、ハピズムによると、


>しかしこれは、1955年4月からのことで、すでに今から60年も前の話だ。

>実際にU2型偵察機は1957年に正式採用されており、現在もかなり古い機体であるが、気象観測用のジェット機として使われている。また、軍用として使用されていた時には、旧ソ連に撃墜される事件なども起こしている。よって、その偵察機の試験場だけならば、とっくに役目を終わっているし、また、上記のように1960年、ソ連での撃墜事件以降は存在が知れているのであるから、「自然現象」などとして嘘をつく必要はなくなったのである。


というから、今回公開された情報は、ちょっと古すぎるみたいだ。言われてみれば確かに、「そんな古い話を持ち出すとは、なんだか怪しいな?」とも思える。

ロズウェル事件についても、「墜落したのはUFOではなく、気象観測用の気球だったのだ」という説明のために、アメリカ政府は1000ページを超えるものすごい資料をわざわざ作成したわけだけど、それで解決したとは思われていない。かえって、「なんで、わざわざ、そんな資料を作ってまで事態を収拾しようとしているのか?」と、意図を勘ぐられている。

今回の情報公開も、「長いこと秘密にしていたエリア51の存在を、アメリカ政府がついに公式に認めたことに意義がある」と受け止めている人がほとんどで、「ナゾが解明された」と考えている人は少ないようだ・・・。
  
(この件に関しては、情報を鋭意主集中。続く・・・) 画像はウィキペディアより
 

「いま、ここ」への意識集中

2013年08月26日 | 精神世界を語る

「いま、ここ」というのは、過去の悩みを捨て、未来への怖れを捨て、現在のみに生きること。しかも、自分が今いる、ここだけで生きること。

それだけで良い。それだけでも、十分に心境の変化が得られる。

でも、それよりさらに先がある。瞑想で雑念を排除し、集中力と観察力を強化して、意識を「いまここ」に集中するというステップだ。

これは、凸レンズで太陽光線を集めるようなもの。太陽光線を普通に受けただけでも、それなりに暖かくなったり、明るくなったりする。でも、より強力なパワーを生み出すためには、それを一点に集中させる必要がある。そうすると、白い紙も茶色くなり、やがて煙が立ち、メラメラと燃え始める。

それと同じように、意識の覚醒を目指すなら、単に考え方を改めて、心境が変わったというだけじゃ足りない。どうしても、「意識の集中」が必要だ。

これは別に、「考え方を変える」ことの意義を否定してるわけではない。それも十分に意義があるのは分かってるんだけど、これは、「それ以上を目指すなら・・・」という話。

坐禅にしても、本当の坐禅は、単に座って「無念無想、無念無想・・・」と心に唱えてるわけではない。本当は、居合抜きの剣術みたいな、真剣勝負の場なのだ。「幸せいっぱい、夢いっぱい」というような人より、精神的に追い込まれて、テンパってるような人に向いている。

そうやって、ギリギリと絞るように意識を集中していると、いつしか、それが心地よい自然状態になり、逆に超リラックス状態みたいになってくるから、不思議なものだ。

ハアハアと息も絶え絶えに走っていた長距離ランナーが、途中から急に気持ち良くなってくるという、「ランナーズ・ハイ」に似ている。

筆者は必ずしも、スピリチュアルひと筋な人ではない。よく船井会長が言ってるような、「私はスピ系の人ですが、こう見えても実は現実家なのです」というタイプとも違って、本当に、「他のテーマを語っているときは全然そう見えなかったのに、精神世界を語りだした途端、たちまちディープな精神世界マニアに変身したのでビックリ」というような、良くも悪くも、幅の広さを誇ってる人。

それも、他のテーマ(政治経済とか、芸能スポーツとか、その他なんでも・・・)と同じように、ごく当たり前のテーマのひとつとして精神世界を取り扱うのが特徴だ。

それは、幼少の頃からこの分野に慣れ親しみ、ほぼ全部の思想に一通り接してきたからでもある。だから、いまさら、「OO先生のお話を聞いて、人生観が変わりました・・・!」というようなことは、なかなか考えにくい。筆者にとって精神世界は、他の多くのテーマと同じく、特別なものではない、普通にリアルな話題のひとつになりきっている。

またまた話が脱線して、脱線のほうが長くなりかけてるけど(笑)、要するに、だから筆者は、「精神世界の探求が、意識におよぼす具体的な効果」を、とても重視している。

上に書いたような「気持ちの持ちようの変化」をあまり信用していないのは、そのせい。もちろん、それも十分に意義があるとは思うんだけど、本質的なところで意識の変化を起こすには、まだ効果が足りないと感じている。

いや、「足りない」というより、「時間がかかる」と言うべきか。気持ちの持ちようを変えただけでも、それをずっと継続することができれば、やっぱり、大きな変化が起きてくるでしょうな。

結局のところ、意識がアチコチに飛びやすく、心境の変化を長時間にわたって維持できないのが原因か・・・!?

いずれにしても、アートやスポーツと同様、精神世界にも、修練は重要だ。端的に言って、スポーツで肉体を修練するのと同様、精神を修練するのだ。それこそが、精神世界を探求する最大の意義・・・!!



究極の、「いま、ここ」状態

2013年08月23日 | 精神世界を語る
  
アメリカを代表する思想家、ケン・ウィルバーの語録に、印象的な言葉があった。
 
 
>戦争とは、大多数の人間が戦いのスリルを愛しているため起こる(男は戦い、女は戦いの栄光のために息子や夫をさし出す)。ヴァン・クレヴェルドの本は、「人間は戦いを嫌う」という概念をまず消し去ることから始めている。

>彼は言う。「歴史を通じて戦争の恐ろしさを語る人間がいるかと思えば、それと同じ数、戦争とは人間に与えられたあらゆる経験のなかで、もっとも素晴らしいものだと考える人間もいる。あまりに素晴らしいので、戦争から帰って一生そのときの経験を語り続け、孫を退屈させることになるのだ」。

>それはなぜか。彼は非常に鋭い洞察力を発揮して、こう言っている。「5感をすべて今、ここに集中させるために、戦闘は兵士に我を忘れさせるのである」。

>したがって、カプランは指摘している。「セルビアのチェトニク兵士、ソマリアの傭兵、ハイチのトントン・マクート(秘密警察)隊員、シェラレオネの兵隊たちと過ごした経験のあるものは言うだろう。西欧の体制が浸透せず、大規模な貧困があるところであれば、人々は暴力のなかに解放を見出すと」 。そして「人々が一定の経済、教育、文化的基準を持たなければ、この傾向は鎮静しない」 。  

(『進化の構造1』 P591)


人類の歴史は、戦争の歴史。

石をぶつけあったり、槍で突き刺しあったり、銃を撃ちあったり、爆弾を落としあったり・・・。百年、千年とハテしなく続く、血も凍る殺し合いの連続こそ、地球の歴史そのものだ。
 
地球人類ならではの、メチャクチャな殺し合い。そんな戦争が好きな人がいるとは、とても思えない。
 
それなのに、なぜ人類は、こんなに戦争をヤメないのか。もちろん、経済問題とか、国境問題とか、そのときどきで個別の事情がいろいろあるのは分かるんだけど、根本的に、どうして戦争がなくならないのか。

ヴァン・クレヴェルドという人に言わせれば、「人間とは戦争を嫌うものだ」という概念が、そもそも間違っているという。

なんと、戦争が、兵士たちにとっては一種の「至高体験」になっていたというのだ。


というのも、戦場は、文字通り、生きるか死ぬかの崖っぷちだ。すさまじい爆音や金属音とともに、ビュンビュン銃弾が飛んでくる。たとえ、目の前に敵がいなかったとしても、いつ伏兵や狙撃兵に襲われるか分からない。死は突然にやってくる。ビリビリとしびれるほどの緊張だ。そんな極限の緊張の中では、五感のすべてを集中させなきゃいけない。

「昨日の晩ご飯は、なに食べたっけな~?」みたいに、過去を振り返っている余裕などない。もちろん、将来設計など考えてるヒマもないだろう。とにかく、必死だ。この一瞬を生き延びることに、全身全霊を集中するしかない。

そんな極限の緊張状態こそ、「いま、ここ」の極致と言える。

これによる忘我の境地は、強烈な麻薬であり、覚せい剤であり、人によっては一種の至高体験になる。だから、兵士はそれが忘れられず、戦争をヤメられない。もしくは、戦場から帰ってきても、戦争の話ばかりするようになって、「お爺ちゃん、また戦争のお話~?」と孫から言われるハメになる。

「人間は戦争を嫌うものだ、という先入観を捨てよ」というのは、そういうこと。世の中の誰もが、自分と同じような戦争嫌いの平和愛好者だと思ったら、世界を見誤ることになる。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しよう」というのは、現在の世界では、まだ無理なのだ。「決意」するのは勝手だけど・・・(笑)。


それはともかく、究極の「いまここ」状態に入るために、わざわざ戦争するってわけにもいかない。
 
もちろん、そんなことしなくても、自分ひとりで極限状態に入ることは十分に可能だ。

こんな「極限状況パフォーマンス」は、そのお手本かもしれない。イヤでも、張り詰めた緊張を実感できるだろう。






 
画像元


まさしく、カミソリの刃のように鋭利な、「いま、ここ」の絶対境地に入れそうに思える。

これに類するものに、「座禅を組んだまま、崖から落ちる」という、インドの修行法が知られている。崖から落ちている瞬間に、究極の「いま、ここ」状態を体験し、そこでパッと意識が覚醒することがあるらしい。

実際に、今でもそれをやっている人はいて、「多数の死者や重傷者と、少数の覚醒者を生んでいる」と言われる。このパフォーマンスをやってる人も、おそらく、前世はそういうインドの修行者だったのだろう。

「いま、ここ」の境地は極めたいけど、筆者は別の道を進みたいものだ・・・。
 

中国も、もう経済成長しない国の仲間入り?

2013年08月22日 | こっくり亭日記
 
暑さも、やっと少し落ち着いてきた感じだ。でも、今日もものすごいゲリラ豪雨。新聞によると、今年は確かにゲリラ豪雨が多くて、東京では8月15日までに、昨年の6.4倍の77回も起きているという。それだけ、今年の夏の東京の雨がすさまじかったということだろう。特に、隅田川花火大会の日の豪雨は、これからも語り継がれるに違いない。

一方、中国の東部、とくに浙江省では記録的な少雨で、すっかり干上がっているという。西部の陝西省では、記録的な豪雨で大洪水が起きたばかり。これは世界的な傾向で、豪雨が降り続く地域と、カンカン照りが続く地域に二極化してきている。

中国といえば、金融危機が世界的に大きく騒がれている。

ゴールドマン・サックスが、「トップ・オブ・マインド(最大の関心事)」というレポートで、「中国の不動産バブル崩壊によって発生する不良債権の総額が、最大300兆円規模に達する可能性がある」という試算を発表して、動揺が広がっている。300兆円というのは、日本のバブル崩壊の3倍で、アメリカのリーマン・ショックと同じくらいの規模とされる。中国経済の規模からすれば、途方もなくデカい。歴史上、どの国も経験したことがないほどの強烈なバブル崩壊になる。

あれだけ新興国への投資を煽っていたゴールドマン・サックスまでが、変われば変わるものだ。

もちろん、中国では政府の力がとても強いから、「これからも当分の間、政府がなんとかするだろう」という見方も根強い。理屈はいろいろあるけど、要するに、「内陸部には、まだまだビルを建てる余地がある。政府がおカネを刷ってバラまき続ければ大丈夫」というわけだ。

一方、「これ以上、誰も住まない高層ビルや工業団地を作ってどうするのか。そろそろ限界だ」という声も聞こえてくる。「中国の住宅業界には、6400万人分の空室があり、街全体が丸ごとガラガラの空室というところもある」という推計もあった。

そんな中国の経済成長率は、今年、7.5%になると予想されている。7.5%だって、十分に高い成長率なのに、なぜ話題になるかというと、「中国では、国民の不満を、経済成長だけでそらしている状態だ。成長率8%以上を死守しなければ、国民の不満が爆発して体制がもたない」というのが定説になってきたからだ。この「8%ルール」(保八)を、ついに下回る・・・というのが、話題になる理由。

この成長率低下を、「中国経済の勢いが落ちてきた」とする人より、「中国政府は、成長率8%を維持するのを放棄した」と受け止める人が多いというのが、中国ならでは。それだけ政府のサジ加減しだいで、どうにでもなる国だったわけだけど、さすがに、これ以上の高度成長路線は、得るものより失うものが多くなってきた・・・と判断していることになる。

90年代に、「東南アジアの経済危機を事前に予測した」ことで名を上げたクルーグマン教授も、最近は「中国の高度成長の終焉」を唱えている。もちろん、高度成長が終わると言ったって、いきなりゼロ成長やマイナス成長になるというワケではなく、「今までみたいなのは無理」って話だけど、クルーグマン教授の論法はあのときとソックリだし、それに対する楽観論者の反論も、ほとんど中身が変わらない。「歴史は繰り返す」ということか・・・!?

クルーグマン教授の論法を一言で言えば、「もう、投入できるものは、投入し尽くした」ということになる。

というのも、農村にいる膨大な余剰人口が、都市に出てきて働けば、それだけで経済成長を生み出す効果がある。それが中国の経済成長の源泉だったわけだけど、そのネタが、もう尽きているらしい。

いまの中国には地方都市がたくさんあって、市民がものすごく多い。もう、農村から都市に人が出て行けば、農村で人手不足になってしまう時代。本当に、20~30年も超・高度成長を続ければ、世の中は驚くほど変わるもので、中国もそういう社会になってしまった。

それにしても、中国の高度成長が終わったら、どうなるのか。海外のメディアを見ても、経済がちっとも成長しないことを、「日本みたい」と呼ぶのが世界的に定着している。「中国も、日本みたいになるんじゃないか?」という話で、世界の新聞・インターネットがにぎわっている。

20年も前から、中国については、「ものすごい経済成長が続いて、超大国になる」という話と、「バブル経済が崩壊して、国家そのものがブッ壊れる」という両極端の話が多かったわけだけど、もうひとつの現実的な選択肢として、「中国も高度成長が終わって、日本みたいになる」というのがある。実際のところ、この3番目の見方が有力になってきた。

「日本みたいになる」といったって、「経済成長しなくなる」というだけの話であって、社会の安定感には天と地ほどの差があるだけに、静かに巡航速度に入れるかどうかは分からない。

筆者は、学生時代に「アジア経済論」というのをやってたくらい、長きに渡るこの方面のマニアで、子供の頃からずっと中国ウォッチャー(笑)。今の中国は、いよいよ本当にヤバそうというのが実感だ。
 
もはや、「世界経済を引っ張る機関車」、「唯一の希望の星」とまで言われてきた中国でさえも経済成長しないのなら、いよいよ、地球全体の経済規模が伸びない時代に入ろうとしていることになる。

まあ、地球の資源や環境には、限界がある。むやみに経済成長すると、地球そのものがパンクしかねないので、それが自然の摂理ってものなんじゃないか・・・!?
 

韓国企業の労働問題に思う

2013年08月21日 | こっくり亭日記
 
この頃、韓国といえば、あまり良い話を聞かない。もちろん、ハチャメチャな反日活動のおかげでイメージが悪化しているという面もある。でも、それにしたって、韓国から出てくるニュースに、良い話は見当たらない。

最近、話題になっているのは、ヒョンダイ自動車のストライキだ。いつものことだが、今年もすごい。

労働組合は、ボーナスと成果給を合わせて1人あたり870万円の支払を要求しているという。とても経営側が飲める要求ではないので、またしてもストに突入だ。

いまや「韓国で唯一の自動車メーカー」とされる独占企業のヒョンダイ自動車は、労働運動が激しいおかげで、休日や休憩時間がドンドン増える一方。同じグループでも、アメリカの工場が2台作る間に、韓国の工場では1台しか作れないほど、生産性に差があると言われている。

80年代には、「韓国人は、『あの日本人さえも上回る働き者』という評判の、世にも稀な民族なのだ。もうすぐ、日本を追い越して世界一の工業国になるのは時間の問題ニダ」というのが、韓国を語る上で欠かせない決まり文句だったのだが、それは例によって願望にすぎず、事実にはホド遠かった・・・。

今では逆に、「やたらと休憩を要求し、要求が通らないと怒り狂う、困った人たち」という評判が定着した観がある。実際に、韓国から撤退する企業の多くが、「労働問題」を理由に挙げている。

そんなこんなで、韓国では、経済成長率が1~2%にまで低下することが確実になってきた。もう、日本やドイツ・フランスその他と変わらない。これからは、日本以上のペースで少子高齢化が進み、人口も減っていく。いまや韓国は、完全に「一丁アガリ」の国。「経済がほとんど成長しない」という点にかけては、先進国と同じになってしまった。
 
この話は、「だから、韓国はダメなのだ」という文脈で語られることが多い。確かにそのとおりなんだけど、日本人の働きすぎを思えば、笑っていられない。見る角度を変えれば、見習うべきところもある。

日本の自動車工場は、筆者もバイトでやったことあるけど、本当にキツいのなんの。12時間で昼勤と夜勤が交代し、その間はずっと立ち仕事が続く。ベルトコンベヤーでどんどん回ってくるから、集中を切らすワケにいかない。ミスや遅延行為でラインを止めるのは、犯罪そのものだ。

特に、トヨタの工場の組み立てラインがキツいのは、バイト仲間の間でも有名だった。どんどん回ってくる部品に、ネジを入れるところが何箇所もあって、片っ端からネジ締めしてるうちに、また次のが回ってくる。そんな作業が延々と続く。

アチコチの工場で働いた経験のある同僚は、「トヨタの組み立てラインで働くのは、全力疾走を何時間も続けるようなものだ。あれが勤まるのは、体力的に20代前半くらいまでが限界だな」と語っていた。別のバイト仲間は、働き始めて、すぐ胃潰瘍になってしまったという。トヨタの工場を見学した韓国の労働組合員が、「これじゃ1年ももたない」と絶句したという話も知られている。

そんなトヨタの工場は、もはや人間の限界を超えてしまったせいか、オートメーション化を猛烈な勢いで進めている。

もちろん、トヨタの工場にもいろんな部署があり、全部がそこまでキツいわけではない。それに、業界他社も大なり小なり、似たようなものだ。別のバイト仲間は、「トラック工場は、そこまでスピードが速くはなかったけど、違う意味でキツかった。ひとつひとつの部品がデカくて重いから」と語っていた。

いずれにしても、全体的に、働きすぎなのは確実だ。確かに、そこが日本人のすごいところだし、世界に冠たる工業力の源泉なんだが・・・。


しかし、その一方で、韓国でもヒョンダイ自動車と並ぶ二大・独占企業のサムスン電子は、ブラジルの工場労働者を働かせすぎて訴えられてしまった。

ニュースによると、

>ブラジル労働省が韓国サムスンを提訴、現地従業員を酷使、請求額は1億ドル
 
>ブラジル政府は韓国のサムスン電子に対し、「現地工場の従業員を劣悪な環境下で働かせた」として、1億ドル(約97億円)の損害賠償を求める訴訟を起こした。

>ブラジル労働省は13日、同国アマゾナス州にあるサムスン工場が毎日、従業員に15時間労働を強制し、そのうち10時間は立ちっぱなしの作業をさせていたと明かした。また、連続27日間、休みを与えずに働かせていたという。

「連続27日間の15時間労働」とは、サムスンもムチャなことをしたものだ。ブラジルだけでやってるわけじゃないだろうから、おそらく世界中でこんな調子なんじゃないか。世界各国の世論調査で韓国のイメージが悪いのも、こういうところに一因があるのだろう。「世界のサムスン」の競争力を維持するのも、大変だ。

それにしても、世の中は、無理に無理を重ねて成り立っている。それを思うと、本ブログでいう「ほとんど働かない社会」というのは、まだまだ遠いように思える。でも、世の中というのは、変わるときには大きく変わるもの。夜明け前のヤミが一番暗いのだ・・・(笑)。
 

精神世界の2大派閥 ~ 「ニューエイジ」と「スピリチュアリズム」

2013年08月13日 | 精神世界を語る
  
ちょっと前のハピズムに、こんな記事が出ていた。

なんと、「精神世界の情報通」によると、「日本の精神世界を大まかに見ると、既成の新興宗教の影響だけでなく、欧米のスピリチュアリズムやニューエイジなどの影響を強く受けています。これらの世界観には本質的な差はないものの、実際のスピリチュアリストやニューエイジャーと呼ばれる人々の間には考え方や立場の違いがあり、そこには“派閥”らしき微妙な壁があり、ことあるごとに反発し合っています」・・・というのだ。

まあ確かに、新興宗教も、日本の精神世界のベースになってきたのは事実だろう。でも、それ以上に重要なのは、やはり、「ニューエイジ」と「スピリチュアリズム」という、2つの大きな流れ。この記事によれば、この2つはハッキリと異なる。

どう違うのかというと、スピリチュアリズムは英国風で、ニューエイジは米国風。スピリチュアリズムはキリスト教色が強く、ニューエイジは仏教色が強い。スピリチュアリズムは厳格で、ニューエイジは「ゆるい」・・・とか。
 
筆者のイメージでは、「スピリチュアリズム」と言われると、「シルバーバーチの霊訓」とか、「永遠の大道」とか、ああいう霊界通信モノの古典を真っ先に連想する。霊媒と、審神者や質問者・記録者がテーブルを囲んで、交霊会。良くも悪くも、マジメに霊界を探求するというタイプだろう。
 
一方、「ニューエイジ」というのは、アセンション系のチャネリングに代表される世界だ。アメリカ西海岸のヒッピー文化に強く影響を受け、「意識進化」とか、「地球が新しい時代を迎える」というのを、ことのほか重視している。ネット上のUFO情報とか、セラピーとかに飛びつくのは、ニューエイジ系の特徴だ。
 
うすうす感じてはいたけど、言われてみれば確かに、この2つは歴然と違っている。今までは、2つの用語をテキトーに混ぜて使っていた(笑)。

思うに、最大の違いは、主たる関心対象にあるんじゃないか。スピリチュアリズムの人が最も関心を持っているのは、「霊界」とか「あの世の霊」だ。それに対して、ニューエイジの人は、「宇宙」もしくは「宇宙人」を重視している。


問題は、この「ニューエイジ」系と「スピリチュアリズム」系が、一種の派閥となって対立しているということ。記事にいわく、

>「最近はやりの精神世界用語の一つ『アセンション』の解釈についても、この二者間でかなり意見が異なり、お互いに自分の意見が正しいと主張し合っている。ニューエイジャーの間では、『宇宙の波動が上がり、人々の意識も次元上昇。アセンション後には理想社会が訪れる』と極めて楽観的にとらえているのに対し、スピリチュアリストは、『アセンション情報をもたらしている霊的存在自体が高次元の霊とは断定できない』と懐疑的に見る者が多いのが特徴です」(精神世界の情報通)

そういえば、そういう違いはある。

日本における「スピリチュアリズム」の代表格は江原啓之氏だろうけど、その江原氏も、「アセンションは起きえない、そんな短期間に霊的進化することなどない、アセンションを信じている人には悪いが、自分の足元を見つめなおしてほしい」(「前世 人生を変える」)などと否定的に捉えているという。

「アセンション」は、ニューエイジ系の代表的な特徴のひとつだけど、精神世界関係者でありながら、「そんな考え方は邪道だ」というように強く否定する人がときどきいる。そういう人こそ、ここでいう「スピリチュアリズム」系統の人と言ってよい。江原啓之氏も、その一人だ。

とはいうものの、そんな江原氏だって、「このまま悔い改めなければ、地球人類は滅亡する」というようなことを、アチコチで述べている。筆者に言わせれば、これだって、広い意味では「アセンション」の一種なのだ。それはつまり、「人類が意識進化して、すばらしい未来が来る」という意味でのアセンションを否定しているだけで、「悔い改めなかった人類が滅亡する」という形でのアセンション、つまり、「ネガティブ版のアセンション」については肯定しているということ。実際、アセンションの話を耳にした世間の一般人には、「アセンションとは、もうすぐ人類が滅亡すること」と受け取った人が多かったのだから、どう違うのか分からないくらいだろう。
   
それにしても、この「ニューエイジ」と「スピリチュアリズム」という、精神世界の二大派閥。もともと、ニューエイジはアメリカ的で、スピリチュアリズムはイギリス的という、国際的な違いでもある。そういえば、江原啓之氏は、「本場のイギリスでスピリチュアリズムを学びました」という、バリバリの英国派だ。
 

この2つの基準で、本ブログを客観的に分類するならば、これはハッキリしている。ここは、間違いなく「ニューエイジ」系に入る。

アセンションや宇宙人は大好きだが、死後世界や心霊には関心が乏しい。多くのジャンルに手を出して、常に情報を求めている。仏教をはじめとする東洋思想に深く傾倒する一方で、キリスト教の位置づけは「古い時代の地球的な教え」といったところ。地球上の日常生活から離脱したがっている。「人類の意識進化」を、究極の目的として掲げている。

書いてる自分が言うのも変だけど、これらは皆、典型的なニューエイジ系の特徴ばかりだ。

このため、ここでいう「スピリチュアリズム」の系統の人たちとは、しばしば対立や軋轢が生じてきた。言われてみれば確かに、いま思うと、今までに論争になったり対立してきた人たちは、ことごとく「スピリチュアリズム」の色が濃い人たちばかりだ。確かに、この2つの「派閥争い」という見方は当たっている。

もちろん、この2つの分類は大まかなもので、その中間に無数のスタンスがある。本ブログの場合は、露骨にニューエイジ的で、スピリチュアリズムとは明確に距離を置いてるからスタンスが分かりやすいけど(笑)、そこまでハッキリしていないことも多い。大なり小なり、この2つの要素を併せ持っている人が少なくない。
 

またしても、「偏西風の蛇行」・・・異常な暑さと湿気の原因

2013年08月13日 | 異常気象
 
ますます暑い、2013年の8月。冗談抜きで、スチームサウナでさえ、これほどではない。気温が高いだけでなく、湿度がすごいの一言。世間では、エアコンが次々にブッ壊れて、電器屋さんは大忙しだ。

12日には、高知県の四万十(しまんと)市で41度を記録した。6年ぶりに、日本最高記録を更新だ。それにしても、41度って。病気で高熱になっても、ここまでにはならないほどの温度。四万十では、3日連続で40度を超えたという。川の中の鮎も、これにはビックリだろう。

昨日の豪雨もすごかった。この世の終わりみたいな調子で、雨が降ってくる。2~3日前には、東北地方で「いまだかつてないほどの豪雨」が宣言され、またしても大きな被害が出た。

「これじゃ、東南アジアより暑いんじゃないか?」とは、よく聞かれる冗談だけど、気象庁によると、今年はマジで東南アジアより暑いらしい。

専門家によると、この暑さの原因は、「偏西風の蛇行により、中国大陸のチベット高気圧が切り離されてきたから」ということになる。これが、夏の日本では昔からオナジミの「太平洋高気圧」の上空に、折り重なるようにドカッと居座っているという。

「偏西風の蛇行」というのは、文字通り、偏西風がヘビみたいにクネクネと曲がって吹いていること。その原因は、「ブロッキング現象」。というより、偏西風の蛇行が、ブロッキング現象の原因であるというべきか。要するに、この2つは表裏一体の関係にある。

この「ブロッキング現象」というのは、今の「日本上空のチベット高気圧」みたいに、熱い空気や、冷たい空気のカタマリが、何ヶ月も居座り続けることだ。

われわれの頭上には、「偏西風」が吹いている。これは、日本・中国やヨーロッパのような中緯度地帯で吹いている、地球規模の大気の流れ。常に西から東に向かって吹いている。

なぜ偏西風が起きるのかというと、地球の上空では、暑いところから寒いところに向かって、暖められた空気が常に移動している。だからといって、南から北に向かって風が吹くかと思いきや、そうはならない。理由は、地球が自転しているから。コマと同じで、真ん中の太いところ(赤道あたり)ではビュンビュン速く回ってるけど、先っぽの細いところ(北極あたり)では、ほとんど回っていない。そのせいで、空気の動きにもズレが生じる。西から東に向かって風が吹くのは、そのせい。
 
台風とか低気圧その他が、いつも西から東に向かって移動していくのも、偏西風のおかげ。ついでに、中国から黄砂や大気汚染が、日本に向かって流れてくるのも、偏西風のおかげ(泣)。
 
中国から流れてくる大気汚染のことを思えば、たまには風向きが変わってほしいものだと思う。中国人だって、たまには日本からキレイな空気が流れてきてほしいだろう。でも、そうはならない。こればっかりは、地球の自転が原因なだけに、季節も関係ないし、昼も夜も関係ないし、風向きが変わることはない・・・。


「そういうけど、ボクの周りでは、西風なんか吹いてないよ?」というかもしれない。ホンモノの偏西風というのは、頭上の遥か上を吹いているから、実感がないのもうなずける。雲の上では、偏西風がビュービュー吹き続けている。ジェット機なみに速いので、「ジェット気流」と呼ばれる。このジェット気流が、南に行ったり、北に行ったり、蛇行しているから困るのだ。北国が暑くなったり、南国が寒くなったりするのは、そのせい。

というのも、「常に西から吹き続けている」と言ったって、自然がやっていることだけに、本当は一定ではない。ところによっては、強まったり、弱まったり、南や北に方角がブレたりしている。地上には山もあれば谷もあり、海だってあるんだから、これは仕方ない。

いつもなら、ジェット気流が空気を動かして、ちゃんと西から東へ、グルリと大気が循環するようになっている。暑さや寒さも、空気と一緒に流れてく。それだけではない。低気圧も、風に乗って流れつつ、各地に雨を降らせていく。これが、地球規模の空調システム。それにしても、地球は、うまい具合にできているものだ。
 
ところが、ジェット気流が蛇行すると、とたんに空気の動きが悪くなってくる。川の流れが曲がりくねっていると、その間に土砂が積もって中洲ができてくるように、ジェット気流の大蛇行がしばらく続くと、その間に、動かない空気のカタマリができてくる。しまいには、巨大な空気のカタマリが、どっかりと居座って、動かなくなってしまう。こういうのが、「ブロッキング高気圧」。





ブロッキング現象が起きると、どうなるか。熱い気団や、冷たい気団がどっかりと居座ってしまうので、いつまでも暑さが続く地域と、なぜか寒さが続く地域に、くっきりと分かれることになる。

それだけではない。「ブロッキング高気圧」が立ちふさがっていると、普通なら西から東に流れていくはずの空気が、せき止められてしまう(ブロックされる)。本来なら、西から東に流れつつ、各地に雨を降らせていくはずの低気圧が、ここでせき止められてしまうので、集中豪雨の地域と、カンカン照りの地域に分かれてしまう。地球規模の空調不全だ。これは恐ろしい。
 

・・・とまあ、理屈をいえば、そういうことになる。アタマでは分かるんだけど、やっぱり、異常なことに変わりはない。

結局のところ、根本的な原因は、「地球がだんだん熱くなってきている」ということに尽きるだろう。猛暑や豪雨に悩まされる反面、「砂漠に雨が降ってきた」という、明るいニュースもある。

 
ここからは個人的な予想になるけど、これから先、ますます地球の気温は上がっていくだろう。でもって、蒸発した水分が地球の上空にタマって移動することにより、いままで雨が一滴も降らない砂漠だったところに、ゲリラ豪雨がザーザー降るようになる。その結果として、熱帯雨林が広がってくると予想する。

もちろん、逆に、いままでは草原だったところが、干からびて砂漠になってしまうこともあるだろう。そういう紆余曲折はあるだろうけど、全体としては、雨が多くなる方向に向かっていくはずだ。「暑くなれば、雨が降る」というのは、生活実感としても間違いない。

今は荒野が広がっている北アフリカやオーストラリアの大地も、ブラジルのアマゾン川流域みたいなジャングルに変わっていくことだろう。今までは凍てつく大地だったシベリアも、氷が溶けて草が生え、緑の沃野に変わっていく。
 
これは、「地球生命系のよみがえり」と言っても、オオゲサではない。この先、何十年か、何百年かは分からないが、地球は着実にこの方向に向かって進んでいくと思われる・・・。
 

温暖化で雨が降り、砂漠が緑化される地球

2013年08月08日 | こっくり亭日記
 


この頃しみじみ思うことは、「暑いと、雨が降るんだな」ということ。

一日中、暑かった日の夕方には、たいてい大雨が降る。理由は単純で、暑いと水分が蒸発するから。その蒸発した水分が、空気中にタマってくる。昼間の暑いときにタマった空気中の水蒸気が、夕方になって気温が下がると、水滴になって空から落ちてくる。

中学の理科に出てくる、「コップを氷で冷やすと、空気中の水蒸気が飽和して、コップに水滴がつきます」という原理だ。

気温が高いと、空気は、より多くの水蒸気を取り込むことができるようになる。つまり、暑くなると、空気中の水蒸気が増える。寒くなると、空気中の水蒸気が減る。

これが、一部で意外な効果を生んでいることが、数年前から注目されてきた。それは何かというと、「サハラ砂漠で、雨が降り始めた」ということ。

最近、サハラ砂漠の周辺は、ますます騒がしい。マリ共和国の内戦に、例によってフランス軍が介入した。アフリカは、昔からフランスの裏庭みたいなもの。何かといえば、フランス政府が軍隊を送り込んでくる。マリといえば、ウランの産出国でもある。フランスはもちろん、日本の原子力発電所も、ここから掘り出したウランで動いている。
 
大昔の黒人王国の古都・トンブクトゥーの貴重な遺跡も、内戦ですっかり破壊されているという。日本でいえば鎌倉時代の昔に、「中国までも見て回った」というアラブ人の世界旅行者イブン=バットゥータが訪れて、「アフリカ大陸の奥地にも、こんなに華麗なる都があったのか!!」とビックリしたことで有名な、アフリカの黒人文明が誇るべき文化遺産だ。

それが内戦で破壊されているとは、残念としか言いようがない。といっても、「遺跡に流れ弾が当たった」というわけではなく、現地の反乱軍が、せっせと旧市街の城壁その他をブチ壊しているらしい。「原住民にとってはメシの種にもならない黒人王国の遺跡を、欧米の白人がやたら重視して、保存しろ、保存しろと言ってくることに対する反発」が理由だとされている。それが本当なら、まったくワケがわからない理屈だ。失礼ながら、こういう論理を超えた歴史感覚を見ると、日本の近くの某・半島国民をつい連想してしまう(笑)。
 
またまた話が脱線したけど、サハラ砂漠といえば、「一本の草木すら生えない不毛の地」というイメージが強い。そんなサハラ砂漠の、マリ共和国あたりに代表される南の方の地域で、なんと、草が生え始めているというではないか。

何年か前のナショナル・ジオグラフィックの「サハラ砂漠、気候変動で緑化が進行か」という記事によると、


>地球温暖化はアフリカ大陸に砂漠化、干ばつ、そして絶望をもたらすといわれているが、実際の筋書きは大きく異なるのかもしれない。気温上昇によって、同大陸の最も乾燥した地域に住む人々の暮らしが豊かになるという研究結果が出たのだ。
 
>サハラ砂漠とその周辺地域は現在、降雨量の増加で緑化していることが確認されている。これが一時的な傾向でなければ、干ばつで苦しめられてきた地域に農村が復活することも考えられる。

>サハラ砂漠は約1万2000年前にも緑豊かなサバンナに変化したことがあるが、研究モデルではそのときの気候が再来し、砂漠が減少するという予測が立てられている。

>衛星画像によって、サハラ砂漠南縁部を3860キロにわたって東西に広がるサヘルという半乾燥地域に、緑化の兆しが見られることが確認された。



通常、地球温暖化すれば、砂漠化が進行すると思われている。でも、地球は広いのだ。「暑いから砂漠になる」という地域もあれば、「暑いから砂漠に雨が降り出した」という地域もあるということになる。

どうして、そういうことになるかというと、上に書いたような、「暑くなると、空気中の水蒸気が増える」というのが、その理由とされている。気温が上がると、海や地下水その他から蒸発した水分が、空気中にタップリと含まれるようになる。それが、やがて雨になって地上に降りてくる。

この記事を数年前に見たときは、まさしく、「事実は小説より奇なり」と思ったものだ。その後、この件に関する続報を見なかったけど、今年の4月には、“journal Nature Climate Change”ってとこが、「地球温暖化で、北極が緑化している」という研究結果を発表した。

記事(英文)によると、温暖化が進行して、シベリアのツンドラで氷が溶けている。そのおかげで、緑に包まれた草原がよみがえりつつあるという。これは、いずれ森林になっていくのか。「2050年までには、緑地になるだろう」という大胆な予想も出ている。


>30年ほど前には、ほとんど木が見られなかった。いまや、フィンランドから西シベリアにかけて広がるユーラシア・ツンドラ地域の10~15%が、高さ2メートル以上にもなる潅木に覆われているという。新たな研究成果が、それを明らかにした。


というから、かなり大幅な変動がすでに起きていることになる。

まあ、世界中で大雨・洪水が起きていることからしても、この話はがぜん、真実味を帯びてきたと言えるだろう。現に、今年の世界的な大雨だって、水枯れと砂漠化が心配されていた中国の黄河上流でも起きている。

とはいっても、地球環境にはいろんな影響がある。北極の氷が溶けて、海面や緑地になったら、氷が反射していた太陽光線が吸収されるようになって、ますます温暖化が加速するらしい。

サハラ砂漠の場合は、もっと気になることがある。それは、サハラ砂漠を越えてイタリアに吹き付ける熱風「シロッコ」が、この地域が森林になったら吹かなくなってしまうということ。どのくらい影響があるかは分からないが、「ヨーロッパはかなり寒冷化するだろう」とも言われる。

もちろん、緑化するったって、これから何十年もかかるだろうから、気の早すぎる話だけど・・・。でも、不毛な砂漠が緑地になったら、現地住民の意識も、大幅に変わることだろう。
 

「もはや、ノアの大洪水だ」 ~ 世界中で集中豪雨の2013年

2013年08月04日 | 異常気象


↑ボートで救助されるドイツ人 画像元



↑水没した中国・四川省の街



↑泥流に埋まるシヴァ神・・・インド 画像元
 
 
 
このところ、毎年そう言ってる気がするけど、今年もますます異常気象だ。年々、さらに異常さを増していく。

なんともすさまじい、ゲリラ豪雨の威力。この世の終わりのような勢いで、雷雨が頭上に降り注いでくる。ほとんど毎日そうなので、すっかり慣れっこになってしまった。ここ数日、東京では落ち着いてるけど、全国的には終わっていない。

7月27日には、山口県で「1時間あたり138.5mm」という集中豪雨が起きた。これは、半日もあれば、通常の1ヶ月分くらいの雨が降り尽くしてしまうほどのレベル。土壌が流出して、アチコチで線路が浮き上がっていた。何百棟もの住宅被害があり、死者も出ている。29日には石川県小松市、30日には新潟県長岡市でも記録的豪雨。

気象庁では去年から、「経験したことのないような大雨」という、新しい表現を使い始めた。これは、「数十年に一度」レベルの大雨になった場合にだけ使用する、最大級の警戒。今回は、山口県と島根県でこのレベルに達し、昼前に、気象庁から「記録的な大雨に関する情報」が発表された。

「経験したことのないような大雨」というのは、「その地域にずっと住んでいる人が、一生に一度しか出くわさないほどの大雨」という意味だという。「生まれたときから、ここにずっと住んでいるけど、こんな雨は初めてだ・・・!」という、空前絶後の大雨ということらしい。

これはあくまでも、それぞれの地域での話なので、これからも全国各地で「経験したことのないような大雨」の警報が出る可能性が十分にある。

それでも、東京は水不足だっていうんだから、ビックリだ。都内ではゲリラ豪雨が集中してるけど、首都圏の水ガメとなる北関東のダムには、水がないらしい。なんとも、皮肉なことだ。ゲリラ豪雨で降り注いだ水を、どこかに貯めておけないものか!?・・・と思うのが、人情というものだろう。


目を世界に転じると、大陸では、やはりスケールの違う異常さだ。ヨーロッパでは、ドナウ川流域が特にひどい。ボートで避難民が脱出する大洪水になっている。

気象庁の発表によれば、7月の中ごろから、中国の陝西省や四川省と、北朝鮮の大雨がすごいらしい。平年の3~4倍も降っているという。死者もだいぶ出ている模様だ。報道されているだけでも、四川省で68人、陝西省で27人の死者が出ている。

水枯れがしきりに伝えられる黄河も、久々に往年の姿を取り戻せるか?・・・とも思うけど、そんな生易しい話ではなさそうだ。もう少し穏やかに降ってくれさえすれば、それこそ「天の恵み」と感謝もされるとこなんだろうけど・・・。乾ききった大地に、いきなり集中豪雨が来て、何もかも流してしまう。残念ながら、きわめて荒っぽい。

陝西省といえば、黄土高原の世界。広大なユーラシア大陸から偏西風に乗って集まった細かい砂が、何百万年もかけて積もり、カチンコチンに固まってできた高原だ。

古代には森林に覆われ、東洋の農耕文明の発祥地となった。今は、木がほとんどなく、黄色い大地がむきだしになっている。カチコチに堅い泥岩を、掘って削って作ったホラ穴式の住居に、いまでも大勢の住民が暮らしている。岩といっても、もともと泥なので、集中豪雨がくると、堅いわりにはアッサリ溶けてしまうのが悩みの種。今回も、土壌流出の被害は相当に出ていることだろう。

6月から始まったインドの大雨も、すでに、ものすごい数の犠牲者を出している。インドの洪水では、1000人以上が死亡した。さらに6000人近くが行方不明で、この人たちも事実上の死者と認定されている。

「もはや、ノアの洪水だ」という声まで出ている・・・。