宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

不常不断の中道

2008年06月01日 | 釈迦 ~ 輪廻転生からの卒業

「不断不常の中道」

断見・常見から離れて縁起のままに生きる修行道のこと。

断見とは、人の一生はこの世限りであるとして、死後の世界を否定する考えであり、
常見とは、世界が永遠に不滅であり、人間が死んでも我という固定な実体が永続する
という考え方である。

それに対して、仏教では双方の固定化した考え方を否定して、
縁起によって自らも世界も現象しているものとしてみている。
 
 
ウィキダルマ 「中道」より
 


「人間は、死ねば無になる。人生は一度きり。死んだら何もかもオシマイだ」。
 
このような考え方を、「断見」(だんけん)と言います。


一方、「人間は、死んでも天国で再生する。何度も生まれ変わって、永遠に存続する」。

このような考え方を、「常見」(じょうけん)と言います。


この「断見・常見」の2つを、「両極端である」として排除する。

両極端から離れて、中道をゆく。

これを「不常不断の中道」と言います。


論争の舞台では、しばしば 「YESかNOか、二者択一で答えてください」という迫り方が見られる。

これに対して、「YESでもないし、NOでもない。 YESでないわけでもないし、NOでないわけでもない」というのが、仏教者の模範回答(笑)。

「YESかNOか。 答は2つに1つしかないはずだ」というような、物質界で刷り込まれた二元論的な思考から離れる。

両方とも、固定観念に過ぎない。 2つの極から離れ、中道をゆく。

そうすれば、他人との論争のタネは絶たれる。

それだけではない。

自分の葛藤のタネも絶たれる。

ようやく、精神の静寂が訪れる・・・。

ありがたや。

合掌・・・・・
 
 

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