人類にとって、大宇宙と並ぶ謎に満ちた存在。それが、脳だった。あれだけ医学や生物学が進歩した20世紀でさえ、脳については、専門家にも分からないことが多すぎた。最近になって、脳科学が急速に進歩してきている。ここで、「クオリア問題」がクローズアップされてきた。
でも、人間の感覚が「脳内現象である」ということは、昔の人でも、考えれば分かることだった。日常生活を普通に送ってる分には当たり前すぎて気づかないけど、じっくりと考えた結果、そこに気づいた人もいた。
17世紀イギリスの大哲学者、ジョン・ロックにとっては、すでに大きな問題だった。日本でいえば江戸時代だけど、先進国のイギリスやフランスでは、科学がかなり盛んになっていた。これは、そんな中から浮かび上がってきた問題。
とはいっても、さすがに、21世紀の脳科学なんか想像すらできない時代。ジョン・ロックの関心は、脳の仕組みにあるわけではなかった。観念論の研究者の富田恭彦氏によると、それは「粒子仮説」にあった。
いわく、この物質世界は、小さな粒子でできている。モノは粒子が集まったカタマリだし、空気中でも空気の粒子が飛んでいる。
たとえば、赤くて丸いリンゴを見ると、リンゴから粒子が飛んできて目に入り、神経を通って脳にまで達する。そうすると、脳の中で「赤い」という色が、パッと浮かぶ。それが、人間の認識のシステム。
「粒子仮説」といっても、まだ単なる仮説にすぎなくて、「原子」とか「分子」とか、そういう具体的なことが分かっていたわけではなかった。でも、そんな大昔の人でも、だいたいのことは分かってきていたのだ。
ジョン・ロックにとって、物体とは、小さな粒子が集まってできたカタマリ。大きさと形はあるけど、色はない・・・というものだった。色は、ハッキリ言って、人間の脳内現象。人間が、赤とか青とか、脳の中で色をつけることにより、カラフルな世界ができあがる。人間が、自分の意思でそうしているわけではない。物体から飛んできた粒子が、そういう脳内現象を引き起こすのです・・・ということになった。
つまり、「ボクには、赤くて丸いリンゴが見えている。でも、それは、本当は赤くない。丸いのは確かだけど、赤く見えるのは、ボクの脳内現象にすぎないのだ」ということ。
では、本当は、リンゴとはどういうものなのか。残念ながら、それは分からない。人間には、どうやっても赤くて丸いリンゴしか見えない。リンゴをどんなに見つめたところで、「私には、リンゴの真の姿が見えてきました」・・・なんてことは、決して起きない。「本当のリンゴ」は、人間には決して知りえない、永遠のナゾの向こう側にある神秘の存在。
おそらく、ジョン・ロックとしては、「最近の科学をもとに考えれば、こういうことになります」というような話がしたかったんだろう。でも、本人の意図を超えて、大きな波紋が広がってしまった。
「本当は、色だけでなく、大きさや形もないんだ。物質というものは、本来、ないのである。すべては、人間が心の中で作り出した世界なのだ」・・・という極端な説を唱える人(バークリ)も出てきた。
さっきのリンゴの話でいえば、「赤いかどうかも分からないってのに、『丸いのは確かなんだが』などと、どうして言えるのか。丸いかどうかだって、本当は分かんないだろ?」というのが、バークリの鋭いツッコミ。「形のあるものなら、灰色とか、セピア色とか、なんか色があるでしょうが。何も色のない形なんか、想像できるかいな?」というのが、その理由だった。まあ、光を通さないものなら「無色透明」ってことはないだろうから、この理屈にも一理ある(笑)。
これが本当なら、「赤い」という色だけでなく、「丸い」という形でさえも、脳内現象ということになる。こうなると、物質世界の中に、確かなものは何もない。
その一方では、「われわれ人間が見ている世界は、本当の現実世界と、同じではないのか?」というところにショックを受ける人も続出した。
完全なる理性を神から与えられたはずの人間とは、かくも不完全なものであったか。なんてこったい、トホホ。ここに対する、西洋人のコダワリはすさまじい。その後も、ながいこと哲学界を揺るがす大問題になってしまった。
18世紀ドイツの大哲学者・カントの時代になると、ジョン・ロックの頃のような「科学的な認識論」は、いつのまにか、どこかに行ってしまってた。そんなことより、「人間は、本当の世界を認識できない」という話が、すっかりメインテーマになっていた。
カントは、今までの話を、うまくまとめることに成功した。
カントにとって、「物質はない。すべては人間の意識が作り出した観念なのだ」という説(観念論)は、いくらなんでも言いすぎだった。物質が現実にあるのは、見れば分かること。それを「ない」ってのは無理でしょ、さすがに・・・というわけ。
でも、人間が見ている世界は、本当の物質世界とは違う。それもまた、確かなことだった。われわれが生きている世界が、人間の意識の中で作られた世界だというのは、やっぱり否定できない。
結論からいえば、人間は、本当の物質世界からいろんな情報を受け取り、それを意識の中で再構成して「現象」の世界を作り出している。人間に知ることができるのは、自分の意識の中の「現象」だけ。本当の物質世界には、残念ながら、決して到達できない・・・ということになった。
このカント説は、これまた、さまざまな反響を引き起こした。「もはや、信じられるものは何もない」と落ち込み、ウツ病になって自殺する人まで出る始末だった。
でも、見方を変えれば、これは、「この世界は、人間の意識が作り出している世界なのだ」という、前向きな(?)説でもある。人間の意識が、このバーチャル・リアリティみたいな世界を構成する主役に変身したのだ。まあ、「アナタが強く念じたことは、現実になります」というような話とは、ちょっと意味が違うけど・・・。
(つづく)