宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

クオリア その3 ~ 哲学者たちは、どう考えてきたか?

2016年02月26日 | こっくり亭日記

 

人類にとって、大宇宙と並ぶ謎に満ちた存在。それが、脳だった。あれだけ医学や生物学が進歩した20世紀でさえ、脳については、専門家にも分からないことが多すぎた。最近になって、脳科学が急速に進歩してきている。ここで、「クオリア問題」がクローズアップされてきた。

でも、人間の感覚が「脳内現象である」ということは、昔の人でも、考えれば分かることだった。日常生活を普通に送ってる分には当たり前すぎて気づかないけど、じっくりと考えた結果、そこに気づいた人もいた。

17世紀イギリスの大哲学者、ジョン・ロックにとっては、すでに大きな問題だった。日本でいえば江戸時代だけど、先進国のイギリスやフランスでは、科学がかなり盛んになっていた。これは、そんな中から浮かび上がってきた問題。

とはいっても、さすがに、21世紀の脳科学なんか想像すらできない時代。ジョン・ロックの関心は、脳の仕組みにあるわけではなかった。観念論の研究者の富田恭彦氏によると、それは「粒子仮説」にあった。

いわく、この物質世界は、小さな粒子でできている。モノは粒子が集まったカタマリだし、空気中でも空気の粒子が飛んでいる。

たとえば、赤くて丸いリンゴを見ると、リンゴから粒子が飛んできて目に入り、神経を通って脳にまで達する。そうすると、脳の中で「赤い」という色が、パッと浮かぶ。それが、人間の認識のシステム。

「粒子仮説」といっても、まだ単なる仮説にすぎなくて、「原子」とか「分子」とか、そういう具体的なことが分かっていたわけではなかった。でも、そんな大昔の人でも、だいたいのことは分かってきていたのだ。

ジョン・ロックにとって、物体とは、小さな粒子が集まってできたカタマリ。大きさと形はあるけど、色はない・・・というものだった。色は、ハッキリ言って、人間の脳内現象。人間が、赤とか青とか、脳の中で色をつけることにより、カラフルな世界ができあがる。人間が、自分の意思でそうしているわけではない。物体から飛んできた粒子が、そういう脳内現象を引き起こすのです・・・ということになった。

つまり、「ボクには、赤くて丸いリンゴが見えている。でも、それは、本当は赤くない。丸いのは確かだけど、赤く見えるのは、ボクの脳内現象にすぎないのだ」ということ。

では、本当は、リンゴとはどういうものなのか。残念ながら、それは分からない。人間には、どうやっても赤くて丸いリンゴしか見えない。リンゴをどんなに見つめたところで、「私には、リンゴの真の姿が見えてきました」・・・なんてことは、決して起きない。「本当のリンゴ」は、人間には決して知りえない、永遠のナゾの向こう側にある神秘の存在。

 おそらく、ジョン・ロックとしては、「最近の科学をもとに考えれば、こういうことになります」というような話がしたかったんだろう。でも、本人の意図を超えて、大きな波紋が広がってしまった。

「本当は、色だけでなく、大きさや形もないんだ。物質というものは、本来、ないのである。すべては、人間が心の中で作り出した世界なのだ」・・・という極端な説を唱える人(バークリ)も出てきた。

さっきのリンゴの話でいえば、「赤いかどうかも分からないってのに、『丸いのは確かなんだが』などと、どうして言えるのか。丸いかどうかだって、本当は分かんないだろ?」というのが、バークリの鋭いツッコミ。「形のあるものなら、灰色とか、セピア色とか、なんか色があるでしょうが。何も色のない形なんか、想像できるかいな?」というのが、その理由だった。まあ、光を通さないものなら「無色透明」ってことはないだろうから、この理屈にも一理ある(笑)。

これが本当なら、「赤い」という色だけでなく、「丸い」という形でさえも、脳内現象ということになる。こうなると、物質世界の中に、確かなものは何もない。

その一方では、「われわれ人間が見ている世界は、本当の現実世界と、同じではないのか?」というところにショックを受ける人も続出した。

完全なる理性を神から与えられたはずの人間とは、かくも不完全なものであったか。なんてこったい、トホホ。ここに対する、西洋人のコダワリはすさまじい。その後も、ながいこと哲学界を揺るがす大問題になってしまった。

18世紀ドイツの大哲学者・カントの時代になると、ジョン・ロックの頃のような「科学的な認識論」は、いつのまにか、どこかに行ってしまってた。そんなことより、「人間は、本当の世界を認識できない」という話が、すっかりメインテーマになっていた。

カントは、今までの話を、うまくまとめることに成功した。

カントにとって、「物質はない。すべては人間の意識が作り出した観念なのだ」という説(観念論)は、いくらなんでも言いすぎだった。物質が現実にあるのは、見れば分かること。それを「ない」ってのは無理でしょ、さすがに・・・というわけ。

でも、人間が見ている世界は、本当の物質世界とは違う。それもまた、確かなことだった。われわれが生きている世界が、人間の意識の中で作られた世界だというのは、やっぱり否定できない。

結論からいえば、人間は、本当の物質世界からいろんな情報を受け取り、それを意識の中で再構成して「現象」の世界を作り出している。人間に知ることができるのは、自分の意識の中の「現象」だけ。本当の物質世界には、残念ながら、決して到達できない・・・ということになった。

このカント説は、これまた、さまざまな反響を引き起こした。「もはや、信じられるものは何もない」と落ち込み、ウツ病になって自殺する人まで出る始末だった。

でも、見方を変えれば、これは、「この世界は、人間の意識が作り出している世界なのだ」という、前向きな(?)説でもある。人間の意識が、このバーチャル・リアリティみたいな世界を構成する主役に変身したのだ。まあ、「アナタが強く念じたことは、現実になります」というような話とは、ちょっと意味が違うけど・・・。

(つづく)


クオリア その2

2016年02月24日 | こっくり亭日記

 

天気のいいときは、空は青く見える。何も考えなければ、それは当たり前に思える。でも、よく考えると、ちっとも当たり前ではない。それは、疑問の泥沼にハマって抜け出せなくほど不思議なことだったりする。

 太陽は、真っ暗な大宇宙の中で光り輝いている。太陽からは、われわれ地上の人類に光がさんさんと降り注がれている。なんとも、ありがたいことだ。

 でも、太陽の光にはもともと、とくに色がない。宇宙空間を通ってくるときの太陽光線は、無色透明な光。それが、地球の大気圏に入った途端に変わる。ここで、波長の長い光は、わりとスンナリ地球の空気を通り抜けて、地上の人類にまで届く。ところが、波長の短い光は、地球の空気の分子とアチコチぶつかりあって、散乱する。

 地上から人間が見上げると、天空で散乱する光が目に入ってくる。その光の情報が、神経を通って脳まで届く。そうすると、摩訶不思議にも、「青」という色が脳の中にパッと浮かぶのである。

 これを普通に考えるならば、「空が青いから、青く見えるんだろ?」ということになるんだけど、現実はそうでない。人間の脳は、波長が短い光を「青い」と感じ、波長が長い光を「赤い」と感じるようにできている。ただ、それだけの話。

 早い話が、地球の人間には、地球の空は「青く」見えるようになっているのである。人間に合わせて空の色が決まっているのか、それとも、空に合わせて人間の目ができているのか、それは分からないんだけど、とにかく、地球人類の目と脳は、地球の空が「青く」見えるようにできている。

 犬や猫は、人間ほど目が良くない。というより、正確には、脳の画像処理機能が人間ほど高度に発達していない。だから、たぶん、犬や猫には、この地球の物質世界が、人間ほどカラフルには見えてない。もっと、モノトーンに近い世界に見えていると思われる。それを思うと、ちょっとかわいそう。でも、その代り、耳と鼻は信じられないほど鋭い。

 鳥は、逆に目がいい。人間には見えない、紫外線も見える。人間にとって紫外線は、日焼けしたのを見て「ああ、紫外線がキツかったみたいだな」と分かるという程度で、目には見えない存在。でも、鳥には紫外線が見えるので、人間とは世界がかなり違って見えていることだろう。おそらく、鳥にとっては、紫外線が「青」に見えている。ほかの色は、ちょっとずつ「赤」のほうにシフトしてるんじゃないか? それはつまり、人間にとって「緑色」に見えるものが、鳥には「黄色」に見えているのかも・・・とか、そういうこと。

 ここで疑問の泥沼にハマる要素は、2つある。もっとも、そんな泥沼にハマるのは、ちょっと変わった人だけで、世間の一般人にはないかもしれないが・・・。

 ひとつは、「ボクの目には、地球の空は青く見える。でも、本当にそうなんだろうか? ボクには青く見えるだけで、本当は青くないんじゃないかな?」という疑問。

 もうひとつは、「ボクには、地球の空は青く見えている。でも、君にとっても同じなのかな?」という疑問。

 空の代わりに、よく使われる「リンゴ」のたとえでいくと、こういうことになる。

 1.ボクの目の前には、リンゴがある。ボクの脳内には、「赤くて丸いリンゴ」という像が見えている。でも、それは本当に、目の前にある本物のリンゴと同じものなんだろうか?

 2.ボクには、「赤くて丸いリンゴ」が見えている。君にも、きっと見えているはずだ。でも、ボクに見えているリンゴと、君に見えているリンゴは、本当に同じなんだろうか? 

 ・・・というような疑問が起きてくる。実際に、色盲の人には色がちょっと違って見えているんだから、ボクが見ているリンゴと、君が見ているリンゴが、微妙にズレていても全然おかしくない。

 ここでナゾなのは、その空の青とか、リンゴの赤とかが、あまりにもリアルで、鮮やかで生々しいこと。とても、錯覚とか幻覚とか、「脳内現象」には思えない。それはまさに、本物であり、真実としか思えない迫力を持っている。

 ここが、なんといっても「クオリア」の一番不思議なところだろう。

(つづく)

 


クオリア

2016年02月22日 | こっくり亭日記

「クオリア」という言葉は、元・脳科学者でいまは科学評論家(?)の茂木健一郎氏のおかげで、ここ数年はすっかり有名になった。これは、たとえば「リンゴが赤く見える」というときの、「赤い」というような、脳が生み出すリアルな感覚のこと。

西洋哲学には大昔からある言葉で、例によって、最初に言い出したのは「聖アウグスティヌス」だそうな。でも、大昔の哲学者が使ってたのとは異なり、現在は「脳科学の用語」として知られている。つまり、脳の研究が進むにつれて、人間なら誰もが持つ「感覚」が脚光を浴びてきた。

 それはともかく、クオリアがなぜ問題になっているのかというと、「不思議だから」の一言に尽きる。

 たとえば、「リンゴが赤く見える」という例をとってみると、それ自体は、何の変哲もない当たり前なことに思える。ところが、「これが、何で赤く見えるんだろう?」というのを疑い始めたら、たちまち分からなくなり、疑問の泥沼にハマってしまう。

 というのも、リンゴは、光を反射している。その反射した光が、人間の目に入って、視神経を通って脳に届く。そこで、脳に「赤い」という色がパッと浮かぶ。人間の認識は、そんな風にできている。

 ここで、「赤い」という色が最初に発生するのは、どこなのか。最初に、リンゴが光を反射したときなのか。それとも、光が空気中を通ってくるときなのか。それとも、光が目に届いたときなのか。

  実のところ、そのどれでもない。なんと、「人間の脳の中」というのが正解なのである。

 たとえてみれば、テレビみたいなものだ。テレビ局から、電波が飛んでくる。テレビは、その電波をキャッチして、映像を映し出す。電波そのものには、何の色もない。それは、単なる無色透明な情報だ。それをもとに、青とか赤とか黄色とか・・・色とりどりな色彩が映し出されるのは、液晶のおかげ。同じ青い色でも、画像設定を変えることによって、微妙に色味が変わってくる。それ以前に、テレビの性能によっても変わってくる。

 人間の脳も、実際にはテレビと変わらない。それは、空気中から電波を受け取って、それをもとに、心の中で映像を映し出しているだけ。何も考えず、普通に暮らしている分には、そこに気づくことはまずない。それが、あまりにも自然なことに感じられるからだ。でも、よく考えてみると、この赤とか青その他の色は、「ボクの脳が、ボクの心の中で映し出している映像なんだな」ということが分かる。

  人間の脳の中には、「赤・青・黄色・・・」のスイッチがあって、そこに特定の波長の光が入ると、「スイッチオン」の状態になって、そこに「色が見える」という仕組みになっている。

 でも、その「特定の波長の光」というのが問題だ。そこには単に、「波長が長いか、短いか」という違いがあるだけ。光には、もともと色なんか無いのである。色とりどりな色彩感は、人間の脳の中で起きる、脳内現象でしかない。

 これは、人間が生きるために必要な機能なのだ。というのも、木にミカンがなっているとする。このミカンが反射した光を受け取って、人間は「青い」と認識する。経験的に、「青い」ミカンは、食べると酸っぱい。人間は、「まだ食べるには早いみたいだな?」と判断する。やがて、ミカンが反射する光は、「黄色」に変わってくる。それは、やっと、人間にとって甘くておいしいミカンになったということを意味している。

 この「酸っぱい」とか「甘い」というのが、これまた、人間の脳内現象。クエン酸も、果糖も、それ自体には味がない。あくまでも、人間の舌を通って脳に到達したとき、「酸っぱい」とか「甘い」という、脳の中のスイッチが押されて、そこで感覚が生じる。

  高い音や、低い音も、人間の脳の中で鳴っているだけ。たとえば、救急車がサイレンを鳴らしたとしても、人間の耳に入るまでは、それは単なる空気振動でしかない。人間の耳が空気振動をキャッチして、それを脳に伝えたとき初めて、脳の中に「ピーポーピーポー」という音が鳴り始める。それまでは、何の音でもない。

 いずれにしても、感覚が発生するのは、脳の中。これは、視覚だろうと聴覚だろうと、触覚だろうと、全部一緒。そこは変わらない。

 リンゴが赤く見えるのは、人間の脳の中の問題だってことは分かった。では、「リンゴは、本当はどういう色をしてるのでしょうか?」という疑問が、ここで生じる。

  本当は、リンゴは別に赤くなんかなくて、人間に赤く見えるだけなのかもしれない。本当のリンゴが、青だろうが白黒だろうが、人間にとって「赤く見える」ことに変わりはない。

 本当は、リンゴには色はないのかもしれない。人間が、脳の中で「赤い」という色づけをしているだけという可能性は高い。いずれにしても、本当のリンゴがどういうものなのか、人間には決して知ることができないのである。

  思うに、この物質世界というのは、おそらく、本当は無色透明なのではないか。それも「透き通るような純白」とかじゃなくて、なんとも味気ない、セピア色のくすんだ世界というのが、この物質世界の真実の姿なんだろう。それを人間が、脳の中で色とりどりに着色して、カラフルで華やかな世界にしている。なんとも、不思議なことだ・・・。

  (つづく)

 


不老不死は実現するか?

2016年02月07日 | こっくり亭日記

 

これからの時代は、科学技術の進歩によって人間の寿命が飛躍的に伸びる。それは、今までの人間的な常識がほとんど通用しないほどの大変化。今までの常識で、「定年」だとか、「老後」だとか、「寿命」だとか・・・を考えないほうがよい。

これからは、100歳になっても150歳になっても、自分のやりたいことを元気に続けられる。60歳で老け込んだ人が、80歳で若返って再生し、100歳で青年実業家になる。

・・・と筆者は、ネットでもリアルでも、ずっと主張し続けてきた。20年前は、「そんなバカな」という反応が多かったけど、10年前くらいから「ひょっとしたら、そうかもね」という人がチラホラ出てきた。

最近は、これに賛同する人が増えてきた。筆者のような未来予想マニアだけでなく、世間の一般人にも、医学や生命工学の驚くべき進歩がだんだん知れ渡ってきたのだ。

というより、最近は、科学の進歩が急加速してきた。というのも、20世紀と21世紀の境目に起きた「IT革命」のおかげで、処理できるデータの量が天文学的に増えた。これが、地球人類の思考と計算の限界を超えて、科学技術の進歩を劇的に加速した。このため、今までの常識では考えられなかったようなことが、いよいよ実現しつつあるのである。ひところ、「SF映画とかで、21世紀の世界はものすごく変わるだろうと言われていたのに、実際には20世紀とたいした違いないね」とよく言われていたものだったが、それも、2010年頃までの話。これからは急速に、SF映画そのものみたいな世界が実現に向かう。

これは、「銀河系の中心から創造主の光が降り注ぎ、地球が変容します」というような話とは、ちょっと違う。もちろん、ここは精神世界ブログなので、そういう話も扱っているんだけど、それとこれとは別の話題。

最近、時価総額で世界一になった最先端企業のグーグルには、不老不死をニュービジネスとして本気で取り組んでいる人たちがいる。カーツワイル氏もその一人だし、創業者のセルゲイ・ブリン氏みずから、「死を治す」と公言している。グーグル以外でも多い。有名なところでは、「(死を不可避であるとする世間の一般人の考えが)理解不能である」と言う、ラリー・エルソン氏もいる。

実のところ、筆者は、ここに一種の危機感を覚えている。トンデモない話をすることでは世間に定評のあるわれわれ精神世界マニアが、なんと、そのトンデモ度において、IT技術者やベンチャー起業家に先を越されつつあるのだ。このままではいけない。もっと、「不老不死」をテーマとして真剣に取り上げなければならない。

「現在注目されている6つの不老不死技術」というGIGAZINEの記事によると (抜粋)、

 > 「人間の寿命は500歳まで伸ばすことが可能である」。巨額の資金を有するグーグルの投資部門がそう発表したというニュースをお伝えしたが、その続編となる。

> では実際に今、どんな不老不死の技術が注目されているのか?大富豪やIT企業はどの研究に巨万の富を投じているのか?開発が進められている6つの不老不死のテクニックを見ていくことにしよう。

 >1. DNAの書き換え

>グーグル傘下のカリフォルニア・ライフ・カンパニーのシンシア・ケニオン女史は、遺伝子工学によって、通常の10倍の寿命を持つ回虫を作り上げた。これはdaf-2という遺伝子の働きを部分的に停止させることで実現された。面白いことに、100歳まで生きる人は、この遺伝子が突然変異を起こしていることが多い。ケニオン女史は「これがいつの日か若さの泉となる」ことを信じている。

>2. ナノロボット

>グーグルの技術部門のディレクター、レイ・カーツワイル氏によれば、2030年までには無数の超小型ロボットが登場するという。このナノロボットを含んだ錠剤を飲むと、血流に乗って人体に行き渡り、内部から補い始める。(以下略)

> 3. ペトリ皿の永遠の生命

幹細胞を使った可能性を追求するのは、カナダの大富豪ピーター・ナイガード氏だ。幹細胞は様々な人体繊維へと変化するため、劣化した細胞や器官のスペアとなる可能性がある。ナイガード氏は、年に4度ペトリ皿で培養した自分の幹細胞を注射している。

>4. 新たな血液の研究

新鮮で若い血液こそが長生きの秘訣と考える者もいる。マウスの実験では、若いマウスの血漿によって年老いたマウスの精神活動が回復することが証明された。これは元々は並体結合という手法で実現したことだ。その手法では、年老いたマウスと若く健康なマウスの脇腹を縫い合わせ、年老いたネズミを健康にし、反対に若いネズミの老化を進ませている。スタンフォード大学の実験では、アルツハイマー病患者が若い人から輸血を受けると、類似した効果が得られることが判明した。

>5. クローン技術

>(中略) 科学者が既に実現しているのは、3Dプリンターで腎臓や肝臓を作り出すことだ。死にかけた人がいれば、新しい臓器が”食塩冷水蘇生法(cold saline resuscitation)と呼ばれる手法で移植される。

>6. 半人間、半機械

>ロシアの大富豪ドミトリー・イツコフ氏は、人間の脳とその意識を機械の”アバター”に移植するプロジェクトに巨額の資産を投じている。彼の予定では1万年間多様な趣味を堪能するのだとか。グーグルのフューチャリスト、レイ・カーツワイル氏も「不死は手に届くところにある」と確信する1人で、2045年までにはコンピューターに意識をアップロードできるようになると予測している。

 

・・・というわけで、本気の研究がいまも進んでいる。

これに関して、いろんな意見がある。「不老不死は、自然の摂理に反する。人間は、死ぬときには死ぬべきだ」というような、自然主義的な意見も多い。たしかに、それにも一理ある。個人的には、まったくそう思えないんだが 。

ていうか、そもそも、「地球人の寿命は短すぎる」というのが筆者の意見。五百年や千年くらい生きて勉強しなければ、本当に成熟した賢者にならない気がするんだが・・・。広い宇宙には、千年も生きる宇宙人が普通に存在している。宇宙人が深遠な叡智を持っているのは、そこに大きな理由がある。根拠はないけど、それを断言する (笑)。

まあ、もちろん、それだけが理由ではない。筆者は老荘思想や道教の影響も強く受けており、実は 「人里離れた桃源郷で、不老長生になる」というのが理想なのだ。なんと、21世紀の科学技術がそれを実現しつつあるのだから、事実は小説よりも奇なり、珍なり、摩訶不思議なり・・・。