あるがままを、あるがままに見る。
物事をそのまま見ればいいんだから、本来は簡単なはず。それが、難しい。出来そうで、出来ない・・・。
なぜ、難しいのか。それは、あるがままに見ることを阻む、強力な無意識の障壁があるから。
「過去の記憶」が、そのひとつ。
「ああだった、こうだった」という過去の記憶。それが、「ああである、こうである」という、先入観に変わる。
人は誰しも、「先入観」というメガネを通して物事を見ている。だから、あるがままに見ることができない。
このことに、自覚症状はない。曲がったメガネを通してモノを見れば、自然に曲がって見えるのと同じ。慣れてくると、それが普通に思える。
先入観の最たるモノは、カルト宗教の教義(宗教的ドグマ)でしょう。これに取り憑かれた人とは、もはや通常の会話を成り立たせることすら難しい・・・。
でも、クリシュナムルティによれば、あるがままに見ることを阻む障壁は、過去の記憶だけではありません。
「未来への希望」も、それに加わります。
「ああなりたい、こうなりたい」という、意志。「ああなってほしい、こうなってほしい」という、願望。それが混ざると、「あるがままを、あるがままに見る」ことからは遠ざかってしまう。
「覚醒」についても例外ではない。
「明日こそ、覚醒しよう」と思っただけでダメなんだそうだ。
「いま、この瞬間に覚醒する」でないといけないらしい。
というのも、「時間」は物質界特有の観念。この観念を持ち込んだ途端、物質界の破壊的な混沌が、精神の領域にもたらされる。それは、破壊的な作用をもたらす。
長年の地球暮らしで刷り込まれた 「時間」の観念から解放され、強烈に「今」を感じる。
過去も未来もない。
強烈な、「今」の現存。
精神にとっては、「この瞬間」 しかない。永遠に・・・。