今回の参議院選挙では、ブラック企業も話題になった。
ブラック企業の代表格として、ユニクロとともに常に名前が挙がるワタミの渡部美樹社長が比例区で立候補し、見事に当選したからだ。一方、共産党の候補は、ブラック企業への批判を展開し、ワタミ候補を攻撃していた。
実際のところ、従業員に破天荒なプレッシャーをかけて、メチャクチャに働かせる会社は珍しくないし、それはユニクロとワタミに限らない。
筆者がかつて勤めてた会社も、「俺は一日3~4時間しか寝てない」とか、「一週間、忙しくて一度も昼メシを食べられなかった」というような、武勇伝を語るモーレツ社員が多かった。人によって、それを自慢げに語る人もいれば、吐き捨てるように語る人もいて、それぞれに思いはあるようだったが。
日本の社会には、もともと、労働を美徳とする倫理観がある。それが日本経済を発展させた原動力ではあるものの、それがブラック企業を生む土壌になってきたのも事実だ。こういうのは、経営者の一存でデキることじゃあない。やっぱり、社員の側にも、そういう土壌があるからデキること。
古代ギリシャではスパルタ、近代ヨーロッパではプロイセンに代表されるように、世の中のすべてが軍事を中心に回っている、真の軍事国家は戦争に強かった。スパルタでは、男も女も国民皆兵で、子供の頃から軍事教練ばかりやっていた。プロイセンでは、「軍隊とは、プロイセンのすべて。ここは、軍隊つきの国家ではない。国家つきの軍隊なのだ」と言われた。そんな国と戦争して、普通の国が勝てるはずもない。それと同じように、世の中のすべてが仕事中心にできている日本で、経済が発展したのは当たり前。
その点、フランスの労働者は、一日3時間しか働かないと言われている。あるアメリカの大手タイヤメーカーの経営者は、「フランスの会社を買収しませんか?」という話を持ちかけられて即座に断り、その理由に「フランスの労働者は、一日3時間しか働かないから」と言った。
勤務時間は一日8時間なのだが、労働者たちはその半分以上、ノンビリ昼休みだそうな。それに対して、経営者が文句を言ったところ、労働組合から「それがフランスの働き方なのだ」と言われた。それ以来、「二度とフランスの会社を買収するものか」と、経営者は固く決意したのだという。
でも、日本のモーレツ社員みたいに、一日18時間も働いたりしていれば、日常生活の中に、仕事以外の要素はほとんどなくなる。完全なる仕事人生だ。これじゃ、意識の覚醒にはホド遠い。
理想としては、やはり、仕事は一日3~4時間くらいにして、人生における仕事の比重を減らすべきだろう。もちろん、「そんなんじゃ足りない。俺はもっと仕事したいんだ」という人もいるだろうから、そういう人は仕事人生を選べばよい。そうならなければ、「選択の自由」とは言えないだろう。
スペインでは、若者の失業率が50%に達していると言われるようになって久しい。つまり、労働者の人数に比べて、仕事が半分しかないわけだ。これなら、労働時間を半分に減らしたところで、何の問題もない。
日本では、仕事こそ人生だという考え方が根強い。世の中が、生産することにばかり熱心で、消費を後回しにしているのだから、構造的なデフレ体質になるのは仕方がない。もっと余暇を増やし、政府がせっせとお金を刷って配ったほうが、これからは経済が伸びるだろう。
ただし、一日3時間しか働かない人ばかりだと、プロフェッショナルな仕事をできる人が少なくて、社会全体が劣化する恐れがある。
お金のために働く必要が本当にない社会になったら、人々は趣味に生きることになる。その結果、古代の貴族社会と同じで文化は発達するかもしれないが、社会を維持するのに必要な、地味な生産活動やサービス業では確実に人手が不足することだろう。
その場合、大半の仕事はコンピュータやロボットが代替するようになっていく。どこまで代替できるかが、この新しい社会システムの鍵を握っている。
ただ、お金のために働く必要が本当になければ、それだけで不要になる仕事は多い。というのも、世の中の仕事の多くは、広告とか営業とか、需要を喚起するための活動に向けられている。また、金融を初めとして、お金そのものを取り扱う仕事も多い。お金が必要なければ、ついでにそれも要らなくなる。
貨幣廃止論者の人たちに言わせれば、ボランティア活動が、それらに取って代わる。つまり、貨幣のない社会では、人は他者への奉仕に生きるようになり、ボランティア活動によって世の中は維持されるというのだ。
それは確かに、理想像ではある。近い将来に実現するとは思えないが、だんだん、世界はそういうボランティア社会に向かっていくだろう。
でも、ユニクロの安い服には、ずっとお世話になっている(笑)。ワタミも、確かに安くて美味しく、店員は熱心だ・・・。