宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

インドの聖者

2016年04月11日 | 精神世界を語る

   

「インドの聖者」と聞いて誰を思い浮かべるかは、人それぞれだろう。筆者の場合は真っ先に「クリシュナムルティ」だけど、クリシュナムルティの場合は、どっちかっていったらイギリスとかアメリカで活躍した人。

歴史上の人物としては、「釈迦」と「シャンカラ」が二大巨頭だろう。ただし、インドは歴史の国じゃないので、正確な歴史が誰にも分からない。2人とも、なかば伝説的な人物に近い・・・。

現代で、多くの人が「これこそインドの聖者の筆頭」と思う人物といえば、なんといっても、シュリー・ラマナ・マハルシなんじゃないか。他にも聖者が多い中で、ラマナ・マハルシを別格あつかいする人は少なくない。

精神世界系で屈指のアクセス数を誇る某有名ブログでは、ラマナ・マハルシを「千年に一人の人物。この人を超える人は出ていません」とまで持ち上げている。それをそのままウノミにはできないまでも、それくらい、インドでも傑出した人物ということだろう。

以前、ブログを読んだ人たちが、「インドの聖者」について親切にもいろいろと教えてくれたことがある。今でこそ、精神世界全般に通じている筆者だけど(笑)、実際のところ、ブログや掲示板をやってきたおかげで得た情報は多い。この「インドの聖者」関連の話もそのひとつ。他にも、「ダンテスダイジ」とか、「ヴィパッサナー瞑想」とか・・・。どれも、ここでその道のプロから聞くまでは知らなかった。

それはともかく、「ボクも、インドの聖者の本を読んでみよう」とは思ったものの、いろいろあるから迷ってしまった。どこから始めるのがベストなのかと言えば、やはり、基本はラマナ・マハルシ。

でも、もちろん、ラマナ・マハルシしかいないわけではない。まず、弟子として有名な「覚醒の炎」のプンジャジがいる。もっとも、「覚醒の炎」は現在、日本語訳が絶版になっている様子。こういうのは、どうしてもマニア向けの本なので、価格が高い上にすぐ絶版になる。だから、ますます読まれない・・・。

さらに、その弟子として有名になったのは、アメリカ人女性のガンガジ。こちらは、「ポケットの中のダイヤモンド」という名著で知られる。この本には、あの「現代のスピリチュアル・リーダー」こと、エックハルト・トールが序文を付けている。

エックハルト・トールは、このラマナ・マハルシからガンガジに至る系統に、強い影響を受けている。この系統は、「アドヴァイタ派」と呼ばれる。インド思想4大学派のひとつだ。4大学派といっても、ひとつはこの「アドヴァイタ派」で、もうひとつは「ドヴァイタ派」、あとの2つも「なんとかドヴァイタ派」とかいう名前。違いはまったく分からないし、おそらく、あまり違いはないんじゃなかろうか(笑)。

誰もが古代インド最大の哲学者・シャンカラの思想をそのまま受け継いでいて、基本的には同じなので、どれか一つを読めばよいと思われる。最も親しみやすいのは、ガンガジの「ポケットの中のダイヤモンド」。逆にダントツで読みにくいのは、シャンカラの古典。ちなみに、この中で筆者が以前から読んでたのは、シャンカラだけなのだが・・・。

といっても、インドは歴史の国ではない。もちろん歴史がないわけじゃなくて、実際にはものすごい悠久の歴史があるんだけど、当のインド人が興味なかったもんだから、歴史に意味がない。だから欧州や中国と違って、インドの場合は、思想の歴史をたどることにも、あまり意味がない。

そもそも、真理を外部の世界に求めて探し回っても報われない。真理は、自分の心の内側にある。

異口同音にそう言ってた人たちの本を、片っ端から読み漁る。それこそ、矛盾というものだろう。「思考を止めようと考える」というのに通じる、根本的な矛盾。

それはともかく、ラマナ・マハルシの系統の外にいる人で、マハルシに勝るとも劣らない名声を博しているのは、二サルガダッタ・マハラジ。

ラマナ・マハルシと、二サルガダッタ・マハラジでは、どっちがより高い位置付けになっているのかというと、「マハルシを超える人物などいない」という信奉者もいれば、「マハラジしか読まない」という人もいる。どちらとも言えないとはいうものの、ややマハルシが優勢か(笑)。

そして、マハラジの弟子として有名なのは、ラメッシ・バルセカールという人。あと、セイラー・ボブって人も有名。

これくらいの予備知識があれば、この分野に入っていける・・・。

(つづく)

 


量子力学 その5 ~ 電子雲

2016年04月07日 | 精神世界を語る

量子力学のおかげで何が分かったのかといえば、まずは何よりも、「原子の構造」が分かった。

というのも、それまでは原子といえば、「原子核のまわりを電子が回っている」という図が定番だった。まるで、太陽のまわりを地球が回っているみたい。

でも、量子力学のおかげで、この図は修正された。どうなったかというと、「原子核のまわりを電子の雲がとりまいている」という図に変わった。

 

電子は、誰も見ていないところでは波動になって広がる。原子核のまわりでは、ボワーッと雲のように広がっている。

まるで、1個の梅干しと、1粒のコメでできている仮想オニギリみたい。見た目は、数えきれないほどのおコメでできたオニギリに見える。でも、食べてみると、あら不思議。じつは、梅干しと1粒のコメでした・・・。

つまり、タネを明かせば、一粒の電子。それが雲のように広がって、丸い原子になっている。その意味で、これはトンデモない水増し疑惑。

でもって、ここがカンジンなところなんだけど、上の図で、色の濃いところは、電子が存在する確率が高い。色が薄いところは、電子が存在する確率が低い。

とはいうものの、この「電子雲」の図を日頃から見慣れてる人でない限り、まずピンとこないだろう。日常生活で身近なものの中に、これと似たものがあるかっていったら、全然ない。だから、分かりにくいのは当たり前。

そもそも、前回も書いたけど、量子力学に関して「分かる」などということは、まず期待できない。こればっかりは、「慣れる」しかないのである(笑)。

それはともかく、この電子雲がどういう雲なのかというと、「電子が存在する確率の雲」。たくさんのパラレルワールドにいる無数の電子たちが、一斉に出現して1ヶ所に集まっている・・・という感じ。

これこそが、われわれが暮らす物質世界の、真の姿なのだ。まさしく、闇夜にボーッと浮かび上がる幻影のような「電子雲」こそが、物質の本当の姿。なにもかも、これが集まってできている。これが並び方によっては、あのガチガチに硬い鉄 とかコンクリートとかにもなるんだから、実によくできているものだ。

もっとも、いくら幻影にしか見えないからといって、「原子の構造って、なんだか幻影みたいですね?」などと言えば、専門家から「これは幻影などではない」と言われてしまう。そこで、「それなら、何なのですか?」ときくと、「これは確率分布なのだ」という答が返ってくる。

「じゃあ、これはあくまでも数学理論上の仮想的な存在なんですか?」とさらに聞けば、「いや、電子雲は物質として確かに存在している」と言われる。

つまり、この「電子雲」は、やっぱり現実の存在なのである。

ただし、「確率」っていうくらいだから、日常生活で接する堅固な物質と比べると、かなり怪しい存在には違いない。

電子が存在する確率が50%のところでは、半分くらいボヤけて存在している。存在確率が10%のところでは、ほとんどボヤけて存在している。その意味では、影が薄い幽霊みたいなものだ。

電子の実体は、もともと1粒の粒子。だから、電子雲のどこかにいる。どこにいるかは決まってないけど、原子核のまわりを高速周回している。電子がどこにいるかを突き止めたら、電子雲は消える。「存在する確率が100%」の電子1つだけが残って、幽霊みたいな残りの連中はすべて消える。

このように電子は、人間が見ていないところでは、雲のように、というより、ホログラムのように広がっている。物質は、この水増しシステム(?)みたいなもののおかげで成り立っている。これがなければ、物質世界もない。

もちろん、この量子力学の話を聞いて、「物質は、存在するかしないか、どっちか1つに決まるはずだ。どちらともつかない『確率50%の存在』なんて信じられるかいな?」と思った人もいた。その中でも特によく知られているのは、かの高名なるアインシュタイン博士。「神はサイコロを振りたまわず」という名言を吐いて、死ぬまで反対し続けた。でも結局のところ、百年近くたった今も、誰も量子力学の結論を否定できずにいる。それどころか、ますます動かしようのない事実として固まっている。

どちらにしても、この物質世界は、どこまで本当の意味で「実在」しているのか。それが、かなり疑わしく見えてくるのは事実。

われわれ、物質世界で生きる者にとってはあまりにも重大な事実なんだけど、なぜか、あんまり世間には知られていない・・・。

↑ 電子顕微鏡で見たシリコン原子の配列

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量子力学 その4 ~ 多世界解釈

2016年04月03日 | 精神世界を語る

 

電子というのは、原子核のまわりを回っている小さな粒。ところが、二重スリット実験の結果、「電子は波である」ということが分かった。粒なのに、波でもある。ここが、量子力学のカナメとなるポイント。

水滴が集まって川になり、海となり、寄せては返す波になる。これは分かる。でも、電子の場合は、「たくさん集まって波になる」というわけではない。ひと粒なのに、波になる。

電子は、もとはといえば小さな粒子。でも人間が観測していないときは、波動になって広がりだす。人間が観測すると、もとの粒子に戻る。観測した瞬間、パッと戻ってしまう。

これこそ、量子力学の要点。これが意味不明なのは誰にとっても同じで、ワケが分からなくても仕方ない。なんたって人類最大級のナゾなんだから、それも当然といえるだろう。これには、分かるなどということはあり得ず、慣れるしかないのである(笑)。

それはともかく、なんで、ひと粒なのに波なのか。そこが問題。

実のところ、波になるのは、無数の分身たちなのだ。電子は、電子銃から発射された途端に、無数の分身に分かれ、波になって進む。

でもって、ここがカンジンなところなんだけど、電子が通る確率が高いところには、分身が多い。電子が通る確率が低いところには、分身が少ない。

つまり、電子銃から発射された時点では、未来は決まっていない。電子がどこを通って、どこに当たるかは、これからの話。たくさんの未来が電子を待っている。未来が決まるのは、人間が観測したときか、最後にスクリーンに当たったとき。結果が出るまでは、たくさんの分身に分かれて、多くの未来が同時進行する。結果が出た瞬間に、無数の分身たちはすべて消えて、ひとつだけが残る。

もちろん、これは科学者にとっても意味不明なストーリーであることに変わりはない。それなのに、なんで皆がこれに納得しているのかというと、この考えを前提にして確率計算をすると、実験結果と計算結果がピタリと整合して、きれいに説明がついてしまうから。物理のプロにとっては、それこそが問題解決を意味する。

それにしても、この話のどこが、そんなに意味不明なのか。もちろん、「最初から最後まで」と言ってしまえばそれまでなんだけど、特に意味不明なのは、「人間が観測した途端に、無数の分身たちがすべて消えてしまう」というところだろう。

この最大の欠点を改良したのが、かの高名なる「エヴェレットの多世界解釈」と呼ばれる理論。

物理学では主流じゃないにもかかわらず、なぜか精神世界では人気抜群で、マニア同士の会話には普通に出てくるほどよく知られている。主流派よりも、「多世界解釈」のほうが遥かに認知度は高い。もはや、これは物理の専門用語というより、精神世界の用語と言っていいだろう。

電子銃から発射された電子は、どこを通って、どこに当たるか決まっていない。たくさんの未来が電子を待っている。右のスリットを通る電子、左のスリットを通る電子、その間に当たって届かない電子、横にそれてしまう電子・・・。そんな多くの未来が、無数の分身に分かれて同時進行する。

やがて、結果がひとつに定まる。

ここで、主流派(コペンハーゲン解釈と呼ばれる) の場合は、無数の分身たちが消えて、ただひとつの結果だけが残る。

ところが、多世界解釈の場合は、そのまま行ってしまうのである。つまり、たくさんの分身たちは、消えずに突き進む。そして、たくさんの違う結果になって残る・・・。

早い話が、これはパラレルワールドの理論。

電子を待っていた多くの未来は、そのまま無数のパラレルワールドに分かれて、異なる未来となっていく。「どんだけ多くの世界に分かれるんだよ」と思うけど、このように考えると、主流派の理論の最大の難点が解消される。

あとは、そんなパラレルワールドが本当にあると思えるかどうかだけ・・・ということになるだろう。

精神世界マニアに言わせれば、科学者たちはまだパラレルワールドの存在が信じられず、古い主流派の理論にシガミついているのだ・・・ということになるんだけど、実際のところ、主流派と多世界解釈の違いは、意外と大きくない。というのも、主流派の理論も十分に奇妙で、勝るとも劣らないほど変だからだ。両者の違いは、紙一重といってよい。

「粒子が、無数の可能性に分かれて重なりあった状態になる」というところまでは、どちらも同じ。違うのは、主流派では「ただ一つの結果に決まると、残りの可能性は消えてしまう」と考えるのに対し、多世界解釈では、「残りの可能性は、別のパラレルワールドに行ってしまったのだ」と考えるところ。

電子銃から発射された瞬間に、電子は多くの未来に分かれる。無数の状態が重なりあい、波動になって進む。電子は、右側にあるのか、左側にあるのか。人間が観測するまで、それは決まっていない。観測すれば、どちらかに決まる。

ここで、観測したら左側にあったとする。この場合、主流派の解釈では、「さっきまで右側にあった分身は消えて、左側が残ったのだ」と考える。多世界解釈では、「ボクは今、左側にある電子を観測している。でも、右側にあった分身は消えたのではない。別のパラレルワールドに行ってしまったのだ。そこには、右側にある電子を観測している自分がいる」という風に考える。

これで、主流派の意味不明なナゾは解消された。その代わり、パラレルワールドというさらに奇妙な、「信じるかどうかはアナタ次第です」というシロモノが登場する。

ただし、このパラレルワールドという考え方は、精神世界マニアにとっては、実にピンときやすい。だから、量子力学そのものだって、世間の一般人より精神世界マニアのほうが、ずっとナジミやすいのは確かだろう。筆者も、これまで科学者や科学評論家が書いた量子力学の本をたくさん読んできたし、講義も聞いたけど、やっぱり、「パラレルワールド」を前提にして考えると、実にシックリ来るものがある。

もはや、哲学だけでなく科学でさえも、精神世界の素養があったほうが分かりやすいという時代になっているのだ・・・(笑)。

それはともかく、少数派とはいうものの、一部の専門家は多世界解釈を支持している。ある有名な量子コンピュータの研究者は、「量子コンピュータは、いままでなら千年もかかったような膨大な計算をあっという間に処理してしまう」と語り、「なんで、そんなに速いんですか?」と聞かれて、「無数のパラレルワールドで同時に計算するから」と答えていた。

(つづく)