宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

輪廻が始まるとき ~ ロバート・モンロー

2010年01月11日 | ロバート・モンロー
  
あるとき、体外離脱したロバート・モンローは、同じKT95(どこか遠くの天体)から地球にやってきた、AA氏とBB氏という2人の仲間たちと語り合っていた。モンローとは異なり、ほかの2人は地球で人間をやったことがなく、人間の生態をいくら聞かされても、理解できない様子。「百聞は一見にしかず。ここはひとつ、実地見学といこう」とばかりに、3人で人間界を見にいくことにした。

人間界に近づくにつれて、、ザワザワという騒音が耳に入って来た。「Mバンド・ノイズ」だ。これは、地上にいる無数の人間たちが放射する思考や感情が、錯綜して鳴り響いているノイズ帯。BB氏は「なんだか、うるさいな」と思ったようだが、なぜかAA氏は、妙に興味を引かれた様子。BB氏が止めるのも聞かず、何かに取りつかれたように、ふらふらと進んでいく。いつのまにか、エントリー・ステーション(地球の人間界に生まれ変わるための中継地点)までやってきた。


>AAは「中間地帯」まで入っていった。BBは後に続いた。AAはいましがた見たばかりの人間たちに類似した背の高い、がっしりした形をした者(註・エントリーステーションの管理者。特定の形を持たないエネルギー体であるAAやBBと異なり、人間経験があるので明確な外形を持っている)の前で止まった。


「あのう・・・人間になりたいんですが・・・」と、エントリー・ステーションの管理者の前で切り出したAA。「はあ? 人間になりたい!? ・・・そりゃまた、なんで?」と不思議がる管理者。「人間になるってのが、どういうことか知りたいんです。あの下界の連中のことを知りたい。別に、ずっとやりたいわけじゃなくて、ちょこっと感じをつかむだけでいいんですけど」とAA氏。

「そうか。Mバンド・ノイズに引きずり込まれたんだな。みんな、あれにヤラレちゃうんだよな・・・」と、ひとりで納得するエントリー管理者。「記録事項・・・アナタは求めた。それでは、あちらの方に行き、右に曲がってください。くれぐれも、まちがえて左に行かないように」と管理人に指示され、AA氏はめでたく人間界への一歩を踏み出した・・・。

「アイツも、よくやるよ」と思いつつ、BB氏は「彼は、終わったら、このステーションに戻ってくるんですよね?」と管理者に聞いてみた。だが、なぜか返ってきたのは「そうねえ・・・」という、はかばかしくない返事。

やがて、エントリー・ステーションの管理者は「まずい。君の友人は、まずいことになってるぞ」と言い出した。動揺するBB氏。どうやら、AA氏はどこかに捕われてしまったようだ。とにかく、皆で探しに行かねばならない。

モンロー、BB、エントリー管理者の3人は、AAを探しに、人間界へとさらに降りていく。すさまじいMバンドノイズだ。人間たちの膨大な思考や感情が、渦を巻いている。もはやザワザワを通り越して、ワーワーキャーキャーという阿鼻叫喚。それが、耳をつんざく轟音と化してきた。「こりゃ、すげえところに来ちまったな・・・」と思わずにはいられない。

やがて、無数の群衆が見えてきた。何千、いや何百万、いや、ひょっとしたら何億。なんと、おびただしい数の人霊がウジャウジャと、はてしなく群れているではないか。「な、何なんですか、この人たちは・・・」。エントリー管理者によれば、「これは、リピートする連中」だという。人間に生まれ変わりたくて順番を待っている、人間界のリピーターたちだ。人間ってのは、そんなに、もう一度やりたくなるものなのか。もはや、ワケが分からない。絶句するBB。

エントリー管理者は、「われわれは、『人間体験は、習慣化する恐れがあります』と、さんざん警告してるんだけどねえ」とお手上げの表情だ。なんだか、タバコの箱に書いてある警告文みたい・・・(笑)。

そんな群衆の中に混じって、トボトボと歩いているAAを見つけた。人間の形をしているが、間違いない。あれはAAだ。

AAは、近代アメリカの大都会・ニューヨークで、人間を経験してきたのだ。積もる話を、記憶のカタマリとして受け取るBB。

AAがいよいよ生まれようとする場面から、それは始まった。どこに生まれたいか、具体的な交渉に入っている。「ニューヨークに生まれたい」と話すAAに、誰かが突然、話しかけてきた。「人間界に生まれたいですって? 他の連中が、あそこでどんなことを経験しているのか、分かっているのですか? それはそれは、言葉に表せない苦しみですよ・・・」。動揺するAA。そこに、声が鳴り響いた。「アイデントAA! アイデントAA! エントリーポイントにて受け入れ準備完了!」。吸い込まれていくAA。「飛べ! 飛ぶんだ、AA!」。AAは飛んだ。強烈な収縮。どんどん締め付けられ、痛くてたまらない。悲鳴を上げるAA。こうして、ニューヨークの片隅で、新生児が産声を上げた・・・。

BBは、「たったそれだけ?」と拍子抜けしてしまった。AAは「いや、これは始まりにすぎない。この後、いろんなことを経験したのだ」と言う。「そうか、良かったな。さあ帰ろう」と言うBBに、AAはビックリして、「トンデモない。まだ帰れないよ」と言い出した。聞けば、ニューヨークでは45歳の若さで病気になり、志なかばにして世を去ったのだという。まだまだ、人間界にやり残したことがある。前回は男だったから、今度は女になりたい・・・。
 
BBはあきれた。「警告文を見ただろ。AA、お前はな、とり憑かれちゃったんだ。お前はな・・・」。耳を貸そうともせず、去っていくAA。「AA、行くなよ、待てよ・・・!」。しかし、AAは奇妙な波のうねりと共に消えてしまった。

また、AAを探さなければならない。今度は、容易に見つからなかった。どうやら、もっと下界に近い世界に取り込まれてしまったようだ。

やっとのことで、AAを見つけた。でも、何かがおかしい。BBが話しかけても、しばらく気がつかなかった。もはや、自分が「KT95からやってきたAA」だということすら忘れかけている。聞けば、今度はもっと昔のイギリスで女に生まれ、散々な苦労をしたらしい。貧困、厳しい農作業、、炊事洗濯、夫の暴力。十四人もの子供を産んだが、疫病で生き残ったのは六人。最後は、自分も疫病で世を去った。今でこそ、女性の人生は大幅に改善されたのだが、昔は洋の東西を問わず、そんなものだっただろう・・・。

金輪際、女には生まれたくないというAA。今度は強い男になって、戦士として戦うと言い出した。

>「AA!」。BBは激しく振動した(註・BBは依然としてエネルギー体のまま)。AAはきょとんとした。そして揺らいだ。「え? ああ、あんただったの、BB。何か用?」。「家に帰ろうよ」。「家ってどこへ?」。「KT95にさ」。

AAは、激しく動揺した。そして、混乱した。でも、ムダだった。何かに引きずられるように、去っていくAA。今度は、どこにいくのか。どこかで戦士になって、殺伐とした戦乱の日々を送るのだろうか。ぼう然とするBBのそばに、いつのまにか、あのエントリー管理者が立っていた。「仕方がないさ。ああいうタイプは、一度とことん落ちてみるしかないんだ」・・・。
 
こうして、地球生命系に取り込まれていったAA。地球での人間体験は、強烈に刺激的なものだ。苦労すればするほど、中毒症状を起こす。これが「輪廻のメカニズム」。みんな、こうやって巻き込まれてきたのだ。「思い当たるフシがある」という人もいることだろう(笑)。
 
(引用部分はロバート・モンロー著、坂場順子訳「魂の体外旅行」)

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大集合 ~ ロバート・モンロー

2010年01月03日 | ロバート・モンロー
  
あるとき、体外離脱したロバート・モンローは、「地球と月の間のどこか、はっきりしない地点」にやってきた。そこは、非常に澄み切った場所だったという。
 
近くに、灰色をした固体と思われる巨大な物体があった。それは、何マイルもの長さを持つ、巨大な宇宙船だった。一方の端は円錐形で半球体のドームがかぶさった形になっていたが、もう一方の端は、遠くにありすぎて見えない。

モンローは、ガイドから「現時点では、物質的な地球のまわりにはこのようなものが沢山あるのです」と告げられた。


>私はすぐさま地球のパーセプト(註:直感的に認識したもの)を見た。それは遠くにあって、小さな星ほどの大きさしかない、反射する光の点だった。その点から、(何なのエネルギーなのかは分からないが)不規則なエネルギーが流れてくる。・・・私は眼前のありさまにあまりに魅了されてしまって、この現象の背後に何があるのか、初め気がつかなかった。


間近にみた地球の姿に見とれて、最初は周囲に気づかなかったロバート・モンロー。だが、やがて、周囲を異様な集団に取り囲まれているのに気づいたという。


>地球を中心として八方見渡す限り、数限りないと思われる多くの物体がある。その中のいくつかは形があるが、他のものは雲の蒸気が小さなまとまりになった位しか見えない。でも、これら全てがいろいろな明るさで光り輝いていた。


これらの集団は、皆、強烈な期待感を持って地球に意識を集中していた。あたかも、番組の放映をまちわびているような期待感だった。これだけの数のものの注意を引くのだから、よほど大した番組なのだろうと思われた・・・。

すると、ガイドいわく、「私たちはこれを『大集合』と呼んでいます。ここには、あなたが言う特別番組を見るためだけに、近隣のほかのエネルギーシステムのものたちが出現し、集まっているのです。・・・いま始まろうとしている特別番組は実際のところ極めて稀な出来事で、異なるいくつかの強力なエネルギーの場が、あなた方の時空間で言えば同一点に合流するのです。この稀な出来事が起こるがゆえに、これだけ注目を集めたのです」。

これによって、人間の意識は、「統一された知的エネルギーシステム」として急速に浮かび上がるのだという。バラバラに分離していた、地球人類の意識がいよいよ統合だ。それによって、膨大な「新しいエネルギー」が生み出される。それは、地球のみにとどまらず、近隣のエネルギーシステムまでも、一気に変えてしまうだろう・・・。

ロバート・モンローが第二の著書・「魂の体外旅行」に書き記した、「大集合」。分厚い著書の中の、ほんの数ぺージを占めるにすぎない断片的な記録なのだが、モンロー研究所の枠を超えて、精神世界関係者の間ですっかり有名になった。
 
この「ロバート・モンローの大集合」は、アセンションにからんで、しばしば言及される。ただし、時期については明言されていない。モンロー自身は、「西暦三千年・・・?」という感想を漏らしている(ちなみに、当時は1970年代)。ただ、モンローが訪問したという「西暦三千年以後」の世界では、すでに地球は完全に調和された世界と化しており、人間は卒業してしまって、ほとんど住んでいなかった。自縛霊になって迷っていた浮かばれない連中も、みんな集められ、一斉に地球を旅立ってしまった後だったのだ。
 
ということは、「それよりも前のこと」と解釈するのが自然でしょうな、やっぱり・・・。
 
  
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「自分」を拾い集めて帰る

2010年01月03日 | ロバート・モンロー
 
あるとき、ロバート・モンローは、妙にお腹や背中が痛くて悩んでいた。理由を調べてみたが、どうにも原因不明。すると、何者かが、ある場所に案内してくれた。そこでは、褐色の短いトーガ(古代ローマ人とかが着ている、布を巻きつける服)を着て、腰に幅広のベルトを閉めた5~60人の男たちが、およそ同数の浅黒いヒゲ面の男たちと戦っていた。両方とも、短剣と槍、丸い盾で武装していた。ここは一体、いつの時代なのか・・・?

もうもうとあがる土煙、ほとばしる血潮。そんな中、18歳くらいの若者がもがいていた。なんと、槍で背中から腹にかけて、地面に突き刺されてしまっているのだ。

それは、ロバート・モンロー自身の過去世の姿だった。この、槍で背中を突き刺された強烈な体験のおかげで、いまだに痛みを感じることがある。やっと原因がわかって、ほっとしたロバート・モンロー。

その数年後、体外離脱したモンローは、またまた同じ場面に遭遇した。槍で地面に突き刺され、もがいている若者。なぜか、モンローの横に立って、それを不安そうに見ている男がいる。なんだか、兄弟みたいな感じだ。

もがいていた若者は、やがて弱々しくなり、動きが止まった。モンローは、隣に立っている男に、「わかるかい」と言った。男はうなずくと、背を向けて去って行き、やがて姿を消した・・・。

若者に、「起きろ」と呼びかけるモンロー。やがて、若者の身体から、別の頭が浮き上がってきた。それを引っ張りだしたところ、若者は身体からスルリと抜け出した。戦いに戻ろうとするのだが、もはや、手は短剣を持つことができない。ガクゼンとする若者に、「お前は死んだのだ」とさとす。そして、


>私は、若者の手を握って、舞い上がりはじめた。若者は不安そうだった。「ボクは・・・ボクは鳥じゃないんだ。飛べないよ!」。私はそっと手を引っぱってやり、2人してゆっくりと戦場の上空へ舞い上がった。若者の抱いていた懸念は一瞬にして消え去り、私たちは2人ともはしゃいで声を上げ、スピードをあげながら飛んでいった。

>・・・手の中に若者の手が感じられた。問題はどこで放してやるかだ。私が尋ねようとした、まさにそのとき、若者の手の感触が消えていることに気づいた。あたりをぐるぐる回ってみた。いない。若者がいない。誰もいない。いったい、どうなっているんだ?


結局、若者の救出に失敗したロバート・モンロー。そこで、ふと思い出した。「横で立っていた男」というのは、何年か前の自分だったということを。 原因不明の痛みに悩まされていたモンローは、何者かのガイドで、この場面に遭遇したのだ。その「何者か」というのが、まさに今の自分。

ということは、同時に、3人の「自分」が存在したということになる。ここから、ロバート・モンローの「自分」に対する見方は、大きく崩れていった・・・。
 
やがて、モンローは、あちこちの時代や地域を訪ねては、こうした過去の「自分」と遭遇するようになる。彼ら(?)は、死んで自縛霊と化し、死後世界で迷子になってしまっている。こうした「自分」たちを拾い集めて全員そろえるのが、モンローに与えられた使命。どうやら、それは予想以上に重要な意味を持っているようだ。
 
その理由は、後にロバート・モンローが「宇宙の源」を訪れたとき、明らかになったという。

そこには、「大いなる全体」があった。あらゆる次元から、あらゆる存在がそこに流れ込んできていた。ただし、ほかの存在たちは、モンローよりもずっと大きい。モンローなど、ほんの塵のようなものだ・・・。あまりにも小さい・・・。

そこで、ロバート・モンローは、「まさにそうだな、小さな者よ」と呼びかけられたという。さらに、「おまえは、何か違っているな。贈り物も持っていないし、ひとりきりだ。不完全ではないか」と言われた。そこで、モンローは思い出した。


>前に私は・・・「KT95」(註:どこか遠くの天体の名前)の遊びの輪に注入された、エネルギーの閃光だった・・・離脱・・・ひとり故郷を離れ、何かを探し、探して・・・そして黄色い太陽のまわりを回る青い惑星の放射に出会い・・・進入する・・・入っていく・・・それになるために・・・何になるために?・・・人間・・・そうとも、人間になるためにだ!


ついに、地球にやってきたときのことを思い出した、ロバート・モンロー。地球で肉体という物質的存在になったことにより、重苦しい制限を味わうハメになったのを思い出した。気楽に人間になってはみたものの、なってみたら、トンデモない苦労の連続だ。まったく、シャレになっていない。しかし、ほかの多くの人間たちと同様、苦労すればするほど、ますます人間体験がもたらす強烈な刺激に中毒する一方。何かにとりつかれたように輪廻転生を繰り返していった・・・。これは、一種のマゾヒズムなのだろうか(笑)。
 

>何度も何度も試みを繰り返し・・・生の過程を数知れず繰り返し・・・毛深い顔をした初めの小さな生き物から・・・何千年もの過程・・・人生を経て・・・何度も何度も、意識と知性の向上と低下を繰り返し、それらすべてをあわせたものが、「全体」に持ち帰るべき贈り物なのだ・・・。しかし、私はそれを持っていない・・・。


なんと、「贈り物」の意味まで分かった。地球で生きている意味までも、すべて思い出したことになる。


>やっと、部分がまき散らされたわけがわかった・・・私は、あの無数の人生を、すべてひっくるめたものなのだ。すべてが私なのだ。私はそれをなんと呼んでいたっけ・・・そう、私のIT(I THERE、向こうの自分)だ。

かくして、ロバート・モンローは、地球生命系の過去・現在・未来にまき散らされた無数の「自分」の断片たちを、拾い集めて帰るハメになったということだ。槍で地面に突き刺されていた古代の若者は、その中のひとり。他にも、そんな「自分」が多数。大変ですな・・・!!

でも、モンローによれば、それが「地球生命系からの卒業」。大変だけど、やるっきゃない!?
  
 
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「生存せよ」という刷り込み

2010年01月02日 | ロバート・モンロー
  
ロバート・モンローの最後の著作・「究極の旅」において、かの有名な(?)、「地球生命系の原理」が展開されている。いわく(抜粋)、


1.地球の生命系に参入するとき、すべての生命体は、おそらくDNAを通して、最優先の指令を刷り込まれている・・・「生存せよ!」。これこそ、生命系に存在する、すべての個体の行動をカゲで支配している動因である。・・・成功とはすなわち、肉体の生存だ。失敗とはすなわち、生存できないこと、肉体の消滅・・・死なのだ。恐怖とはすなわち、生存できない恐れがあるということだ。

2.急地球の生命系は、生命を維持するための栄養を求めて生命体どうしが競争しあうという、非個人的なシステムである・・・その過程で、個体間の協力というものも生じる。生存のために、しばしば協力が要求されるのだ。それでも全体としてみると、これは捕食のシステムになっている。

3.肉体の生存に結びつかない意識は、すべて侮蔑される。

4.この生命系の基本的なパターンは変化である。静止はエントロピーであり、エントロピーは死である。
 
 
なんとまあ、地球生命系システムの本質を、鋭くえぐったことか。ここには、「自然界では、万生万物が共存共栄しています」というような、きれいごとの影も形もない。たしかに、個体どうしが協力しあうこともあるのだが、それは生き残りのための協力であるとされている。

ここでいう「生存」とは、自分の個体のみならず、子孫を残すことや、種の保存をも含む。

地球では、「成功」とは、生存を意味する。「失敗」とは、生存できないことだ。生存に結びつくもの・・・食物、住居、異性その他・・・を得ることこそが、成功だ。それが得られないことが、失敗だ。
 
つまり地球は、意図的に創られた、サバイバルゲームの環境だということ。すべての個体が、「生存」という究極の目標に向かって、激しい競争を展開する。好むと好まざるとにかかわらず、それが地球環境というものだ。「なんで、こんな世界になっているのだ」と言って、怒ってみても仕方がない。
 
だが、いまや2010年代に突入した。いまこそ、意識を変容させるとき。このような、地球生命系の原理から逸脱した価値観が求められている。
 
意識を変容するためには、まず、上記のような「刷り込み」を自覚する必要がある。「ボクだけは、例外だ」というようなことはない。自分自身にも、「生存せよ」という指令は、DNAを通して刷り込まれているのだ。ウツ病で自殺寸前の人でさえ、潜在意識のレベルでは変わらない。それが、自覚されないほど深く、意識の奥に刷り込まれているだけである。
 
今の世の中のように、不景気な時代には、人々は余裕をなくして生存競争が厳しくなる。生存に結びつくものが得られなければ、人は不安になる。悲しくなる。それは「生存せよ」という刷り込みを強化し、人々の意識を、目前の現実へとよりいっそう強く縛りつける。

まったく、不景気には、百害あって一利がない。これは、地球人類の意識の覚醒にとって、非常に邪魔な状況だ。一日も早い景気回復が望まれる・・・。
  
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輪廻転生からの卒業 ~ ロバート・モンロー

2008年07月15日 | ロバート・モンロー
   
モンロー研では「地球生命系からの卒業」を唱えている。
 
それによると、我々は皆、どこからか地球生命系にやってきて、輪廻転生している。

地球生命系の特徴は、物質界と非物質界が、明確に分かれていて、相互の交流がほとんどないこと。そのため、物質界では「死んだら終わり」というサバイバルゲームが行われており、宇宙の中でも、非常に厳しい修行場(というより、実験場)となっている。
 
しかし、「覚醒」して地球生命系を「卒業」すれば、輪廻転生が終わるのだと言う。覚醒するとはどういうことかというと、「自分が本当は何者なのか、なぜ地球生命系に来たのか」を思い出すということ。
 
実のところ、「覚醒して、輪廻転生を終わらせる」というのは、古代インドで釈尊が説いていたことと、不思議に符合している。モンローは、明らかに仏教思想とは縁がなさそうな人物なのに、結論が似ているところが興味深い。

もっとも、似ているのは、そこまで。違うのは、そこからだ。

釈尊は、「輪廻転生が終わったあとはどうなるのでしょうか?」という質問に対しては、「無記」を通した。「無記」とは、「この点については語らない」ということ。「解脱した(輪廻転生が終わった)人は、生きているわけでもなく、死んでいるわけでもなく、生きていると同時に死んでいるというわけでもなく・・・」という、いつもの調子で質問に答えている。必ずしも、答をはぐらかしていたわけではない。これはこれで立派な回答なのだが、一般人にはどうにもイメージがわきにくい(笑)。

その点、ロバート・モンローの場合は、「輪廻転生から卒業した人間はどうなるのか?」という疑問に、明確な回答を出している。
 
それは、「自分が属する集合意識(トータルセルフ)が一体となって、宇宙の源に還る」というもの。
 
卒業した後は、「宇宙の源」と一体化することになる。ここで、個我としては終了。
  
しかも、体外離脱して、その「宇宙の源」を見てきたという。ただし、「お前が来るのは、まだ早い」と言われて、追い返されたそうな・・・。
                    
人間は、個体の消滅、全体との一体化に向けて進化している・・・ということが、ここで明らかになりました。
 

深まりゆく、意識の段階

2008年07月15日 | ロバート・モンロー


ロバート・モンローは、モンロー研究所の創始者だ。モンロー研究所といえば、ヘミシンク。
  
ヘミシンクとは、ヘッドホンで左右の脳半球に別々の周波数の音を流すことにより、特殊な脳波状態を生む。その結果、「何十年も修行したヨガ行者並みの瞑想状態」を生み出すという音響技術だ。超感覚的な認識が、飛躍的に増大するという。
 
創始者のロバート・モンローは、体外離脱の実験を重ね、調査結果をまとめた。そのひとつに、「意識の段階論」がある。
    
それは、その時々における、意識の状態、瞑想が深まっている度合いを表す。ヘミシンクの周波数を調整しただけでも、行き先が変わる。人間の意識の状態をどこにフォーカスするかに応じて異なる世界に行けるのである。ちょうどラジオの周波数を変えていくと、周波数に応じた局が選局されるように。
 
ただし、意識の深まりの状態であると同時に、そこに住みついている“住人”たちもいる。その多くは、人間界から旅立っていった死者たちの意識だ。彼らの意識も、それぞれの周波数に応じた意識界を選局して、そこにとどまっている。そういう意味では、「死後の世界」であると言える。

ただし、真の意味で、そこに「住んでいる」というわけではない。本来は通過点にすぎないはずの意識の領域なのに、途中で道に迷ってしまって、抜け出せなくなっている意識がある、ということに問題がある。モンロー研究所でやっている「救出」というのは、このような死者の意識を救出し、卒業に向かう手助けをすることを意味する。
 
モンローは40年間にわたる数千回に及ぶ体脱体験を積み重ね、調査結果をまとめ、「意識の段階」を明らかにした。
 
 
フォーカス10   体は眠っているが、意識は起きている状態
フォーカス12   意識が、身体を超えて拡大した状態
フォーカス15   過去や未来とつながっている無時間状態
フォーカス21   他のエネルギー・システムへの架け橋
フォーカス22   夢を見たり、精神撹乱している人の状態
フォーカス23   個人の想念が創り出した世界に囚われている状態
フォーカス25   集団の想念が作り出した世界に捉われている状態
フォーカス27   輪廻転生の中継センター

お釈迦さまにとっても、意識界というのは、「OO界」・「△△界」・「XX界」・・・と、多くの世界に分かれる。禅定が深まりゆくにつれて、行き先が変化する。それだけでなく、そのときどきの心境に応じても、行き先が変わる。
   
たとえ神さまでも、怒り狂っているときは、意識が阿修羅界に瞬間移動する。畜生でも、心が慈悲に満ちている瞬間には、菩薩界の住人だ。禅定が深まっていけば、「非想非非想処」、「空無辺処」といった、より深い心境の世界へと到達する。

 

では、最高に禅定を深めた意識は、一体どこに行くのか?

「どこにも行かない」というのが、お釈迦さまの最終解答。心境の変化が一切なくなり、絶対の境地へと到達する。それこそが、修行者の目標だ

これは、一部の新宗教でいう「霊界の階層」とは、似て非なるものだ。ここで言われているのは、あくまでも、瞑想による意識の深まりの段階。「霊格」の違いというようなものではない。

   


ブルース・モーエン氏の本体・分身論

2008年05月09日 | ロバート・モンロー
    
ブルース・モーエン氏の「死後探索シリーズ4」を読んだ。
   
モーエン氏は、モンロー研究所の開祖・ロバート・モンロー氏とは、魂の兄弟(?)とも言える間柄。モーエン風に言えば、「同じディスクのメンバー」ということになる。
 
ちなみに、「同じディスクのメンバー」とはどういうことかというと、「より大きなバージョンの自分」。
 
この世では、モンロー、モーエンという別々の人間。でも、非物質界にいけば「同じディスク」に属する。つまり、あの世では同一の生命体の一部。
 
これはどういうことかと言うと、「自分」というのは、本来はもっと大きな存在。その一部の分身が、地球で「ブルース・モーエン」をやっている、ということ。
 
1人1人が個体として分かれてはいるのだが、あくまでも、「キミとボクは2人で1人」ならぬ、全体で1人なのである。メンバー全体を非物質界(あの世)で見ると「円盤みたいな形に見える」ことから、“ディスク”と呼ばれる。
 
ちなみに、坂本政道氏によると、坂本氏も同じディスクの片割れだということだ。
 
もちろん、モーエン氏のディスクは(中心人物はロバート・モンローだと思われるので、モンロー・ディスクと呼ぶべきか)、モンロー・モーエン・政道の3人だけで構成されているわけではない。もっと大勢の分身をあちこちに送り込んでいるのだそうだ。分身は、糸でディスクにつながっている。
 
地獄にもいるし、広大な非物質界(あの世)のアチコチに滞在している。中には、物質界(この世)に生まれたことがないメンバーもいるという。そういう連中は、ずっと非物質界でヘルパーをやっているそうだ。
 
このようにして、“モンロー・ディスク”は、地球生命系のあらゆる領域に分身を送り込んでいる。目的はただひとつ、「探索」。このため、分身たちは「探索機」とも呼ばれる。
 
要するに“モンロー・ディスク”は、地球生命系のあらゆる領域に探索機を送り込み、すべてを知り尽くし、吸収し尽くそうとしているのだ。


  
人によって表現はさまざまだが(モーエン氏の場合は“ディスク”)、人間には「より大きなバージョンの自分」が存在するということは確かなようである。
 
人間は、「より大きなバージョンの自分」を一単位として考えるべきだ。つまり、今ここで生きている個体は、自分の本体が地球に送り込んだ“分身”にすぎないということ。個体としての役割を十分に果たしたら、本体と融合して消滅する。
  
「個体の消滅に向かって進化している」というのは、そういうことだろう・・・。 
  
 
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